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2020年7月の34件の記事

2020年7月31日 (金)

観劇感想精選(346) 劇団M.O.P. 「水平線ホテル」

2005年7月9日 京都府立文化芸術会館にて観劇

雨の中を京都府立文化芸術会館(通称:京都文芸)に向かう。京都文芸は宇野重吉をして、「日本一の劇場」と言わしめた過去を持つが……、時の流れは速いものですね。

今日はここで劇団M.O.P.の「水平線ホテル」を観る。作・演出:マキノノゾミ。出演:キムラ緑子、三上市朗、小市慢太郎、林英世ほか。

M.O.P.はもともとは同志社大学の学生劇団からスタートし、京都で活躍していた劇団だが、現在は本拠地を東京に移している(2010年解散)。

「水平線ホテル」は地中海に浮かぶ、イタリアのある離島のホテルが舞台。「グランドホテル形式(特定の場所に集まった他人同士の人間模様を描く作品スタイル。映画「グランドホテル」に由来)」という言葉があるが、その言葉の通り、ホテルのロビーはよく演劇の舞台として選ばれる。今回もそうだ。

登場人物は全員イタリア人(アメリカ国籍のイタリア人は一人いるが)という設定なので、演技スタイルも新劇スタイルに近く、普段小劇場を見慣れた人は「変わった演技をするな」と思うはずだ。西洋人の動きを真似た演技なのである。

演技スタイルに関しては好みが分かれるだろうが、マキノの脚本はとにかく巧い。日本人が書いたとは思えないほどで、このままイタリア人の俳優を使って映画にしてもおかしくないほどの出来だ。

設定、展開、どんでん返しの妙、そして少し暗めのラスト、など全てに感心してしまう。

愛の強さについて、そして「正しい」とはどういうことなのかについて、考えさせられた。エンターテインメントとしても一級品である。

「水平線ホテル」の脚本を買って帰る。

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2020年7月30日 (木)

笑いの林(124) よしもと祇園花月 「リスタート! よしもと祇園花月ネタLive」2020.7.24

2020年7月24日 よしもと祇園花月にて

午後2時からよしもと祇園花月で、「リスタート! よしもと祇園花月ネタLive」を観る。

先週再稼働したよしもと祇園花月。先週はトークショーやゲームが中心だったが、今週からは漫才やコントなどの王道がプログラムに載り始める。吉本新喜劇が祇園に戻ってくるのはもう少し先になりそうである。

 

出演は、相席スタート、テンダラー、見取り図、学天即、藤崎マーケット、スマイル、COWCOW。豪華なラインナップである。

 

相席スタート。
まずは自己紹介。京都市出身の山添寛(やまぞえ・かん)は、特徴のない人と思われることが多いそうで、「地方局のアナウンサーにいそう」「結婚式場のスタッフにいそう」「カラオケの映像に出てそう」などと言われるそうである。

相方の山崎ケイは、早稲田大学卒業であるが、早稲女(わせじょ)繋がりである稲田元防衛大臣に似てると言われることが多い。本人は山口智子を意識しているそうであるが、それを口にしてから、「なんか目合わせてくれる人が減った」
ちなみに「アメトーク」に「いい女の雰囲気を出してる芸人」に出たことがあるそうである。本人は「いい女」枠ではなく「雰囲気を」しかも出ているのではなく「出している」と思われたのが不満らしい。山崎は「ちょうどいい感じのブス」を売りにしていたが、それがドラマのタイトルになりそうになった時に大炎上したため、今日は口にしなかった。

山添が年上の女性にプロポーズすることになり、山崎がそれを断る年上の女性を演じる(「もう水弾かないで馴染むよ」など)のだが、次第に「(家まで)駅から徒歩40分だよ」と年上の女性と直接関係のない条件を挙げ始めるというネタである。

 

テンダラー。
浜本広晃が、自粛期間に良いネタを考えてきたというので披露するが、「俺ら最近、ちんちんが」と言って、相方の白川悟実に「下ネタかい!」と突っ込まれる。

最近は一人焼き肉が流行っているというので、白川が客に扮して一人焼き肉に立ち寄るのだが、「いらっしゃいませ!」と言ってきた浜本が店員ではなく常連客だったり、100人が入れる広さのある謎の個室に通されそうになったりする。白川は店員の浜本にジャケットを預けるが、そのジャケットで床掃除を始められてしまったりする。

最後は交通事故を起こした際の損害保険のネタ。ソニー損保だとかチューリッヒだとかがCMでよくやっているあれである。
白川が交通事故を起こした人を、浜本が損害保険会社のオペレーターの女性を演じる。
白川が「白川悟実」と名乗ると、浜本は「え? 女性ですか?」
白川「いや、さとみという名前だけど男性です」
浜本「郷ひろみみたいなものですか? 城みちるみたいなものですか? 由美かおるみたいなものですか?」
白川「由美かおるは女やろ!」
浜本「お客様、勤務先が吉本興業となっていらっしゃいますが、ひょっとして?」
白川「ええ、漫才師です」
浜本「え!? 私、漫才大好きなんです。失礼ですが何というコンビで?」
白川「テンダラーといいます」
浜本、無視してパソコンを操作する仕草
白川「おーい!」

白川はUSJにいるのだが、軽トラックで来ているそうで(ジ・白川バンドというなぜ「ジ」なのかわからないバンドを率いているため、いつも楽器運搬用に軽トラックを運転しているのかも知れない)、代車として「日野の二トン」を提案されるも却下したりする。

 

見取り図。
盛山晋太郎が、謎かけを説くのが格好いいというので、「林檎とかけて好きな女性と解きます。どちらもきになる(木になる。気になる)」とやり、リリーが「ジャガイモとかけて嫌いな女性と解く。どちらもきにならない」と真似て、盛山に駄目だしされる。リリーは、「好きな女性とかけて嫌いな女性と解く。どちらもはなしたくない(離したくない。話したくない)」と言って、これはお客さんから拍手を貰っていた。
リリーは更にお客さんから、「祭り」というお題を頂いて挑むも、「祭りとかけてスズメと説く。どちらも三文字」というレベルの低いものにしかならず盛山に呆れられる。

続いて、痴漢冤罪の話。満員電車では痴漢冤罪に遭わないよう、つり革を両手で掴むといいと盛山が言い、盛山が男性を、リリーが痴漢冤罪を起こしそうな女性を演じるのだが、逆にリリーが電車内に他に誰もいないのに盛山に付き纏う変な女性になってしまう。

 

学天即。
よじょうは変わった髪型をしているが、天然パーマだと相方の奥田修二が紹介する。奥田「同情するでしょ?」
よじょうはよじょうで、奥田のことを「男前だ」と褒め、客席に奥田が男前かどうか聞くも全く反応がなく、奥田は「地獄やん」とこぼす。

よじょうは宇宙旅行をしたいという夢があるのだが、「宇宙旅行に行くのは、ANA? JAL?」というレベルで、奥田に「NASA」と突っ込まれる。
よじょうは更に宇宙旅行に行くのに高所恐怖症なのが難点だと言って奥田から、「普通、宇宙、遠いと思ってるけど、お前、高い思ってんのか?」と言われる。
宇宙旅行のためにプラスとなる事柄として、よじょうは英語が喋れる(関西大学卒であり、高学歴芸人に分類される)ことを挙げるも、「May I open the window?」と聞いて奥田から「一番駄目なことやん」と突っ込まれていた。

 

藤崎マーケット。
上新電機のCMに出演している阪神タイガースの選手のテンションが低いという話から入る(往時のCMで、今現在流れているものとは異なる)。

トキがホストに扮し、女性役の田崎祐一を接待するのだが、「あれ? 味がしない」と言って、田崎に「お前、コロナちゃう?」と突っ込まれる。
その後、トキは古今東西ゲームを提案するのだが、
トキ「B'zのメンバー。松本」
田崎「稲葉」
で二人しかいないので負け、
トキ「歴代総理大臣」
に挑むもトキ演じるホストは一人も上げられず自滅する。

 

スマイル。
ウーイェイよしたかが、「錦織圭です」と自己紹介するいつものネタから入る。
瀬戸洋祐が若い頃はヤンキーに憧れたというので、よしたかが「昔、ヤンキーだった」と言って、うんこ座りをするのだが、
瀬戸「なんで洋式(便器)やねん? そんなんおかしい」

瀬戸は車を運転して彼女の家の前に乗り付け、そこから一緒にドライブデートというのに憧れていると語るのだが、よしたかから「37歳にもなってそれ?」と言われる。
最後は二人でドライブデートに出掛けることになるのだが、よしたかは、「これ、何が面白いん?」

 

COWCOW。以前からやっている回文ネタをやる。
善し「トマト」
多田健二「パパ」
善し「新聞紙」
多田「ママ」
善し「竹藪焼けた」
多田「パパ、竹藪焼けた、パパ」
と多田の方がいい加減になっていく。

善しが、「イカのダンスは済んだのかい」と長いネタをやるが、多田は「たこのダンスは済んだのこた」と思いっきり回文を無視する。

その後に、学園を題材にした教師と生徒のやり取りネタが続く(覚えきれなかったので書かず)のだが、今日のライブネタはこれで最後だというので(夜公演としてCOWCOWの公演がある)アンコールとしてレビュー風のネタが行われ、観客も手拍子で応えた。


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2020年7月29日 (水)

コンサートの記(644) 秋山和慶指揮 京都市交響楽団第647回定期演奏会

2020年7月26日 京都コンサートホールにて

久しぶりに京都コンサートホールへ。2月の京響定期演奏会以来だから、5か月ちょっとぶりになる。

午前11時開演の京都市交響楽団第647回定期演奏会を聴くのだが、新型コロナウイルスの世界的な流行により予定されていた指揮者のパスカル・ロフェとピアニストのロジェ・ムラロが来日不可能になり、指揮者の代役を秋山和慶が受けて、曲目も変更になる。
また、京都市交響楽団の7月の定期は同一プログラム2回のはずだったが、入場制限を行う必要があるため、昨日1回、今日は午前11時からと午後15時からの2回、計3回の演奏が行われることになった。昨日と今日15時からの回は京響友の会のメンバー(ほぼ定期会員と重なる)優先となるため、1回券で来ている人は、今日の11時からの公演のみ入場可となる。

 

入場口でサーモカメラによる検温があり、大ホールへの入り口で手のアルコール消毒をする必要がある。アルコールアレルギーのある人は他の手段での消毒を行うようだ。
チケットは自分でちぎってプラスチック製の容器に入れる。プログラムも自分で取る。チラシ込みとなしの2種類のプログラムがあり、選ぶことが出来る。ビュッフェは営業停止、物販も行っていない。冷水機も使用出来なくなっている。

 

客席は左右共最低2席空けとなる。今日は三階席の上手側ステージ奥寄りの席である。手すりが多少邪魔になるが、指揮する秋山の姿がよく見える。P席(ポディウム)は全て空席となっている。

 

ホールに入った時には、京都市交響楽団第13代常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一らによるプレトークが行われていた。

 

ステージ上も奏者同士の間隔を通常よりも空けての演奏である。今日のコンサートマスターは、4月に特別客演コンサートマスターに就任してから初の登場となる会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーは置かず、泉原隆志は会田の真後ろの席で弾く。同じ人物がステージ上に長く滞在するのをなるべく避けるため、弦楽奏者は首席と副主席を除いて前後半で入れ替わる。アシスタント・コンサートマスターの称号を持つ尾﨑平は今日は後半のみの登場で、泉原の真後ろで演奏していた。
第2ヴァイオリンの客演首席は大森潤子。チェロの客演首席にはルドヴィート・カンタが入る。

 

曲目は、前半がシェチェドリンの「カルメン」組曲(ビゼーの歌劇「カルメン」による弦楽と打楽器の編曲版)、後半がストラヴィンスキーのバレエ組曲「プルチネルラ」
途中休憩なし、上演時間約80分というコロナ下特別対策による公演である。

シチェドリンの「カルメン」組曲は、弦楽器と打楽器のための作品。ストラヴィンスキーのバレエ組曲「プルチネルラ」は弦楽器と管楽器のための作品で打楽器は登場しない。ということで、ステージ上で「密」にならないための曲目が選ばれているのだが、同時に両曲ともトランスクリプション作品であり、元からある楽曲に新たな命を吹き込むという意味で京響の「再生」に重ねるという意図があるいはあるのかも知れない。

 

何でも振れる秋山和慶は、こうした危機の事態には引く手あまたである。1941年生まれ、桐朋学園大学で齋藤秀雄らに師事。卒業後ほどなく東京交響楽団を指揮してデビューし、その後、同楽団の音楽監督・常任指揮者を40年に渡って務める。小澤征爾の下でトロント交響楽団副指揮者、アメリカ交響楽団音楽監督(前任であるレオポルド・ストコフスキー直々の指名)、バンクーバー交響楽団音楽監督、シラキュース交響楽団音楽監督と、北米大陸でのキャリアも築いている。
広島交響楽団とはシェフとして長年に渡って良好な関係を築き、終身名誉指揮者の称号を得ているほか、新興の中部フィルハーモニー交響楽団芸術監督・首席指揮者、日本センチュリー交響楽団のミュージックアドバイザーなども務めている。

経歴から分かる通り、日本においては、比較的若い楽団を育てることに喜びを見いだすタイプであり、洗足学園音楽大学芸術監督・特別教授として指導に当たるほか、京都市立芸術大学からは名誉教授の称号を得ている。学生オーケストラの公演にもしばしば登場することでも知られている。

秋山は、コンサートマスターの会田莉凡と握手ではなくエルボータッチを行う。

 

シチェドリンの「カルメン」組曲。旧ソ連とロシアを代表する作曲家の一人であるロディオン・シチェドリン(1936- )がボリショイ劇場のプリマ・ドンナであったマイヤ・プリセツカヤの依頼により、ビゼーの歌劇「カルメン」をバレエ音楽にアレンジした作品である。打楽器が多用されており、その痛烈な響きが現代音楽であることを再確認させてくれる。

まず、チューブラー・ベルズによって「ハバネラ」の主題が奏でられるのだが、どこかノスタルジアを帯びており、「カルメン」が遠い昔の物語として語り出される趣がある。
ちなみに、「カルメン」の音楽のみならず、同じくビゼーの代表作である「アルルの女」からの“ファランドール”がボレロ舞曲風に奏でられ、歌劇「パースの娘」から“ジプシーの踊り”も取り入れられるなど、単純にアレンジしただけではなく、作品中でビゼーの音楽が再構築されている。

久々の定期演奏会を行う京都市交響楽団であるが、切れ味鋭く、美観も万全でブランクを感じさせない仕上がりである。

後半の「プルチネルラ」では打楽器が登場しないということで、舞台転換の際は、ステージスタッフのみならず京響の打楽器メンバーも自ら楽器を持ってステージ後方へと片付ける。

 

ストラヴィンスキーのバレエ組曲「プルチネルラ」。18世紀の作曲家であるペルゴレージの楽曲などをストラヴィンスキーが20世紀風に再構成した作品である。カメレオン作曲家と呼ばれ、作風をコロコロ変えたストラヴィンスキーの新古典主義時代の代表作である。

前半の「カルメン」組曲は、ドイツ式の現代配置での演奏だったが、「プルチネルラ」ではヴィオラとチェロの位置が入れ替わり、アメリカ式の現代配置に近くなるが、コントラバス首席奏者の黒川冬貴がチェロ首席のルドヴィート・カンタの真横となる最前列で弾くなど、独特のポジショニングである。

創設当時に、典雅なモーツァルト作品演奏に特化した活動を行い「モーツァルトの京響」と呼ばれた京都市交響楽団だが、その伝統が今も生きており、煌びやかにして雅やかな音色が冴えに冴えまくる。パースペクティブの築き方も巧みである上に秋山の抜群のオーケストラ統率力も加わって、古典の再構成作品の演奏として高い水準に到達しており、京響の楽団員も実に楽しそうだ。

京響が得意そうな楽曲を並べたということもあるが、今の状況ではベストに近い演奏が行われており、京都市交響楽団の実力の高さが再確認される演奏会となった。

 

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2020年7月28日 (火)

配信公演 阪哲朗指揮山形交響楽団 「ベートーヴェン交響曲スペシャル」第2回(文字のみ)

2020年7月25日 山形市のやまぎん県民ホールからの配信

午後4時からクラシック音楽配信サイト、カーテンコールで阪哲朗指揮山形交響楽団による「ベートーヴェン交響曲スペシャル」の第2回公演を視聴。やまぎん県民ホールからの配信。入場者数を絞った上での有観客公演である。

曲目は、ベートーヴェンの交響曲第2番と第8番。

まず、山形交響楽団専務理事である西濱秀樹によるプレトークがある。西濱秀樹は関西フィルハーモニー管弦楽団時代もユーモアに富んだプレトークを行っており、好評であった。その後、指揮者の阪哲朗も登場して、ベートーヴェンに関するトーク。「ベートーヴェンの交響曲第2番を演奏会でお聴きになったことのある方、いらっしゃいます?」という話になる。東京や関西はオーケストラの数も多く、ベートーヴェン・チクルスなども珍しくはないが、山形県内にプロのオーケストラは山形交響楽団だけ。交響曲第2番はそれほどメジャーな曲ではないので、生では聴いたことのない方も多いようである。阪哲朗もベートーヴェンの交響曲第2番を指揮するのは生涯2度目だそうである。

スコアであるが、ブライトコプフ(ブライトコップ)の新版を使用するそうである。新版は「原典版」と命名されているようだ。

トランペットやホルンはナチュラル仕様のものを使用。バロックティンパニも用いたHIPによる演奏である。古典配置を採用。


交響曲第2番では阪はタクトを使って指揮する。
交響曲第2番は、ベートーヴェンの交響曲の中では旋律重視の優美な曲と捉えられているが、HIPを駆使するとベートーヴェンの斬新さが浮かび上がる。弦も管も美しく、瑞々しさ溢れる演奏となった。
匂うような「青春の息吹」が感じられるのも特徴である。


休憩時間には、やまぎん県民ホールの紹介VTRも流れる。第1回の「ベートーヴェン交響曲スペシャル」でも流れたVTRだそうだが、1回目の日(七夕であった)には私はよそに行っており、アーカイブとしても残さないということだったので、観るのは初めてである。山響の楽団員がホール内各所で演奏する様子が流れた。山形の伝統工芸をモチーフにした飾りがあったり、カーペットの模様が最上川の流れをイメージしたものであったりと、郷土愛に満ちた内装である。


交響曲第8番。ベートーヴェン自身が最も気に入っていた交響曲として知られているが、ベートーヴェンの生前から今に至るまで人気は今ひとつである。明るめの曲調による小型の交響曲であるため、「ベートーヴェンらしくない」というのがその理由だと思われるが、「そもそもベートーヴェンらしさ」とは何かという問題もある。所詮はパブリック・イメージである。

阪は、この曲はノンタクトで指揮。生き生きとした音楽作りである。
この曲においてベートーヴェンが描いた明るさは、ある意味突き抜けており、第九を書くのはまだ先のことであるが、彼岸が見えているようでもある。
阪の指揮の上手さもあって、他の交響曲からは窺えない豪快な明るさもはっきりと感じ取ることが出来る。
フランスでいうところの「エスプリ・ゴーロワ(エスプリ・ゴロワ。「ゴール人気質」のこと)」のようだ。

交響曲第7番と第8番は双子の交響曲とも捉えられているが、第7番は音楽と人間の肉体的な美を描き、第8番ではより精神的なものを讃えているようにも思われる。第5と「田園」同様、相互補完的な関係である。


新型コロナ対策のため、客席で大声を上げることは禁止だが、客席の後ろの方には、「ブラボー」プレート(山形交響楽団の公式Twitterなどで、やまぎん県民ホールが配布したものであることがわかった)を掲げている人も何人かいる。
連続ドラマ「半沢直樹」の続編が始まったということもあり(?)、「やられたらやり返す」ということで(??)、阪哲朗も最後は「感謝」という言葉の書かれたプレートを拡げて、「文字返し」(???)で応えていた。

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2020年7月26日 (日)

配信公演 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団「サマーコンサート in 住友生命いずみホール」(文字のみ)

2020年7月17日 住友生命いずみホールより配信。同7月23日 アーカイブを視聴

7月17日に、大阪フィルハーモニー交響楽団が大阪の京橋にある住友生命いずみホールで行った「サマーコンサート in 住友生命いずみホール」がクラシック専門ストリーミングサービスのカーテンコールで配信されたのだが、そのアーカイブを視聴する。17日は、左京区下鴨にある月光堂という楽器店で仏教談義を行っていた(店主が真言宗の僧侶である)ため、リアルタイムでは接することの出来なかった演奏会である。当初、大阪フィルはこの日に神戸国際会館国際ホールで演奏会を行うはずだったのだが、新型コロナの影響で中止となり、代わりに配信のための演奏会が組まれた。無観客ではなく関係者を客席に入れての公演である。指揮は大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督の尾高忠明。

冒頭に「食い倒れ」の街・大阪のグルメと、中之島周辺の夜景など大阪の魅力を紹介する映像が流れ、西成区岸里(きしのさと)にある大阪フィルハーモニー会館とこの演奏会のリハーサルの模様が映し出される。管楽器以外の奏者はマスクを、指揮者の尾高はフェイスシールドをしてのリハーサルである。
本番でも尾高はフェイスシールドをして登場したが、指揮台に上がってからは取る。尾高によると、フェイスシールドは東大阪市の会社が作ったもので、とても優秀だそうである。


曲目は、デュカスのバレエ音楽「ラ・ペリ」よりファンファーレ、ホルストの「吹奏楽のための第1組曲」、エルガーの弦楽セレナード、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」、モーツァルトの交響曲第39番。

デュカスとホルストは管楽のみ(ホルストは吹奏楽ということでコントラバス奏者はいる)、エルガーとシベリウスは弦楽のみ(シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」はティンパニ入りでの演奏)、モーツァルトでフル編成となる。

休憩時間なしの演奏会で、曲間の楽団員や楽器入れ替えの時間は尾高がマイクを手にトークで繋ぐ。


いずみホールは、元々が住友のホールであるが(住友の屋号が「泉屋」)、今年から住友生命いずみホールという名称に変わっている。


先月から演奏会が再開された大フィル。今月は定期演奏会を含めて4度のコンサートがある。ただソーシャル・ディスタンスを保つため使用可能な客席は通常の半分ほどであり、ぴあなどで取り扱うチケットは比較的少なめで、ほぼ全て売り切れ。大フィルのチケットセンターでの取り扱いが中心となっている。


まずデュカスの「ラ・ペリ」よりファンファーレ。フランス音楽のファンファーレとしては最も有名なものである。ステージ最後列に半円形に陣取った金管奏者達が輝かしい音を放つ。

本番前の映像に尾高忠明へのインタビューも含まれていたが、デュカスは自身に厳しい人で、寡作。「ラ・ペリ」もいったんは破棄しようとして、友人に止められたという比較的有名なエピソードを紹介していた。


ホルストの「吹奏楽のための第1組曲」。ホルストは職業作曲家ではあったが、専業ではなく、女学校の音楽教師をすることで主な収入を得ており、作曲作品も自分が書きたいものよりも依頼されたものが中心となっている。自身がトロンボーンを専攻していたということもあり、吹奏楽のための作品も多い。
尾高は、ホルストの代表作である組曲「惑星」の話をする。組曲「惑星」は地球を除く太陽系の惑星の神話等を音楽で描いたものだが、ホルストの死後に冥王星が発見されたため、「不完全な惑星」と見做されたこともあった。だが、つい最近であるが、「冥王星は惑星の基準を満たしていない」ということで準惑星となり、惑星の数はホルストが作曲した通りに戻ったという話である。実はイギリスのコリン・マシューズという作曲家が、サー・サイモン・ラトルの依頼を受けて「冥王星」を作曲したばかりだったのだが、それはまた別の話である。

生き生きとした演奏が展開される。舞台上でもソーシャル・ディスタンスを保つということで大編成の曲をプログラムに載せにくく、テューバなどは出番がなかったのだが、この曲はテューバが含まれるため、久々に本番を迎えられたという話を尾高はする。

演奏後、管楽器奏者は退場し、弦楽奏者が持ち場に着くという入れ替えがある。その間、尾高はイギリスの話をする。尾高は元々はイギリスのことが余り好きではなかったそうで、一番の理由は「12進法」の採用だと話す。日本は「10進法」だが、ヨーロッパは元々は12進法で、イギリスは今でも12進法が主である(12の半分が6、6の半分が3という割り算基準である。3は「1と2」という数字の始まりの数二つを足した特別な数字とされている。12は当然ながら3の倍数でもある。10進法だと2つと5つにしか割れない)。そのため初めてイギリスに行ったときは計算がややこしく難儀したが、一緒にいた安永徹(元ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスター)がとても頭が良くて計算に強い人で助かったそうである。当時、ウィーンに留学中だった尾高は「イギリスなんて二度と行くものか。ウィーンで頑張ろう」と誓ったそうだが、皮肉なことにイギリスのオーケストラから「首席指揮者にならないか」という話が来る。受ければ海外初のポストとなる。最初は断ろうと思った尾高だが、「日本からの行き帰りの交通費、全部出すよ」という話だったので受けたそうだ。

着任したのはカーディフにあるBBCウェールズ交響楽団である。日本の感覚だと「イギリスと呼ばれるところは全てイギリス」だろうと思いがちだが、そもそもあの国は「イギリス」ではなく、「グレート・ブリテンおよび北部アイルランド連合王国」で、ウェールズはロンドンのあるイングランドとは違うという意識が強い。これはサッカーのワールドカップで別代表を送っていることからもよく分かる。大フィルのヴィオラ奏者である木下雄介は、8歳の頃からカーディフで育ったそうだが、ウェールズは英語とはまた別の世界最古といわれる言語を持っており、尾高と木下はウェールズ語でやり取りをしていた。

ウェールズ時代のことは、尾高は「徹子の部屋」に出演した際に語っていたが、ホールから歩いて5分ぐらいの所に家を構えて、リハーサル前に紅茶を飲んでリラックスという、結構、優雅な生活であったらしい。


エルガーの弦楽セレナード。エルガーを得意としている尾高。元々の音楽性が合っていたということもあるだろうが、ウェールズとはいえ、イギリスで長い時間を過ごすことで英国音楽のイディオムを身につけたということは大きいだろう。ノーブルな演奏である。


シベリウスも得意としている尾高。シベリウスは本国であるフィンランドの他にイギリス、アメリカ、そして日本で高く評価されている作曲家である。イギリス人指揮者の多くがシベリウス作品を取り上げ、アメリカにはユージン・オーマンディ、レナード・バーンスタイン、ユタ交響楽団の指揮者であったモーリス・アブラヴァネル、日本にも渡邉暁雄という優れた紹介者がいた。
日本のオーケストラもそうだが、フィンランドのオーケストラのメンバーもシャイな人が多いそうである。シベリウス自身がシャイな人として有名である。フィンランドに行くと色々なところでシベリウスの曲が流れているそうで、「シベリウスの音楽のないフィンランドは考えられない」そうである。

「アンダンテ・フェスティーヴォ」は、ここ数ヶ月の間に、広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団ソーシャル・ディスタンス・アンサンブル、村川千秋指揮山形交響楽団が共に配信演奏会で取り上げており、人気の曲目となっている。美しさの中に力強さを持っている曲であり、ラストで示される確固たる意思が人気の理由なのかも知れない。
尾高指揮の「アンダンテ・フェスティーヴォ」は、サントリーホールで行われた札幌交響楽団によるオール・シベリウス・プログラム演奏会のアンコール曲目として聴いたことがあるが、その時同様、自身と確信に満ちた演奏である。現在の日本におけるシベリウス演奏の泰斗としての誇りが窺える。

尾高は、「ティンパニがいつ入るんだろうと思われた方も多いでしょうが、ラストで効果を上げます」と語り、打楽器繋がりで、現代日本の作曲家は作品に多くの打楽器を用いるという話をする。打楽器が多いと、打楽器奏者当人よりも楽器の配置換えを行うステージマネージャーが大変になるそうで、曲の演奏の前にてんやわんやになるそうである。それでいて聴衆に大変さが分かって貰えず、配置換えの長さ故に面白い顔をされないので疲れるそうだ。
尾高は、N響のステージマネージャーだったKさんから、「モーツァルトはいいですね。打楽器の配置換えが少ないのにお客さんに喜んで貰える」という話をされたことがあるそうだ。


モーツァルトの交響曲第39番。この曲も尾高指揮大阪フィルのモーツァルト後期三大交響曲一挙演奏の定期演奏会で聴いたことがあるが、今日も尾高らしい細やかな味わいが光る演奏となる。尾高はフォルムで聴かせるタイプであるが、繊細な表情を特徴としており、音で押し切るスタイルとは異なる。


東京でも演奏会の仕事は始まっているそうであるが、東京は大阪とは違い、街を歩いていてもマスクをしていない人が目立つそうである。
錦糸町にある、すみだトリフォニーホールでの演奏は上首尾だったそうだが、「ブラボー禁止」ということで、本来ならブラボーがいくつか掛かってもいい出来と感じていたが、声を発する人がおらず、寂しい思いもしたそうだ。だが、「ブラボー!」と書かれた紙を掲げている人が5、6人ほどいたそうで、尾高も「あれいいね」と大フィルの楽団員に語りかける。「今度から紙配っておこうか」

多くの人が工夫を凝らしているようである。サッカーのサポーターが掲げるような「ブラボー!タオル」を作ったら売れそうな気もする。一時的だろうけれど。


志村けん、岡江久美子といった有名人も含めて多くの人が新型コロナで亡くなったということで、追悼曲として、グリーグの「二つの悲しい旋律」より「過ぎた春」が演奏された。

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2020年7月24日 (金)

SPAC(静岡県舞台芸術センター)俳優、教科書朗読 芥川龍之介 「トロッコ」 朗読:美加理

ク・ナウカ時代から宮城聰作品のヒロインとして活躍してきた美加理の朗読。

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笑いの林(123) よしもと祇園花月 「笑い飯のサマーライブ」2020.7.18

2020年7月18日 よしもと祇園花月にて

午後7時から、よしもと祇園花月で、「笑い飯のサマーライブ」を観る。コロナ禍により臨時閉館せざるを得なかった祇園花月だが、昨日から再稼働となっている。

出演者は、笑い飯、銀シャリ、ダイアン、天竺鼠、アキナ。豪華なメンバーである。
ただ、今回上演されるのは漫才ではなくゲームである。通常の吉本の公演だったらコーナーと呼ばれて公演の一部になっている類いのものである。

祇園花月再開後、最初に観るのは同い年である笑い飯の公演にしようと決めていた。

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司会は笑い飯・哲夫。暑いがビシッとスーツで登場する。相方の西田はゲームの挑戦者として参加する。
青組と紅組に分かれての戦い。青組は、銀シャリとダイアン。紅組が笑い飯・西田、天竺鼠、アキナ。青組4人、紅組5人となる変則的な戦いである。哲夫によると「ヒューマン中村にオファーしてみたがNGだった」そうである。本当かどうかはわからない(このメンバーの中だとヒューマン中村の個性は浮きそうではある)。青組はライトブルーの、紅組はチーム名と同じ色のTシャツを着ての登場。

ちなみに、舞台下手に青チームの得点表示とチームカラー、舞台上手に赤チームの得点表示とチームカラーが示されているのだが、青チームのチームカラーがなぜか紫になっており、笑い飯・西田が、「なんでなん? なんで紫なん?」と不審がっていた。

 

観客は入館前に手のアルコール消毒と検温を受ける必要があり、更にもぎりを行う際に名前と電話番号、席番号を記入して、今後、何かあった場合の措置が取れるようになっている。

ソーシャル・ディスタンスを守るということで、館内は客席左右1席以上空け、客席入り口のドアは換気を行うために全て開け放たれたままで公演が行われている。客席各所に大型の扇風機も設けて、空気が留まらないよう工夫が凝らされている。

 

まず哲夫が登場して挨拶。ゲームの趣旨などを説明する。
「ここで舞台出演者側が感染したら、えらいことになりますよ。テレビにこれ映りますよ。『あいつら、こんな幼稚なことしてんのか』と」

舞台後方に置かれたボードの、AからMまでのアルファベットを指定し、アルファベットの書かれた部分をひっくり返すとゲーム名が出てくるという仕組みなのだが、アルファベットの数が通常より少なめであり、そのことをまず出演者が突っ込む。コロナの影響でそんなに長い公演は行えず、この催しも1時間半と時間が決まっている。押すことは不可能なようで、そのため問題数も間引いているということのようである。

今日は舞台上で小道具などを並べる吉本のスタッフは、全員フェイスシールドを着けて仕事をこなす。

 

「ぷちぷちキックボード」。縦長の2枚のプチプチ(気泡緩衝材)を並べ、その間の8センチほどの隙間をキックボードで進み、プチプチを破らずゴールしたらクリアとなる。

まずアキナ・山名がクリアしたかに見えたが、プチプチの間にキックボードの車輪を入れてからキックして進んだということでアウトになる。
天竺鼠・川原もクリアしたように見えたが、後輪がまだプチプチの間に位置していた時に左足を舞台上に着けたということで、本人が認めてクリアならず。周りからは、「なんで認めるん?」と言われていた。

その後も成功者がいないまま、哲夫がゲームを打ち切りにしようとしたが、最後に1回だけとなり、アキナ・秋山が挑戦することに。秋山は、「こんなん、めっちゃプレッシャーやん!」とこぼすも、初めての成功者となった。
青組は、ダイアン・津田がチャレンジするが、途中で車輪が傾いてプチプチの破れる音がする。津田は、「うあー!」と大声を出して誤魔化そうとしたため、哲夫から「こすい(基本的には関西方言。「ずるい」「邪な」という意味)」と言われる。

 

「SMラガーマン」。ミニサイズのラグビーのゴールを設置し、出演者の一人が四つん這いになって背中に小さなラグビーボールを置く。もう一人がSMで使う鞭を振るって、ラグビーボールに当て、ゴールバーの上を越えたらクリアとなるのだが、どう見ても無理そうである。笑い飯・西田は、仰向けに寝っ転がって額の上にラグビーボールを置き、「ドMやん!」と言われる。

ちなみにダイアンは、なりゆきで二人とも上半身裸になってゲームに挑戦。他の出演者から、「ここでコロナ感染したら、えらいことですよ!」「『ミヤネ屋』にこの映像出ますよ!」と言われる。照明さんにも紫系のライトに変えて貰い、それっぽい雰囲気になる。クリアは当然ながらならず。おそらく成功する可能性は限りなく低く、出来たとしても「偶然」でしかないと思われる。

 

目隠しをして台の上に乗り、巨大ゴムを伸ばした先にあるバレーボールが飛んでくるのを受け取るというゲーム。バレーボールは重さもあり、大きいので空気抵抗も受ける。ということで、ゴムを思いっきり引き延ばしてから離しても、ボールは脚付近にしか届かない。受ける芸人は目隠しをしているので、当然ながら反応出来ない。
ということで、アキナ・秋山は再チャレンジの際に台の上に座る形でボールを受けることにしたのだが、ボールは股間に命中してしまい、しばらく悶絶する羽目になった。

 

上部を傾斜にした枠組みの上にゴルフボールを置き、転がってきたところを頭に被ったヘルメットの頭頂部に着いたお輪(仏教のお輪である)に当てて鳴らすというゲーム。
一番最初にチャレンジした天竺鼠・川原は、ゴルフボールが頭の上を通過してしまったためにNGとなるが、他の芸人がやる姿を見てコツを掴み、その後、5度挑戦して3度成功する。ダイアン・津田も何度か成功するが、最後は一回に何球も立て続けで挑戦した際、お輪に最初のゴルフボールが填まってその後のゴルフボールが鳴らなくなるというハプニングがある。「お輪に填まるのは珍しい」というので、青組のメンバーは「一気に5点」を要求するが認められず。

 

「大縄ブリーフ」。大縄跳びをしながら、ズボンの上からブリーフを履き、更に脱ぐとクリアである。西田が「最初はすっぽんぽん?」と聞き、津田に「そんなん、警察来るやん!」と突っ込まれる。
銀シャリ・鰻と天竺鼠・瀬下が挑戦するが、成功しそうにないまま終わる。

 

「ジェット風船をマジックハンドでキャッチ」。その名の通り、ジェット風船を飛ばし、落ちてきたところをマジックハンドでキャッチすればクリアである。
まず笑い飯・西田が挑戦して見事にキャッチしてみせる。これには相方の哲夫も意外そう且つ嬉しそうな表情を浮かべる。ちなみに西田は吉本芸人屈指の運動音痴で、「運動神経ゼロではなくマイナス」と言われている。哲夫は、「泳げない子がちょっと泳げた時のような気分」と語っていた。
青組のダイアン・ユースケ(本名の西澤裕介から改名)も一瞬捉えたかのように見えて、床に落としてしまったが、マジックハンドには付いていたということで、拾い上げてクリアとなる。

 

最後は、黒く塗ったピンポン球をドライヤーの風で浮かせ、千昌夫の顔写真が貼られたボードの額の部分に開けられた穴に填めれば成功となるゲーム。今は手術をして除去してしまったが、以前の千昌夫は額の部分にあるホクロをトレードマークとしており、「黒いホクロを再び」作るというゲームである。BGMとして千昌夫の「北国の春」が流れる。
結構いいところまではいくのだが、穴に押し込める時に上手くいかず、クリアには至らなかった。

 

帰りは、吉本のスタッフの誘導による列ごとの退場となる。よしもと祇園花月は出入り口が基本、一つしかなく(臨時用の狭めのものがもう一つあるにはある)一斉に席を離れると階段のところで「密」状態になるため、それを避ける意図がある。


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2020年7月23日 (木)

スタジアムにて(24) J2 京都サンガF.C.対愛媛FC@サンガスタジアム by KYOCERA 2020.7.19

2020年7月19日 JR亀岡駅前のサンガスタジアム by KYOCERAにて

亀岡へ。サンガスタジアム by KYOCERAで、J2、京都サンガF.C.対愛媛FCの試合を観戦する。

オープニングマッチは雪のち晴れ、前回は雨であったサンガスタジアムも今日は晴れ。気温も高く、新型コロナは勿論だが、熱中症にも注意する必要がある。マスクを着けたままの観戦になるのだが、息がこもり、頭部付近に熱が溜まって熱中症になりやすいため、たまに外す必要がある。サンガスタジアムはペットボトル持ち込み可(ビン・缶は不可)であるため、KIRINのスポーツドリンクを持って入ったが、随時水分を摂る必要があり、1試合で1本空けてしまった。

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JR亀岡駅の正面に丹波富士こと牛松山があり、絵になる風景なのだが、今日はその背後にある愛宕山の山頂も見える。行きのJR列車の窓からも愛宕山はよく見えており、愛宕神社を信仰したという明智光秀の気分になる。今日は「麒麟がくる 京都大河ドラマ館」には入らなかったが、物産館で浅葱色の光秀扇子を買い、更に土産の菓子も購入する。
暑いため、光秀扇子は購入して正解だった。

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サンガスタジアムの内部からも牛松山の山頂が見える。

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ここまで京都サンガは、2勝1敗2分け。2勝はいずれもサンガスタジアムの試合で、新スタジアムをホームとする利点を生かしている。

相手の愛媛FCは、2005年の初冬にJリーグへの加盟が決まった比較的若いチームである(前身のチームを含めると歴史は結構長い)。これまでJ1昇格経験はなく、天皇賞など他の大会でタイトルを獲ったこともない。

 

サンガも何人か怪我人が出ており、万全な体制ではないようである。

愛媛対サンガの試合を観るのは初めてだと思うが、愛媛にもキープ能力の高い選手がいて良いチームであることがわかる。

前回のサンガスタジアムでの試合は、ウタカと野田のツートップであったが、今日は野田は控えに回り、宮吉拓実がウタカとツートップを形成する。野田は84分から途中出場した。

コロナの感染を塞ぐため、客席は左右両隣3席分空けての観戦となる。再び感染者が増加傾向にあり、自重したりチケットを買い控えた人が多いためか、来場者数は前回よりも300人ほど少ない2700人ちょっとに留まった。

手のアルコール消毒は、スタジアム入場前、客席部分入場直後と最低でも2度行う。

 

前半は両チームとも決定的な場面を作れないまま終了。コロナ特別ルールにより、選手交代は計3回であるが5人まで可能。今日はサンガも一時に3人を変えるという作戦を採用していた。前半後半とも半ばに給水タイムが設けられていて一息つく感じになっている。

 

後半、サンガのディフェンダーのクリアが上手くいかず、ペナルティエリア内にボールがこぼれる。ゴール前で接戦となった末に、愛媛の忽那に押し込まれて、サンガが先制を許す。忽那はJ初ゴールだそうである。

サンガはその後もディフェンダーがゴール前でクリアミスを犯すなど、安定感が今ひとつである。

だが、59分にウタカがペナルティエリア内右サイドから放ったシュートが愛媛のゴールネットを揺らし、サンガが同点に追いつく。
その直後にもサンガが相手ゴール前で波状攻撃を行う。ウタカが浮いた球を右足でボレーシュートするが、ディフェンダーに弾かれる。だが最後はこぼれた球を中央付近に駆け込んだウタカが今度は左足でゴール左上に蹴り込んで逆転に成功。サンガイレブンは、メインスタンド前でゴールパフォーマンスを行う。

その後、愛媛も反撃に出るが、シュートがゴールポストに弾かれるなど、サンガは運にも助けられる。

アディショナルタイムは5分。愛媛がコーナーキックを得ての猛攻が続き、何度も危ない場面を迎えるが、これをしのぎきり、京都サンガF.C.が2-1で逆転勝利を飾った。

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2020年7月22日 (水)

配信公演 THEATRE E9 Air オープニングプログラム参加作品 MTCproject 関根淳子オンライン一人芝居「わたし」発達障害女子の当事者演劇(文字のみ)

2020年7月19日

午後1時から、THEATRE E9 Airのオープニングプログラム参加作品MTCproject「わたし」(発達障害女子の当事者演劇)オンラインバージョンを観る。京都の東九条にあるTHEATRE E9によるZoomを使っての配信公演である。SPAC(Shizuoka Performing Arts Center 静岡県舞台芸術センター)所属の女優である関根淳子の一人芝居。脚本(脚色)・出演:関根淳子、原作・演出:増田雄(MTCproject)。振付:相良ゆみ。音楽:度会美帆。

大阪を拠点に活躍している増田雄が発達障害普及のための芝居を依頼され、一人芝居として書き上げたもので、自身が初演も行っている。2016年初演。元々のタイトルは漢字で「私」であった。増田自身もADHD系の診断を受けているそうである。
というわけで、元々は男優による一人芝居だったのが、それを観た発達障害の当事者でもある関根淳子が刺激を受け、当事者性に関する論文を書いている時に「私」を女優の一人芝居にトレースすることを思いつき、コロナ禍の自粛期間に書き上げたという。本来は6月に大阪で初演されるはずだったのだが、コロナのために流れ、THEATRE E9による配信公演を行うことになった。

カメラワークやライティングなどを万全にするためだと思われるが、上演本編は静岡市内にあるあそviva!劇場で収録したものが流され、上演時間も48分とはっきりしている。その後、増田雄と関根淳子による対談がリアルタイムで配信される。増田は大阪からの、関根は静岡からのZoom出演となる。

 

関根淳子は、発達障害(10年ほど前の診断で、当時のアスペルガー症候群、現在のASD。ADHD傾向もあるそうである)の当事者であるが、東京大学卒業であり、SPAC芸術総監督の宮城聰の後輩。高学歴である。発達障害と知的障害は混同されることが多く、長崎県の某私立高校に通う女子生徒が教師から「障害者の通う学校じゃない」と暴言を吐かれたという事件が起きた時に、「発達障害だからどうせ勉強苦手でしょう」などという推測による書き込みが散見されたが、発達障害の知的能力は個々でバラバラであり、高IQの人もいれば、知的障害と重なる人もいる。天才肌の人もいるが、残念ながら極々少数に限られる。知的障害と名称が異なるということは当然別の障害であり、知力というよりもどちらかというとコミュニケーション能力に難のあるケースが多い。「反復を好む」という性質を持つ人もいて、それが学習面において発揮された場合はむしろ受験においては有利に働く。発達障害当事者は学生時代には問題が顕在化されない場合もあり、障害が自覚されるようになるのは就職が機になることが多い。学生時代は勉強が出来ると人間関係に躓きはあっても評価はされることが多いため、落差に苦しむ人もいる。

発達障害というと漠然としたイメージであり、区分も様々であるが(DSMとICDという二つの基準がある)、現在の日本の診断基準では3つに大きく分かれており、「自閉症スペクトラム(ASD)」(知的障害を伴わない自閉症である「アスペルガー症候群」も今では名称自体が医学では用いられなくなり、ここに分類される)、「学習障害」(知能指数全体には問題がないが、特定の分野だけを不得手とする)、「ADHD」(多動、不注意などが顕著)となる。複数の障害を抱えている人もいる。アスペルガー症候群という名称が医学用語からなくなったことからも分かる通り、区分が大きく変わることがあるのも特徴である。

原作の一人芝居「私」は、「このままでは就職出来ない」と悩む男子大学生が主人公だったようだが、関根淳子が脚色した「わたし」は、専門学校を卒業してカフェで働くフリーターという設定である。障害自体は今では用いられないがアスペルガーもしくはそのグレーゾーンになるようだ。
主人公の女性はカフェでアルバイトを続けていたが、他の店員とコミュニケーションが取れず、仕事も休みがちとなり、今では半ば引きこもり状態となっている。そんな彼女のアパートの部屋にもう一人の「わたし」が発達障害のためのマニュアルを持って現れるという話である。女性には彼氏がいるのだが、今のままではそれも上手く行きそうにない。

アフタートークでの関根の発言によると、男性版の「私」にとっての一番の問題は就職であるが、関根自身が過去を振り返った場合、恋愛が一番であったということで、そこが一番大きく変えたところだという。

マニュアルを得た女性は、同じくマニュアルを持った定型発達の人(いわゆる普通の人)達から配慮して貰えるようになり、人生が上手く運ぶかに見えたのだが、定型発達の人からの配慮が、「なになにしてあげてる」、「寛大だから受け入れてあげてる」、「私たちはあなたを理解している」という上からの視点によるもの(一種のパターナリズム)であることが、1年後に現れた過去の「わたし」によって明かされていく。主人公の女性は関根本人とは違って高学歴ではないし、勉強も苦手、人から言われたことをそのまま受け取ってしまうため騙されやすいという難点も抱えている。発達障害がプラスになっているところはほとんどない。
鬱状態の中で女性は子どもの頃、物語を作るのが好きだったということを思い出す。やがて物語はハンス・クリスチャン・アンデルセンの「人魚姫」の話になり、子どもの頃の主人公の女性が現れて(夢なのか記憶なのか、比喩なのかインナーチャイルドなのかは明かされない)結末へと向かう。

代表的な症状に「スペクトラム(連続体)」という名称が与えられていることから分かる通り、発達障害には「典型的な症例」というものは存在せず、個々で抱えている問題も能力も異なる。そのため理解されにくいのであるが、あたかもわかったかのように、実在しない「イメージ」への対処法をされることで問題は更に根深く大きくなっていく。
アフタートークで増田は、発達障害普及のための演劇が、精神保健福祉士の方から精神保健福祉士を目指して学んでいる学生が観るための演劇を書いて欲しいとの依頼で書かれたことを明かし、「発達障害を学んでいる学生なら、僕よりも発達障害に詳しいんじゃないですか?」と聞いたところ、「学んでいた時と、実際の当事者に接した時に感じるギャップが大きい」ということで、ならいっそのことわかりやすくするのではなく、その溝を真っ正面から見つめる作品にしようということで「私」が書かれたそうである。

当事者演劇ではあるが、描かれているのは典型的な症例ではなく、あくまで当事者の一個人「わたし」である。

「人魚姫」が劇中に引用されていることから(「人魚姫」を引用したのは関根淳子であり、増田雄の原作バージョンでは「えら呼吸が出来ない魚」の話だったそうである。レオ・レオニの「スイミー」が発想の元になったそうだ)、私は以前、兵庫県立芸術文化センター中ホールで観た白井晃の一人芝居「アンデルセン・プロジェクト」を思い出し、アフタートークの時にチャットに書いたのだが、増田も「アンデルセン・プロジェクト」は観ているそうである(先にも書いたとおり、「人魚姫」を引用したのは関根なので、増田が「アンデルセン・プロジェクト」から影響を受けたわけではない)。故人を障害認定することは実際は慎まなければならないことなのだが、ハンス・クリスチャン・アンデルセンは、明らかに何らかの障害の持ち主であった。当時は発達障害という概念自体がなく、実際にそうだったのか判断は不可能なのであるが、アンデルセンは「人と違うこと」に生涯に渡って苦しんだことは確かであり、その苦しみを童話として昇華させている。そうしたアンデルセンの心情に迫ったのが、「アンデルセン・プロジェクト」という作品であった。
「アンデルセン・プロジェクト」の主人公は、才気溢れる作詞家・劇作家なのであるが、白子(差別用語だがこの言葉が劇中で用いられていた)であるため、親しい友人からも裏では馬鹿にされているという設定である。差別されて当然の存在だけれど、自分達が寛大だから受け入れて「あげている」と思われていたのである。そこが生涯一人の伴侶も持てなかったアンデルセンの姿に繋がる。

アンデルセンが苦しみを童話や文学作品へと昇華したように、当事者達も何かを見つけていくのかも知れない。あるいは屈することも、一敗地に塗れることもあるのかも知れない。答えはない。「答えがあると思うこと自体が決めつけ」であり「そうではない人々の奢り」だからである。

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2020年7月19日 (日)

フリードリヒ・グルダ(ピアノ) クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 モーツァルト ピアノ協奏曲第27番第2楽章

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2020年7月17日 (金)

美術回廊(53) 京都文化博物館 特別展「祇園祭 京都の夏を彩る祭礼」

2020年7月17日 三条高倉の京都文化博物館にて

三条高倉の京都文化博物館で、特別展「祇園祭 京都の夏を彩る祭礼」を観る。

新型コロナウイルスの影響で、山鉾巡航など大がかりなものは中止となってしまった今年の祇園祭。密にならない小規模なものは行われているが、それも毎日ではない。祇園囃子も録音されたものが四条通に流れているのは例年通りだが、生音を聴くことはない。
「動く美術館」といわれる山鉾巡航であるが、今年は 動くどころか建てることすら不可である。
そんな「動く美術館」をずっと静止した形で展示しているのが今回の展覧会である。

 

入場者を確認出来るようにするため、入る前に氏名等の記入が必要となる。

 

山鉾の前懸(その名の通り前に懸ける布)や胴懸の展示がまずある。「日本の祭り」というイメージの強い祇園祭であるが、実際は西洋画なども用いられている。ギリシャの「イーリアス」などの絵で、江戸時代ものである。京都人はよく「進取の気質に富む」といわれるが、こうしたところにそれが窺える。保守的であったら自分達の祭りに西洋の絵を用いようとは思わないだろう。

勿論、舶来のものだけでなく、和の要素も重要視される。安芸・宮島の前懸(占出山)などがそうである。

 

京都の円山派・四条派などの礎を築いた円山応挙(1733-1795。家は四条通に面しており、今は石碑が建つ)が書いた絵を基に編み上げた刺繍の展示がある。保昌山のものである。
とにかく徹底した描写力を追求した円山応挙だが、刺繍の基になっている絵は江戸の絵師達の影響を受け、エネルギー放射量を重要視するようになってからの作品である。
刺繍になると描写力の精緻さは当然ながら後退するのだが(絵筆を使ったタッチの再現は出来ない)そこに登場する虎などの動物は立体感と毛皮のように見える視覚を伴い、よりリアルなものへと変わっている。刺繍にした方が生きる絵を選んだということでもあるだろう。見事な発想である。

 

祇園祭がどのように行われてきたのかという記録も展示されている。名所図会などに描かれた山鉾、そして町衆によって書かれた「入日記」と呼ばれる記録用の冊子を見ることが出来る。

 

山鉾を彩る彫像などの展示もあるが、極めて繊細にして精緻な仕上がりであり、こうしたものを作り上げる技巧の高さは想像の外にある。中学校の美術の時間に取り組んだ木彫りが酷いものにしかならなかった私の技量では、まずどこからどう取りかかればこうなるのかすら掴むことが出来ない。空間認知能力に秀でていることも重要だろうし、手先の器用さも必要なのはわかる。技巧面でわかるのはそこまでである。
ただ、日本が誇る宮大工の技術や、仏教美術の蓄積がこれらの製作に大いに貢献しているということは想像に難くない。天明年間に製作された八幡宮の祠の展示もあるが、ここに展示されているのとほぼ同じ技術によるものが、京都の神社や寺院で見ることが出来る。祇園祭は八坂神社の祭礼であり、八坂神社は明治に入るまでは、祇園社や祇園感神院と呼ばれた神仏習合社であり、神道と仏教の両方の美術が社や氏子達に受け継がれてきたことになる。いわば、美の発信拠点でもあったわけだ。
それを象徴するような欄干様の細工がある。八坂神社の神紋は「五瓜に唐花」と神道共通の「左三つ巴」であるが、その真ん中に仏教の法輪が入ったものである。

ちなみに八坂神社の神紋が五瓜という瓜系の紋なのは、祭神である牛頭天王が瓜を好んだという話に由来すると思われる。左京区にある瓜生山は、牛頭天王に捧げる瓜を栽培したことにちなむ地名である。牛頭天王が初めて京に降り立った場所は北白川東光寺とされているが、この北白川東光寺がどこにあったのかは現在では不明である。ただ北白川という地名はいにしえとは範囲が異なると思われるが残っており、北白川東光寺の跡地に建つと主張している岡崎神社(東天王)は北白川に比較的近い場所にあり、同じく北白川東光寺の有力後継社である八大神社(北天王)は瓜生山の麓にある。

 

明治時代以降の山鉾についての展示が最後にある。幸野楳嶺や今尾景年、竹内栖鳳ら絵師というよりも画家と呼ばれる時代の人々による伝統美を追求した作品が展示されている。

 

一番最後に展示されているのは、鈴木松年(すずき・しょうねん)の筆による「宇治川合戦屏風」。浄妙山の人形の姿の元となった合戦の場面を屏風にしたものでダイナミックな構図が印象的であり、勝ち運の山である浄妙山への祈念が込められているようにも見えた。

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地元のホテルに割引料金で泊まれるプランがあるといいのだけれど

地元のホテルに割引料金で泊まれるプランがもしあったなら協力してみたい。京都市内に泊まると面白そうなホテルはいくつかある。平時なら同じ市内にあるホテルに泊まるのは馬鹿らしく思えるかも知れないが、こういう時なので。

大阪市内や神戸市内のホテルに泊まったことはあり、通い慣れた街ではあるが、宿泊したホテルのみならず、都市のこれまでとは違った風景に出会えることも多かった。家は郊外にあるので、京都の街中のホテルで過ごせば必ずや「見知らぬ京都」に出会えるはずである。

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2020年7月15日 (水)

スタジアムにて(23) J2 京都サンガF.C.対アビスパ福岡 2020.7.11@サンガスタジアム by KYOCERA

2020年7月11日 JR亀岡駅前のサンガスタジアム by KYOCERAにて

J2、京都サンガF.C.対アビスパ福岡の試合を観る。サンガスタジアムでの有観客試合が行われるのは、2月にあったオープニングマッチ、対セレッソ大阪戦以来となる。有観客によるJリーグのシーズンマッチが行われるのは当然ながら初である。午後6時半キックオフ。

サンガスタジアムで6月28日行われた無観客試合では、サンガはジュビロ磐田を2-0で下している。

今日はチケットはJリーグチケットで販売されているQRコード読み取り式のものだけである。入場前に手をアルコール消毒する必要がある。

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今回はメインスタンドに陣取る。ソーシャルディスタンスを守るため、空席を多くしており、来場者数はキャパ2万強に対して3千名ちょっとであった。
自粛期間は清掃なども十分に行えなかったようで、下に鞄を置くと砂塵で白くなったり、前の座席に蜘蛛の巣が張っていたりするが、今後は改善されるはずである。

 

今日はアビスパ福岡との一戦ということもあり、令和2年7月豪雨で多くの被災者と犠牲者を出した九州の方々のために、試合前に観客も起立しての黙祷が捧げられた。
今日はアウェイ専用席は販売されていないが、福岡のサポーターも今は京都に来ている場合ではないと思われる。

 

サンガは、ここまで、1勝1敗1分けである。今のところ強いとも弱いともいえない状態といえる。

新スタジアムということで相手はピッチの状態を全く把握していないはずであり、サンガが有利であることは間違いない。

 

試合は前半34分に、サンガのスローインを、オーバーラップしていたディフェンダーのヨルディ バイスが受けてクロスを上げ、これにフォワードの野田隆之介が頭まで合わせて相手ゴールのネットを揺らす。今日の席は前半のアビスパサイドのゴールが目の前にあり、間近でゴールを目撃することが出来た。

サンガイレブンはバックスタンドの前でパフォーマンスを行う。

更に前半38分、荒木が放ったシュートに、福岡の選手が自軍のペナルティエリア内で手を上げて接触し、ハンドとなって、PKを得る。悪質なハンドと見做されたため、イエローカードも出た。キッカーはピーター ウタカ。真ん中高めに浮かせたキックで冷静に決め、2-0とリードする。

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プロ野球もそうだが、コロナ下特別ルールが設けられており、選手交代は3名のみではなく5名まで認められる。ただし交代の回数は3回までであり、5人全てを送り込むためには一度に数人を交代させる必要がある。両チームとも今日は最大となる5名を交代させた。

サンガは守りを固めるため、フォワードのウタカと野田という今日の得点者二人を後半開始早々に下げる。代わりに入ったのは、李忠成とジュニーニョ。更には80分に福岡慎平を下げて、レナン モッタを投入。84分には飯田と荒木を下げ、本多と石櫃を送った。

一方のアビスパは、一度に3人を交代させるという荒技も披露する。

 

今日は鳴り物の応援は禁止である。大声での声援も不可であるため、ピッチ上の選手の声がよく聞こえる。アビスパのキーパーであるセランテスは、片言風の日本語で、「アガーレ!(上がれ!)」、「シンパントハナシテクダサイ(審判と話して下さい)」というユーモラスな指示を出しており、客席の笑いを誘う。
サッカーのオーバーアクションを嫌う人もいるが、今日はアビスパの外国人選手が「アー!!」と大声を出して倒れるも、余りにも大袈裟なので客席から笑い声が起こる。本人もばつが悪かったのか、すぐに起き上がって走り始めていた。

サンガスタジアムのすぐそばをJRが走っているのだが、鳴り物がないため、列車の通過音もはっきりと聞こえる。わかさスタジアム京都(西京極球場)のようである。

サンガは背番号46の移籍1年目である森脇良太が常にチームを盛り上げる声を発しており、彼がムードメーカーになっていることもわかった。

 

後半のアディショナルタイムに、アビスパはコーナーキックからの混戦の末にボールをサンガゴール内に押し込むが、キーパーチャージを取られてノーゴールとなる。

アディショナルタイム5分が終わり、京都サンガF.C.は、有観客試合としては初となる新ホームグラウンドでの勝利を飾った。


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2020年7月14日 (火)

「モン巴里」(宝塚歌劇団花組)

昭和4年(1929)録音

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これまでに観た映画より(192) 「子猫をお願い」

2005年7月5日

DVDで韓国映画「子猫をお願い」を観る。監督は女流監督:チョン・ジェウン。出演は、ペ・ドゥナ、イ・ヨウォン、オク・チヨン、イ・ウンシル、イ・ウンジュ(2005年に自殺した有名女優と同じ名前であるが別人である。イ・ウンジュとイ・ウンシルは実の双子)、オ・テギョンほか。

高校を出た20歳前後の女の子5人の青春ストーリー。ただし、かなり暗めである。

仁川の商業高校を出たものの、韓国の厳しい学歴社会に阻まれ、5人のうち4人は仕事に就くことができなかった。双子の姉妹、オンジョ(イ・ウンジュ)とピリュ(イ・ウンシル)はマーケットなどをやってそれなりに楽しくやっているようだが、テヒ(ペ・ドゥナ)は実家の料理店で働き、脳性麻痺の青年の作る詩を代筆するボランティアをしている。ジヨンは家が貧しいためデザインの勉強をすべく海外留学を希望するも叶わず、両親もいないため就職も出来ないでいる。

一人、ソウルの大手の証券会社に就職し、若いということもあってチヤホヤされていたへジュ(イ・ヨウォン)も大卒の優秀な人材が入ってくると次第に男性社員も遠ざかっていき、尊敬する女性上司から「学位がないと一生雑用係よ」と言われ、社会の苦さを味わう。

蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)監督作品並みに苦い味わいを持つ 画なのだが、女性が監督したということもあってか、まだ何とか救いを感じることが出来る。

ラストは夢へ向かっての旅立ちなのか、それともさらなる転落が待っているのかわからないが、とにかく一歩を踏み出したという明るさは感じることが出来る。テヒを演じるペ・ドゥナは日本人的な顔立ちで、吉本興業の武内由紀子にどことなく似ている。

携帯メールやタイプライターなどの文字をスクリーン上に堂々と映し出す演出が面白い。また韓国映画に多いことだが、この作品でも省略が多く、場面が飛ぶ箇所がある。

韓国の若い世代の現実を知る上で興味深い作品である。映画としてのクオリティが十分でないような場面もあるが、ほろ苦い青春映画として一見の価値がある。

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2020年7月13日 (月)

これまでに観た映画より(191) 「精神0」@京都シネマ

2020年6月16日 京都シネマにて

※すでに「仮設の映画館」で観た時の感想を上げているため、元々はそれに加筆するつもりでしたが、重複する部分も多いものの夫婦の関係をより注視して書いたものであるため別記事として載せることにしました。

 

京都シネマで想田和弘監督のドキュメンタリー映画「精神0」を観る。Webストリーミング配信による「仮設の映画館」でも京都シネマに料金が入る設定にてスマホで観たのだが、やはりミニシアターでもちゃんと観ておきたい。

想田和弘監督のドキュメンタリー映画は「観察映画」というスタイルを掲げており、音楽なし、ナレーションなし、台本なし、事前の打ち合わせも原則行わないなど、先入観や作り手のイメージへの誘導をなるべく排することを重視している。

詳しい内容や感想は以前にも書き、ブログにも転載しているので多くは述べないが、山本昌知医師が、中学校・高校と同級生だった奥さんのことを「芳子さん」と「さん」付けで呼んでいるのが印象的である。青春時代を同じクラスで過ごし、しかも82歳という年齢を考えれば、呼び捨てか「お前」か「おい」という呼び方をするケースが多いように思われる。今でも奥さんのことを「さん」付けて呼んでいることに、山本医師の芳子さんに対する敬意が感じられる。

山本医師は、昨今の優れた向精神薬を処方することを第一とする医師とは違い、患者と誠実に向き合うことを大事にしており、患者に対しても敬意を持って接している。

そんな山本医師なので、奥さんに対しても敬意を払うのは当然なのかも知れないが、中学・高校と山本医師はどちらかといえば落ちこぼれで、一方の芳子さんは常にクラスで一番の成績を誇る才女。おそらく憧れの女性である。山本医師もそんな芳子さんに振り向いて貰うために努力し、精神科の医師となれるだけの学力を身につけたのかも知れない。芳子さんとの出会いが、名医・山本昌知のゼロ地点であり、そのため今も芳子さんに敬意を抱いているのではないか。

山本医師と芳子さんが、芳子さんの親友の女性を訪ねる場面がある。実はセッティングをしたのは山本医師で、想田監督が「全て撮り終えた」と思っていたところに山本医師から提案があったのだという。

親友の語る芳子さんはとにかく頭が良く、歌舞伎やクラシック音楽に通じていて、株で儲け、政治にも経済にも強いという「出来る女性」である。今は高齢のため認知にも衰えが生じてしまっている芳子さんであるが、山本医師にとっては自慢の奥さんであり、彼女がいかに素晴らしい女性かを知って貰いたかったのだと思われる。座っている間、山本医師は芳子さんの手の上に自身の手を重ねている。
「支える」「支え合う」という言葉が出てくるが、あるいは山本医師と芳子さんはそれ以上の二人で一人のような関係だったのかも知れない。

とても素敵である。

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美術回廊(52) 草間彌生展・「向井修二×清水六兵衞」展・「現代アート」展

2020年7月9日 大丸京都店6階イベントホールにて

大丸京都店6階イベントホールで、草間彌生展・「向井修二×清水六兵衞」展・「現代アート」展を観る。即売会を兼ねている。どの作品も高値だが、作品の質と金額の相関性についてはこちらは特に知識はない。

草間彌生の作品は、ドットをちりばめたかぼちゃなど、お馴染みのものもあるが、「花」という作品や「レモンスカッシュ」などの絵は立体感を伴ってどことなく美味しそうである。舌に訴えかける架空の味のような作品だ。
ドットを最小単位としてパターンを積み上げる作風が草間彌生の特長なのだが、今回出展している他の画家達の作品にも多かれ少なかれそうした傾向は認められる。

ICCO Yoshimuraの作品には細部を積み重ねて一つの大きな絵画となるものがあり、金丸悠児の作品もパターンの組み合わせで作品を編み上げている。

江上越という1994年生まれの若い女性画家は、私と同じ千葉市出身。北京の中央美術学院(中国で「中央」が入る学校は、多くの場合、首都・北京にある学校である。ちなみに「学院」は中国では単科大学のことを指す。「大学」を名乗るのは基本的に総合大学である)に学んでいるが、「すれ違い」を題材にした一連の作品は、乳白色を使用して、時間のずれのようなものを画面に落とし込んでいるように見える。

吉原治良(よしはら・じろう)がリードした具体美術協会の作品展示もある。関西が生んだ現代アートグループ具体美術協会。既成の芸術観の否定から入り、やはりシンプルなパターニング指向へと向かう。吉原治良の絵は円だけを描いたものだが、禅宗と関係があるのかどうかは不明である。

二川和之、佐々木裕而という描写力に長けた二人の画家の作品も展示されているが、いずれも単色を使用して、描写的ではあるが、現実ではない観念の美学を描いている。

向井修二の作品もやはりパターンの組み合わせからなっており、独特の文字が刻印されているということもあって、今現在とはなにもかも異なる場所を指向しているように思われる。

陶芸家の清水六兵衞(八代)。七代目清水九兵衞の長男として生まれ、早稲田大学理工学部建築学科を卒業。建築を学んだことは作風に影響しており、スタイリッシュな外観と、確固とした存在感を合わせ持っている。

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2020年7月12日 (日)

これまでに観た映画より(190) ライブ・ビューイング フェス2020-Act Call-「坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK:async」@MOVIX京都 2020.7.7

2020年7月7日 新京極のMOVIX京都にて

午後7時から、MOVIX京都で、「坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK:async」を観る。「ライブ・ビューイングフェス2020-Act Call-」に選ばれた作品。初公開時(2018年2月)にもMOVIX京都で観ている映画であり、「猫町通り通信」や「鴨東記」にも記事を載せている。初公開時は5.1chで上映されたが、今回は2chMIX音声である。
監督は、スティーヴン・ノムラ・シブル。

2017年4月にニューヨークのパーク・アベニュー・アーモリーで100名のみの聴衆の前で2回、計200名しか接することの出来なかったライブの映像である。

前回は、映画を観てから、「async」(「非同期」という意味)のアルバムを聴いたのであるが、今回は「async」がどういう音楽かを知った上で映画を観ることになる。アルバムを聞き込んだからライブの内容もわかるというものではないように思うが、音楽自体の良さは前回映画を観たときよりも把握出来るようになっている。

現代音楽を指向する青年として音楽のキャリアをスタートさせた坂本龍一。ポピュラーミュージシャンのバックバンド、フリーのミュージシャン&プロデューサー、YMOなどを経て、映画音楽やポピュラーとクラシックの中間の音楽を多く書いているが、原点である現代音楽への回帰を目指しているように思える。
「async」は、アンドレイ・タルコフスキーの架空の映画のための音楽という設定で書かれた作品である。「惑星ソラリス」を観て感銘を受けたのだが、「惑星ソラリス」にはバッハの音楽が使われており、バッハの音楽を押しのけて新しい音楽を書くわけにもいかないので、架空の映画のための音楽という形で作曲している。

 

紛れもなく坂本龍一の旋律であるが、和音や音の進行などにバッハのような古典的格調が感じられるピアノソロと、その発展系のオルガン(その場で弾いて出すのではなく、サンプリングした音声を使用)といった調性音楽に近いものから、ノイズミュージック、音そのもの以上に視覚に訴えるパフォーマンスといったコンテンポラリーな要素まで曲調は幅広く、その点で映画音楽的であるともいえる。

同時にバッハに代表されるような音楽そのものを尊重すると同時に押し広げ、音そのものやそれを生み出す背景への愛着をも窺えるかのような、従来の枠を超えた作品となっている。
大空に吸い込まれて一体となるかのようなラストが特に好きだ。

本編上演後にプレゼントがある。「async」の宣伝用画像がスクリーンに1分間映し出され、自由に撮影が出来るほか、SNS等へのアップも可となっている。

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2020年7月11日 (土)

スタジアムにて(22) サッカーJ2 京都パープルサンガ対横浜FC@西京極 2005.7.2

2005年7月2日 京都市西京極総合運動公園陸上競技場球技場にて観戦

西京極にサッカーを見に行く。J2首位を走る京都パープルサンガ対横浜FCの一戦。出かける時は雨が降っていたのでレインコートを持って行ったのだが、西京極では幸い雨が降ることはなかった。京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場という長い名前のスタジアムを本拠地とするパープルサンガ。京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場(本当に長いな)は昭和17年竣工の歴史あるスタジアム。昭和60年に改修され、平成7年にも修繕されているが流石にガタが来ているようだ。客席に屋根がないので雨が降った時は濡れながらの観戦になるのも痛い。

昨年は崔龍珠、松井大輔などを擁しながら5位に終わった京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)。今年は有名選手は一人もいないが首位を独走中である。よほどのことがない限りJ1昇格は確実だろう(後記:この年、サンガはJ2で優勝し、J1昇格を果たした)。

相手チームのエースストライカーは、今はこんな所にいるのか城彰二。
京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場はスタンドからピッチがやや遠く、一体感は今一つである。

前半24分、サンガは相手ペナルティ陣地内でファウルを誘い、PKを得る。これをリカルドが落ち着いて左隅に決めて先制。さらに直後に横浜FCはレッドカードで退場者を出して京都が非常に有利になる。

相手エースの城は途中で負傷。その後もプレーを続けるが後半に交代した。右サイドからの切り込みの早さなど今もなお見るべきものはあるが往年の輝きは感じられなかった。

後半は横浜FCがボールをキープする時間が長くなるが、絶妙のシュートが2度もゴールバーに嫌われるなど、チャンスを生かせない。京都のゴールキーパー平井も好セーブを連発する。

結局、そのまま1対0でサンガが勝利を収める。

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2020年7月10日 (金)

楽興の時(37) 京都坊主BAR 「MANGETSU LIVE vol.22」 ヴィオラ:田代直子(関西フィルハーモニー管弦楽団)

2020年7月5日 本能寺跡近くの京都坊主BARにて

元・本能小学校の近くにある京都坊主BARで、「MANGETSU LIVE vol.22」が午後2時から初のマチネーで開催されるというので出掛けてみる。

今日はヴィオラ独奏のコンサートである。出演は、関西フィルハーモニー管弦楽団ヴィオラ奏者である田代直子。

田代直子は、京都市立音楽高校(現在は移転して京都市堀川音楽高校になっている)を経て京都市立芸術大学音楽学部ヴァイオリン専攻を卒業。卒業後にヴィオラに転向している。カール・ベームの出身地としても知られるグラーツにあるオーストリア国立グラーツ芸術大学に留学し、学士・修士共に満場一致で最優秀を獲得。帰国後に兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ)コアメンバーを経て関西フィルに入団している。

2ステージ制であり、各ステージごとにカンパが行われる。

 

曲目は、ファーストステージが、テレマンのファンタジア第9番、ビーバーの「パッサカリア」、J・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第1番(ヴィオラ版)。セカンドステージが、ヘンデルの「私を泣かせてください」(細川俊夫編曲)、パラシュコの「Hunting」、ヴュータンの「Capriccio」、近藤浩平の「いつか夢になる」(ヴィオラ版初演)、J・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第5番よりプレリュード。

プレリュードが最後に来るが、コロナ禍の悪夢が「いつか夢になる」と願い、新しい時代の前奏曲を奏でるという意味なのだと私は受け取った。

京都坊主BARのシックな内装もヴィオラの音色にぴったりであり、雰囲気豊かな演奏となる。

「MANGETSU LIVE」は古楽の演奏が中心となるようだが、ヴィオラは古い時代には独奏曲が書かれることは余りなかったそうで、今回は古楽の曲目は抑え気味である。

楽曲解説などのトークの時は、マスクを着けて話すことになるのだが、曲ごとに解説するよりも纏めて話した方が短いので飛沫が飛ぶことも少ないということで、これから演奏する曲目や作曲の由来などを語ってから楽曲を連続で演奏するというスタイルを取る。

 

前回のリコーダーの演奏会でも取り上げられたテレマンのファンタジアからの1曲でスタートする。

 

バロックヴァイオリンの異才、ビーバーは名人芸を駆使した軽快な楽曲で知られるが、「パッサカリア」はスケール豊かな深遠な楽曲である。

 

J・S・バッハの無伴奏チェロ組曲のヴィオラ版は、日本が誇る世界的ヴィオラ奏者である今井信子も録音しており、ヴィオラ独奏版も「比較的」ではあるが聴く機会は多い。

 

ヘンデルの「私を泣かせてください」。ソプラノ歌手の森麻季が得意としている楽曲で、コロナ禍の終息を願い、彼女自身のインスタライブでこの曲のオルガン弾き語りを配信していたりしたが、今回演奏されるのは日本を代表する作曲家である細川俊夫によるヴィオラ独奏のための編曲である。
序奏を含めての編曲で、当然ながらヴィオラの音の深さを生かした仕上がりとなっている。

パラシュコはヴィオラの教本を多く書いているドイツの作曲家のようである。「Hunting」はタイトル通り軽快な曲想である。

 

ヴュータンの「Capriccio」。
ベルギー・フランス語圏に生まれ、フランスで活躍したヴュータン。作曲家としてもそこそこ有名であるが、当時屈指のヴィルトゥオーゾ・ヴァイオリニストとして、またイザイらを生み出したヴァイオリンの名教師としてその名を轟かせていた。「Capriccio」はヴュータンの遺作だそうで、遺作がヴィオラの作品となった作曲家はたまたまだと思われるが何人かいるそうである。
19世紀を生きたヴュータンであるが、「Capriccio」は古典的な造形美を誇る作品であり、高雅さと哀切さとが、高い次元で織り上げられている名品である。

 

近藤浩平の「いつか夢になる」は、コロナ禍で演奏活動が難しくなった数多くの演奏家のために書かれた独奏曲である。元々はソプラノ独唱のために書かれたが、多くの独奏楽器のために編曲されており、ヴィオラ版全編の会場での上演は今日が初めてとなるそうだ。三部構成で、ヴィオラで聴くと、最初とラストに祈りに満ちた旋律が奏でられるように聞こえる(歌唱バージョンの森永かず子の詩を読むとまた違った内省と無常と憂いの強い印象である)。
ちなみにヴィオラ抜粋版のWeb初演を行ったのは、グラーツ・フィルハーモニー管弦楽団のヴィオラ奏者であるカール・スミスだそうで、田代とはグラーツ繋がりとなる。

作曲者の近藤浩平も京都坊主BARに駆けつけており、拍手を受けた。

 

ラスト。コロナ禍で自粛生活が続き、第二波が来そうな予感もあるが、再び音楽活動が自粛とならないよう願いと希望を込めたかのようなプレリュードの演奏となる。重苦しさを情熱で打破していくような印象を受けた。

 

知り合いも多く来ていたので、終演後にお喋り。みんなで乾杯する時に、なぜかヴェルディの「乾杯の歌」をスマホの歌詞を見ながらアカペラで歌うことになったりする。

 

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これまでに観た映画より(189) アルフレッド・ヒッチコック監督作品「疑惑の影」

2005年6月27日

アルフレッド・ヒッチコック監督作品をDVDで観る。「第三の男」のジョセフ・コットン主演、「疑惑の影」。

叔父と姪が同じチャーリーという名前であるのが一つのポイントになっている。叔父に恋心にも似た気持ちを抱く姪。しかし叔父の正体が明らかになるに連れて、同じ名前であることの親近感が近親憎悪へと変化していく。

実は殺人鬼である叔父チャーリーを演じるジョセフ・コットンがいい。大袈裟でなく迫力が出せる。コットンが悪役を演じたのはこの作品だけだそうだが、それだけに貴重でもある。

姪チャーリーを演じるテレサ・ライトがなかなかチャーミングだ。叔父への疑惑が芽生え、確信に変わる過程を上手く演じている。

ヒッチコックシャドーが例によって効果的。ただ音楽は今聴くとかなりうるさく、それだけが残念である。

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2020年7月 9日 (木)

これまでに観た映画より(188) ライブ・ビューイング フェス2020-Act Call- 「忌野清志郎 ロックンロールショー The FILM~#1入門編~」@MOVIX京都 2020.7.5

2020年7月5日 新京極のMOVIX京都にて

午後7時からMOVIX京都で、「忌野清志郎 ロックンロールショー The FILM~#1入門編~」を観る。5年前の初公開時にTOHOシネマズ二条で観ている作品で、今回、「ライブ・ビューイング フェス2020 -Act Call-」の1作として再度の公開となった。

最後の本格的ライブとなった2008年、日本武道館での「完全復活祭」から1981年に遡るまでの様々な清志郎のライブ映像が並ぶ。ライブの合間にはデジタル表示された年月日が表示されて変化し、タイムマシンで移動するような趣となっている。監督は太田旬。

 

清志郎の通常のライブ通り、「よォーこそ」(2008年2月10日、日本武道館での「完全復活祭」と1983年の「箱根オデッセイ ポップ」@箱根自然公園での映像)でスタート。

最も古い映像は、スタンダードナンバーである「雨上がり夜空に」で、1981年12月24日のクリスマスイブに日本武道館で収録されたライブのものである。これは「雨上がりの夜空に」のカラオケ映像などでも用いられている。

プレスリーの故郷であるアメリカ・メンフィスのブラスアーティスト(メンフィスホーンズ)をバックに迎えて歌われる「トランジスタ・ラジオ」(1992年4月18日の「Have Mercy」@日本武道館での映像)、スペースシャワーTVで放送された「デイ・ドリーム・ビリーバー」(2004年12月15日、東京体育館)、札幌市民会館最後の日(2007年1月31日)に歌われた「スローバラード」(冒頭に大阪の住之江競艇場で行われたライブでのMCが入っている)、オノヨーコから手紙を貰ったというMCの後で歌われる「イマジン」(2007年12月8日つまり開戦の日@日本武道館)、旧渋谷公会堂での「世界中の人に自慢したいよ」(2004年12月6日)、「日本の有名なロックンロール」という紹介の後で、旋律を東京の言葉のイントネーションに直した「上を向いて歩こう」(1989年12月25日@日本武道館)、晩年のヒット曲である「JUMP」(2008年2月10日、「完全復活祭 日本武道館」)、仲井戸麗市の作曲である「毎日がブランニューデー」などが歌われる。エンドクレジットで流れるのは、「LIKE A DREAM」。

2005年の早稲田大学の学園祭で清志郎は、「キヨシです」と、当時流行っていたヒロシの物真似をする。当時、清志郎はサイクリングに填まっていたわけだが、「自転車が盗まれたとです」と実際にあった盗難事件をネタにしている。「ニュースになったと思ったら、翌日見つかったとです」「新しい自転車が半分以上出来上がってたとです」「警察にはもうちょっと待っていて欲しかったとです」と続けて笑いを取っている。

一方、1982年に撮られた、レコーディング中の清志郎は、鋭い眼光を放つ、才気溢れる若者という印象である。ピアノなど、ステージ上で演奏することが全くないわけではないが、人前で披露することの少ない楽器の練習風景を目にすることが出来る。

いずれも貴重な映像といえる。

 

5年ぶりに映画館で観たわけだが、清志郎の歌う楽曲は、今の方が痛切にして切実にこちらの胸に届く。
清志郎が、オーディエンスに聞いた、「愛し合ってるかい?」。果たして清志郎の死以降、そして前回この映画が上演された5年前から今に至るまで、人類は本当に愛し合えたであろか。自己愛と身内愛のみが更に増長しているよう見える今、清志郎のような存在が欠けてしまっていることが、本当に心苦しく感じられる。

とても素敵で酷く悲しい夢が2時間余りに渡って流れていく。

新型コロナもそうだが、それがなかったとしても実に酷い時代である。人々は互いを理解することを放棄してしまったようにすら見える。
だが、せめて私だけは、清志郎と夢が見たいと思う。とてもよく似た夢を。

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2020年7月 8日 (水)

これまでに観た映画より(187) 「ブラザーフッド」

2005年6月20日

DVDで「ブラザーフッド」を観る。朝鮮戦争を舞台とした韓国映画。チャン・ドンゴン、ウォンビン主演。イ・ウンジュがチャン・ドンゴン演じるジンテの恋人ヨンシン役で出ている。

とにかく戦闘シーンがもの凄い迫力だ。人海戦術にCG、特撮、スタントを駆使して阿鼻叫喚の世界を現出してみせる。

同じ民族でありながら、時には同じ韓国人でありながら疑い合い、殺し合わなければならない人間の愚かしさを、これでもかというほどに熱いタッチで描く。チャン・ドンゴン演じるジンテとウォンビン演じるジンソクの兄弟愛の強さ。韓国人の血に対する思いに心打たれる。悔しいが、こういったタイプの映画は日本人には撮ることは出来ないだろう。韓国人を語る時に必ず出てくる「恨(ハン)」の成せる技だ。

イ・ウンジュは共産主義者との関係を疑われ、味方であるはずの韓国人の手によって無惨に撃ち殺されてしまう役。彼女はこうした不幸な役が多い。幸せな役を演じる彼女をもっと観てみたかった。

映画の中でも語られるように、人間を不幸にしても構わないほど思想とは大切なものなのか、と深く考えさせられる。

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「『トリック』ワールドへようこそ!」への返答

まるで夢のような
たましいが開放される
いとおしい時間
つらい日々もあったけれど
かならず乗り越えていける

 

Twitterの載せたものですが、一部、文章を変更しています。

http://www.yamada-ueda.com/

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2020年7月 7日 (火)

楽興の時(36) 「テラの音」特別版「今こそ、みんなの力で」

2020年7月3日 中京区の真宗大谷派小野山浄慶寺にて

京都御苑の近くにある真宗大谷派小野山浄慶(じょうきょう)寺で久しぶりに「テラの音(ね)」を聴く。今回はコロナ対策として特別版「今こそ、みんなの力で」と銘打たれ、普段は予約不要であるが要予約、来場者も20名までに限られる。風通しを良くするため本堂の障子が開け放たれており、雨音が良く響く。自然の通奏低音との共演である。

今回の出演者は、「テラの音」共同主催者で企画担当でもあるヴァイオリニストの牧野貴佐栄(きさえ)と、実妹のmarie(ピアノ&ヴォーカル)のデュオ。姉妹であるため顔は同傾向ではあるが、髪型、髪の色、衣装全て大きく異なる。性格もかなり違うはずである。多分であるが、兄弟姉妹は性格が違うほど仲は良くなる傾向がある、と思われる。

オープニングとして姉の牧野貴佐栄のヴァイオリン独奏で、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番より「プレリュード」と「ガボット」が弾かれる。

その後は姉妹デュオで、「Hallelujah~ハレルヤ~」、「Cannon Rock」(パッヘルベルの「カノン」の編曲)、ビートルズナンバーの「Oh! Darling」、「G線上のアリア」、イーグルスの「Desperado~ならず者~」、「希望の讃歌」、葉加瀬太郎の「情熱大陸」の演奏。

「希望の讃歌」は譜面が出版されていないため、耳コピで演奏にまで漕ぎ着けたそうである。

通常の「テラの音」は2時間ほどの上演時間であるが、今日は1時間ほどの短縮バージョン。開演時間もいつもの7時から7時半に遅らせている。雨でヴァイオリンの調子が余り良くないようだが、ノリの良い演奏が聴かれる。
ちなみに現地での聴衆の数が限られるということで、来られない人のために今回の「テラの音」はFacebookでライブ配信がなされた。

コロナでの自粛期間は姉妹で実家(名古屋だと思われる)に戻って過ごしたそうで、仕事も演奏会も飛んでしまったが、姉妹で練習する時間が持てたそうである。

 

アンコール演奏は、ジョン・レノンの「Imagine」。合唱はまだ危険とされているため、歌詞カードは印刷されていたが、聴衆は心の中で歌うに留める。

 

最後は、浄慶寺の中島浩彰住職による法話。実はコロナ対策として叫ばれている「三密」が元は仏教用語であり、「身密・口密・意密」の三つからなるもので、身体・行動、言葉・発言、意思・心の三つが整うととても良いのだが、新型コロナのためにそれが難しくなっている。移動行動が制限されているため祖母が孫に会えないということがあったり、ネット上での口撃で女子プロレスラーが自殺してしまったりという痛ましい出来事があったりした。
ただ、自粛期間に普段出来ないことする時間が生まれるなど、良いこともあるという話にもなる。住職は掃除が捗ったり、家族の時間を持つことが出来たそうである。

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2020年7月 6日 (月)

エンニオ・モリコーネ 「ニュー・シネマ・パラダイス」よりCinema Paradiso

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忌野清志郎 「JUMP」

YouTube 忌野清志郎 Official Channelより

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近藤浩平 「いつか夢になるまで」~家の中にとどまる音楽家たちのために~メゾソプラノまたはソプラノのための無伴奏歌曲全曲版 ソプラノ:原あいら

詩:森永かず子

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2020年7月 5日 (日)

2346月日(22) 直七大学 横山紘一 「唯識入門講座」

2020年6月28日

直七大学のオンライン受講をハシゴ。まずは唯識研究の大家である横山紘一(よこやま・こういつ)による「唯識入門講座」。

横山紘一は、1940年生まれなので、齢80を迎える。東京大学農学部水産学科と同文学部印度哲学科を卒業したダブルディグリーであり、その後は東大大学院の博士課程まで印度哲学を専攻している。1997年には唯識の総本山的存在である興福寺で得度。唯識塾の塾長としても活躍している。
高齢なのでZoomには慣れておらず、もたつくところもあったが、講義自体は比較的順調に進んでいく。

今日は横山紘一の弟子が何人も視聴しており、普段とは雰囲気が異なる。
まず宗教は科学や哲学と異なるとした上で、仏教が宗教と見做されるようになったのは明治以降で、それ以前は仏道と呼ばれていたことなどを紹介する。

唯識は、識のみをよりどころとするのだが、心には色も形も大きさもなく、一切は錯覚であるとする。皆、人の姿を見ていると認識しているが、思い込みであり、識の中に作られたいわば影のようなものを実体と認識しているということである。

また学問をしたければ人からの又聞きや、他人による解説書ではなく原典に当たることの重要さも述べていた。確かに他者によって咀嚼されたものはわかりやすいが、核の部分が抜け落ちていたり、自己流のアレンジがなされていることは「ある」と思った方が適当である。「わかる」には己自身で向き合うことが何よりも重要である。他者に溺れてはならない。

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2020年7月 4日 (土)

これまでに観た映画より(186) 「美しい夏、キリシマ」

2005年5月19日

DVDで映画を観る。「美しい夏、キリシマ」。黒木和雄監督作品。脚本は松田正隆と黒木監督の共同執筆である。黒木和雄は、映画好きである松田正隆が最も憧れを抱いていた映画監督の一人である。
松田正隆は京都造形大の戯曲の授業の時にこのシナリオについて話しており、「お蔵入りになりかけた」だとか、「どんどんセリフを削られた」、といった裏話を教えてくれた。

物語は黒木監督の少年時代の回想が基になっている。

主役の少年を演じるのは柄本明と角替和枝の息子である柄本佑。

霧島(宮崎県えびの市)の自然が美しい。この映画は評判が高いが個人的にはあまり好きになれなかった。日本情緒が前に出すぎているきらいがある。池のほとりから聞こえる幻想的な歌は印象的。場所が霧島だけに神がかって聞こえる。

戦争映画なのだが徒に暗くならないところは好感が持てる。切迫した場面ももちろんあるが、意外にのんびりとした戦時下が描かれており、安心させられる。

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美術回廊(51) 京都文化博物館 「横山華山」

2019年7月17日 三条高倉の京都文化博物館にて

京都文化博物館で、「横山華山」の絵画展を観る。「かざん」という号を持つ人物としては渡辺崋山が有名だが、横山華山は江戸時代後期に活躍した京都の絵師である。曾我蕭白に私淑した後、岸駒(がんく)や呉春(ごしゅん)に師事し、円山応挙や伊藤若冲と入れ替わるようにして世に出る。明治時代末に書かれた夏目漱石の『坊ちゃん』にその名が登場しており、その後、大正時代頃までは有名な人物であったようだが、昭和に入ってからはその名が忘れ去られてしまうようになる。展覧会のキャッチコピーは「まだいた、忘れられた天才絵師」である。
横山華山は、祇園祭の山鉾を描いた「祇園祭例図絵巻」を著しており、祇園祭の時期に合わせての展覧会開催である。

まず曾我蕭白の「蝦蟇仙人図」模写から入る。曾我蕭白の原図は張り詰めた雰囲気だが、横山崋山の模写は全体的に明るく、体の線も緩やかである。
横山華山の作風の特徴は、クッキリとした輪郭と緻密な描写力にある。風景画などは手前側をリアルに描き、奥はぼやかすため、絵全体に浮遊感と奥行きが生まれている。
「祇園祭例図絵巻」も「そのまま」を描く精緻な筆が冴えており、近々復活する予定である山鉾の一つ「鷹山」の史料となったというのも頷ける。

一方で、画面全体が明るいということで陰影を欠きがちであり、絵の背後にあるものを余り感じ取ることが出来ない。健康的で優しい絵なのだが、写真が現れ、その精度が上がれば取って代わられるような絵なのではないかという思いも浮かぶ。昭和に入ってから急速に忘れ去られたという背景の一つにそうしたことがあるいはあったのではないか。ただ、そうでなくとも「激動の昭和を駆け抜けるに相応しいだけの力を持った絵師だったか」と問われれば、「否」と答えることになると思う。破滅の予感が日本を襲った時代にあっては横山華山の画風は優しすぎたであろうし、復興の時代になればなったでパワーに不足しているように見える。あるいはまた時代が変われば評価も変化するのかも知れないが、今の時点では「リアリズムの点において優れた描写力を発揮し、史料的に重要な絵を残した」絵師に留まると書くのが最も適当であるように思われる。

だが、祇園祭の史料になるだけのリアリスティックな絵を描いたというその一点だけでも、横山華山という絵師の存在意義は十分に肯定され得るものだと確信してもいる。芸術的な意味では必ずしもなく、時代の証言者としてということになるのかも知れないが「絶対に必要な存在」だったのだ。

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2020年7月 3日 (金)

美術回廊(50) 京都国立博物館 「曾我蕭白展」2005

2005年5月14日 京都国立博物館にて

京都国立博物館で行われている「曾我簫白展」を観に出掛ける。円山応挙や池大雅、伊藤若沖などと同時期の曾我簫白であるが、その作風は極めて個性的であり、グロテスクでさえある。鷹の画などは顔がティラノサウルスのようだ。

かなりの枚数の画が展示されている。簫白の画は筆致が濃く力強い。その気迫に押されそうになるので、何枚も見ているうちに疲れてしまった。

簫白は敢えて当時流行の画風に異を唱え、無頼を気取り、「中庸よりは狂」であることを良しとした。また画を見ていてわかるのは中国への傾倒。日本の画家が中国を題材にすることは珍しくも何ともないのだが、簫白が描いた子供の顔はまさに現在も中国製の土産物などに書かれている中国の子供の顔そのものである。中国によくある作風を取り入れたのだ。生活も中国の粋人を真似ていたようで、酒と碁と画を描くこと以外には何もしなかったそうである。また簫白という人は明の洪武帝の子孫を称したりしている。他にも相模の三浦一族の末裔を名乗るなど、残した画以上に変わった人物であったようだ。

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2020年7月 2日 (木)

これまでに観た映画より(185) 「Shall We ダンス?」

2005年5月6日

テレビで映画「Shall We ダンス?」を見る。周防正行監督作品。役所広司、草刈民代主演。

ロードショーの時に有楽町マリオンで観てからビデオでも何回も見直しているが、今日久しぶりに見て、やはり良い映画だなと、素直に思う。
心理描写の巧さがあり、登場人物が何を考え、何故そういう行動に出るのかが手に取るようにわかる。これは周防監督の才能だろう。誰にでも出来ることではない。

私も、二十歳そこそこではわからならかったことも今ではわかるようになっている。男であることの寂しさや、中年女性の気持ちなども。
セリフでのくすぐりも最高である。笑いのお手本のようなセリフが各所に散りばめられている。

この映画については私も色々と関係する書物を読んでいるからちょっとだけ詳しい。

まず、駅前に何故ダンススクールが多いのかという周防監督の疑問からこの映画は始まった(私自身もJR両国駅のホームから「浮いたダンススクール」、じゃなかった「浮田ダンススクール」という看板と教室が見えるので苦笑していたクチだ)。そして実際にスクールに行ってみる。するとあまり体型がいいとは言えない中年の男女が踊っている。こんなに見て可笑しいものはないと、プロットはすぐに出来たそうだ。
主演俳優は竹中直人で行こうか、とも思ったそうだが、「竹中さんだと、例えば電車の中でガクッとなっても疲れたんじゃなくて、ギャグでやっていると思われるんじゃないか」ということで変更。ある人から「役所広司さんが良いんじゃないの?」と言われたが、当初は周防監督は反対したそうだ。「役所さんじゃ格好良すぎる。あれじゃ女の人にもてちゃう」。だが一度会ってみたらということになり、実際に役所広司と話した時に「いける」と思ったそうだ。最後に周防監督が「格好悪い中年男は演れますか?」と訊くと、役所は「それだけには自信があります」と答えたという。

主演女優を誰にしようかと三人に相談したところ、三人が三人とも「草刈さんがいいんじゃない」というので周防監督も草刈民代に会いに行った。雰囲気がまず違ったという。一流のバレリーナとして本当に若い頃から活躍してきた誇りや佇まいの美しさ、浮世離れした感じなど。「セリフ喋れなくてもいいからこの人でいこう」と即決定。実際、この時の草刈民代はセリフは上手くない。だがあの雰囲気は他の人では出すことは難しいと思う。

竹中直人が演じるのは青木、田口浩正は田中。実はこれ、周防監督の「シコふんじゃった。」の時と同じ役名である。

ダンスホールのぶっ飛んだ感じの歌姫、夏子(これも「シコふんじゃった。」と同じ役名)を演じるのは清水美砂。普段の彼女のイメージと全く違うので気がつかなかった人も多かったそうだ。歌い終わった後でロングスカートを投げ捨てるのは清水のアドリブだという。

ラストシーンで草刈民代が「Shall We Dance?」と訊いた時の役所広司のリアクションは異なる演技で6回撮り、6回ともOKだったという。周防監督も役所広司という役者の実力に舌を巻いたそうだ。

周防監督は「映画館に中年を呼び戻したい」と思ってこの映画を作っている。実際、有楽町マリオンにも中年の男女が沢山入っていた。
社交ダンスに対する偏見もこの映画の封切り以降、確実に減った。

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2020年7月 1日 (水)

配信公演 飯守泰次郎指揮 東京交響楽団主催川崎定期演奏会 第76回「Live from MUZA!」(文字のみ)

2020年6月28日 ミューザ川崎シンフォニーホールからの配信

午後2時から、ニコニコ生放送で、東京交響楽団主催川崎定期演奏会 第76回「Live from MUZA!」を視聴。ミューザ川崎シンフォニーホールで行われる演奏会の配信である。聴衆を入れての公演であるが、左右1席空けでディスタンスを保てるようにしている。
指揮は飯守泰次郎。

ギフトという形で投げ銭が行えるようになっている。

曲目は、ベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:田部京子)、メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」

指揮者や管楽器以外のオーケストラプレーヤー、ソリストなど全員が全員マスクを着けての演奏である。これまで観てきた緊急事態宣言発令以降の配信ライブでは、弦楽器奏者の譜面台は一人一台であったが、今日は二人(1プルト)で一台という通常の形式での演奏となる。


ベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲。弦楽はビブラートはかなり掛けるが、ボウイングや音型の処理などにピリオドの影響が窺える。ティンパニの強打も効果的。
端正な造形美を誇る飯守らしい好演で、ベートーヴェンらしい生命力にも溢れている。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。
ピアノ独奏の田部京子は叙情的な作品を得意とするピアニスト。グリーグのピアノ協奏曲などを十八番にしており、吉松隆作品なども世界初録音している。

彼女らしい雪解け水のような澄み切った音色が生かされたベートーヴェン。飯守指揮する東響同様、推進力もあり、若々しいベートーヴェン演奏となる。東響は弦の一音ずつに力を込めるような旋律の奏で方が、「プロメテウスの創造物」よりもピリオド寄りに聞こえた。

田部のアンコール演奏は、メンデルスゾーンの「無言歌」第2集より「ヴェニスの舟歌」。後半のプログラムへと繋ぐ曲であり、田部のリリシズムが最大限に生かされていた。


メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」。スコットランドを舞台としたドラマが目に見えるようなロマン派を代表する交響曲である。通常は全曲が休みなしで演奏されるが、今回は第2楽章と第3楽章の間に少しだけ休みを入れていた。
日本におけるワーグナー演奏の泰斗である飯守の指揮だけあって、語り上手でロマンティックな仕上がりとなる。東響の仄暗さから輝かしさまで幅広い音のパレットも魅力。なかなかスケールが大きく、HIPではないがティンパニの強打がこの曲でも効果的であった。

演奏終了後、飯守は黒いマスクを取って笑顔を見せ、更にオーケストラメンバーがステージを後にしても拍手が鳴り止まなかったため、飯守一人が姿を見せて拍手を受けるという、俗にいう一般参賀も行われる。良い演奏会であった。

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