観劇感想精選(357) 「野村万作・野村萬斎 狂言公演」@びわ湖ホール2020
2020年10月4日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール中ホールにて観劇
びわ湖ホール中ホールで午後5時から「野村万作・野村萬斎 狂言公演」を観る。
本来は、今年の3月にびわ湖ホールで行われるはずの公演だったのだが、コロナ禍で中止となり、半年ちょっとの時を経て公演に漕ぎ着けた。3月公演のチケットは全て払い戻しとなり、前後左右1席ずつ空けたソーシャルディスタンス対応版のチケットが新たに発売された。ステージに近い3列は空席となっている。入場時に人が集中するのを避けるため、通常は開演30分前開場となるところを開演1時間前開場と30分前倒しにしていた。クラシック音楽のコンサート、特にオーケストラの公演は「開場は開演の1時間前」であることが多いため、特に違和感は覚えなかった。
今日は午後1時からと午後5時からの2回公演であるが、午後5時からの公演は残念ながら入りは今ひとつ。隣の大ホールでは日本センチュリー交響楽団がコンサートを行うなど、通常時に近い稼働を行っているびわ湖ホールであるが、コロナの影響もあって人は余り多くないという印象を受ける。
野村万作、野村萬斎、野村裕基の三代が3つの演目で主役を務めるという舞台。これまでも三代の共演は観たことがあるが、同じ演目で共演することなく単独で主演という形は初めてだと思われる。
演目は、「蚊相撲」(出演:野村裕基、内藤連、深田博治)、「謀生種(ぼうじょうのたね)」(出演:野村万作、野村太一郎)、「六地蔵」(出演:野村萬斎、高野和憲、中村修一、飯田豪、石田淡朗)。
上演が始まる前に、高野和憲が登場して、狂言と演目の解説を行う。狂言はセットなどを用いないため、全てセリフで語るのだが、暗黙のルールがあるため、「約束事の演劇」とも呼ばれているという話をする。
日本中どこでも、あるいは海外でも「この辺りの者でござる」と自己紹介する人物が登場し、庶民が主人公になることが多い舞台である。中世において庶民が主人公になる演劇は世界的に見てもかなり珍しい。
高野は、「冗談もあります」と言って、「木に二羽の鳥が止まっている。カラスとスズメだが、この二羽は親子である。カラスが『コカー』と鳴き、スズメが『チチ』と応える。これで笑えないと狂言は楽しめません」と語っていた。説明するまでもないことだが、カラスの鳴き声が「子か」、スズメの鳴き声が「父」という風に聞こえるという話である。そのほか、道行きの話をして、「なんだあいつ、同じところグルグルして馬鹿じゃないの? という人には狂言は無理です」と語っていた。
その後、演目の解説。「蚊相撲」と「謀生種」には滋賀県の話が登場する。「蚊相撲」には蚊の精が登場するのだが、江州(近江国)守山からやってきたという設定である。「守山は蚊どころ(蚊の名所)」というセリフもある。往時の守山は湿地帯であり、蚊が多いことで知られていたようである。
「謀生種」にも琵琶湖の話が出てくる。更に滋賀県人にはお馴染みの名所も例えとして登場する。
「六地蔵」は、京都を舞台にした話だが、京都市伏見区と宇治市一帯にある六地蔵地区とは関係がない。すっぱを題材にしたお話である。
高野は、「人生に悩んでいる人が狂言を観ても何も変わりません」と語る。「失敗する人ばかり出てくる」からだが、「昨日も失敗、今日も失敗、明日も失敗で生きていくのが人間であり、みんな一緒」と思えたなら少しは勇気づけられるかも知れない。
「蚊相撲」。大名(演じるのは野村裕基。いわゆる守護大名や戦国大名などとは違い、その土地の有力者という程度の意味)が、新たな家来を雇おうという話を太郎冠者(内藤連)としている。狂言では身分の高い人(余り出てこないが)は最初から前の方に出てくるという約束があり、大名も目一杯前に出て自己紹介を行う。今、家来は太郎冠者一人であり、太郎冠者も新たな家臣を雇えば楽が出来るというので賛成する。最初は8000人の家来を雇いたいという無茶をいう大名であったが、太郎冠者に「家が確保出来ない」と反対され、200名に下げたが「食事の面倒が見られない」ということで、太郎冠者と合わせて2人、つまり新規採用1人となった。
太郎冠者は往来に出て、めぼしい人材がいないか目をこらす。スカウトを行う訳である。そこへ、「都へ上って人々の血を吸おう」と企んでいる蚊の精(深田博治)が通りかかる。蚊の精が気になった太郎冠者は正体を知らずに話し掛ける。蚊の精が「自分は万能だ」という意味の話をしたため、太郎冠者は採用を決め、蚊の精を屋敷に連れ帰る。
蚊の精が一番得意とするのは、「やっとまいった」=「相撲」である。大名は蚊の精に相撲の腕を見せて欲しいというのだが、一人では相撲は出来ない。そこで大名が相手をすることになるのだが、相撲の最中に蚊の精は正体を現す。最初の取り組みを終えて相手の正体を見破った大名は団扇を隠し持ち、蚊の精を嬲り始めるのだが……。
蚊の精の鳴き声が結構可愛らしく、ユーモラスである。狂言には獣の精に取り憑かれるという話がいくつかあるのだが、これもその系統に入る。
まだ若い野村裕基だが、立ち姿は美しく、堂々とした振る舞いが板に付いている。
「謀生種」は和泉流の専有曲であり、嘘つきの話である。主人公である甥(野村太一郎)には山一つあなたに住む伯父(野村万作)がいるのだが、この伯父が法螺話を得意としており、甥が勝負を挑んでもいつも打ち負かされてしまう。甥は予め作り話を考えておき、伯父の上を行こうとするのだが……。
富士山に紙袋を着せる話、琵琶湖で茶を沸かす話(茶の葉を取り寄せて練り、三上山ぐらいの大きさまで練り上げて琵琶湖に投じたという話が出てくる)、本州から首を伸ばして淡路島の草を食う牛の話などが出てくる。壮大すぎる話だが、日本人の多くが知っている名所を題材としているため、荒唐無稽ではあるがイメージは出来てしまうというのが特徴である。ちなみにオチはない。
「六地蔵」。とある田舎者(高野和憲)が、六地蔵を堂宇に安置しようと計画。地蔵堂は建てたのだが、田舎であるため仏師がおらず資源もない。ということで都まで仏師を探しに出掛ける。だが、仏師が京都のどこにいるのかも調べずに来てしまったため、都大路をウロウロする羽目になる。それを見ていたいかにも悪そうな顔のすっぱ(野村萬斎)が田舎者と見抜き、騙すことを思いつく。
田舎者が「仏師を探している」と言うと、すっぱは、「その真仏師(まぶっし)だ」と名乗る。田舎者は「マムシ」と聞き違えて震え上がるが、すっぱは「真の仏師で真仏師だ」と説明する。すっぱは当然ながら仏像とは縁がなく、「楊枝一つ削ったことがない」のだが、六地蔵を彫ろうという約束をする。最初は3年3月90日(この辺の数え方の意味はよくわからない)かかるといっていたのだが、弟子達に分業体制で行わせ、完成した各々の部分を膠で固めたら1日で六地蔵が完成すると説明する。そして大金を吹っ掛けるが、明日までに六地蔵を完成させられる仏師は他にいそうにないので田舎者も話を飲む。
さて、すっぱは、仲間3人(中村修一、飯田豪、石田淡朗)を呼び、各自が地蔵に化けるという提案を行う。3体にしかならないので、すっぱ仲間の一人がもう3人呼んでこようとするが、提案を行ったすっぱは、「分け前が減る」ということで、3体ずつ別々にあるところを見せて田舎者を騙そうと企む。三条通の大黒屋に金が振り込まれ、因幡薬師(平等寺)の北側の本堂(北側の寺院の本堂という意味だろうか。往時の因幡薬師は参拝者が多いので因幡薬師内という訳ではないと思われる)を待ち合わせ場所とする。早めに因幡薬師の北側に着いたすっぱとその仲間は法具などを手にした地蔵に化けようとするのだが、無教養の者が多いため、何をすればいいのかわからない。ということでこの場面の野村萬斎はスパルタ教官と化す。
本堂のすっぱ達が化けた地蔵を見て感心する田舎者であったが、六地蔵なのに3体しかないとやはり言い出す。すっぱは「残りの3体は置き場所がないので鐘楼堂に安置した」と説明し、鐘楼堂に先回りして田舎者を騙すことにいったんは成功したのだが……。
特にひねりはないため、意外性には欠けるのだが、舞台と橋掛かりの間を何度も行き来するためダイナミックかつ賑やかで、華のある狂言となっていた。
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