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2020年8月 2日 (日)

観劇感想精選(347) ク・ナウカ 「王女メデイア」2005@びわ湖ホール

2005年8月7日 びわ湖ホール中ホールにて観劇

大津へ。びわ湖ホール中ホールでク・ナウカの「王女メデイア」を観る。エウリピデス作のギリシア悲劇を宮城聰が演出した。
ご存じない方のために書くと、ク・ナウカとは演じ手(ムーバー)と語り手(スピーカー)を分けた演劇スタイルを特徴とする東京の劇団である。関西で公演を行うのはこれが初めてだそうだ。

昨夜、ちくま文庫の「メデイア」を読んでいったで、比較が容易である。

前半部分はメデイアの内面告白を中心に再構成されている。主人公メデイアのムーバーは看板女優の美加理(みかり)、スピーカーは阿部一徳。

開演前から紗幕の前に老女(のちに乳母であることがわかる)が座り、ポテトチップを頬張っている。ほどなく紗幕が透け、着物を着て紙袋をかぶり、自分の顔写真を持った女性達が立っているのが見える。そして、客席後方の入り口からスピーカー達が賑やかに入ってきて、舞台に上がり、役を振り当てられる。スピーカーの男達の入場は皆が思い思いに喋るのでうるさすぎてちょっと興醒めではある(男達が俗物であることを示すためにやっているのはわかるけれど)。メデイアが登場し、語り手がしっかりとしたセリフを話し始めると引き込まれる。今回はムーバーは一人を除いて全員女性、スピーカーは全員男性が務める。ムーバーの女性は和楽器やボンゴなどの演奏も手がける。

メデイアのムーバー、美加理は朝鮮の民族衣装(チマ)を纏っている。座るときも立て膝であり、完全に朝鮮の女性であることがわかる。
舞台は明治時代の日本。番傘に明治天皇の御影が描かれ、舞台には巨大な日章旗が敷き詰められている。中央やや下手寄りに本を差し込めるようになっている塔が立つ(終演後の宮城のアフタートークにより、どうやら男性のシンボルらしいことがわかった)。
セリフでは「ギリシア」といっているがそれが日本のメタファーであることは明白だ。

閔妃や愛新覚羅溥儀などの歴史上の実在の人物が劇中の人物に重なって見えるところがある。虐げられた女性の姿が虐げられた国家の様にオーバーラップする。
愛するわが子をメデイアが殺す場面は、宮城の演出と美加理の動きに表出力があり、「愛のために殺す」、「愛するが故に殺す」という哀切さがにじみ出て、惻々と胸に迫る。

後半、特にメデイアが子供を殺すかどうか逡巡する場面以降はテキストレジをせず、ほぼそのまま語らせている。ただ、メデイアが龍に乗って現れる場面にメデイアは現れず、代わりに中央の塔が揺らぎ、本が落ちてくる(本が何を意味しているのか良くわからなかったが、アフタートークで宮城が、男性の「言葉による支配」の象徴として用いた、という意味のことを述べていた)。そして真っ赤なドレスに着替えたムーバー達がスピーカーの男達を次々に斬り殺していくという大殺戮シーンとなる。
「赤」に象徴的な意味があるのかどうかは正確にはわからない。女性的な色であり、映える色である。ただ国際政治的な意味があるとすると、怖さは一層増す。
ただ、色の意味のあるなしに関わらず、虐げられ、支配されてきた女性達が赤いドレスを纏って、支配者側の男性に一斉放棄を仕掛け、皆殺しにしてしまう様には鬼気迫るものがあり、残酷な美の迫力に満ちている。


アフタートークには宮城聰、美加理、阿部一徳が参加。びわ湖ホール夏のフェスティバルプログラムディレクター・志賀玲子氏(実際に教わったことのある師の一人)の司会により興味深い話を聴くことが出来た。

びわ湖ホールの裏に出て、琵琶湖沿いに歩く。夏の琵琶湖は涼風が湖面を渡り、実に清々しい。ジェットスキーが波を切り裂き、ヨットのマストが遠くに漂っているのが見える。「夏だなあ」と妙に感心する。

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