コンサートの記(659) 小林研一郎指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第396回定期演奏会 「わが祖国」全曲
2006年3月16日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて
大阪へ。ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第396回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は大阪フィルを振るのは9年ぶりになるという小林研一郎(愛称:コバケン)である。
コバケンの演奏会には東京にいる時は良く出かけたが、考えてみれば、私がコバケンの指揮を見るのも7、8年ぶりだ。
演目はスメタナの連作交響詩「わが祖国」全曲。
「わが祖国」は名曲ではあるが、聴き通すには集中力がいる。CDも何枚か持っているが、いずれも聴き通すには覚悟がいる。気楽に聴ける曲ではないし、気楽に聴くと面白くない曲でもある。
コンサートなら自ずと集中せざるを得ないから、この曲の真価を堪能するにはやはりライヴということになる。
「わが祖国」のコンサートでは、チェコ人のイルジー(イエジー)・コウトが指揮したNHK交響楽団の演奏が二つの意味で印象に残っている。一つは勿論、演奏の素晴らしさだが、もう一つはNHKホールの3階席上部を占拠した修学旅行生のマナーの悪さ。しかし、最初に接したコンサートが「わが祖国」だったりしたら、「もう一生、クラシックなんて聴くものか」と思う生徒が大半を占めてしまうのではないだろうか。長い上に、「モルダウ」を除いてはポピュラリティーに欠ける。芸術性の高い曲だが、ごく一般的な中高生に芸術性なんてわかるはずがない。というわけで、これは教師のミスだろう。そもそも教師も「わが祖国」がどのような曲か知らなかった可能性も高い。こうして日本の音楽教育は音楽嫌いを増やすことになっていくのかも知れない。
思い出はこれぐらいにして、今日の演奏の出来は文句なしである。この間演奏を聴いた下野さんにも佐渡さんにも悪いけれど、やはり現時点では二人ともコバケンさんの敵ではない。
コバケンさんは視覚的にも面白い指揮者である。「炎のコバケン」の異名の通り、情熱の噴出する指揮ぶり。しかし大袈裟というほどでもない。指揮棒を持った右手のみで指揮する場面も多く、左手は要所要所で用いていたが、以前もこのような指揮だっただろうか? 記憶では右手も左手も同程度用いていた気がする。指揮が変わったのか、あるいは曲目からか。
大阪フィルは非常に良く鳴る。下野竜也の指揮でも良く鳴っていたが、比較にならない。
今日はポディウム席で聴いていたが、音に問題はなし。ザ・シンフォニーホールは舞台背後の席も音が良い。
コバケンさんは指揮者として芽が出るのが遅かったからか、謙虚なところがあり、一曲ごとに指揮台から降りて、オーケストラに向かって一礼してから振り始める。普通はそういうことをするとオーケストラに舐められるのであるが、コバケンさんは音楽がしっかりしているからか、逆に好感を持たれているようだ。
「モルダウ」の終結部、二つの和音が鳴る直前のピアニッシモのところで何故か拍手が起こり、会場が白けてしまったのが残念だが(白熱した演奏なので曲が終わってから拍手が起こるのなら自然だったと思う。しかしこんな有名な曲でフライング拍手をしないで欲しい。曲が終わってから拍手するつもりだった人が白けて熱心に拍手できなかったのがわかった)、前半はオーケストラをものの見事にドライブした快演であった。コバケンさんは唸り声も凄いので、それが気になった人もいるだろうが。
「わが祖国」はタイム的には全6曲を通して演奏してもCD1枚に収まる程度なのだが、やはり演奏者も聴衆も集中力が持たないので、3曲目の「シャールカ」と4曲目の「ボヘミアの森と草原から」の合間に休憩が入る。
休憩時間に、「何だあの拍手は」と話題にする人が多い。
後半も快調、「ボヘミアの森と草原から」の悠揚たる迫力に圧倒され、「ターボル」の間をしっかり取った緊張感溢れる演奏に息を呑む。
ラストの「ブラーニク」には私の好きなオーボエソロがあるのだが、オーボエの音がスムーズに出ない。どうやらリード作りに失敗したようである。オーボエソロの美しさが堪能出来なかったのは残念だが、阿修羅と不動明王に毘沙門天が取り憑いたかのような、恐ろしくなるほどスリリングな演奏であった。終演後、いつも以上に会場が沸く。
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