美術回廊(59) 京都国立博物館 御即位記念特別展「皇室の名宝」
2020年11月11日 東山七条の京都国立博物館にて
京都国立博物館で行われている御即位記念特別展「皇室の名宝」を観る。密を避けるため、インターネットで事前予約を行う必要がある。基本的にスマートフォンを利用するもので、必要な情報を入力するとメールが送られてきて、記載されたURLをタップすると表示されるQRコードがチケットの代わりとなる。パソコンで申し込んだ場合は届いたメールをスマートフォンへと転送することで処理するようだ。
朝方、たまたまNHKで、「皇室の名宝」が取り上げられているのを見た。レポーターは、京都幕末祭でご一緒したこともある泉ゆうこさん。特別ゲストとして中村七之助が登場する。七之助は来年正月2日に放送される新春時代劇で伊藤若冲を演じるそうで、番宣も兼ねての登場であった。
皇居三の丸にある宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の名品を中心とした展覧会である。1993年に完成した三の丸尚蔵館所蔵の名宝が京都で展示されるのはこれが初めてとなるそうだ。
第一章「皇室につどう書画 三の丸尚蔵館の名宝」は、タイトル通り、書画が並ぶ。西行の書状や、藤原定家が写した「更級日記」、八条宮智仁親王の筆による古歌屏風などが展示されている。桂離宮を造営したことで知られる八条宮智仁親王は、ある意味、この展覧会のキーパーソンともいうべき人物で、彼が関わった様々な名宝が展示されている。
八条宮智仁(はちじょうのみやとしひと)親王は、正親町天皇の孫にして、後陽成天皇の実弟。豊臣秀吉の猶子となり、次期関白を約束されていたが、秀吉に鶴松が生まれたために反故とされ、八条宮家を創設。後陽成帝から皇位継承者と見做された時期もあったが、結局は徳川家康が反対したため、皇位は後陽成帝の息子である後水尾天皇が継ぐことになり、どちらかというと不遇の人生を歩んでいる。桂離宮を別邸としたことで八条宮家はその後に桂宮家となった。
「絵と紡ぐ物語」では、竹崎季長が描かせたことで有名な「蒙古襲来絵詞」が展示されている。「てつはう」が炸裂していることで有名な前巻(文永の役を描く)の展示は今月1日で終了しており、現在は弘安の役を描いた後巻の展示である。文永の役ではモンゴル軍と高麗軍の戦術に関する知識がなかったため度肝を抜かれることになった御家人達だが、再度の襲来を見越して博多湾に防塁を築き、万全の迎撃態勢を整えていた。後巻には防塁の前を馬で進む竹崎季長らが描かれている。
元の撃退には成功したが、追い返しただけで新たなる領地を獲得したわけではないため、鎌倉幕府は恩賞を与えようにも与えられない。それを不服とした竹崎季長が自らの奮闘を幕府に示すために奏上したのが「蒙古襲来絵詞」である。
その他には、浄瑠璃やスーパー歌舞伎、オペラや宝塚歌劇などの題材となった「小栗判官絵巻」(巻5。岩佐又兵衛筆)や、尾形光琳が描いた「西行物語」巻4などが展示されている。
続く唐絵の展示だが、中国よりも日本で人気のある画家のものが多いようである。
「近世絵画百花繚乱」と題された展示では、伝狩野永徳による「源氏物語図屏風」、保元の乱と平治の乱の名場面を扇の面に描いた「扇面散図屏風」などが展示されている。
中村七之助が紹介していた伊藤若冲の絵もここに展示されているのだが、S字カーブが特徴の「旭日鳳凰図」や「牡丹小禽図」、逆S字カーブを描く「菊花流水図」、「八」の字の構図を3つ重ねることで垂れ下がる南天の重力をも表出しようとした「南天雄鶏図」など、デザイン性の高い作品が並んでいる。
現代に到るまでの京都画壇の祖といえる円山応挙の「源氏四季図屏風」。写生を得意とした応挙だが、この作品はリアリズムよりも水の流れのエネルギーが感じられる出来となっている。
「第二章 御所をめぐる色とかたち」。「霊元天皇即位・後西天皇譲位図屏風」(狩野永納筆)は、天皇の顔がはっきりと描かれているという、当時としては珍しい作品である。
京都最後の天皇となった孝明天皇の礼服も展示されているが、八咫烏なども描かれているものの、基本的には龍をモチーフにしており、中国の王朝からの影響が強く感じられる。
「令和度 悠紀地方・主基地方風俗和歌屏風」は新作である。後期の展示は、永田和宏の筆による和歌の書と土屋禮一の絵による「主基地方風俗和歌屏風」である。令和の主基地方は京都であり、桜の醍醐寺、万緑の大文字山、紅葉の嵐山、雪の天橋立が描かれている。
「漢に学び和をうみだす」では、小野道風、伝紀貫之、藤原行成らの書が並ぶ。伝紀貫之の「桂宮本万葉集」は、八条宮智仁親王の子、忠仁親王以降、桂宮家が所蔵していたもの。桂宮本と呼ばれる蔵書群の基礎を築いたのが智仁親王である。土佐光吉・長次郎筆による「源氏物語画帖」の詞書連作の中にも八条宮智仁親王は名を連ねている。
一般には桂離宮の造営者としてのみ、その名が知られる八条宮智仁親王であるが、近世の文芸において大きな役割を果たしていることがわかる。
なお、桂宮家は断絶しているが、智仁親王の子である広幡忠幸の血は柳原氏に受け継がれることとなり、柳原愛子(やなぎわら・なるこ)が大正天皇の生母となっているため、現在の皇室は智仁親王の血を受け継いでいるということになる。
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