これまでに観た映画より(231) 「滑走路」
2020年11月30日 新京極のMOVIX京都にて
MOVIX京都で、日本映画「滑走路」を観る。若手歌人として期待されながら、32歳で自ら命を絶った萩原慎一郎の処女作にして遺作となった同名歌集から着想を得たオリジナルストーリーである。
萩原慎一郎は、1984年、東京生まれ。中学受験をして入った私立の中高一貫有名進学校でいじめに遭い、高校はなんとか卒業するが、いじめの後遺症である精神障害に苦しみ、自宅療養と通院を続ける。17歳から短歌の創作を始め、のめり込むようになっていた。早稲田大学人間科学部の通信教育課程(eスクール)に入学し、精神の不調と闘いながら6年掛けて卒業。正社員として就職が出来るような体調ではなかったが、アルバイトから始め、契約社員(雑用が主であったという)として働くようになる。短歌会「りとむ」に参加し、雑誌などにも短歌の投稿を積極的に行うなど、創作欲は旺盛であり、いくつもの賞を受賞。短歌界の新星としてその名が知られるようになっていく。非正規労働者の哀しみを歌う第一歌集『滑走路』の出版が決まり、表紙の装丁なども自身で案を出したが、精神障害に打ち勝つことは出来ず、2017年6月17日に自死を選んだ。
今回の映画は、萩原慎一郎本人の悲劇的生涯や、歌集『滑走路』に歌われた内容とは違ったものになっている。近いものになることを避けたい人もいたのだろう。いじめ、精神障害、非正規労働、創作といった要素は別々の人物に割り振られることになった。
監督はこれが初監督作となる大庭功睦(おおば・のりちか)。脚本:桑村さや香。出演、水川あさみ、浅香航大、寄川歌太(よりかわ・うた)、木下渓、池田優斗、吉村界人、染谷将太(役名は「明智」である)、池内万作、水橋研二、坂井真紀ほか。影絵:河野里美、絵画制作:すぎやまたくや。
登場人物の今現在(2つの今現在が描かれており、両者は10年ほど離れている)と中学時代とが交互に描かれるのだが、登場人物の名前はなかなか明かされず(今現在では苗字のみが知らされるのに対し、中学時代は下の名前だけだったり、「学級委員長」という肩書きで呼ばれたりする)、中学時代の彼らの誰が今の誰に相当するのか伏せられたまま話は進んでいく。そのうちの一人は中学時代に受けたいじめのストレスが原因で高校受験も大学受験も失敗し、就職も単純作業の非正規社員で、25歳の時に橋から飛び降りて自殺している。彼の名は、厚生労働省の「非正規雇用が原因で自殺したとされる人々のリスト」の中に載っている。働き方改革で、非正規雇用の劣悪な労働環境が問題視される中、厚生労働省の若手官僚も上司からは詰められ、労働ユニオンからは早急な決定を求められるなどストレス満載の過酷な労働が続き、不眠症やPTSDに苦しめられていた。
もう一人の主人公を演じているのが水川あさみである。パート勤務をしながら切り絵作家として活動を続ける翠が彼女の今回の役である。切り絵作家としての実力が次第に認められつつある翠。夫の拓己(水橋研二)との関係も良好だが、今後の生活に不安を抱いてもいた。拓己は高校の美術教師であるが、プロの芸術家として活動を始めた妻に複雑な思いを抱いていたことが後に判明する。
中学時代と現在とがどう絡むのかを予想する面白さもあるのだが、残念ながら着地点は想像を下回ってしまったように思う。それぞれを丁寧に描いた結果、全体が浅くなってしまったということだ。
ただ俳優陣はとても魅力的である。このところ重要な役での映画出演が続く水川あさみが良いのは勿論だが、寄川歌太や木下渓といった十代の俳優達のフレッシュな演技が良く、いじめが絡んだ辛い青春ではあるのだが、砂糖をたっぷり入れたコーヒーのような甘苦さ(千葉県人なので「マックスコーヒーの味わい」と書きたくなるが、おそらく千葉県人と茨城県人にしか伝わらないので止めておく)を観る者に届けてくれる。実は、歌集『滑走路』にも恋する人の存在は歌われており、好きな人がいるという喜びが生きる力となることが歌集でも映画でも描かれている。
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