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2020年8月16日 (日)

これまでに観た映画より(198) 「もののけ姫」2020リバイバル上映

2020年8月14日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で「もののけ姫」を観る。宮崎駿監督作品。スタジオ・ジブリの代表作の一つである。1997年のロードショー時にシネマックス千葉(CINEMAX千葉)で観たが、ここはもう存在しない映画館である。その後、「もののけ姫が家に来る!」というキャッチコピーでセルVHS(今ではVHSも化石のようなものである)が出た時に購入して観ている。1997年のロードショー時には23歳だった私も、今年の11月で46歳。約倍の歳月が経過している。

声の出演者は、石田ゆり子、松田洋治、田中裕子、美輪明宏、上条恒彦、森光子、森繁久弥、西村雅彦、小林薫ほか。23年前ということで故人も何人か含まれている。
今でこそアラフィフ女優の人気ナンバーワンを揺るぎなきものとしている石田ゆり子だが、この時は今ほど人気はなく、むしろ妹の石田ひかりの方が有名であった。セルビデオには、アフレコのリハーサルや本番などの模様も収録されているが、石田ゆり子は宮崎駿監督から何度もダメ出しを受けており、本気で「降ろされる!」と思ったことなどがインタビューで語られていた。

声優でなく、俳優を大量にキャスティングしたことについては、ロードショー時より批判があったように記憶している。

音楽:久石譲。主題歌歌唱:米良美一。

 

蝦夷(エミシ)の支配する東国のシーンから始まる。アシタカ(アシタカヒコという名であったが、穢れたために「ヒコ」の名は捨てる。声の出演:松田洋治)は、祟り神となった猪の神であるナゴの守(かみ)が村を襲おうとしたため、やむなく弓矢で射て止める。しかし、アシタカの右腕に呪いは絡みつき、蝕むようになる。
巫女のヒイ様(声の出演:森光子)から、西のヤマトの国で不吉なことが起こっているとの宣託を受けたアシタカは西へと向かう。

素朴な建物ばかりの東国に比べ、西の国は仏塔が聳え、高い文明が流入・形成されていることが窺える。一方で野武士達が農村を襲撃して殺戮と収奪を行うなど、光景は荒んでいる。

そんな中で、エボシ御前(声の出演:田中裕子)率いるたたら場は、高い鉄の生成技術を誇り、鉄や武器を売る独立した城塞都市として繁栄している(この辺りは石山本願寺と雑賀衆の関係や、自由都市であった堺に似ている)。エボシ御前は、被差別階級者を受け入れ、ライ病(ハンセン氏病)に苦しむ人々を銃器(石火矢)の製造職人として徴用している。労働は過酷だが、女性が比較的優遇されているということもあり、エボシ御前への信頼は篤い。このたたら場は度々、大名の浅野氏(広島や赤穂の浅野氏とは異なる)から襲撃を受けているのだが、その度に撃退している。
ただ製鉄には燃料とするための大量の木材が必要になるため、伐採により周囲は禿山と化しているが、エボシ御前は、更なる木材を求め、シシ神の森の制圧を目論んでいた。

たたら場で過ごしていたアシタカは、エボシ御前と対立するもののけの神・モロ(声の出演:美輪明宏)ら山犬に育てられた少女のサン(声の出演:石田ゆり子)を見かける。サンは自然の領域を侵食しているエボシ御前を憎み、暗殺の機会を狙っていた。

森が減っていくことに憤っているのは山犬だけではない。「森の賢者」と呼ばれた猩々(しょうじょう)も人間を憎み、また人間の行為が許せなくなった猪神の長老・乙事主(おことぬし。声の出演:森繁久弥)も鎮西(九州)から海を越えて、シシ神の森へと訴えに来る。

シシ神というのは、昼はシシ(鹿)、夜はディダラボッチ(ダイダラボッチ。創世の神や製鉄の神とされることもある)の姿をした生と死を司る神であり、シバ神に似た力を持つ。一方で、存在はしているが自分から積極的に何かをする神ではない。だが、ヤマト王朝は、神は朝子(帝、天皇)だけで良く、人間世界とは異なる神がいることを怖れ、かつシシ神の首には不老不死の魔力があるということで、ジコ坊(声の出演:小林薫)らにシシ神征伐を命じていた。

 

人と自然の問題がまず挙げられる。古代から人と自然は哲学における大きなテーマの一つであったが、産業革命以降、人類は自然を苛烈なまでに虐げ、版図を拡大していった。このたびの新型コロナウイルス禍も、人類が踏み入ってはいけない領域まで侵入していった結果、自然の世界で循環していた新型コロナウイルスが拡散されることになるという、いわば自然界からの復讐を受けた格好である。

そして、神の問題である。いくつもの神が同居するという八百万の神の国、日本。だが、幕末以降に主流となった思想では、天照大神の子孫というだけでなく神の世界の頂点に君臨するのが天皇であるとする史観がベースとなっている。そして少なくとも強大な神は他には必要ではないため、神殺しが行われることになる(大本事件などもその系譜に入ると思われる)。ただ、歴史の中で育まれた「八百万の神=世界そのもの」の意識はそう簡単に日本人の思考体系の中から消滅するはずもなく、強引な神殺しは多くの人に災厄をもたらす結果となる。

日本においては積極的に描かれることの少ない民族差別についても描かれている。主人公であるアシタカは蝦夷の子であり、大和民族よりも下に置かれた社会の出身である。またヒロインのサンも山犬に育てられた少女であり、当然ながら蔑視の対象である。
この虐げられた階層出身の男女が、殺されつつある神と人間の諍いを収めるべく奮闘するという特殊な構図による物語であることにも注目すべきであろう。

闘争を経て、山は緑を取り戻し(ただ元の自然でないことがサンのセリフによってわかる)、人々は新たな生活を歩み出す。決して和解したわけではないが、争いに明け暮れる日々は遠のいていく。

新型コロナウイルスが猛威を振るう今、この作品を観る意味としては、「不可侵領域に踏み入らない」ということと「人間第一主義の愚かしさ」を知るという二つのことが挙げられるように思う。度が過ぎれば必ず復讐される。そして憎しみが憎しみを生み、連鎖は止まらなくなる。
本来ならもっと早く、人類はその足跡を見直すべきだったのかも知れない。コロナの前にも問題は山積みであったが、「より重要なこと」に目を向け、見て見ぬ振りをしてきた。いつまでもそんなことで通じるわけはなかったのだが、結局、臨界点を過ぎるまで人類は気づけなかった。
この先のことはまだ誰にもわからないが、アシタカのように「曇りなき眼で見定め」て行けるよう願うものである。

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