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2020年7月 5日 (日)

2346月日(22) 直七大学 横山紘一 「唯識入門講座」

2020年6月28日

直七大学のオンライン受講をハシゴ。まずは唯識研究の大家である横山紘一(よこやま・こういつ)による「唯識入門講座」。

横山紘一は、1940年生まれなので、齢80を迎える。東京大学農学部水産学科と同文学部印度哲学科を卒業したダブルディグリーであり、その後は東大大学院の博士課程まで印度哲学を専攻している。1997年には唯識の総本山的存在である興福寺で得度。唯識塾の塾長としても活躍している。
高齢なのでZoomには慣れておらず、もたつくところもあったが、講義自体は比較的順調に進んでいく。

今日は横山紘一の弟子が何人も視聴しており、普段とは雰囲気が異なる。
まず宗教は科学や哲学と異なるとした上で、仏教が宗教と見做されるようになったのは明治以降で、それ以前は仏道と呼ばれていたことなどを紹介する。

唯識は、識のみをよりどころとするのだが、心には色も形も大きさもなく、一切は錯覚であるとする。皆、人の姿を見ていると認識しているが、思い込みであり、識の中に作られたいわば影のようなものを実体と認識しているということである。

また学問をしたければ人からの又聞きや、他人による解説書ではなく原典に当たることの重要さも述べていた。確かに他者によって咀嚼されたものはわかりやすいが、核の部分が抜け落ちていたり、自己流のアレンジがなされていることは「ある」と思った方が適当である。「わかる」には己自身で向き合うことが何よりも重要である。他者に溺れてはならない。

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