コンサートの記(669) 下野竜也指揮広島交響楽団第405回プレミアム定期演奏会「“讃”平和を讃えて」大阪公演
2020年11月15日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて
午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、広島交響楽団第405回プレミアム定期演奏会大阪公演「“讃”平和を讃えて」を聴く。指揮は広島交響楽団音楽総監督の下野竜也。
曲目は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ独奏:小山実稚恵)とブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」(1878/80年稿に基づくハース版)。
鹿児島市出身で、地元の国立、鹿児島大学教育学部音楽科と東京の桐朋学園大学音楽学部附属指揮教室に学んだが下野竜也だが、指揮者としてのキャリアは大阪フィルハーモニー交響楽団指揮研究員として第一歩を踏み出しており、下野にとって大阪は特別な場所である。広島交響楽団の音楽総監督に就任する際にもザ・シンフォニーホールで特別演奏会を開いたが、今年は第405回の定期演奏会を広島と大阪で行うことになった。
コンサートマスターは、佐久間聡一。ドイツ式の現代配置での演奏である。チェロ首席は京都市交響楽団への客演も多いマーティン・スタンツェライト。京都市交響楽団からはトランペットの稲垣路子が参加している。
広島交響楽団の演奏を生で聴くのは4回目。広島で広上淳一指揮の定期演奏会を聴き、更に細川俊夫作曲のオペラ「班女」も川瀬賢太郎の指揮で聴いている。大阪では、ブルックナーの交響曲第8番1曲勝負となった下野竜也音楽総監督就任記念演奏会に接し、そして今回である。
広島は中国・四国地方の中心都市であるが、ここ数年は交通的には更なる要衝である岡山市が重要度を増している。岡山にはクラシック音楽専用ホールである岡山シンフォニーホールがあり、日本オーケストラ連盟準会員である岡山フィルハーモック管弦楽団が本拠地としてる。更に2023年夏のオープンを目指して新しい市民会館、岡山芸術創造劇場の建設工事が進んでいる。
一方、広島市内にあるホールは全て多目的で、音響面で優れたホールは一つもなく、この点で岡山に大きく遅れを取っていたが、旧広島市民球場跡地の東側に音楽専用ホールを建設する計画があり、広島音楽界の一層の充実が期待される。
広島交響楽団は、中国・四国地方唯一の日本オーケストラ連盟正会員の団体である。1963年に広島市民交響楽団として発足。これまでに渡邉暁雄、高関健、田中良和、十束尚宏、秋山和慶が音楽監督を務めているが、特に秋山和慶とは1998年に首席指揮者兼ミュージックアドバイザー就任以降(2004年から音楽監督に昇格)、20年近くに渡ってコンビを組み、広島東洋カープのために作曲されたカープ・シンフォニーを出演者全員がカープのユニフォームを着て演奏するなど良好な関係を築き続けてきた。
現在のシェフである下野竜也は、日本のオーケストラとしては余り例のない音楽総監督という肩書きで迎えられており、期待の高さが窺われる。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。本来は、ゲルハルト・オピッツがソリストとして登場する予定だったが、新型コロナ流行による外国人入国規制で来日不可となり、小山実稚恵が代役を務める。
ヴィルトゥオーゾピアニストとして名声を高めてきた小山実稚恵だが、今日は煌びやかな音色と抜群のメカニックを生かしつつ、まさに今の季節の空のように高く澄んだ演奏を展開する。希望と平和への希求と喜びに溢れ、ベートーヴェンが示した「憧れを忘れぬ心」を描き出していく。世界的な危機に直面している現在であるが、ベートーヴェンの志の高さに励まされる思いだ。
情熱的な演奏を行う傾向のある小山であるが、第1楽章と第2楽章は音色とリリシズム重視。第3楽章ではクリアな音色で強烈な喜びを歌い上げる。
広島交響楽団であるが、音の洗練度に関しては関西のオーケストラに一歩譲るようである。所々を除いてピリオドの要素は入れないモダンスタイル基調の演奏であったが、金管は緊張があったのか、安全運転気味で本来の力を発揮出来ていないように感じられた。
小山のアンコール演奏は、「エリーゼのために」。
本音を隠したまま思慕の念を語るような大人の演奏であり、当然ではあるが、ピアノの発表会で演奏されるような「エリーゼのために」とは趣が大きく異なる。広がりや夢想と同時に苦味も感じられる演奏であり、悲恋の予感に満ちた音楽のような、「エリーゼのために」の別の顔が垣間見える。
ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」。
ブルックナーの交響曲の中では異色の部類に入る曲であり、物語性が豊かである。そのため、ブルックナー指揮者が取り上げると面白さがなくなり、ブルックナーをそれほど得意としていない指揮者がなかなかの名演を残すなど、出来が読めない曲である。
これまでブルックナーの初期の交響曲で名演を聴かせている一方で、交響曲第7番、第8番、第9番の後期三大交響曲は今ひとつと、ブルックナーをものに出来ないでいる下野。資質的にはブルックナーの交響曲によく合うものを持っているはずだが、単純にまだ若いということなのだろうか。ブルックナーの後期三大交響曲は老年に達してから名演を展開するようになる指揮者も多いため、今後に期待したい。
さて、そんな下野の「ロマンティック」であるが、これはもう日本で聴ける最高レベルの「ロマンティック」と評しても大袈裟でないほどの快演となった。
弦によるブルックナースタートから立体感があり、雰囲気豊かで、夜明けを告げるホルンの詩情、弦楽器の瑞々しさなど、どれも最高水準である。オーケストラが京都市交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団だったら技術面では更に素晴らしいのかも知れないが、広島交響楽団も大健闘。強弱の自在感などは下野の手兵だから生み出せる味わいであり、指揮者とオーケストラとが一体となった幸福な音楽が、ホールを満たしていく。
広響のブラス陣はかなり屈強だが、下野の巧みなバランス感覚とコントロールにより、うるさくは響かない。
第2楽章の寂寥感、第3楽章の騎行なども描写力に優れ、高原の清々しい空気まで薫ってくるかのようである。
第4楽章は曲調がめまぐるしく変わるが、下野は明快な指揮棒により、場面場面と強弱を巧みに描き分け、大伽藍の頂点へと向かっていく。
ブルックナー指揮者としての素質の高さは誰もが認める下野であるが、今この瞬間に開花を迎えたようだ。そういう意味でもとても喜ばしい演奏会であった。
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