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2020年9月15日 (火)

コンサートの記(654) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪クラシック2020第1公演 ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」@大阪市中央公会堂大集会室

2020年9月13日 中之島の大阪市中央公会堂大集会室にて

正午から中之島にある大阪市中央公会堂大集会室で、大阪クラシック2020の第1公演を聴く。大阪クラシックのプロデューサーである大植英次指揮する大阪フィルハーモニー交響楽団によるドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」の演奏である。

大フィルにとって「新世界」交響曲は特別な曲である。1947年、まだ焼け跡の残る大阪で、当時は関西交響楽団と名乗っていた大阪フィルハーモニー交響楽団(定期演奏会の数なども数え直しているため別団体の扱いではあるが)の第1回定期演奏会が朝日会館(現在のフェスティバルホールの向かい、フェスティバルタワーウエストの場所にあった)で行われたが、その最初の曲目が「新世界」であった。戦災からの復興を願い、「新たなる世界」への出発の意を込めた選曲だったと思われる。指揮は勿論、朝比奈隆であった。

新型コロナウイルスの流行による自粛などもあり、大阪も文化・経済活動に大きな打撃を被った。戦争でこそないが、危機からの再出発と音楽文化の隆盛への願いを込め、また大フィルの原点回帰として、最初の曲目に「新世界」交響曲が選ばれたのだと思われる。

 

今回の大阪クラシック2020では無料公演は行われないが(無料公演だとチケットなしになるため、聴衆の住所や行動ルートなどの追跡が一切不可能となってしまう)、代わりにYouTubeを使った無料配信が行われ、1ヶ月程度であるがアーカイブの視聴も可能となる(大阪クラシック2020のホームページからYouTubeチャンネルに飛べるようになっている)。

大阪市中央公会堂の実施設計を行ったのは、東京駅や日本銀行などを手掛けたことで知られる辰野金吾であるが、辰野は今から約100年前に日本を襲ったパンデミックであるスペインかぜに罹患して亡くなっている。
大阪クラシックの第1公演は基本的に大阪市中央公会堂大集会室で行われる。そのため今回のためにこの場所が選ばれたわけではないが、因縁を感じないでもない。

大集会室へは東側のゲートから入るのであるが、手のアルコール消毒と検温が必要となり、チケットの半券も自分でもぎって箱に入れる。強制ではないが、大阪府独自の追跡サービスにメールを送る形でのチェックインを行うことも推奨されている。

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「新世界」交響曲のラストは、「corona(フェルマータの別名)」「dim.(ディミヌエンド。徐々に弱く)」「ppp(ピアニッシモシモ。最弱より弱く)」という指示で終わるため、やはり「新世界」交響曲を演奏する京都市交響楽団の団員が、「これってひょっとして」というメッセージをTwitterで発していた。
私も自分の目で確かめたかったので、「新世界」交響曲のポケットスコアを買って(JEUGIA三条本店が改修工事中であったため、Amazonで取り寄せた)ラストのみならずあちこちを確認。今日もスコアを持ってきていたので、要所要所はスコアを確認しながら聴く。当然ながらスコアを見ながら聴くと、普段なら気がつかないところにも気がつくようになる。ただずっと眺めながら聴いていると「学問的鑑賞」になってしまうため、それは避けた。知だけでは駄目だ、というより知は怖ろしい。

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大が入る。ドイツ式の現代配置での演奏。古い建物の常として大阪市中央公会堂大集会室は傾斜が緩やかで、オーケストラのメンバーが良く見えなかったりするのだが、音が主役なのでそれは特に問題にはならない。

大植英次が現れ、指揮台に上って一礼。するとスタッフがアルコール消毒液を持ってきて、大植が自分でポンプを押して手を消毒するというパフォーマンスが行われ、笑い声が起こっていた。今日の大植はいつもに比べると抑えた指揮姿であり、なかなか格好いい。

 

どちらかというと流れて音楽を作るタイプの大植英次であるが、今日の「新世界」はじっくりとした歩みと堅牢なフォルムが目立つ演奏となる。演奏される機会が多く、「通俗名曲」と見做されることもあるこの曲を特別な作品として再現しようという意志があったのかも知れないが、印象に残る演奏であり、もしそういう意図があったとしたのなら大成功であったと思われる。

丁寧な造形美と確かな情熱を感じさせる演奏であり、ヘルベルト・ブロムシュテットの音楽性(私はブロムシュテット指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団による「新世界」をザ・シンフォニーホールで聴いたことがある)にやや仄暗さを加えたような「新世界」となる。

第2楽章では冒頭のトロンボーンがややずれたが、全体としては瑞々しい出来であり、コロナ前の大阪のクラシックシーンを回顧するような趣もあるが、むしろここはこれからの大阪への希望と捉えた方が良いのかも知れない。ノスタルジアに浸るのも良いだろうが、大阪の音楽界が終わったわけではない。20世紀には色々と叩かれることの多かった日本人によるクラシック音楽演奏であるが、ようやく世界水準に達した。日本におけるクラシック音楽の歴史がたかだか150年程度であることを考えると長足の進歩なのだが、まだまだこれからなのだ。過去よりも未来である。

新しい力がふつふつと湧き上がるような第3楽章を経て、第4楽章へ。ここで大植はかなり遅いテンポを採用。勢い任せな演奏になりがちな第4楽章であるが、音をかなり伸ばすことで、ジョン・ウィリアムズの「JAWS」の音楽のような不穏さを出す。そこから加速して盛り上がるが、皮相さはゼロ。明日への思いに満ちた誠実な演奏となる。大フィルも熱演だ。
ラストもコロナ収束への思いというよりも更に先の未来への期待を込めたかのような朝比奈にも繋がる終わり方であり、それまでの渋さから解き放たれたかのような明るめの音色と浮遊感が印象的であった。

 

演奏終了後、大植英次がマイクを手にスピーチを行う。ここで飛沫防止のためのシートを支柱で挟んだ特製器具が登場する。今日のために作ったものだと思われる。大植は、こんな状況であっても大阪クラシックが開催出来たことへの感謝を述べるが、「その原動力となったのは大阪市民の皆さんの熱意です」と語る。「どうしても大阪クラシックをやって欲しい」という声が多く、大植も心動かされたそうだ。大植は「健康にだけは気をつけて下さい」とも語る。

アンコール演奏のための楽団員がステージに姿を現しており、当然ながらアンコール演奏が行われると思われたのだが、大植は引っ込んでしまい、大フィルのメンバーも「あれ?」という表情で顔を見合わせている。大植は再度登場して、「終わりです」というポーズをし、大フィルのメンバーも「アンコールなしになったのかな?」ということでコンサートマスターの崔文洙もお辞儀をしたのだが、やはりアンコール演奏はあり、大植が完全に失念していたことが分かった。大植は指揮台に戻り、「年取ったのかな?」などと述べる。

 

アンコール曲は、ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ「観光列車」。ドヴォルザークが大の鉄道好きであったことから、その関連で選ばれた曲だと思われる。軽快でユーモアに富んだ音楽と演奏だ。こうした演奏を聴くと大フィルもかなり器用な楽団になったことが確認される。大阪市中央公会堂大集会室の「大大阪時代」の名残を留めるレトロでお洒落な内装もヨハン・シュトラウスⅡ世にピッタリであり、「ある意味、今年が音楽のニューイヤー」という気分にもなる。

 

その後も、大阪市中央公会堂の中集会室や大集会室で今年生誕250年を迎えたベートーヴェンの室内楽曲の演奏会があるのだが、間が空いてしまうということもあってチケットは取っておらず、周辺の美術館などに寄ろうかなどとも考えていたがそのまま京都に帰ることにする。演奏会場よりも電車にいる時間の方が長くなるが、それでも十分に思えるほど「新世界」交響曲の演奏は良かった。淀屋橋駅の京阪ジューサーバーで和梨の生搾りジュースを飲み、大阪を後にする。

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