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2021年1月12日 (火)

美術回廊(61) 京都髙島屋7階グランドホール 「没後70年 吉田博展」

2021年1月7日 京都髙島屋7階グランドホールにて

京都髙島屋7階グランドホールで、「没後70年 吉田博展」を観る。

現在の福岡県久留米市に生まれた吉田博(1876-1950)は、明治、大正、昭和期に掛けて風景画の第一人者として活躍した人物である。久留米藩士の子として生まれ、京都と東京で洋画を学び、洋画家として活躍したが、49歳の時に木版画を始める。その後、1923年(大正12)に関東大震災が起こり、木版画や版木を全て焼失。他に被害を受けた画家仲間も多かったため、代表してアメリカに渡って絵を売ることになるが、売れたのは吉田の木版画ばかり。アメリカでも浮世絵の評価は高く、そのため版画が人気だったのだが、「反骨の男」とも呼ばれた吉田は、江戸時代の浮世絵ばかりが高く評価されていることに疑問を抱き、以降は独自の木版画制作に没頭するようになる。

実は若い頃に吉田は渡米しており、デトロイトやボストンで展覧会を開いて好評を博している。ちなみにこの時は英語は一切出来なかったそうで、かなりのチャレンジャーである。当時は、黒田清輝を中心とするフランス帰りの画家が日本で人気を得ていたが、吉田はこれに反発。敢えてフランスではなくアメリカに向かって腕試しをしている。
吉田は黒田清輝率いる白馬会のメンバーとはかなり仲が悪かったそうで、白馬会の白がかった淡めの画風を毛嫌いしていた。九州男児だからかどうかはわからないが喧嘩っぱやく、黒田清輝に殴りかかったこともあったという。後には、白馬会に対抗する形で太平洋画会を興している。

旅と山岳を愛し、画材を持ち仲間を連れて富士山を始めとする日本の名山に登山。登山中にじっくりとした描写を行うのが常だったという。次男には穂高岳にちなむ穂高(ほだか)という名を与えている。ちなみにこの穂高と、長男の遠志(とおし)は二人とも版画家となっている。

吉田博は、浮世絵ではなく洋画を版画に移したような新しい木版画を目指したが、構図の大胆さなどは案外、浮世絵と共通しているように思われる。あるいは構図の大胆さは「摺りやすさ」に由来しているのかも知れないが、私は版画を制作したことがないのでよくわからない。

独自の画風を目指した吉田博だが、ホイッスラーにだけは惹かれたという。仄暗い寒色系の色使いなどにはホイッスラーに共通するものも感じられるが、最終的には吉田はホイッスラーからも離れたという。

アメリカの風景を版画で描いた作品がいくつか並ぶ。グランド・キャニオンやナイヤガラ瀑布などで、色彩感や構図が面白い。

吉田は版画の性質を生かし、同じ版木に異なる色彩を入れることで、朝、昼、夕、夜など、同じ絵の時間違いバージョンなどもいくつか制作している。これには日本を題材にした作品のみならず、スフィンクスやタージマハルなど海外で描かれた風景画も含まれる。

なお、吉田は専ら風景画家として活躍。人物画は余り得手としていなかったようで、風景画の中にいる人物達の表情も簡素である。

吉田の作品は、日本よりも海外での評価が高く、ファンも多い。厚木飛行場に降り立ったダグラス・マッカーサーの第一声が、「ヒロシ・ヨシダはどこだ?」だったというジョークも存在する。マッカーサーが吉田ファンというのは本当で、新宿区下落合にあった吉田のアトリエを実際に訪れている。ダイアナ妃も吉田博のファンで、「瀬戸内海集 光る海」と「猿沢池」の2作品を自室に飾っていた。
「瀬戸内海集 光る海」は、海に反射する光を描いた作品である。吉田は印象派の絵画について特に語ってはいないようだが、この光のたゆたい方は印象派のアイデアそのものである。印象派は日本の浮世絵の版画に影響を受けたが、そうした浮世絵の影響を受けた洋画が日本の版画へとフィードバックされたような形となっている。循環である。面白い。

富士山と山中湖を描いた版画には、定番の「逆さ富士」が描かれているが、吉田の作品はこの他にも水に反映した物体を描いていることがかなり多い。また暖色と寒色の組み合わせが絶妙であり、幻想性を高めている。

映像も2点流れている。版画の工程を描いた映像では、吉田が摺り師にかなりの数の重ね摺りを要求したことが語られており、江戸時代の浮世絵の版画は多くても十数回の重ね擂りで完成するが、吉田の作品は平均でも30回以上、日光東照宮の「陽明門」の版画に至っては実に96回も重ね摺りが行われたという。

展示会場を出たところにあるモニターには、吉田の人生を描いた映像が映っており、反骨精神旺盛な吉田のエピソードはここで語られていた。

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