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2020年8月11日 (火)

これまでに観た映画より(196) 「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」

2020年8月3日 京都シネマにて

京都シネマでドキュメンタリー映画「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」を観る。沖縄テレビの平良いずみ監督作品。中学卒業後、沖縄県那覇市に移り住み、フリースクールに通う石川県珠洲市出身の坂本菜の花(本名)の姿を追うドキュメンタリーである。ナレーションは那覇市生まれの俳優、津嘉山正種(つかやま・まさね)が担当する。

「ちむぐりさ」は漢字にすると「肝苦りさ」となり、「肝(心、魂)の苦しい」という意味である。
実は沖縄方言(琉球語。ウチナーグチ)には「悲しい」に相当する言葉はないそうで、最も近い単語を探すと「ちむぐりさ」ということになる。ただ「ちむぐりさ」は私個人が悲しむということではなく、誰かの悲しみを己がこととして胸を痛めるというニュアンスであるそうだ。

坂本菜の花は、首里城の近くの沖縄料理の店に住み込みとして働き、昼間は那覇市内にあるフリースクール珊瑚舎スコーレで学んでいる。
坂本菜の花は、石川県珠洲市の旅館の家に生まれ育ったが、旅館では井戸水を使い、洗濯用の石けんも他の家とは異なるものを使っていたことから衣服の匂いが元でいじめに遭い、中学卒業後は、初めて訪れた時に「みんな明るくて好印象を持った」という沖縄に移り住んだ。ご両親がインタビューで語っているように、「逃げ」るしかなかったのだ。
一方で彼女の感性は高く評価されており、北陸中日新聞に「菜の花の沖縄日記」というコラムを連載することになる。

元々は琉球王朝が支配する、日本とは別の国だった沖縄。太平洋戦争で唯一、住民を巻き込んだ地上戦が行われた県であり、戦後はアメリカ領に。1972年に日本に復帰するが、日本における米軍基地の75%が沖縄県内に置かれることになり、今も日本本土とは別の戦後を歩んでいる土地である。

珊瑚舎スコーレは、5教科など主要教科も教えているようだが、生徒達が好きなことを学ぶというスタイルを通しているようで、坂本菜の花は美術や演劇なども学んでいる。昼間はフリースクールである珊瑚舎スコーレであるが、夜にはお年寄りが通う夜間中学となる。通ってくるのは戦時中に生まれ、学校に通う機会がなかったお年寄り達。フリースクールに通う若者と夜間中学に通うお年寄りとで協力し合っており、一緒に劇を制作したりもしている。劇の内容は夜間中学に通うお年寄り達が、戦時中に実際に体験したことであり、ノンフィクションとなるようだ。

 

首里城の正殿などが焼失した際に、本土人からの心ない書き込みも目立ったが、元々別の民族である日本人(ヤマトンチュ)と沖縄人(ウチナンチュ)の心理的距離は思ったよりも離れている。今でこそ、沖縄の大学に進む本土の人もそれほど珍しくはないが、私より一世代上までは本土の人間が沖縄の大学に進むなどということは「考えられないこと」だったようで、京都出身で琉球大学に進んだ中江裕司監督や、東京都出身でやはり琉球大学に進んだ天願大介監督(今村昌平の長男)もそのようなことを口にしていたはずである。

そして普天間基地の辺野古移設問題で、日本国政府と沖縄県は更に複雑な曲面を迎えることになる。

学校や幼稚園の上空を米軍のオスプレイやヘリコプターが低空飛行で通過し、時には落下物があり、墜落が起こることも珍しくない。学校の上空を米軍機やヘリコプターが通る際は、生徒達は避難するそうで、驚くべきことに戦中の空襲警報のようなものが今もある。そんな状況を日本政府は沖縄に押しつけているわけで、普天間の基地機能移転も「最低でも(沖縄)県外」と言っておきながら結局は沖縄から出ることはなかった。県民集会で、圧倒的多数の沖縄県人が辺野古移転に反対しても声が日本国政府に届くことはない。

沖縄に滞在する米軍は下層階級出身者も多い海兵隊であるためモラルには問題があり、坂本菜の花が沖縄にいた3年(2015-2018)の間にも米軍と米軍基地絡みの事件は次々に起こる。2016年には、うるま市で米軍関係者が二十歳の女性を強姦した上で殺害、死体を遺棄するという事件が起こる。同じ年に名護市でオスプレイが墜落するという事件があり、翌2017年には米軍ヘリが民間地に墜落する。墜落したのは牧草を育てている場所だったそうで、坂本菜の花が所有者の男性に話を聞く場面があるが、「30年間育ててきた牧草が一からやり直し」になったそうである。

翁長雄志沖縄県知事が先頭に立って辺野古移転反対を訴えてきたが、その翁長知事も癌に倒れ、志半ばで亡くなる。辺野古移転反対かそれとも容認して経済優先か、県民の民意を問う沖縄県知事選挙では翁長知事の意思を受け継ぎ、辺野古移転反対を訴えた玉城デニー知事が圧勝する。

そして辺野古移転の是非を問う県民投票が行われる。石川県に戻り、実家の旅館で働いていた坂本菜の花も沖縄に1ヶ月滞在し、選挙に協力する。投票の結果は辺野古移転反対という意見が圧倒的だったが、それで何が変わったかというと何も変わらない。坂本菜の花が生まれた石川県ではかつて内灘闘争と呼ばれる米軍砲弾試撃場反対運動があり、成功したのだが、本土と沖縄とでは違う。かつて坂本菜の花を苛んだ「いじめ」にも似た本土の沖縄に対する姿勢は今も続く。

 

坂本菜の花自身は声高らかに叫ぶことはない。あくまで穏健で、マハトマ・ガンジーの言葉(「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」)を引用し、世界を変えることよりも自身が世界に変えられないことに留意する。

ヤマトンチュである坂本菜の花が望むのは、アメリカに敗れた日本本土と沖縄の悲しみの共有である。現状では本土の人間は沖縄についてよく知らず、米軍絡みの事件が起こっても、重大事件でない限りは「沖縄のこと」としてほとんど報道もされず、されたとしてもさほど興味は持たれない。同じ日本でありながら、上下関係があり、差別がある。
坂本菜の花は3年の間に沖縄の人々が明るいのは、「明るくしないとやっていられないから」だと気付く。

 

テーマ音楽として流れるのは、上間綾乃が歌う「悲しくてやりきれない」のウチナーグチバージョンである。本当に素晴らしい選曲で、現実では達成されていないヤマトンチュとウチナンチュの心の寄り添いが、歌の中では成し遂げられている。

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