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2020年11月25日 (水)

観劇感想精選(368) 野田秀樹潤色 シルヴィウ・プルカレーテ演出「真夏の夜の夢」

2020年11月20日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時30分から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、野田秀樹潤色による「真夏の夜の夢」を観る。シェイクスピアの書いた喜劇の中で最も有名な同名作を野田秀樹が自由に作り替えた作品の上演で、初演は1992年、野田秀樹本人の演出によって行われている。野田秀樹のシェイクスピア作品潤色作品には他にも「リチャード三世」を原作とする「三代目、りちゃあど」などがあり、また「贋作・罪と罰」、「贋作・桜の森の満開の下」といった一連の「贋作」ものにも繋がっている。

一応、白水社から出ている小田島雄志翻訳のテキストの潤色と表記されているが、実際にはストーリーの骨子以外は大きく変わっており、舞台が日本に置き換えられている他、シェイクスピア作品よりも後の時代の海外文学(『ファウスト』や『不思議の国のアリス』)などが加わるなど、悪い言い方をすると雑多な内容となっている。

演出は、佐々木蔵之介主演の「リチャード三世」などを手掛けたシルヴィウ・プルカレーテ。舞台美術・照明・衣装:ドラゴッシュ・ブハジャール、音楽:ヴァシル・シリー、映像:アンドラシュ・ランチ。全員、ルーマニアの出身である。

新型コロナウィルス流行で、外国人入国規制が続いていたため、ルーマニア勢はなかなか入国の許可が下りず、当初は遠隔による稽古が行われていたが、9月末になってようやくプルカレーテとブハジャールの2人に入国許可が下り、2週間の隔離経過観察を経て、舞台稽古に合流したという。

出演は、鈴木杏、北乃きい、今井朋彦、加藤諒、加治将樹、矢崎広、手塚とおる、壌晴彦(じょう・はるひこ)、長谷川朝晴、山中崇、河内大和(こうち・やまと)、土屋佑壱、浜田学、茂手木桜子、八木光太郎、吉田朋弘、阿南健治、朝倉伸二。

 

溶暗の中、虫と獣の鳴き声が聞こえ、やがてリコーダーの旋律が聞こえ始める。上手から下手へと、ベルトコンベアに乗って靴が流れ、上手から現れた、そぼろ(原作のヘレナに相当。鈴木杏)が森の不思議について語る。不思議な出来事は気のせいではなく、木の精によるものだと宣言したところで、紗幕が透け、「割烹料理ハナキン」の場面となる。野田秀樹潤色による「真夏の夜の夢」が初演されたのは1992年で、バブルの崩壊が始まったばかりであるが、「ハナキン」という店名が、いかにもバブルといった感じである。

ハナキンの主人(阿南健治。原作のイージーアスに相当)と、娘のときたまご(原作のハーミアに相当。北乃きい)との親子喧嘩が始まっている、ハナキンの主人は包丁を振り上げて、「お前を殺して俺も死ぬ」と啖呵を切る。ハナキンの主人は、ときたまごを板前デミ(原作のディミートリアスに相当。加治将樹)と結婚させるつもりだったのだが、ときたまごは密かに板前ライ(原作のライサンダーに相当。矢崎広)と恋仲になっており、父親が決めた婚礼を拒否したのだ。
ときたまごは、板前デミと共に富士山の麓にある森(おそらく青木ヶ原樹海は意識されていると思われる)へと駆け落ちすることに決める。

実は、板前デミは、以前はそぼろに夢中で、熱心なラブレターなども送っており、そぼろもそぼろで板前デミに思いを寄せていて相思相愛であったのだが、今では板前デミのそぼろに対する熱はすっかり冷めてしまい、まだ思いを捨て切れていないそぼろをゴミか何かのように邪険に扱う。

一方、妖精の森では、妖精の王であるオーベロン(壌晴彦)と王妃であるタイテーニア(加藤諒)が喧嘩の真っ只中である。拾ってきた子どもを取り合ったのが原因だ(なお、かなり長い名前の子どもであり、言い終わるとなぜかインド風のBGMが流れる)。オーベロンは、妖精パック(手塚とおる)を使い、秘薬を用いた悪戯を仕掛ける……。

兵庫県立芸術文化センター(Hyogo Performing Arts Center)の愛称がPACであり、座付きオーケストラである兵庫芸術文化センター管弦楽団の愛称もPACオーケストラである。兵庫芸術文化センター管弦楽団は発足時に、PACが「真夏の夜の夢」のパックに由来することを明記している。私が兵庫県立芸術文化センターで「真夏の夜の夢」を観るのは今回が初めてとなるが、内容がシェイクスピアの「真夏の夜の夢」とは大きく異なるため、本当の意味でのPACでの「真夏の夜の夢」体験は今後に持ち越しとなりそうである。

悪戯好きの妖精、パックが大活躍する「真夏の夜の夢」であるが、野田秀樹潤色の「真夏の夜の夢」では、今井朋彦演じるメフィストがパックの役割をパクり、各々のアイデンティティの崩壊をもてあそぶというダークな展開を生み出す。

人間の持つ不気味さや醜さを炙り出すスタイルであるプルカレーテの演出であるが、野田秀樹の本との相性は余り良くないように思われる。ヴァシル・シリーもおどろおどろしい音楽を作曲していたが、登場人物のセリフと合致していないように感じられる場面も多い。例えるなら落語をホラーにしたようなちぐはぐな印象である。「カノン」などに顕著だが、おどろおどろしい場面を逆に美しく描くのが野田作品の特徴である。
タイテーニアが異形のものに恋する場面も、不用意に不気味にしてしまった印象を受ける。あそこは、シェイクスピアの原作もそうだが、野田の本でもおそらく笑いを取る場所だったと思うのだが。

誰も知らない「知られざる森」は、その場所に行ったことはあっても森を出る頃には忘れてしまう場所だそうで、無意識領域を描いているようでもある。また、言葉に出来なかったこと、しなかったことなどが話の中心となる場面があり、表に出されなかった言葉が形作る世界が語られている(この辺は夢というものの役割をも語っているようでもある)。そこに溜まった感情を顕在化させるという契約をメフィストは言葉を使わない方法で結んでいた。そもそもメフィストは、ある人物の「影」の部分に導かれて登場したことが明らかにされている。
やがて憎悪が森を焼き尽くそうとするのだが、「物語」がそれを救うことになる。更生を重視する刑務所に取材したドキュメンタリー映画「プリズン・サークル」でも物語が語られる場面が冒頭に置かれているが、世界を見つめる視点を持つために、物語は極めて有効且つ重要だ。

今井朋彦演じるメフィスト。好演だったが、本来はもっと飄々とした人物として設定されていたように思う。そうでないと整合性が取れない場面がある。

アンドラシュ・ランチの映像を巨大な戸板風の壁に投影する演出は、華麗で分かりやすくもあるのだが、映像を使った演出が往々にしてそうなるように映像頼りになってしまう部分も多い。ある意味、映像の方が舞台上の俳優よりも効果的に使われてしまうため、生身の人間が舞台上にいることで生まれる価値が薄くなるようにも思われてしまう。おそらく予期していたわけではないと思うが、そうした映像の使い方がメフィスト的であると言えば言える。映像に魂を売ったように見えなくもないからだ。

今や日本を代表する舞台女優となった鈴木杏のバレエの動きを取り入れたエネルギッシュな演技が魅力的。コンスタントにというわけではないが舞台に出続けている北乃きいの可憐さも良かった。
この劇では、いいところはみんなメフィストに持って行かれてしまうパックであるが、それでも手塚とおるは存在感を出せていたように思う。

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