配信公演 浅草九劇オンライン 柄本明ひとり芝居「煙草の害について」(劇評。文字のみ。関連リンクはあり)
2020年6月5日 東京の浅草九劇からの配信
午後7時30分から、オンライン型劇場に模様替えした浅草九劇の配信公演、柄本明ひとり芝居「煙草の害について」を観る。事前申込制の有料公演である。配信はVimeoを使って行われる。
配信公演への入り口となるURLは開演1時間ほど前に送られて来たのだが、メールソフトの調子が今日もおかしく、HTML形式のメールの画像がダウンロード出来ないので、返信やら転送やらのボタンを押して、無理矢理別の形式に置き換えて見る。返信を押した場合、更に「返信をやめる」を押すのだが、それでも返信されてしまう場合がある。
午後7時開場で、その直後に配信画面に入ったのだが、ずっと暗闇が続く。「LIVE」と視聴者数の文字は出ているので動いていることは確かだが、午後7時30分丁度になっても暗闇のままなのでブラウザの更新ボタンを押す。そのためか、あるいはそれとは関係なく配信の時間が来たからなのか、画面に舞台の背景が映る。臨場感を増すため、フルスクリーンにして視聴する。
「煙草の害について」は、アントン・チェーホフが書いた一人芝居である。オリジナルに近い形での上演は、MONOが京都芸術センターで行った「チェーホフは笑いを教えてくれる」というチェーホフの短編を連作にした作品の中で水沼健(みずぬま・たけし)が演じたものを観たことがあるのだが、上演時間が20分弱という短いものであるため、今回はチェーホフが書いた他の戯曲のセリフや歌などを加えて、上演時間1時間前後に延ばしたテキストを使用しての上演である。柄本版「煙草の害について」は、1993年初演で、書き直しを行いながら何度も上演を重ねているが、私は観るのは今日が初めてである。
柄本明が演じるのは、妻が経営する全寮制女子音楽学校の会計係兼教師であるが、恐妻家であり、今いちパッとしない男である。着ているベストも継ぎ接ぎだらけだ。
妻に命令されて、無理矢理「煙草の害について」というタイトルの健康に関する講演をすることになったのだが、彼自身は喫煙者であり、煙草の害に関する知識は辞書などで得たもの以外にはさほどない。当然ながらやる気もない。
音楽学校の生徒全員分のホットケーキを焼くよう妻に命じられて作ったのだが、体調不良で5人が食事をキャンセルしたため、妻から5人分を一人で食えと命じられ、食べ過ぎで体調不良である。妻からは「かかしんぼ」と呼ばれることがあり、かなり侮られている。
本編に入る前に、柄本明はアコーディオンを弾きながら榎本健一の楽曲「プカドンドン」(もしくは歌詞違いの「ベアトリ姉ちゃん」。サビの歌詞が一緒なので判別出来ず)を歌う。伴奏と歌がかなりずれることもあるが、あるいは浅草での上演ということでエノケンへのリスペクトも込めて歌われたのかも知れない。
体調が悪いので、持ってきた原稿の1枚目に向かってくしゃみをしたり、もうちょっと汚いものが出たため、それを丸めて棄てたのだが、実はそれが「煙草について調べた内容を書き記したメモ」だったため、それに気づいて、汚いのを承知で拾い、広げて読み上げるのだが、出したものでインクが滲んでしまい、上手く読めない。「イタリえば」と読んだが、実は「例えば」だったり、「中洲」という博多の繁華街ネタが始まるが、実際は「中枢神経」と書かれたものだったことが直後に判明したりする。男は「学がない」と自己紹介をしていたが、最後の辺りで「若い頃は大学で学問に励んだ」という話をしたり、音楽学校で理系から文系までの教養科目を幅広く教える能力があるため、謙遜しただけで、今は冴えないが少なくとも若い頃はかなり優秀と見られた人物であるらしいことがわかる。ちなみに彼の奥さん(「三人姉妹」に登場する怪女・ナターリヤの要素を入れている)は友人とフランス語で話すが、男の悪口を言うときはロシア語になるということが語られる場面があるのだが、帝政ロシア時代はかなり徹底したフランス指向の影響で上流階級はロシア語でなくフランス語を話していたという事実があり、奥さんもフランス語が話せて音楽がわかるということからハイクラスの出身であることがわかり、そうした女性と結婚出来た男も同等の階級出身である可能性が高い。あるいは彼も優れた才能と身分に恵まれながら時代の壁に阻まれて上手く生きられなかった「余計者」の系譜に入るのかも知れない。
「いざ鎌倉。鎌倉はどっち? ここは浅草だから」という話が出てきたり、「休憩」と称して下手隅にある椅子に腰掛けてバナナを食べた後で、ぶら下がっている紐に首を入れて揺らし、縊死するかのように見せた後で「ゴンドラの唄」を歌い、黒澤映画の「生きる」をモチーフにした演技を見せるなど、日本的な要素もちりばめられている。
とにかく妻や娘から軽視されているというので愚痴が多く、「誰でも出来る」結婚しか出来なかった(ただ今の人にとっては、結婚自体が高望みになりつつある。私も結婚していない。「私にも妻がいればいいのに」)不甲斐なさを述べるのだが、柄本明自身が奥さんである角替和枝を亡くしているということが透けて見えるような愛情吐露の場面もあり、妙に切なかったりする。
途中で後ろの方に座っていた学生風の若者が勝手に退出しようとしたのを見とがめたり、女子音楽学校の校則などの紹介が載っている本を客席に向かってロシア通貨で販売しようとする場面があったり(今回は無観客上演なので誰もいない)とステージ上だけでない空間の広がりを生む演技もある。
ラスト付近ではラヴェルの「ボレロ」が流れ、妻の影絵が浮かび、転調を伴う狂乱の内に芝居は終わる。
上演終了後、柄本は無人の劇場で演じるのは初めてだと語り、文化は生きることと同等であり、なくてはならないもの。なくなったら死んでしまうと熱いメッセージを語った。
初の配信ということもあってか、映像が時折途切れたりする。こちらの回線が悪い時もあったかも知れないが、スローモーションになった時には視聴者数が一気に20人ほど減ったため、観るのを諦めたかいったんログアウトしたかで、他の人が観ている映像にも問題が生じていることが察せられた。その後、観客数が一気に増え、ほどなくして画面も動き出した。
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