これまでに観た映画より(232) 手塚治虫原作 手塚眞監督作品「ばるぼら」
2020年12月2日 京都シネマにて
京都シネマで「ばるぼら」を観る。日本・ドイツ・イギリス合作映画。原作:手塚治虫。監督は息子の手塚眞。脚本:黒沢久子。撮影監督:クリストファー・ドイル。音楽:橋本一子。出演は、稲垣吾郎、二階堂ふみ、渋川晴彦、石橋静河、美波、大谷亮介、片山萌美、ISSAY、渡辺えり他。9月に自殺という形で他界してしまった藤木孝も大物作家役で出演している。
手塚治虫が大人向け漫画として描いた同名作の映画化である。原作を読んだことはないが(その後、電子書籍で買って読んでいる)、エロス、バイオレンス、幻想、耽美、オカルトなどを盛り込んだ手塚の異色作だそうで、そうした要素はこの映画からも当然ながら受け取ることが出来る。
主人公は売れっ子作家の美倉洋介(稲垣吾郎)である。耽美的な作風によるベストセラーをいくつも世に送り出し、高級マンションに住む美倉。美男子だけにモテモテだが、未婚で本命の彼女もいない。秘書の加奈子(石橋静河)や、政治家の娘である里見志賀子(美波)が思いを寄せているが、美倉は相手にしていない。仕事は順調で連載をいくつも抱えているが、「きれいすぎる」ことばかり書いているため、奥行きが出ておらず、才能に行き詰まりも感じていた。
ある日、美倉は新宿の地下街で寝転んでいたホームレス同然の女(原作漫画では「フーテン」と記されている)ばるぼら(スペルをそのまま読むと「バーバラ」である。二階堂ふみ)を見つける。ヴェルレーヌの詩を口ずさんだばるぼらに興味を持った美倉は自宅に連れ帰る。実は美倉は異常性欲者であることに悩んでいたのだが、自分のためだけに書き上げたポルノ小説風の原稿をばるぼらに嘲笑われて激怒。すぐに彼女を家から追い出すが、それから現実社会が奇妙に歪み始める。
街で見かけた妖艶な感じのブティックの店員、須方まなめ(片山萌美)に心引かれた美倉は、彼女の誘惑を受け入れ、店の奥へ。美倉のファンだというまなめだったが、「何も考えずに読める」「馬鹿な読者へのサービスでしょ」「頭使わなくていい……ページ閉じれば忘れちゃう」と内心気にしていることを突きまくったため美倉は激昂。そこに突然ばるぼらが現れて……。
長時間に渡るラブシーンあるのだが、ウォン・カーウァイ監督映画でスピーディーなカメラワークを見せたクリストファー・ドイルの絶妙のカメラワークが光り、単なるエロティシズムに終わらせない。美醜がない交ぜになった世界が展開されていく。
ばるぼらの登場により、美倉の頭脳と文章は冴え渡るようになる。美倉はばるぼらのことをミューズだと確信するのだが、ばるぼらは映画冒頭の美倉のナレーションで「都会が何千万という人間をのみ込んで消化し、垂れ流した排泄物のような女」と語られており、一般的なミューズ像からは大きくかけ離れている。取りようによっては抽出物ということでもあり、究極の美と醜さの両端を持つ存在ということにもなる。
原作では実際にミューズのようで、バルボラ(漫画内では片仮名表記である)と会ったことで美倉はテレビドラマ化や映画化もされるほどの大ベストセラー『狼は鎖もて繋げ』を生むようになるが、バルボラと別れた途端に大スランプに陥り、6年に渡ってまともな小説が書けなくなってしまう。そして時を経てバルボラの横でバルボラを主人公にした小説を書き始める。のちに大ベストセラー小説となる長編小説『ばるぼら』がそれだが、美倉は執筆中に小説に魂を奪われてしまうという展開になっている。
この映画でも、ラストで美倉が『ばるぼら』という小説を書き始めるのだが、その後は敢えて描かずに終わっている。
この映画では、美倉の作家仲間である四谷弘之(原作では冒頭のみに登場する四谷弘之と、筒井隆康という明らかにあの人をモデルとした作家を合わせた役割を担っている。演じるのは渋川晴彦)がミューズについて、「お前にミューズがいるとしたら加奈子ちゃんだろ?」と発言している。美倉が売れない頃から苦楽を共にしてきた加奈子。清楚で真面目で家庭的で頭も良くて仕事も出来てと良き伴侶になりそうなタイプなのだが、それでは真のミューズにはなり得ないのだろう。おそらく耽美派の作家である美倉にとって、創作とは狂気スレスレの行いであろうから。
SMAP時代から俳優活動にウエイトを置いてきた稲垣吾郎。風貌も耽美派小説家によく合い、演技も細やかである。優等生役から奔放な悪女まで演じる才能がある二階堂ふみは、真の意味でのミューズとしてのばるぼら像を巧みに現出させていたように思う。出番は多くないが、美波、石橋静河、片山萌美も印象に残る好演であった。
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