観劇感想精選(354) 三谷幸喜 作・演出「君となら」2014
2014年9月17日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇
※本来なら「観劇感想精選」には、私が優れていると認めた公演しか載せないのですが、竹内結子氏逝去につき、特別にこの記事を上梓します。彼女の名前がないというのは余りに寂しいことですので。もっと良く書いてあげることが出来れば良かったのですが、冷静に判断した結果です。書かなかったことで「素晴らしい」と思ったことはいくつもあるのですが、それは個人的なことですので、表さずにおきます。
不在がまたも増えてしまいました。
午後6時30分から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、「君となら」を観る。作・演出:三谷幸喜。「君となら」は、斎藤由貴と佐藤慶の主演作として三谷幸喜の作、山田和也の演出で1995年に初演。その後、97年に再演されているが、それから、約17年を経ての再演である。佐藤慶はすでに4年前に他界しており、主演も含めて全て新キャストでの再演となる。演出も今回は三谷自身が手掛ける。出演:竹内結子、草刈正雄、イモトアヤコ、長野里美、長谷川朝晴、木津誠之、小林勝也。
舞台は90年代の東京である。客入れの音楽は、槇原敬之やプリンセスプリンセスらが歌ってた90年代のポップスであり、幕開けの音楽も90年代のヒットナンバーであるKANの「愛は勝つ」である。
年の差約50歳というカップルが誕生するのだが、成り行きで誤魔化さなくてはいけないようになり……、というストーリーで、三谷幸喜が90年代に書いたものの中でも特に完成度が高いと思われる作品の一つである。再演の時はテレビ収録が行われ、WOWOWで放送されたものを私は録画して何度も繰り返し観ている。
今日は、何の知識も入れないで観に出かけたので、故・佐藤慶がやっていた役を草刈正雄がやるのだと思い込んでいたのだが、最初の顔見世のシーンで草刈正雄が出てきたので、草刈正雄は竹内結子演じるヒロインの父親役であり、婚約相手を演じるのは小林勝也だと気付く。ただ、小林勝也には酷だが、佐藤慶は男が見ても良い男だと思うタイプであり、「佐藤慶ならひょっとしたらあり得るのではないか」と思えるのだが、小林の場合はそうではないと思われる。
ヒロインの父親役を初演時にやっていたのは角野卓造であり、それが草刈正雄になるのだから、これは佐藤慶→小林勝也以上にギャップのある配役である。
ヒロインは、相手が「実業家」だとしか言っていなかったのだが、家族全員がヒロインと同年代だと思っているので、「青年実業家」だと思い込み、特に母親の中ではその姿は「完全に草刈正雄になっている」というセリフが初演時からあるのだが、そのセリフを当の草刈正雄に言わせようということでこうした配役になったのだと思われる。初演は19年前なので、当時は草刈正雄も「青年」と呼ばれてもおかしくない歳だった。
事実、草刈正雄が、「草刈正雄だ!」というセリフを発した時には拍手喝采であった。
ヒロインの小磯あゆみを演じるのはこれが初舞台となる竹内結子であるが、完全に映像向けの演技になっており、小さく纏まっている。勿論、舞台のために身振り手振りを大きくしたり、表情を大袈裟にしたりということはやっているのだが、舞台で表現を行うには動きが細やかすぎるのだ。映像では心理描写のために有効な演技ではあり、竹内結子はそもそも映像向きの演技をする人なのかも知れないが、舞台でそうした演技を行うと単に神経質な人に見えてしまう。神経質な役だったらまだ良かったのだが。また、コメディエンヌが板に付いていないが、コメディエンヌの素質というのは生まれ持ったものに左右されることが大きいため、これに関しては竹内一人のせいではないだろう。
彼女は、「いよいよ私にも初舞台が回ってきた」と意欲を語っており、登場時には満面の笑みを浮かべて現れ、客席も拍手で出迎えた。
小林勝也はやはりミスキャストであるが、これはキャスティングした側の責任であると思う。
初演時の俳優を上回っていたのは、あゆみの妹である小磯ふじみを演じたイモトアヤコ。ふじみはそもそも狂言回し的な役割であるが、スラプスティックな要素を最も要求される役であるため、イモトには上手くはまっていた。
三谷幸喜の本は全て当て書きであり、俳優を変えて再演する際には演じる俳優に合わせてセリフを変えるのだが、前回は、ふじみを演じていた宮地雅子が言っていたセリフを、今日はあゆみ役の竹内結子が話すなど、セリフの割り振りも微妙に違ったりする。
ただ、セリフやト書きをいくら直しても限度はあり、初演時と再演時は小倉久寛がやっていた役を今回は長谷川朝晴が演じているのだが、小倉がやると滑稽に見えたことも長谷川がやると無理矢理笑いを取りに行っているように見えてしまう。そもそもオリジナルキャストのクオリティを今回のメンバーに求めること自体が間違いといえば間違いなのであるが。
「君となら」を今回初めて観る人には薦められる舞台だが、斎藤由貴&佐藤慶バージョンを観たことのある人には「イメージが崩れるから観なくても良い」としか言えない。私が感じたように「『君となら』って、こんな程度の芝居だったっけ?」と拍子抜けする可能性もあるためである。そして更に、常に当て書きをしてきた作家の限界を感じることになるかも知れない。
芝居の内容よりも強く感じられたのは、佐藤慶と、初演時・再演時に和田を演じていた伊藤俊人の不在感である。佐藤慶が他界してから今年で4年、伊藤俊人は12年にもなる。彼らはもうこの世には存在せず、彼らのような俳優が現れることも二度とないのだろうと思うと無常を感じずにはいられない。
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