楽興の時(38) 京都坊主BAR 「MANGETSU BAROQUE NIGHT」 ensemble kreanto(西谷玲子&中野潔子)
2020年8月4日 本能寺跡近くの京都坊主BARにて
午後7時から、元本能寺(本能寺跡地)の近くにある京都坊主BARで、「MANGETSU BAROQUE NIGHT」を聴く。普段はツーステージあるが、今日はワンステージのみである。出演は、ensemble kreanto。
ensemble kreantoは、チェンバロの西谷玲子とヴィオラ・ダ・ガンバの中野潔子によるデュオ。
西谷玲子は、京都市出身。京都市立堀川高校音楽科を経て、京都市立芸術大学ピアノ科を卒業。京都市新人芸術家選奨を受賞している。現在はJEUGIAが経営する京都音楽院の講師として活躍している。
中野潔子は、大阪音楽大学楽理科卒業後、同大学院でも音楽学を学び、現在は京都音楽院などで講師を務めるほか、ヴィオラ・ダ・ガンバのコンサートなども主催している。
京都坊主BARに新たに電子チェンバロが入る。私が浜松を訪れた時に訪れた浜松市楽器博物館で弾くことの出来る数少ない楽器展示だった電子チェンバロと同じ種類のものだと思われる。この電子チェンバロシリーズは、「テラの音(ね)」コンサートでも用いられたことがある。新品は高いので中古品を購入したそうだ。
出演者が店に到着するまでに時間があったので、チェンバロで少し遊んでみる。J・S・バッハの「平均律クラーヴィア」からプレリュード、坂本龍一の「シェルタリング・スカイ」、サティの「ジムノペディ」第1番などの冒頭を弾き(暗譜していないため)、その後、即興演奏も行って遊ぶ。
スピーカーからはいつもバロック音楽が流れているのだが、コレッリの「ラ・フォリア」が流れたので、CDの紙ケースを見せて貰う。リコーダー:フランス・ブリュッヘン、チェロ:アンナー・ビルスマ、チェンバロ:グスタフ・レオンハルトという豪華な顔触れによる演奏である。しかしもう今では全員他界してしまった。
フランス・ブリュッヘンの実演には1度だけ接したことがある。リコーダー奏者ではなく指揮者としてである。自ら結成した十八世紀オーケストラを率いての京都コンサートホールでの来日公演。2003年のことだったと思う。民音(民主音楽協会、創価学会の運営)主催であるため、チケット不買運動が起きていた。
この時はブリュッヘンは体調不良だったようで、演目はベートーヴェンの交響曲第6番「田園」と第5番という王道プログラムであったが、ブリュッヘンらしい覇気と才気には欠けていた。というわけで1980年代から90年代のような好調時のブリュッヘンの演奏には残念ながら接していない。
今日はマイクのセッティングがなく、出演者もマスクをしながら喋る必要があるため、説明や曲目紹介などが聞き取りにくい。ただ、いずれも馴染みのない曲が多く、曲名を紹介したところで、こちらもどういう曲なのか上手く説明出来ないため、印象のみを述べることにする。
西谷玲子のソロ曲目は聞き取ることが出来、J・S・バッハの「シンフォニア」よりが演奏される。西谷は「調の変化を楽しんで欲しい」と言う。「インヴェンションとシンフォニア」として学習用楽曲として有名であるが、そこは流石にバッハで、平易ではあってもシックな大人の音楽に仕上げている。京都坊主BARは町家を改造したバーであり、シンクな雰囲気がバッハの楽曲にとてもよく合う。
中野潔子のヴィオラ・ダ・ガンバの演奏。コロナ禍で海外旅行が出来ないため、せめて音楽の世界だけでも異国に飛ぼうということで、オランダ、イギリスやフランスなどの楽曲が奏でられる。
ガット弦を張ったヴィオラ・ダ・ガンバ(チェロの先祖に当たるが、エンドピンがなく、奏者は両足で楽器を挟んで演奏する)の音色は押しつけがましさがなく、音も漂うような雰囲気があり、光の推移の様が目に見えるかのようである。そういう点においては音楽は絵画の「印象派」を先取りしている。ドビュッシーやラヴェルの音楽は、音楽における印象派と呼ばれているが絵画の印象派とは異なる(ドビュッシーらは印象派ではなく「象徴派」と呼ぶべきだという意見もある)。クロード・モネが描こうとしたような光と時間の移り変わりは、音楽では先に達成されていると見ることも出来るのかも知れない。
ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロの楽曲としては珍しい現代の作品の演奏を経て、テレマンの3つあるガンバ・ソナタのうちの一つが演奏される。スケールが大きくリズミカルな曲であり、テレマン自身の自信や誇りが伝わってくるかのようである。
その後の音楽とは価値観が異なる作品が多いが、その時代にマッチし、彩ってきた音楽に触れる贅沢を感じることが出来た。
演奏終了後、やっぱりチェンバロを演奏してみたくなったので、先程演奏した曲に加えて、楽譜が置かれていたバッハの「インヴェンションとシンフォニア」第1曲(千葉にいた頃によく弾いた曲だが、譜面がスラスラ読めないようになって来ているので苦戦)、ベートーヴェンの「月光」ソナタの冒頭(暗譜出来ておらず、すぐに行き詰まる)、サティの「グノシェンヌ」第5番の冒頭の右手の旋律、オルガンの音も出せるので、J・S・バッハの「小フーガ」ト短調の冒頭、右手だけの部分などを弾く。もう18年もピアノに向き合っておらず、たどたどしいものにしかならないが、瞬間瞬間で浮かんでくる旋律を音に変えるという即興演奏っぽい遊びを行っている時間は、あるいは私にとって最も幸せな瞬間なのではないかと、高校生の時にふと浮かんだ思いが、デパートの屋上から上がるアドバルーンのように私の頭上でゆらゆら揺れていた。
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