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2021年1月10日 (日)

コンサートの記(680) 小林研一郎指揮 京都市交響楽団第495回定期演奏会

2006年12月7日 京都コンサートホールにて

雨の中を京都コンサートホールまで歩く。

京都市交響楽団第495回定期演奏会。指揮台に立つのは京都市交響楽団(京響)第8代常任指揮者でもあった「コバケン」こと小林研一郎。コバケンさんが京響の指揮台に立つのは約20年ぶりだそうで、そのためか、今日は立ち見が出るほどの盛況であった。その詰めかけた聴衆は普段京響を聴きに来る常連さんよりもかなりテンションが高め。小林の常任時代を知る人達なのか、あるいはコバケンファンが駆けつけたのか、とにかく演奏終了後、爆発的に盛り上がる。

曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第20番(ピアノ独奏:河村尚子)と、コバケンの十八番であるベルリオーズの幻想交響曲。

河村尚子(かわむら・ひさこ)は、1981年、兵庫県西宮市に生まれた若手ピアニスト。5歳の時に父親の転勤でドイツに渡り、以後ずっとドイツで教育を受け、現在もハノーファー国立音楽大学(大植英次が終身教授を務めている大学である)のソリスト課程で研鑽を積んでいる。国籍も容姿も日本人だが、内面はおそらくヨーロッパ人という、日本の女性演奏家に多いパターン(内田光子や庄司紗矢香などがそうだ)を踏襲しているものと思われるが果たしてどうなのだろう(後記:実際の彼女は日本的な女性であった)。コンクールでも優秀な成績を収めており、ダルムシュタット・ヨーロッパ・ショパン・コンクールなどで優勝。今年の9月にもARDミュンヘン国際コンクール・ピアノ部門で第2位となっている。

コンクール歴は当てにならないというのがクラシック音楽界の常識になっている(受賞歴があったほうがないよりは仕事が増える可能性があるといった程度のものでしかない)ので、河村には余り期待していなかったのだが、予想よりはかなり良いピアニストであった。まだ技術が前面に出過ぎるところがあり、単調になったり、時には乱暴に弾いて見せたりもするが、細部の表情付けがユニークで才能を感じさせる。何より楽しそうにピアノを弾くのが良い。
コバケンの伴奏は旋律を優雅に歌わせる流れ重視ではなく、まずカッチリとした構築を築き、その中で勝負するタイプであるが、モーツァルトの音楽の典雅さは十分出ている。

演奏終了後、爆発的に盛り上がる。確かに良い演奏ではあったが、それほどか? でもまあいいや。

アンコール。河村はモーツァルトのピアノ・ソナタ第18番より第3楽章を弾く。表情豊かな演奏で、やはり河村が楽しそうにピアノを弾くのが良い。


ベルリオーズの幻想交響曲。小林の幻想交響曲は、当時彼が常任指揮者を務めていたハンガリー国立交響楽団の来日公演を生で聴いている。響きの良くない東京国際フォーラム・ホールCでの演奏だったということもあって、特別な名演にはならなかったが、印象深い演奏であった。

久しぶりに聴くコバケンの幻想は、以前よりも低弦を強調。コントラバスのピッチカートなども思い切り弾かせて、第1ヴァイオリンが奏でる典雅な旋律と対比させ、この曲が持つ特異さがより明確に現れるようになっていた。

京響は特に金管が輝かしく、弦も情熱に溢れた音を聴かせる。

第3楽章のイングリッシュホルンとオーボエの対話の場面では、オーボエ奏者(佐渡のオケに入ってすぐに辞めて京響に来たフランス人の彼)を3階席に置いて演奏させ、京都コンサートホールのシューボックス型の内部を上手く生かしていた。

第4楽章、第5楽章の情熱が飛び散る演奏はいつもながら迫力がある。ステージ下手に置かれた大きな鐘の視覚的異様さも幻想交響曲の面白さを引き立てていた。

第5楽章の最後の音が鳴り終わると同時に、洪水のような拍手がホール全体を満たし、「ブラボー」がここかしこで起こる。

コバケンさんはそれぞれの演奏パート毎に立たせて、好演したオーケストラを讃えた。

更にアンコールとして、幻想交響曲第5楽章のラスト40秒を再度演奏。ちょっとサービスしすぎかな、とも思ったが、聴衆は更に盛り上がったので良かったということにする。

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