コンサートの記(675) 「加藤登紀子 ほろ酔いコンサート2020 Vol.39」@ロームシアター京都
2020年12月22日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて
午後6時30分から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、「加藤登紀子 ほろ酔いコンサート2020 Vol.39」を聴く。
加藤登紀子は今年の6月に春秋座でコンサートを行うはずで、私もチケットを手に入れていたのだが、コロナのための中止、払い戻しとなっている。というわけでその代わりに、ロームシアター京都での公演に行くことに決めた。おそらく春秋座のコンサートが中止になっていなかったら、そしてロームシアターに通う機会がもっと多かったなら行かなかったと思うのだが、巡り合わせで行くことに決めた。祝い酒が振る舞われるコンサートなのだが、私はお酒が全く飲めないので、本来なら行く気にならないはずだが、今回はこれまたコロナの影響で祝い酒は無理なので、帰る時に月桂冠のボトル1瓶プレゼントということになっている。私も貰ったが、飲めないので誰かにあげようと思う。
加藤登紀子は父親と同い年である。というわけで親子ほどどころか実際に親子の関係になる年齢、母親はもっと若いので、女性に限れば親子以上に年が離れているということになる。ということで、客席もそれに近い年齢の方がほとんどで、たまに私より若そうな人がいても親と一緒に来ていたりするため、ひょっとしたら一人客の中では私が最年少だったかも知れない。
東大卒のミュージシャンの走りであるが、文化・芸術方面に行く人も多い文学部出身であるため、それほど意外な学歴というわけでもない。
生まれは当時は満州国の都市であったハルビンだが、幼少期は京都で過ごしており、後に夫となる藤本敏夫が同志社大学に学んでいたため、京都に縁のある人である。千葉県とも縁があり、鴨川市に鴨川自然王国を夫婦で設立。その後、鴨川市に開設された城西国際大学観光学部の客員教授を務めていたこともある(城西国際大学観光学部は鴨川市から撤退し、メインキャンパスのある東金市に移転する予定である)。
ロームシアターの公演に接するのも今年は4度目と少なく、これが今年最後となる。メインホール2回、サウスホール2回、ノースホールはゼロであった。
出演者は、加藤登紀子の他に、告井延隆(つげい・のぶたか。ギターほか)、渡辺剛(わたなべ・つよし。ヴァイオリン)、早川哲也(ベース)、鬼武みゆき(ピアノ)、鶴来正基(つるぎ・まさき。キーボード)。
加藤登紀子のメンバー紹介によると、鶴来は現在、京都市在住だそうで、加藤がKBSホールで公演を行った時に客として来ており、楽屋で「あなた今、京都に住んでるの? 京都も巡るツアーがあるから参加しなさい」と呼びかけたそうだ。
早川哲也のことは、「こう見えて大阪」、渡辺剛は大阪府高槻市の出身だが、高校は京都の堀川高校(当時、堀川高校にあった音楽科出身)だそうで、「この近く」と紹介していた。鬼武みゆきのことは、「月から来た」と紹介していたが、東京理科大学卒業後にキヤノンでシステムエンジニア(SE)をしていたことがあるため、他のミュージシャンとちょっと違うのかも知れない。今年古希を迎えた告井は名古屋出身だそうである。
予定曲として無料パンフレットに載っていた曲目は、「Never Give Up Tomorrow」、「Running On」、「Now Is the time」、「時には昔の話を」、「この手に抱きしめたい」、「石ころたちの青春」、「形あるものは空」、「Revolution」、「愛の賛歌」、「百万本のバラ」、「未来への詩(うた)」。その他に、ジョン・レノンの「イマジン」、そしてギターによる弾き語りのコーナーでは、河島英五の「生きてりゃいいさ」などを歌う。河島英五の思い出話も語られ、河島英五は「酒と泪と男と女」が有名であるが、実際には酒がほとんど飲めない人だったそうで、飲みながら歌うライブでも一人だけヤカンに水を入れてそれを飲んでいたそうである。歌い出す前に腕立て伏せをしたり、加藤の自宅で打ち合わせとなった時も、玄関に入ってきていきなり「パンか何かありますか?」と聞いたそうで、聞くと、「飢えた経験がないので、どんなものか知るために食事をしていない、来る途中で倒れそうになった」と応えたそうで、やはりかなり変わった人だったようである。テレビ番組の収録か何かでスタジオの暗い場所で二人で待機していた時には、加藤がふと「このまま駆け落ちしちゃわない?」と思いついて発言。河島も「いいですね」と応えたそうだが、知っての通り、駆け落ちすることはなかった。「この二人で歌いながらシルクロードを歩いたら、結構、儲かるんじゃない」といった話もしたそうである。加藤登紀子は、1968年頃に多くの人との出会いがあったが、今ではもう会えなくなってしまった人も多い、ただ「会えなくなってしまった人を思うのが本物の歌なんです」と語る。
昨年亡くなった中村哲のために「あなたの行く朝」が歌われ、今年コロナによってフランスで客死(という表現でいいのかどうかわからないが)した高田賢三への追悼の言葉もあったが、その昔(1993年である)、高田賢三が上京したばかりの頃のことを描いたテレビドラマがあり(タイトルは、「ケンゾー・ジュンコの青春物語」)、加藤は高田を教えた文化服装学院の教師、小池千枝役で出演したことがあったそうだ。高田賢三を演じていたのは石田純一で、私もはっきりとは覚えていないが見た記憶がある。石田純一演じる眼鏡を掛けた高田賢三が文化服装学院の仲間と夜の新宿の歩道橋の上を歩いている時に未来への不安を口にするシーンがあったはずである。加藤登紀子のシーンは残念ながら覚えていない。ドラマの主題歌も加藤登紀子の「石ころたちの青春」で、今日はこの曲も歌われた。
小池千枝は、加藤の語るところによると、高田賢三に、「オートクチュールはフランスで完成されてるから、今更日本人がやっても敵わない。プレタポルテで勝負しなさい」とアドバイスして、高田を成功へと導いた人らしい。
ジョン・レノンの「イマジン」は、1番を歌った後(シンコペーションを多用していた)、2番は告井のヴォーカルに代わり、加藤はフレーズの合間に歌詞の日本語訳を語った。
12月8日がジョン・レノンの命日で、その急死から40年、享年も40で生きていれば80歳、「私より3つ上の人」と語った。
レノンが急死した後に、加藤はオノヨーコに会いに行って話したことがあるという。「あなたが刑務所の中の人と結婚した人?」とオノヨーコは聞いてきたそうで(「そういう話し方をする人なんです」と付け足していた)、「そうだ」と答えると、「あなたの旦那さんは壁と戦っているのね。ジョンと私は壁に窓を開けて想像力を拡げることにするの」と語ったそうで、「イマジン」はそうした生活から生まれたそうである。
加藤登紀子の代表曲を1曲だけ挙げるとすると、やはり「百万本のバラ」ということになるのだと思われるが、この曲は元々はラトヴィアの作曲家が1981年に作曲した作品で、原詞も加藤登紀子が書いた日本語詞とは異なる。原曲と原詞は、黛敏郎が司会をしていた頃の「題名のない音楽会」で作曲者のライモンド・パウルス(当時のラトヴィア文化省大臣)の写真と共に紹介されたことがある。YouTubeで原曲を聴くことも出来る。
アンコールでは、「Power to the People」がまず歌われ、2曲目はタイトルがわからず(三拍子の曲である。急遽曲目が決まったようで、鬼武みゆきのピアノと告井延隆のギター伴奏のみで歌われる。「あなたに捧げる歌」かも知れないが、断言は出来ず)、そしてそこからの流れで、京都と滋賀県のご当地ソングである三拍子の「琵琶湖周航の歌」(旧制第三高等学校=現在の京都大学の教養課程の学生歌)が歌われた。
本編約90分休憩なし。加藤登紀子も高齢故に声の衰えは否めないが歌唱力は健在で且つソウルフル。完成度の高いゴージャスな雰囲気のライブとなった。若い人が聴かないのは勿体ない気がする(とはいえ、現在、多くの大学で「ライブ参加禁止令」が出されている)。
なお、12月27日の加藤登紀子の誕生日(加藤は、「私の7歳の誕生日。うん十7歳の誕生日」と語る)には「ほろ酔いコンサート」のライブ配信が行われ、また来年の5月には春秋座でのコンサートも予定されているそうである。
加藤登紀子は祇園四条にあるロシアレストラン・キエフで定期的にソング&トークイベントを行っていて、来年の4月3日に第55回目が行われるのだが、会費が特選コース料理とワイン付きで2万円と高い。知り合いは行ったことがあって、リクエストコーナーではその場でリクエストした曲を歌ってくれるそうで、楽しそうではあるのだが。
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