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2020年11月11日 (水)

観劇感想精選(365) 桃園会 「もういいよ」

2006年6月30日 大阪・なんばの精華小劇場にて観劇

大阪の精華小劇場で、桃園会の「もういいよ」を観る。作・演出:深津篤史(ふかつ・しげふみ)。
携帯電話の電源を切るアナウンスは出演者が務めたのだが、その口調から、劇がすでに始まっていることがわかる。

親子が話している。やがてそこが火葬場の一室であることがわかる。関連性があるのかどうかよくわからないナレーションや主人公の内面の言葉がPAで流され、そうしているうちに、先程、携帯電話関連のアナウンスをした女優が再び現れて、アナウンスを繰り返そうとするのだが、そこで映像と音が流れ、場面が一変する。まるで天野天街の演劇を思わせる展開だ。実は天野天街は現在来阪しており、明日は終演後に精華小劇場で深津篤史と対談する。ということで、天野天街を意識した演劇であり、演出であることは確かだろう。

最初のうちは、天野天街的なスタイルが桃園会の演劇には巧く馴染んでいないように思え、「これでは天野天街の真似で終わってしまう」と感じたが、中盤から演出は皮相な模倣スタイルを離れ、独自のメタ演劇へと昇華されていく。

現在、過去、空想、想像、夢、実在しないテレビドラマや映画の世界、現在の主人公、ちょっと前の主人公、子供時代の主人公、主人公の元カノ、主人公が作っている映画で主人公の母親を演じる女優らが入り乱れ、また主人公の母親と妹が一瞬で入れ替わったり、小説の技法である「意識の流れ」を感じるような展開を見せ、「シャッフル」がある。混沌とした演劇であり、場面場面は決してわかりやすくはないのだが、全体を通したとき、単純な構造の芝居では見えなかったはずのものが見えてくる。ハッとさせられる瞬間もいくつかあった。

実験的な要素もあるが、それだけに留まらない「知的な面白さ」がある。「知的な面白さ」と「演劇的面白さ」は必ずしも一致しないのだが、私は両方を感じることが出来た。メタ演劇としても優れた作品になっていたと思う。

ラストにもそっと胸に染み込むような、押しつけがましさのない感動がある。タイトルの「もういいよ」が切なくも優しい言葉であることがここに来てわかる。

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