コンサートの記(670) チェコ国立ブルノ歌劇場 「ドラマティック・アマデウス」2006@ザ・シンフォニーホール リムスキー=コルサコフ 歌劇「モーツァルトとサリエリ」(ステージ・オペラ形式)ほか
2006年7月28日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて
大阪のザ・シンフォニーホールで行われる、チェコ国立ブルノ歌劇場の来日公演「ドラマティック・アマデウス」に出かける。
「ドラマティック・アマデウス」は、日本側の企画により、ブルノ歌劇場が取り組むモーツァルト生誕250周年企画公演であり、モーツァルトが11歳の時にブルノに滞在したことにちなみ、11歳のピアニスト、ヤン・フォイテクをソリストにした、ピアノ協奏曲第23番第1楽章とピアノ・ソナタ第11番より第3楽章「トルコ行進曲」の演奏があり、それからリムスキー=コルサコフの歌劇「モーツァルトとサリエリ」(ステージ・オペラ形式)、モーツァルトの絶筆となった「レクイエム(死者のためのミサ曲)」(ジュースマイヤー版)が演奏される。
ブルノ国立歌劇場はヤナーチェク劇場(大劇場)、マヘン劇場(中劇場)、レドゥダ劇場(小劇場)の総称で、特にレドゥダ劇場は、11歳のモーツァルトが演奏会を開いたり、ブルノが生んだ作曲家、レオシュ・ヤナーチェクが学生時代に足繁くコンサートに通ったという由緒ある劇場だそうである。
今回はオーケストラは室内オーケストラ編成での演奏となる。指揮はピアノ協奏曲第23番第1楽章と「レクイエム」がヤン・シュティフ、「モーツァルトとサリエリ」をパヴェル・シュナイドゥルが担当する。
一番の目当ては、リムスキー=コルサコフの歌劇「モーツァルトとサリエリ」で、ピーター・シェーファーの「アマデウス」の元ネタの一つとして名高いが、上演は滅多にされないというこのオペラの実演に接するのが目的だ。
ピアノ協奏曲第23番第1楽章と「トルコ行進曲」のピアノ演奏を担当するヤン・フォイテクは1995年生まれで、2002年から2004年まで3年連続でブルノ・アマデウス国際コンクールで優勝を収めた神童だそうだ(1回優勝すれば良いのに、何で3年も連続で出て、しかも優勝を攫う必要があるのかは良くわからない)。その他にもプラハ・ジュニアノートやリトアニアでのコンクールでも優勝しているという。
イベントなので、フォイテクはモーツァルト時代の格好で登場。発想が京都市立×大の自主公演並みだが、まあ許そう。
いくら神童とはいえ、まだ11歳なので、時に指がもつれそうになったり、強弱が大袈裟だったりするが、まあまあ良くは弾けている。
ブルノ歌劇場管弦楽団は、音に潤いがなく、室内オーケストラとしての透明感も生きていない。多分、余り良い楽器を使っていないのだと思われる。
リムスキー=コルサコフの歌劇「モーツァルトとサリエリ」はプーシキンの同名戯曲をリムスキー=コルサコフ自身がオペラ用に台本を書き換えて作曲したもので、全2幕、上演時間約50分の短編である。原作通り、サリエリの長大なモノローグを中心に構成されており、心理劇の要素が強い。ただアリアやオーケストラのメロディーはあまり魅力的とは思えない。
ピーター・シェーファーの「アマデウス」と違うところは、サリエリもまた天才として描かれ、モーツァルトとの仲がとても良いこと。史実でもモーツァルトとサリエリは仲が良かったようで、互いに互いの作品を高く評価している。
サリエリは、当時のウィーンの宮廷楽長であり、ベートーヴェン、シューベルト、リストという錚々たる作曲家の師としても知られ、モーツァルトの四男で音楽家になったフランツ・クサヴァー・モーツァルト(フランツ・クサヴァーという名は、モーツァルトの弟子であるフランツ・クサヴァー・ジュースマイヤーと同一であることから後に様々な憶測を呼ぶことになる)の作曲の師でもあった。サリエリは作曲家として大変な尊敬を集めており、後年には、「私があれほど活躍しなかったら、モーツァルトももっと売れただろうに」というちょっと傲慢な言葉を残していたりもする。
プーシキンの「モーツァルトとサリエリ」は、サリエリが死の直前(1825年)に「私がモーツァルトを毒殺した」と口走ったとされるスキャンダルに題材をとり、1830年に書かれた戯曲である。誠実な音楽家達でなく、人間としては俗物この上ないモーツァルトに神が作曲家として最高の才能を授けたことに嫉妬するサリエリの姿を描いたものだ。
これをオペラ化したリムスキー=コルサコフの「モーツァルトとサリエリ」の初演は1898年12月7日にモスクワで行われ、サリエリ役にシャリアーピン(シャリアーピン・ステーキにもその名を残す伝説的バス歌手)、舞台裏のピアノ演奏をラフマニノフが担当するなど豪華な顔ぶれであったという。
今回はステージ上でオーケストラが演奏し、その横に簡素なセットを置いて、衣装を着た歌手が演技するという「ステージ・オペラ形式」での上演(東京ではオーケストラがピットに入り、バレエ団なども加えた「グランド・オペラ形式」での上演も行われたという)。
指揮は私より1歳年下(1975年生まれ)のパヴェル・シュナイドゥルが担当。31歳なんて指揮者としてはまだ駆け出しの年齢であるが、音楽的な問題は特にない。
リムスキー=コルサコフはオーケストレーションの名手として知られるが、この作品は地味だ。オーケストラの音色も地味であり、プラスには作用していない。
サリエリ役は、シベリアのノヴォシビルスク出身のベテラン、ユリィ・ゴルブノフ。経験豊かだけに歌、演技ともに安定している。
モーツァルトを演じるのはゾルターン・コルダ。このオペラではモーツァルトは脇役なので余り見せ場がないが、まずまずの出来だ。
劇中、モーツァルトがピアノを弾くシーンがある。実際のピアノの音は舞台裏で奏でられるのだが、モーツァルト役のコルダの手元を見ると、コルダも実際はピアノが弾けるようで(実はピアノが弾けない音楽家というのは意外に多い)、鍵盤をなぞる動きは正確であった。
ベテランのヤン・シュティフが指揮した「レクイエム」K.626(ジュースマイヤー補作完成版)は、シュティフのスッキリした音作りが印象的な好演であった。
ソリストは、ソプラノとバスがベテラン、アルトとテノールが若手という布陣。テノールのリハルド・サメクは1978年生まれのまだ20代の歌手。アルトのヤナ・シュテファーチコヴァーも年齢は書かれていないが若いと思われる(30歳前後だろうか。少なくとも30代後半までは行っていないと思われる。ちなみにかなりの美人だ)。
合唱、ソリストともにレベルはそこそこ高い。
終演後、客席からは「まあ、こんなもんだろう」という感じの拍手があり、ステージ上も「まあ、こんなもんだ」という風にそれに応えていた。
一流の演奏会とは言えないだろうが、一流ではない演奏も落ち着いた趣があってまた良しである。
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