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2020年12月17日 (木)

これまでに観た映画より(235) 蒼井優&高橋一生主演 黒沢清監督作品「スパイの妻〈劇場版〉」

2020年12月13日 出町座にて

出町座で日本映画「スパイの妻〈劇場版〉」を観る。黒沢清監督作品。脚本:濱口竜介、野原位(のはら・ただし)、黒沢清。出演:蒼井優、高橋一生、坂東龍汰、恒松祐里、みのすけ、玄理(ヒュンリ)、東出昌大、笹野高史ほか。第77回ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)受賞作である。

1940年から1945年までの神戸を舞台とした戦時スリラーである。なお、黒沢清は神戸出身であり、そもそも故郷である神戸を舞台に何か撮って欲しいとNHKから依頼を受けたのがこの作品が生まれるきっかけになったという。「スパイの妻」は、まずNHKBS8Kで放送され、その後に映画用の編集が施されて公開されている。

福原物産社長の福原優作(高橋一生)と妻の聡子(蒼井優)。日中戦争が泥沼化し、アメリカとの開戦も間近という時期であり、憲兵による締め付けも厳しくなり、優作の友人で、神戸生糸検査所のジョン・フィッツジェラルド・ドラモンドがスパイ容疑で逮捕される。神戸の憲兵隊には優作の友人である津森泰治(東出昌大)が赴任して来ていた。横浜からの転勤である。

神戸が舞台であるため登場人物の多くが関西の言葉を話すが、優作、聡子、優作の甥である竹下文雄(坂東龍汰)、泰治の4人は東京の言葉で通している。優作が聡子に、「泰治君は君に惚れてる。君を追ってきた」と語る場面があるため、優作も聡子も元々は関東の生まれ育ちで、仕事の関係で神戸に移ったらしいことが何となくわかる。おそらく横浜で貿易の仕事を始めたのだが、大陸相手の仕事であるため神戸の方が有利とみて本社を移したのだと思われる。泰治は基本的に体制側の人間であるが、優作と聡子そして文雄もだが、時代に呑み込まれていく周囲の人々から浮いて見えるよう、意図的に東京の言葉で通しているという設定にしたのだと思われる。東京や関東の人間は日本中のどこに行っても東京の言葉で通したがる。私も言葉は99%東京と同じ千葉県北西部出身の人間であるが、京都に住んではいても基本的に東京の言葉しか話さない。関西の言葉も喋ろうと思えば喋れないではないが、自分を偽っているように思えて嫌になる。知り合いにも関東出身者は多いが、東京や関東以外の言葉を話す人はいない。というわけで、関西に住んでいても東京の言葉を話す人は珍しくなく、観ていてもそれほど不自然とは感じない。ただ、やはり技法として用いているのだと思われる。高橋一生は東京都、東出昌大は埼玉県の出身だが、蒼井優は福岡県、坂東龍汰は北海道出身で、東京の言葉の方が演じやすいというわけでもない。

優作は映画好きで(溝口健二の新作映画について聡子に聞く場面がある)フィルムを撮ることを趣味としており、蒼井優演じる聡子の初登場も優作が撮影したフィルムに出てくる怪盗役としてである。

仕事で満州に渡った優作と文雄は、731部隊(石井部隊)の情報を掴む。軍部関係施設で看護婦をしていた草壁弘子(玄理)を通して手に入れた、マルタと呼ばれた人々を対象にした人体実験の記録が記されたノートと満州で撮影されたフィルムを持ち帰った二人。二人に協力した草壁弘子も共に神戸港に帰ってきていた。1940年の暮れ、文雄は福原物産を辞め、有馬温泉の旅館に籠もって小説を書くことを宣言する。だが実は文雄が行おうとしていたのは小説の執筆ではなく、731部隊が行っていた人体実験の記録の英訳であった。
文雄が泊まっていた有馬温泉の旅館「たちばな」で仲居として働いていた女性が水死体となって発見される。草壁弘子だった。

ちなみに草壁弘子演じる玄理のセリフは、ほぼ「あなたは本当に嘘がお上手」だけで、それも夢の中で語られるセリフいう設定なのだが、これが伏線の一つになっている。

若くして貿易商として成功している福原優作の怜悧さが光るドラマであるが、優作と聡子のシーンは長回しが多いのが特徴である。高橋一生も蒼井優もとんでもない実力を持った俳優だということが長回しを観ることでわかる。二人とも舞台の経験も豊富で長時間演じ続けることには慣れているはずだが、技巧面でも感情表出面でも完璧としかいいようのない演技を示しており、それを観るだけでも価値のある映画である。

技法としては、手前に人物がいて奥の別の部屋にもう一人の人物がいるという奥行きのあるアングルや、人物を真正面から捉えるという、最近の映画では余り見かけない構図も用いられている。
兵隊を捉える時のカメラワークも優れており、最初は兵隊達の行進前の訓練に優作が興味を示していないことがカメラの動きでわかるが、まもなく太平洋戦争開戦という頃になると相似形の構図で優作が兵隊と軍靴の足音を避けていることがわかるようになっている。その場面にいる優作以外の人物は兵隊達に向かって万歳を繰り返すなど、完全に時流に乗っている。

「敵を欺くにはまず味方から」という言葉があるが、全ては優作のシナリオ通りとなり、聡子に「お見事です!」と言わせることになる。
一方で、夫婦がずっと愛し合っていることは、優作が別れ際に聡子に語ったセリフと精神病院に入った聡子の様子、そしてラストの字幕でしか仄めかされないのだが、「確実にそう」だとわかるようになっている。語らないことで明らかにするという、黒沢清らしい手法でもある。戦時を描いた作品であるが、最も根底にあるのは愛だ。

個人的に好きなのは、外が見えないためどこを走っているのかわからない市電(ロマンスカー)に人物が乗っている場面である。私が初めて観た黒沢清監督の映画である「CURE」に役所広司とその妻役である中川安奈(2014年に死去)がどこに行くのかわからないバスに乗っているシーンがあるのだが、それを連想する。「CURE」の場合は妻が精神病院に入院することは観ている側もわかっているのだが、そのバス内のシーンだけ現実感がなく、アンバランスである。「スパイの妻」でもやはり先行きが見えない時代の象徴として、非現実感を伴って登場している。

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