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2020年9月29日 (火)

2346月日(25) 「出張!お城EXPO in 滋賀・びわ湖」 2020年9月20日 厳選プログラムB・井伊直岳「彦根城の近代」

2020年9月20日 びわ湖ホール中ホールにて

午後2時40分からの講演(厳選プログラムB)「彦根城の近代」。担当者である井伊直岳は彦根井伊家(井伊掃部頭家)の18代目であるが、血の繋がりはない。三重県生まれ、京都大学大学院博士後期課程単位取得退学。彦根井伊家17代目・井伊直豪の長女である井伊裕子と結婚して井伊家に入り、18代目当主となる。元々の名前は岳夫であったが、井伊家を継いだということで、通字である「直」を付けて直岳と改めている(戸籍上は変わっていないようである)。

彦根城が取り上げられるということで、人気のゆるキャラ、ひこにゃんも登場した。

国宝に指定されている彦根城。私も何度も訪れているが、天守を始めとする建物の保存状態も良く、人気の高い城郭である。

関ヶ原の戦いの後、石田三成の居城であった佐和山城の城主となった井伊直政であるが、三成は善政を敷いていたため慕う人も多く、このままでは領民を味方に出来ないということで新たなる拠点を築く必要があった。直政は、佐和山城よりも北にある磯山への築城を目指すが、関ヶ原で受けた手傷の悪化により死去。磯山に城を築くとなるとかなり巨大な城郭となるため、政庁の性格が強い近代城郭を築くに相応しい金亀山(こんきやま。別名・彦根山)に場所を改めて建てられたのが彦根城である。佐和山城や長浜城、大津城に使われていた木材が再利用され、優雅な桃山風の天守は大津城からの移築とされる。

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内堀、中堀、外堀の三重の堀を持ち、湖上交通の要衝でもあった彦根は近江国の中心地として栄えることになる。

江戸時代には当然ながら井伊家の本拠地として中堀より内側は厳しい入場規制が行われていた彦根城だが、維新後の廃藩置県によって多くの大名が華族として東京に移ると、城郭は兵部省の管轄となり、更に陸軍省に所管を変える。

明治6年(1873)1月には全国の城郭は「存城」か「廃城」かに分けられ、ほとんどの城は廃城となったが、彦根城は城内が兵舎として利用されており、存城となった。同年5月には管理者が陸軍省から滋賀県に移る。

多くの城の天守がこの時に取り壊しとなっており、彦根城の天守も解体される予定だったが、一説によると井伊直憲の娘を妻としていた佐賀鍋島氏の家臣の出である大隈重信による明治天皇への奏上もあり、明治天皇の特旨により彦根城の保存が決まる。明確に「保存」であり、管理が行われることになった。

彦根城はその後、表御殿に彦根県の県庁が入り、その後、県が拡大して長浜県となるとその県庁ともなった。内堀の内側に官庁が置かれたのはこの時までで、県が更に拡大して犬上県となると県庁は中堀に面した西郷・庵原屋敷跡に置かれた。その直後に滋賀県が発足し、県庁は彦根市ではなく大津市に置かれることになる。

彦根の藩校・弘道館の跡には明治9年(1876)に金亀教校という浄土真宗本願寺派の学校が建つ。この学校は、金亀仏教中学、第三仏教中学と名前を変え、明治42年(1900)に京都市下京区に移転。高校野球でお馴染みの平安高校(現・龍谷大平安高校)の前身となった。
第三仏教中学の跡地には彦根町立尋常小学校付設工業学校などを経て、現在、彦根市立西中学校が建っている。

彦根城の内堀と中堀の間にはその他にも多くの学校が建ち、文教地区となった。滋賀県立尋常中学校は、その後、滋賀県内屈指の進学校となる滋賀県立彦根東高校となり、彦根高等商業学校は滋賀大学経済学部(滋賀大学の本部は、教育学部のある大津キャンパスではなくここにある)へと発展する。近江実修工業学校は、野球が強いことで有名な近江高校となった。

その他にも招魂社が築かれ、明治43年(1910)には、皇太子(春宮)嘉仁親王(後の大正天皇)が彦根に行啓した時には、宿舎として迎春館が作られた(昭和22年解体)。
大正4年には初の本格的文化施設である彦根公会堂が完成する。

彦根城内では、明治9年(1876)に地方都市としては初となる博覧会が開催されるなどしたが、明治27年に、彦根城は井伊氏の所有に戻る。大正3年(1914)に彦根町長から彦根城の貸与願いが井伊家に出され、翌大正4年から彦根城内は一般に開放され、彦根観光の目玉となった。その後、内堀沿いに桜の木が植えられ、名所としての強化がなされる。

戦時下において彦根城は井伊直弼と共に彦根市民の愛国・愛郷精神の象徴とされ、市民精神の高揚のために彦根市長が井伊家に貸与ではなく寄付願いを出し、昭和19年(1944)2月13日付けで彦根城は彦根市に無償で寄付され、今と同じ形態での管理が始まることになる。

なお、彦根城は世界遺産への登録を目指しており、何度も見送りが続いているが(「日本の城郭文化としてすでに姫路城が登録されているため」とされる)、最近もまた彦根城はユネスコへの推薦状作成に取りかかっているそうで、最後はまたひこにゃんが登場して、アピールのための撮影会も行われた。残念ながらスマホの起動に時間が掛かったために私は写真は撮れなかったのだが、色々なところに今日のひこにゃんの写真が載るはずである。

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