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2020年9月18日 (金)

美術回廊(57) 美術館「えき」KYOTO 「キスリング展 エコール・ド・パリの巨匠」

2020年9月13日 美術館「えき」KYOTOにて

美術館「えき」KYOTOで、「キスリング展 エコール・ド・パリの巨匠」を観る。

キスリング(本名はモイーズ・キスリングだが、キスリング本人はユダヤ的であるファーストネームが余り気に入らず、姓のみを記すことが多かったようだ)は、「ポーランドの京都」に例えられることが多い古都クラクフに生まれ、最初は彫刻に興味を持つが、地元の美術学校の彫刻科に空きがなかったため、絵画科に学ぶ。
19歳でパリに出たキスリングは、モンマルトルでピカソ、モンパルナスでモディリアーニや藤田嗣治(レオナール・フジタ)らと交流。影響を受ける。藤田嗣治とは特に親しかったようで、二人で収まっている写真が残っている。

ちなみによく知られた「エコール・ド・パリ」という言葉だが、当時のフランスでは国粋主義が台頭しており、元々はモンパルナスという家賃の安い場末で創作活動を行う非フランス人画家を指す差別語であったようだが(この時代のフランス人画家達は「エコール・フランセーズ」と呼ばれていたそうである)、「印象派」同様、今では良いイメージの言葉に変わっている。

初期のキスリングの絵は渋めの色を用いたものが多いのだが、パリでの生活によって色彩豊かな作風へと変わっていく。キュビズムの影響も受け取ったが、「ちょっとした試み」として取り入れただけのようだ。そうはいいながら、菱形をモチーフにした静物画と風景画が意図的に並べられており、構図と構造は参考にしているようである。

風景画と違い、人物画は正面から光を当てたような独特の輝きと眼のデフォルメが特徴である。眼は大きめで少女漫画のような描き方をされていて、輝きと憂いを宿す。当時、モンパルナスでアイドル的な人気を得ていた「モンパルナスのキキ」ことアリス・プランと親しくしていたキスリングはキキを題材にした裸婦画、その名もずばり「モンパルナスのキキ」も残している。キスリングの裸婦画は臀部を膨らませたような描き方をしているのが特徴である。1918年には南仏に長期滞在し、南仏を題材にした絵も描いている。

「モンパルナスのプリンス」「モンパルナスの帝王」と呼ばれるほどの成功を収めたキスリング。彼自身は「自分はユダヤ人ではなくてフランス人だ」と思っていたようである。フランスに帰化もした。だがナチスドイツが台頭するとキスリングは反ナチ的な発言によりドイツから死刑宣告を受けたこともあって、ドイツによるフランス侵攻が始まると亡命。マルセイユからポルトガルを経てアメリカに渡る。ニューヨークに居を構えるが、旧知のピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインに誘われハリウッドでも暮らしている。アメリカ時代に描いた「ミモザの花束」では花弁に使う絵の具をホイップ状に重ねることで立体感を出している。
南仏を代表する花であり、「不滅」という意味を持つミモザ。キスリングのフランスへの思いを表しているようだ。戦後フランスに戻ったキスリングは南仏サナリーにアトリエを構え、同地で没した。

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