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2020年9月22日 (火)

コンサートの記(656) 兵庫芸術文化センター管弦楽団特別演奏会「佐渡裕 アルプス交響曲」

2020年9月19日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後2時から、西宮北口にある兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、兵庫芸術文化センター管弦楽団特別演奏会「佐渡裕 アルプス交響曲」を聴く。リヒャルト・シュトラウス最後の交響詩となったアルプス交響曲1曲勝負の演奏会である。

ドイツ・ロマン派最後の巨匠といわれたリヒャルト・シュトラウス。管弦楽法の名手として、30代までに数々の傑作交響詩をものにしているが、40代以降はオペラに力を入れるようになり、オーケストラ曲を書く機会は減っていたが、51歳の時に完成させたのがアルプス交響曲である。交響曲とあるが、いわゆる交響曲ではない。リヒャルト・シュトラウスは長命で85歳まで生きており、51歳というのはまだ人生を振り返るような年齢ではないが、それまでに書かれた交響詩の要素を取り込みながら登山に人生を重ね合わせるという作品になっており、情景と心情をオーケストラで描くというショー的要素と独特の深みを合わせ持っている。フリードリヒ・ニーチェの著作に影響を受けた交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」を代表作の一つとしているリヒャルト・シュトラウスだが、アルプス交響曲もニーチェの「アンチクリスト(反キリスト主義者)」にインスパイアされたことを作曲家自ら明かしている。

 

兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ。PACは、Performing Arts Centerの略)は、元々今月の定期演奏会のメイン楽曲としてアルプス交響曲を演奏する予定であったが、コロナで全てが白紙となり、それでも演奏活動が再開されたら大編成のものをやりたいと、芸術監督の佐渡裕が希望を出していたそうだ。

現在、オーケストラのコンサートでネックとなっているのは、楽団員がソーシャルディスタンスを確保しなければいけないということであり、大編成の楽曲はステージ上が密になるため変更せざるを得ない状態となっている。だが、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールは、元々オペラ対応劇場として設計されているため4面舞台を持っており、反響板を後方に7m下げてメインステージを拡げ、両サイドの舞台との風通しを良くすることで換気対策を十分に取り、管楽器や打楽器はひな壇に乗せて視界を確保することで演奏会に漕ぎ着けた。

今日のコンサートマスターは豊嶋泰嗣。チェロが手前に来るアメリカ式の現代配置を基本としている。ゲスト・トップ・プレーヤー及びスペシャル・プレーヤーとして水島愛子(元バイエルン放送交響楽団ヴァイオリン奏者、兵庫芸術文化センター管弦楽団ミュージック・アドヴァイザー)、戸上眞理(東京フィルハーモニー交響楽団第2ヴァイオリン首席)、石橋直子(名古屋フィルハーモニー交響楽団首席ヴィオラ奏者)、林裕(元大阪フィルハーモニー交響楽団首席チェロ奏者)、石川滋(読売日本交響楽団ソロ・コントラバス奏者)、中野陽一朗(京都市交響楽団首席ファゴット奏者)、五十畑勉(東京都交響楽団ホルン奏者)、高橋敦(東京都交響楽団首席トランペット奏者)、倉田寛(愛知県立芸術大学トロンボーン科教授)、奥村隆雄(元京都市交響楽団首席ティンパニ)の名がクレジットされているほか、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団フルート奏者の江戸聖一郞、関西フィルハーモニー管弦楽団首席トランペット奏者の白水大介(しろず・だいすけ)、元京都市交響楽団トランペット奏者の早坂宏明、元京都市交響楽団首席テューバ奏者の武貞茂夫らの名を見ることが出来る。
KOBELCO大ホールにはパイプオルガンがないため、電子オルガンの演奏を室住素子が行った。

1階席の中央通路前の席に譜面台が並び、ここで金管のバンダが演奏する。2階下手サイド席ステージそばも空席となっており、ここにはトロンボーン奏者2人が陣取ってバンダ演奏を行った。

客席は左右最低1席空けのソーシャルディスタンス対応。KOBELCO大ホール入り口ではサーモグラフィーを使った検温と手のアルコール消毒が必要となり、チケットも自分でもぎって半券を箱に入れる。また強制ではないが、兵庫県独自の追跡サービスにもQRコードを使って登録出来るようになっている。コンサートスタッフは全員、フェイスシールドを付けての対応である。

 

演奏前に、佐渡裕が一人で登場してマイクを手に挨拶を行う。春から、中止、延期、払い戻しなどが相次いだが、6月からコンサート再開に向けての実験や検証が行われ、9月に演奏会が再開されると決まった時には全員が、「アルプス交響曲は何が何でも演奏しよう」と意気込んでいたという。ステージ上でのソーシャルディスタンスがやはり問題となったが、「6月頃には、2mから2m半が必要といわれたが、うちの楽団、それだけ離れていても、アルプス交響曲、なんとかなるやろ」ということで上演のための努力を続けてきたそうだ。佐渡はご存じない方のためにKOBELCO大ホールが4面舞台であるという話をし、ひな壇については、「見た目もアルプス交響曲っぽい」と冗談を交えた話をしていた。一番上のティンパニが置かれている段は、ステージから約2mの高さがあるという。

兵庫芸術文化センター管弦楽団がアルプス交響曲を演奏出来ることになったのは、その名の通り劇場付きのオーケストラであることが大きいと佐渡は語る。貸し館での演奏となるとリハーサルが十分に行えないため、通常とは異なる配置での演奏は諦めざるを得ないのだが、ここは本番と同じホールでリハーサルが何日も行えるため、万全の体制を整えることが出来たという。
佐渡は、「今、アルプス交響曲を演奏出来るのは日本でここだけ」と自信を見せていた。
またアルプス交響曲が人生を描いているという解釈も語り、リヒャルト・シュトラウスに関しては、「今の時代に生きていたら、ジョン・ウィリアムズのような映画音楽を沢山書いたんじゃないか」「ジョン・ウィリアムズもリヒャルト・シュトラウスから影響を受け、リヒャルト・シュトラウスもベートーヴェンの『田園』などに影響された」と法灯のように受け継がれていた音楽の生命力にも触れていた。

 

本当に久しぶりの大編成オーケストラ生体験となる。兵庫芸術文化センター管弦楽団は、オーディション合格後、最大3年在籍可能という育成型オーケストラである。オーディションは毎年行われて楽団員が入れ替わるため、独自のカラーが望めない一方で、指揮者の個性が反映されやすいという特徴を持つ。

ゲスト・プレーヤーを何人も入れたPACオーケストラの響きは輝かしく、佐渡の基本的には陽性の音楽作りがよく伝わってくる。活動再開後初の特別演奏会ということで、オーケストラメンバー達も気合いが入っており、雄渾な音楽が奏でられる。配置の問題もあって、金管が強すぎる場面もあったが、やり過ぎという感じははなく、むしろ祝祭性が伝わってくる。佐渡は若い頃とは違い、丁寧な音楽作りが特徴となっている。描写力にも長けており、滝や草原の場面での抒情性や清々しさの表出も十分である。嵐の場面の大迫力もいかにも佐渡らしいが、日没は音色が明るすぎ、まだ日が高いように思えてしまう。ここのみならず陰影の付け方には物足りないものも感じた。
佐渡は、エピローグ以降は指揮棒を置いてノンタクトでの指揮。ここでも風景描写以上のものを感じ取るのは難しい。

前半がかなり好調だっただけに終盤の描き方に不満も感じてしまうのだが、全体を通せば今の時期に貴重な「特別な演奏」となっていたように思う。大編成の楽曲を演奏することは他ではまだ難しいため、「フルオーケストラの響き自体」が何よりも素晴らしいものに感じられた。

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