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2021年2月の29件の記事

2021年2月28日 (日)

コンサートの記(698) スザンヌ・ヴェガ来日ライブ2008@心斎橋クラブクアトロ

2008年1月22日 大阪の心斎橋クラブクアトロにて

大阪へ。午後7時より、心斎橋パルコ8階にある「心斎橋クラブクアトロ」で、ニューヨークのシンガーソングライター、スザンヌ・ヴェガの来日ライブを聴く。スザンヌ・ヴェガは、実に8年ぶりの来日とのことである。

関西に来てからも、ライブハウスには何度か行ったことはあるけれど、心斎橋クラブクアトロのようなスタンディングのところは初めて。座る席もあるが、ライブはノリが大事なので、私は迷うことなくスタンディングを選ぶ。
ライブハウスといっても、私がよく行ったのは、東京では渋谷のオンエアだとか、新宿にあった日清パワーステーションのような比較的スペースの大きなところ。大阪のなんばhatchなどはライブハウスというよりコンサート会場といった方がぴったりくるほど広い。心斎橋クラブクアトロのような小スペースは初めてである。

スザンヌ・ヴェガは人気シンガーなので、東京では、有楽町にある東京国際フォーラム・ホールCでコンサートを行う。東京国際フォーラムのような広いところではライブ感覚はなかなか味わえなし、スザンヌ・ヴェガを間近で見られる可能性も低い。大阪で聴いた方がずっと得である。

ニューアルバム「Beauty&Crime」の収録曲を中心とした約1時間半のライブ。客層は幅広いが、若者はいかにも音楽が好きそうな人が多く、お年を召した方達は60年代のアメリカから抜け出してきたようなファッションをしていたりする。

スザンヌ・ヴェガは「Beauty&Crime」のジャケット写真と同じ、左肩の開いたスーツで登場。帽子(これはCDジャケットのものとは違った)を曲調に合わせてかぶったり脱いだりする。
おなじみの「トムズ・ダイナー」のアカペラでスタート。「トムズ・ダイナー」は伴奏ありのバージョンでも歌われた。
私は英語力に乏しいので、MCの内容は大雑把にしか把握できなかったが、要所要所は簡単な英語だったのでわかった。歌詞はアルバムを聴いているので内容はわかる。

アンコールとして、聴衆のリクエストを受けた「女王と兵士」「スモール・ブルー・シング」などが歌われた。

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2021年2月27日 (土)

坂本龍一&高野寛 「君と僕と彼女のこと」

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コンサートの記(697) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第413回定期演奏会

2007年12月6日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時より、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第413回定期公演を聴く。
今日の指揮者は音楽監督の大植英次。曲目はブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン独奏:ルノー・カプソン)とラフマニノフの交響曲第2番。いずれも耽美的な作品である。

大植英次指揮大阪フィルの定期公演といえば、これまでは毎回補助席が出るほどの大盛況だったが、大植が今年に入って定期公演を2度もキャンセルした影響からか、今日の演奏会はほぼ満員にはなったが補助席が出るほどではなかった。

ルノー・カプソンは1976年生まれのフランス人ヴァイオリニスト。ベルリンで学び、クラウディオ・アバドの招きでグスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラのコンサートマスターを務めた後、ソリストとしての活躍を始めたという。

カプソンのヴァイオリンは雅やかな音を出す。技術も高く、第3楽章の冒頭で、敢えてひっかくような音を出した他は、汚い音を一切出さない。また、演奏スタイルも面白く、時に体を後ろに思いっきり傾けてヴァイオリンを奏でる。上体をこれだけ後ろに反らせる人を見るのは荒川静香以来である。

大植指揮の大阪フィルも特にファースト・ヴァイオリンが素晴らしく、カプソンに負けじと美しい音を出していた。管は弦に比べると不調で、ホルンは音がずれる場面があったが、これは毎度のことなので気にしても仕方ない。


ラフマニノフの交響曲第2番は、今でこそラフマニノフの最高傑作と評価も高いが、真価が認められるまでにかなりの時間を要した。ロシアでの初演時は大好評を得たが、「長すぎる」との不満も聞かれたため、ラフマニノフはより短いバージョンを作った。その後は長いこと短縮されたバージョンが演奏されてきたのだが、前衛の時代となり、余りにも甘美なこの曲は「ジャムでベトベトの交響曲」などと酷評されることが多くなり、ラフマニノフの死後はコンサートの曲目に載ることも減っていった。

この曲の再評価のきっかけを作ったのはアンドレ・プレヴィンである。彼はこの曲を積極的に取り上げ、カットを廃した完全全曲版をレコーディングするなど曲の普及に努める。
CDの時代になり、CD1枚に収めるのに適当な長さを持つ完全全曲版によるラフマニノフの交響曲第2番は、それまでの不遇が嘘のように人気交響曲となる。前衛の時代も過ぎ去り、甘美なメロディーへの抵抗が少なくなっていたのも大きいだろう。

甘美なメロディーと壮大なスケールを持つラフマニノフの交響曲第2番は、大植の師であるレナード・バーンスタインが好みそうな曲であるはずだが、曲の評価が再び上がり始めていた1990年にバーンスタインが亡くなってしまったためか、それとも他の理由があるのか、バーンスタインはこの曲を録音していない。

ロマン派を得意とする大植の指揮だけに名演が期待される。
冒頭から弦楽は好調、管も健闘する。スケールは大きく、立体感も抜群だ。最も有名な第3楽章で、大植は旋律を粘って歌い、必要以上にアッチェレランドをかけるなどして効果を上げようとしていたが、逆に作為が目立ってしまった。もっと自然に歌った方が美しさが生きると思うのだが。
第4楽章ではお祭り騒ぎのように派手に音が鳴りすぎる場面があった。大植は不満だったようで、再び盛り上がりを迎えたところで今度は抑制を利かせ、完璧に決める。大植は親指を上げて、オーケストラに「グッド」とサインを送った。
問題が全くないわけではないけれど、優れた演奏。音があとちょっと垢抜ければ世界レベルでも通用すると思う。


演奏終了後、爆発的な拍手が大植と大阪フィルを讃える。大植は何度も指揮台に呼び戻され、最後は「もうこれまで」というように大植が客席に向かって手を振り、コンサートマスターの長原幸太が一礼して、演奏会はようやく終わった。大阪の聴衆は素直で、良いときは盛んに拍手するし、そうでないときはそれなりの拍手をする。わかりやすい。純粋に音楽が好きな人が聴きに来ているから、こうした拍手になるのだろう。これが大阪で音楽を聴く楽しみの一つである。

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2021年2月26日 (金)

劇団音乃屋オンライン公演 音楽劇「はごろも ~三保の伝承にもとづく~」(文字のみ)

2021年2月23日

劇団音乃屋のオンライン公演、音楽劇「はごろも ~三保の伝承にもとづく~」を視聴。静岡市清水区(旧静岡県清水市)の曹洞宗庵原山(あんげんざん)一乗寺の本堂で収録されたものである。静岡市清水区の三保の松原を始め、日本各地に残る羽衣伝説を題材にした「家族みんなで楽しめる音楽劇」である。宮城聰が芸術監督を務めるSPAC所属の女優で、劇団音乃屋主宰でもある関根淳子の作・演出、天女役。劇団大樹主宰で大蔵流狂言方の川野誠一の伯良(漁師。川野誠一は私立大分高校卒とのことなので、財前直見の後輩、森七菜の先輩となるようである)。新保有生(しんぼ・ありあ。苗字から察するに、先祖がご近所さんだった可能性もある)の作曲・演奏(三味線、篠笛、能管)での上演である。冒頭に一乗寺住職からの挨拶があり、劇団音乃屋主宰の関根淳子からの挨拶と新保有生の演奏が特典映像として収められている。

全国各地に存在する「羽衣伝説」であるが、三保の松原のそばにある御穂神社には天女のものとされる羽衣が今に伝わっている。
羽衣伝説は様々な芸能の素材となっているが、歌舞伎舞踊の「松廼羽衣(まつのはごろも)」が中村勘九郎・七之助の兄弟により、ロームシアター京都メインホールで上演された時には、上演前に行われた芸談で、「静岡公演の昼の部と夜の部の間に三保の松原と羽衣を見に行った」という話をしており、「残っているんなら切って与えたんだから、それを演出に取り入れよう」ということで、夜の部から急遽羽衣を切るという演出を加えたという話をしていたのを覚えている。

三保の松原は風光明媚な地として日本中に知られているが、そこから眺める富士山の美しさでも知られている。富士山は休火山で、今は噴煙は上がっていないが、噴火していた時代もあり、空へとたなびく白煙が天界へと続く羽衣に見立てられたことは想像に難くない。

新保有生による冴え冴えとした邦楽器の音が奏でられる中、まず川野誠一演じる伯良が狂言の発声と所作と様式で状況を説明して松に掛かった羽衣を見つけ、次いで天女役の関根淳子が現れて、返して欲しいと謡の発声で話し掛ける。邦楽を用いることで郷愁や哀愁が自ずから漂う。「舞を行うので衣を返して欲しい」と頼まれた伯良は「嘘偽りではないか」と疑うが、天女は「天に偽りなきものを」と言い、羽衣を纏っての舞を披露する。もちろん嘘ではない、嘘ではないが「芸術とは最も美しい嘘のことである」というドビュッシーの言葉が浮かぶ。天女は天界の人(正確にいうと人ではないが)なので神通力が使えるはずなのであるが、無理に衣を奪い返そうとせず、舞を披露することで羽衣を取り返す。このあたりが、芸能に生きる人々の「舞こそおのが神通力なれ」という心意気であり、今も受け継がれているように思える(伝承での「羽衣」は舞を披露したりはせず、夫婦となった後に天上へと帰ったり、地上に残ったりするパターンが多い。舞によって羽衣を取り返すのは伝世阿弥の謡曲「羽衣」以降である)。
三保の松原を舞台にした「羽衣」作品群には、天女への愛着のみならず、霊峰と仰がれ神格化された富士山(寿命を持った女神である「木花開耶姫=浅間神」に見立てられた)とそこから上る白煙を通した天界への憧れが、背後に隠されていると思われる。

関根淳子と川野誠一の演技と動きも寺院で上演されるに相応しい雅趣がある。現代劇の発声ではないので、セリフが耳に馴染みにくい方もいらっしゃるかも知れないが、日本語字幕付きのバージョンがあったり、英語字幕付きのバージョンがあったり、目の不自由な方のための解説副音声付きのものがあったりと、バリアフリー対応の公演となっている。

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2021年2月24日 (水)

ビル・エヴァンス 「NYC's No Lark」




多重録音アルバムである「自己との対話」より

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2021年2月23日 (火)

コンサートの記(696) 小泉和裕指揮 京都市交響楽団第653回定期演奏会

2021年2月19日 京都コンサートホールにて

午後6時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第653回定期演奏会を聴く。指揮は小泉和裕。

緊急事態宣言発出により、チケットの発売が遅れた公演。定期会員にあたる京響友の会の会員でS席とA席は埋まったため、それ以外の席を1回券として発売。午後8時まで公演を終える必要があるため、開演時間を通常の午後7時から1時間早め、曲目も変更。当初、ヴァイオリン独奏を務める予定だったクララ=ジュミ・カンが外国人全面入国禁止措置により来日出来なくなったため、代役を南紫音(みなみ・しおん)が務める。

京都市出身の小泉和裕。京都市立堀川高校音楽科(現在の京都市立京都堀川音楽高校の前身)を経て、東京藝術大学指揮科に入学。第2回民音指揮者コンクール(現在の東京国際音楽コンクール指揮部門)で第1位を獲得し、1972年に新日本フィルハーモニー交響楽団の創設に参加(新日フィルは日フィル争議によって生まれており、実質的には分裂である)。その後、ベルリンに留学し、オペラの指揮法などを学ぶ。翌1973年に第3回カラヤン国際指揮者コンクールで第1位を獲得し話題となる。カラヤン国際指揮者コンクール優勝の特典は、「ベルリン・フィル演奏会での指揮」であり、小泉もベルリン・フィルとの初共演を果たしている。1975年にはベルリン・フィルの定期演奏会の指揮台にも立ち、またもう一方の雄であるウィーン・フィルともザルツブルク音楽祭で共演を果たしている(定期演奏会への登場はないようである)。東京都交響楽団とのコンビで知られるが、出身地の関西でも大阪センチュリー交響楽団の首席客演指揮者や音楽監督(橋下府政よってオーケストラへの補助金が打ち切られる可能性が示された時の音楽監督であり、演奏会の前にトークを行い、楽団の危機を訴えたことがある。大阪府が中心になって創設された大阪センチュリー交響楽団は大阪府との関係を解消して日本センチュリー交響楽団として再出発することになった)を務め、現在は九州交響楽団と名古屋フィルハーモニー交響楽団の音楽監督、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の特別客演指揮者を務め、東京都交響楽団からは終身名誉指揮者の称号を得ている。

佐渡裕が若い頃に同郷の先輩である小泉のアシスタントを務めていたことがあり、佐渡の著書にもその頃の小泉の姿が描かれているが、親分肌で人を喜ばせるのが好きな性格を窺い知ることが出来る(リハーサルの前に「そこで美味しいタコ焼きを見つけた」というので、楽団員全員分買ってきて振る舞うなど)。
海外でのキャリアもあり、1983年から1989年までカナダのウィニペグ交響楽団の音楽監督を務めている。

曲目は、ワーグナーの歌劇「リエンツィ」序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:南紫音)、ブラームスの交響曲第1番。

小泉は譜面台を置かず、全曲暗譜での指揮である。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。フルート首席の上野博昭、オーボエ首席の髙山郁子、クラリネット首席の小谷口直子、ホルン首席の垣本昌芳はブラームスのみの出演である。第2ヴァイオリンの客演首席には今日は下田詩織が入る。
ドイツ式の現代配置による演奏だが、ティンパニは指揮者の正面ではなくやや下手寄りに置かれ、指揮者の正面にはトランペットやトロンボーンが配される。

平日の午後6時開演だと、駆けつけるのが難しい人もいると思われるが、入りは状況を考えれば悪いという程ではない。

ワーグナーの「リエンツィ」序曲。小泉らしい明快な演奏で、音の輝きと影の部分の描きわけが上手い。いわゆる「ワーグナーっぽい」演奏ではないかも知れないが、コンサートの幕開けには相応しい選曲と解釈である。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。三大ヴァイオリン協奏曲の一つであり、知名度は最も上で、冒頭のヴァイオリンの旋律は誰もが一度は聴いたことがあると思われるが、コンサートのプログラムに載る回数は、三大ヴァイオリン協奏曲の残る二つ、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲とブラームスのヴァイオリン協奏曲、そして三大には入らないが演奏頻度はナンバーワンだと思われるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲に比べると多くないように思われる。繊細にして優雅且つ憂いを帯びた曲調は日本人が最も好みそうであるが、最近は明るくて勢いのある曲の方が人気なのかも知れない。

南紫音は、1989年生まれの若手。福岡県北九州市の生まれであり、2005年に北九州市民文化奨励賞、2006年には福岡県文化賞を受賞している。北九州市はNHK交響楽団のコンサートマスターである“MORO”こと篠崎史紀の出身地であり、南も篠崎の両親である篠崎永育と美樹の夫妻にヴァイオリンを師事している。
2004年にナポリで行われた第13回アルベルト・クルチ国際ヴァイオリン・コンクールに15歳で優勝。ロン=ティボー国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門やハノーファー国際ヴァイオリン・コンクールで2位入賞などコンクール歴も華麗である。

南は名前にある紫ではなく、濃紺のドレスで登場。弾き始めは現在の一般的な速度に比べるとやや遅めで、優雅な旋律を愛でるように奏でる。技術よりも美音で聴かせるタイプだが、磨き抜かれた音が心地良く、技術も高い。他の有名ヴァイオリニストに比べると個性の面で弱いかも知れないが、音楽性自体は優れている。

ブラームスの交響曲第1番。冒頭は悲劇性を強調せず、流麗であるが、木管などの内声がクッキリと聞き取れる見通しの良い演奏である。室内楽的と呼ぶことも可能かも知れない。そこから音が徐々に熱していき、激しいぶつかり合いを見せるようになる。

ブラームスの交響曲第1番は、ベートーヴェンの交響曲を意識しており、「苦悩から歓喜へ」という物語性を持つが、今日の演奏は物語に従うのではなく、音そのもののドラマを描き出しており、京響のパワーも加味された熱い演奏となるが、暑苦しさには陥らず、峻烈だが獰猛ではない絶妙なバランスによる音の闘いがステージ上で繰り広げられる。

第2楽章の泉原隆志のヴァイオリンソロも美しく、ホルンの垣本昌芳とのやり取りも見事である。

フルートの上野博昭、オーボエの髙山郁子、クラリネットの小谷口直子の演奏も冴えまくっている。ティンパニの中山航介の抜群のリズム感と適切な打撃音の創造も見事だ。

フォルム重視の小泉だが、第4楽章ではアッチェレランドを行うなど盛り上げ方も上手く、金管のコラールも神々しくて、京響が演奏した数多くのブラームスの交響曲第1番の中でもトップレベルの演奏となった。

京都市交響楽団の卓越した技術力あってこその名演であり、小泉のやりたい演奏が可能になったのも京響の成長と充実に拠るところが大きい。ともあれ、小泉本人も「会心の出来」と確信したはずで、緊急事態宣言の中で成し遂げられた勝利への狼煙のような特別な演奏会となった。

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2021年2月22日 (月)

これまでに観た映画より(251) ロビン・ウィリアムズ主演「いまを生きる」

2021年2月20日

配信でアメリカ映画「いまを生きる」を観る。1989年の制作。シンセサイザーを使ったモーリス・ジャールの音楽が時代を感じさせる。ピーター・ウィアー監督作品。ロビン・ウィリアムズ主演作。脚本のトム・シュルマンが、第62回アカデミー賞で脚本賞を受賞している。内気な少年、トッド・アンダーソン役でイーサン・ホークが出演。ニール・ペリー役のロバート・ショーン・レナードとイーサン・ホークは後に劇団を結成したりもしたようだ。

1959年、バーモント州にある名門寄宿学校、ウェルトン学院(ウェルトン・アカデミー)が舞台である。卒業生の約75%がアイビーリーグ(アメリカの大学に詳しくない人のために、字幕では「8名門大学」と訳されている。ハーバード大学、イェール大学、プリンストン大学、ブラウン大学、コロンビア大学、コーネル大学、ダートマス大学、ペンシルベニア大学の8つの東海岸北部の私立大学)に進むという進学校だが、ウェルトン学院に掛けてヘルトン学院(地獄学院)と生徒達に揶揄されるほど厳格な校風である。

ウェルトン学院に英語教師(日本でいう英語の教師ではなく、国語の教師とも違い、文学指導の先生である)、ジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムズ)が赴任してくる。ウェルトン学院のOBであるが、それまではロンドンのチェルシーにある学校で教師をしていた。
ジョン・キーティングは、アカデミックな詩の教育ではなく、自らが主体となる文学を授けるべく、教室だけではなく、学校の廊下や中庭などでも独自の授業を開始する。人生の短さにも触れ、「いまを生きる」ことの大切さを生徒達に教え、自身のことも「キーティング先生」と呼んでもいいが、ホイットマンがリンカーンに捧げた「おお、キャプテン! 我がキャプテン!」にちなんで「キャプテン」と呼んでも良いと生徒達に伝える。生徒達はキーティングのことを「キャプテン」と慕い始める。

学年トップの成績を誇るニール(ロバート・ショーン・レナード)がキーティングがウェルトン学院に在学していた時の年鑑を見つける。ケンブリッジ大学に進学希望で、「死せる詩人の会」というサークルに所属していたことを知った生徒達は、詩の朗読や創作を行うサークルであった「死せる詩人の会」を復活させ、キーティング在籍時代の「死せる詩人の会」も根拠地としていた洞窟の中で自由な青春を謳歌する。内気な少年であったトッド・アンダーソン(イーサン・ホーク)も「その場にいるだけ」という条件で「死せる詩人の会」に参加する。

やがて「死せる詩人の会」メンバー達の生活に変化が起こる。ノックスは、他の高校に通うクリスという女の子(チアリーディングを行うなど、なかなか活発な女子のようである。演じるのはアレクサンドラ・パワーズ)に一目惚れし、彼女に捧げる詩を作る。
詩の創作に乗り気でなかったトッドもキーティングの前で即興で詩を作ることになり、内面が解放されていく。
ニールは、俳優になりたいという夢を見つけ、「真夏の夜の夢」の舞台公演のオーディションに参加、一番人気であるパック役に抜擢される。
だが、そうした自由さはウェルトン学院の校風にそぐわず、やがていくつかの悲劇が訪れることになる。

硬直した校風のエリート校に風穴を開ける教師と、それまでとは違った価値観を見出すことになる若者達の物語である。文学作品、特に詩が主軸となっており、実学とは異なり「人生を豊かにする」文学作品の素晴らしさが語られる。ただ一方で、文学作品の自由な解釈に関しては私は懐疑的で、内容を把握する努力を怠る危険性を感じたりもするのだが、21世紀に入ってから文学軽視の風潮は世界的により高まっており、こうした映画によって言葉で語り、表現し、受け取ることの素晴らしさを人々に広めて貰えたらとも思っている。

名門大学進学のために「今」を犠牲にする風潮も、私達の世代ほどではないが、現在も日本では根強い。実は青春時代に身につけておかなければならないことは勉強以外にも数多い。きちんと語り、受け取る技術もそれで、若い時代に身につけておかないと挽回は難しい。この映画が制作された1989年や舞台となった1959年とは比べものにならないほどの情報社会が訪れ、文章による伝達の機会も多くなったが、青年期に文学作品にきちんと向かい合う人が少ないため、極々初歩的なやり取りも成立せず、勘違いに勘違いが重なるケースが後を絶たない。「自分自身で考える」「自分の言葉を用いる」ということは、当たり前のようでいて実は難度はかなり高い。相手がいる以上、自己流を貫いてばかりでは伝達は成立しない。そこには人文的素養が必ず必要になってくる。

劇中で、キーティングが机に上に立って視点を変えることを奨励する場面が出てくる。ラストではキーティングはウェルトン学院を去ることになるのだが、彼の志は何人かの生徒に確実に受け継がれるであろうことが見て取れる。1年前に他界した野村克也は、後藤新平の「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」という格言を愛したが、キーティングは進学実績を残す前に学院を去るも人を遺すことには成功したのだ。人に教える人間としては、「上」であったと言える。

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2021年2月21日 (日)

観劇感想精選(385) 佐藤隆太主演 舞台「いまを生きる」(再演)

2021年2月13日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後1時から、西梅田のサンケイホールブリーゼで、舞台「いまを生きる」を観る。ロビン・ウィリアムズ主演の名画の舞台化で、今回は再演となる。主演は佐藤隆太。

佐藤隆太主演の「いまを生きる」が再演されるという情報は得ていたのだが、チケットの取り扱いがイープラスとローソンチケットとぴあの電話予約だったということもあり、いつどこで上演されるのかまでは掴んでいなかった。先月、野村万作萬斎の狂言公演を観に行った際に、サンケイホールブリーゼエントランス近くのチラシコーナーで「いまを生きる」のチラシを見つけ、「佐藤君主演だったら観なきゃな。『エブリ・ブリリアント・シング』では良い経験させて貰ったし」というわけでイープラスでチケットを取った。

佐藤隆太も女性のファンが多い俳優だが、それに加えて、ジャニーズJr.のメンバーが出演するため、客席の大半は若い女性である。

今回の「いまを生きる」は、オフブロードウェイで上演された作品の日本語上演版である。「いまを生きる」には、生徒が自殺するシーンがあるのだが、映画から起こした台本を使って高校演劇として上演されたことがあり、その高校で数ヶ月前に自殺事件が発生していたため、「倫理的にどうか」と疑問視されたことがある。ただ、今回はそれとは別のバージョンである。

脚本:トム・シュルマン(映画版脚本。第62回アカデミー賞脚本賞受賞)、演出・上演台本:上田一豪(うえだ・いっこう。東宝演出部所属)。
出演は、佐藤隆太、佐藤新(ジャニーズJr.)、瀬戸利樹、影山拓也(ジャニーズJr.)、基俊介(ジャニーズJr.)、三宅亮輔、市川理矩、日向なる、飯田基祐、佐戸井けん太。

日本初演は2018年で、3年ぶりの再演となる。

舞台となるのは、アメリカ北東部、バーモント州にある寄宿学校(ボーディングスクール)、ウェルトン・アカデミーである。アイビーリーグに多くの生徒を送り出している名門校であるが、その手の学校にありがちなように、保守的で厳格な校風であり、教師や親からの「幸福の押しつけ」が起こりやすい環境である。
そこに赴任して来た新人英語教師(日本のように非英語圏の人に英語を教えるわけではないので、日本でいう国語教師に近い。ただアメリカには当然ながら本当の意味での古文や漢文などはないので、教えるのは文学作品中心である)のジョン・キーティング(佐藤隆太)。ウェルトン・アカデミーのOBである。初登場シーンでは、口笛でベートーヴェンの「歓喜の歌」を吹きながら現れる(原作映画では別の曲である)。まず最初の「詩とは何か」の定義で教科書に書かれていることを否定し、真の意味での優れた文学教育や人間教育に乗り出していく。ただ、寄宿学校に通う生徒の両親は、往々にして金持ちだが保守的で息子の進路を勝手に決めてしまうというタイプが多いため、ジョンのやり方は次第に非難を浴びるようになっていく。ウェルトン・アカデミーの校長であるポール・ノーラン(佐戸井けん太)も自由さや独自性を重視するジョンのやり方を問題視するようになっていった。

ジョンは、生徒達に詩作を行うことを薦める。最初の内は戸惑っていた生徒だが、次第にジョンに共鳴するようになり、クラスで首席を取りながら、親が決めた道に進まざるを得ない状況となったニール(瀬戸利樹)も、ジョンに触発されて以前から興味のあった俳優の仕事に興味を持ち、他校で行われる「真夏の夜の夢」のオーディションに参加、一番の人気役であるパックにキャスティングされて大喜びである。
ジョンは、生徒達に机の上に立って、視点を変えるといったような発想法の転換などを中心に教えていく。

思春期の男の子達ということで、一番の話題はやはり恋愛。寄宿学校は男子生徒のみであり、女子との接点は少ないのだが、ノックス(影山拓也)は、パーティーで知り合ったクリス(日向なる)に一目惚れ。何かと話題にしている。

男子生徒達は、ウェルトン・アカデミー在学時代のジョンに興味を示し、残された文集やデータなどから、ジョンがウェルトン時代に「死せる詩人の会」という詩の朗読サークルに所属していたことを知る。現在は残っていないサークルだったが、生徒達は再興することを決め、文学と自由を謳歌するようになるのだが……。

ニールは「真夏の夜の夢」に出て好評を得たが、父親のペリー(飯田基祐)から、俳優などやらず、ハーバード大学の医学部に進み、医者になるよう強制される。それが代々のペリー家の男子の生き方だったようだ。苦悩するニールは最終的には拳銃自殺を選んでしまうという、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』の系譜に列する作品でもあり、子ども達への「愛情」のあり方が問われている。

ジョンが最初に生徒に教えたのは、ホイットマンがリンカーン大統領の思い出に捧げた「おおキャプテン! わがキャプテン!」であり、ジョンも教師というよりキャプテンであることを生徒に印象づける。この「おおキャプテン! わがキャプテン!」は、亡くなったリンカーンを死にゆく船長になぞらえたもので、内容自体は不吉であり、ジョンのその後を予言する結果となっている。

結局、ジョンは、保守的な学校体制には勝てず、寄宿学校を去ることになるのだが、最後に生徒達は机の上に立ち上がり、「おおキャプテン! わがキャプテン!」と唱えて、ジョンを支持するのであった。

 

アメリカの学園もの映画の中では、「いまを生きる」以外に、リチャード・ドレイファス主演の「陽のあたる教室」なども好きなのだが、「陽のあたる教室」も日本でも舞台化されており、まだ東京に通っていた頃なので、私は世田谷パブリックシアターで観ている。主演は水谷豊で、大阪ではシアター・ドラマシティで公演が行われたようである。息子役が黒田勇樹であったのが良かったのか悪かったのか今となっては微妙に思える。

 

カーテンコールでは佐藤隆太が、本日の話し手として、リチャード・キャメロン役の市川理矩を指名。キャメロンは、生徒達が「おおキャプテン! わがキャプテン!」でジョンを讃えている時に、自己保身のため一人だけ立ち上がることの出来ない生徒なのだが、市川が「机の上に立ってみたかった」と言ったため、特別にキャメロンも立ち上がるバージョンのラストシーンが演じられることになる。途中で自殺してしまうニール役の瀬戸利樹も冗談で参加しようとするが、佐藤隆太が、「いや、ニールがいるのはおかしい」と突っ込んだためすぐに退場する。
キャメロンが机の上に立って、「おおキャプテン! わがキャプテン!」をやった時には、客席が若い女の子中心ということで、黄色い声や笑い声、拍手などが鳴り響いた。

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2021年2月20日 (土)

観劇感想精選(384) 大竹しのぶ主演「フェードル」(再演)

2021年2月13日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「フェードル」を観る。作:ジャン・ラシーヌ、テキスト日本語訳:岩切正一郎、演出:栗山民也。出演:大竹しのぶ、林遣都、瀬戸さおり、谷田歩(男性)、酒向芳(さこう・よし)、西岡美央、岡崎さつき、キムラ緑子。
ラシーヌ最後の戯曲であり、ギリシャ悲劇「ヒッポリュトス」を題材に、当時のフランスの世相などを加えて書き上げたという重層的構造を持つ作品である。大竹しのぶのフェードル、栗山民也の演出による上演は2017年に行われ、今回は再演となる。

オペラやミュージカル上演時にはオーケストラピットとなるスペースが、客席側の壁を取り払う形でしつらえられており、階段が2つ下りていて、大竹しのぶ演じるフェードルがピットの部分に下りて嫉妬心を語るシーンがある。また菱形を重ねた舞台装置であるが、登場人物がその縁スレスレを歩く場面があり、不安定感が表現される。また、ライトによって舞台床面に十字架のようなものが浮かぶ場面があり、フェードルが両手を伸ばして磔になったかのように見える仕掛けが施されていたりもする。

ギリシャのペロポネソス半島の街、トレゼーヌが舞台である。アテナイ(アテネ)の王であるテゼが消息を絶つ。テゼは勇猛果敢な王であり、数々の戦勝によって英雄視されているが、「英雄、色を好む」を地で行く人物であり、とにかく女癖が悪く、至る所に愛妾を設けていた。
現在のテゼの王妃がフェードル(ギリシャ悲劇ではパイドラという名前である。演じるのは大竹しのぶ)である。クレタ島の王家の出。ミノス王の娘で、ミノタウロスとは異母姉弟、そしてゼウスの孫にして太陽神の家系という複雑な環境に生を受けている。フェードルが恋路について、ミノタウルスが幽閉されたラビリンスに例える場面が劇中に登場し、テゼとアリアドネの話も仄めかされる。テゼはフェードルを寵愛し、フェードルを妻にして以降は女遊びも止めている。だが、そんなテゼがいなくなった。
フェードルにもテゼとの間に子どもがあるが、テゼと先の王妃、アンティオペとの間に生まれたのがイッポリット(林遣都)である。女であれば誰もが一目見て恋に落ちるほどの美男子だ。アンティオペはアマゾン国の女王出身であり(つまりアマゾネスである)、今はもう他界しているが、人々の話から激しい性格であったことが察せられる。そのためイッポリットは女を憎むようになっていた。イッポリットはテゼを探しに、この場所から外へと飛び出そうとしているのだが、侍臣のテラメーヌ(酒向芳)から、「どうも王が死んだようだ」と聞かされる。
フェードルも、イッポリットを一目見て恋い焦がれてしまったのだが、血は繋がっていないとはいえ、義理の親子であるため、近親相姦と見なされる可能性が高い。そのため、フェードルは敢えてイッポリットに冷たく当たり、イッポリットもフェードルの恋心に気づいてはいない。フェードルは、イッポリットへの恋の病で伏せるようになる。

イッポリットはイッポリットで、かつてテゼに反抗したアテナイ王族の娘で、今は保護観察処分となっているアリシー(瀬戸さおり)に恋をしている。こうして「片思いの連鎖」が生まれているのだが、イッポリットは男前なので、アリシーもイッポリットを恋慕っていた。アリシーは7人兄妹だったようだが、自分以外の6人は全てテゼによって殺害されたそうである。

さて、テゼが亡くなったとされたため、王位継承の候補として、フェードルの子、イッポリット、アリシーの3人が挙がる。フェードルは忍ぶ恋の相手だったイッポリットを選ぼうとし、最後は自分の思いを打ち明けてしまうのだが、イッポリットからは当然ながらというべきか色よい返事が貰えない。イッポリットはアリシーに王座を譲ることを考えていた。若者二人、恋の障壁といえば現在の身分の違いである。だが、もしアリシーがアテナイの女王となった場合、全ての障害は取り除かれる。
そんな時、テゼ(谷田歩)が生きており、まもなく帰還するという情報がもたらされる。その他の人物の努力が、このテゼの帰還によって水泡に帰する危険があった。

フェードルは、イッポリットへの復讐として、乳母で相談役のエノーヌ(キムラ緑子)と共に、イッポリットが自身を誘惑したという真逆の情報をテゼに伝えようと謀る。
だが、イッポリットが自分ではなくアリシーを愛しているということを知ったフェードルは嫉妬の炎に燃え上がる。

 

テゼが王宮を不在にしたことを発端として巻き起こる悲劇である。テゼがそのまま留まり続けていれば起きなかった悲劇とも考えることが出来る。
イッポリットは呪いによって命を落とし、エノーヌはフェードルの裏切りによって海中に身を投げるのだが、これらはギリシャ悲劇らしく伝聞によって語られる。悲劇は見えないところで起きるのだが、ラシーヌはフェードルの服毒死だけは舞台上で行われるようアレンジしている(原作ではフェーデルことパイドラが落命するシーンはないそうである)。ここがギリシャ悲劇とは違ったラシーヌらしさである。

かつてある映画(どの映画かは忘れてしまった)で、大竹しのぶと桃井かおりの二人の「魔女」と言われる女優が路上で喧嘩しているシーンを撮っている時に、本当に雷が落ちて、映画にもそのまま収められたという有名な話があり、監督が「魔女二人が一緒に画面に入っちゃ駄目!」と言ったという話があるが、今回の舞台は、大竹しのぶとキムラ緑子という二人の「魔女」系女優の共演となった。ただ王妃とその乳母という関係であり、一部を除いては激しいやり取りもなく、落雷も起こらず(当然だが)、キムラ緑子の悲哀の表現の上手さが引き立っていた。

余談だが、キムラ緑子が、「さんまのまんま」に出演したことがあるのだが、キムラ緑子は、明石家さんまの話をほとんど聞かず、思いついたことを即行動に移してしまうため、さんまが、「言葉のキャッチボールって分かる?」「良い女優さんって、どうしてみんな変なんやろ? 俺に大竹しのぶは無理やったんやわ」と嘆いていたことが今も思い出される。

タイトルロールを演じる大竹しのぶであるが、セリフが極めて音楽的である。大竹しのぶは舞台出演も多いため、接する機会も多いのだが、近年になってセリフがより音楽的なものへの傾斜していることが実感される。おそらく本人も意識しているはずである。
大竹しのぶは、女優だけでなく歌手としても活動しており、コンサートなども開いている。また、エディット・ピアフの生涯を描いた「ピアフ」では、タイトルロールとして見事な歌唱を聴かせ、評価も高い。ということで音楽と親和性の強い台詞回しの追求が可能な女優である。
今回の「フェードル」でも三連符の連続のような節回しや、バロック音楽の装飾音のように華麗な口調、声の高さによって操られる情感や業に至るまでの多彩な表現を繰り広げる。真に音楽として聴くことの出来るセリフであり、大竹しのぶはさながら「セリフのマエストラ」と称賛すべき存在となっている。音楽好きの人にも是非見て聴いて貰いたいセリフ術だ。ちなみに今最も人気のあるピアニストである反田恭平が、東京で「フェードル」を観たようで、Twitterで大竹しのぶの演技を絶賛していた。

子役から成長した林遣都。子役の時は、映画「バッテリー」でピッチャー役を務めており、そのことからも分かる通り運動神経抜群で、高校生の頃に箱根駅伝を題材にした映画に出演した際は、指導を行った桐蔭横浜大学陸上部の監督に才能を見込まれ、「進路はどうなってるの? うちに来ないか?」とスカウトを受けたという話が残っている。駅伝の選手になりたいわけではなかったので当然ながら断っているが。
今回もイッポリットを凜々しく演じているが、運動神経が良いので、それを生かした演技も今後見てみたくなる。

今回は「魔女」ではない役のキムラ緑子(そうした要素が全くない訳ではないが、他者によって伝聞として語られるだけであり、演技では面には余り出ない)。セリフなしで佇んでいるだけでも雄弁という、ザ・女優の演技で見る者を惹きつけていた。

 

カーテンコールでは、客席がオールスタンディグオベーションとなり、俳優達は何度も舞台に登場。最後は大竹しのぶが、「ありがとうしか言えないんですけれど。こんな状況の中、お越し下さって感謝しております」と語り、その後、観客だけではなくスタッフや関係者へのお礼を述べた後で、「でも一番は、客席に来て下さった方のために」と感謝を伝え、「演劇が永遠に続きますように。頑張ります」と言って締めた。

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2021年2月19日 (金)

これまでに観た映画より(250) 麻生久美子主演「ハーフェズ ペルシャの詩(うた)」(第20回東京国際映画祭にて)

2007年10月25日 東京・渋谷の東急Bunkamuraシアターコクーンにて

午前10時32分京都発の新幹線で東京に向かう。第20回東京国際映画祭コンペティション作品「ハーフェズ ペルシャの詩(うた)」を観るためである。

午後3時30分、シアターコクーン開場。シアターコクーン内に入ろうとする我々の横を逆方向(つまり劇場内)からふらりとやって来た若者数人が通り抜ける。その中の一人をよく見ると俳優の安藤政信であった。安藤政信、ふらりと普通に出てこないでくれ、驚くじゃないか。
「ハーフェズ ペルシャの詩」は、麻生久美子初となる海外進出作品であり、麻生久美子が上映終了後舞台挨拶に登場する。安藤政信と麻生久美子は友人なので、おそらく安藤政信は麻生久美子の楽屋を訪れていたのだろう。

「ハーフェズ ペルシャの詩」はイラン映画。アボルファズル・ジャリリ監督作品である。ジャリリ監督は映画「カンゾー先生」を観て麻生久美子に惚れ込み、長年に渡りオファーを続けてきたそうだ。麻生久美子は業界や同業者にファンが多いことでも知られるが、イラン人映画監督までファンになってしまうとは。何か凄いな。
麻生久美子は日本人ではなく、ペルシャ人を演じる。セリフもペルシャ語とアラビア語だ。ただし見た目はどう考えてもペルシャ人ではないので、ペルシャ人とチベット人のハーフという設定にしてある(ただ、後日確認したところ、イランには日本人風の見た目の人も多いらしい。麻生久美子のイラン旅行記も読んだが、親日家が多く、日本語が出来る人も珍しくないそうである)。

内容は難解ではある。説明をなるべく省くというスタイルを取っているからだが、非常にロマンティックで愛らしい作品だ。

コーランを暗唱出来る聖人のことを指すハーフェズ。そのハーフェズを目指すシャムセディン(メヒディ・モラディ)は、一方で詩の創作に興味を持っており、詩の塾に通っている。しかし、ハーフェズは詩などを作ってはならないと諫められ、詩作は辞める。コーランの暗唱試験に合格し、見事ハーフェズとなったシャムセディン。シャムセディンことハーフェズは、街の宗教指導者(大師)から、チベットから帰ってきたばかりの娘ナバート(麻生久美子)のコーランの家庭教師としてつくよう求められる。
顔を合わせることなく侍女の監視付きでコーランの授業を進めるハーフェズとナバートだが、ナバートは詩に興味を持っており、ハーフェズに様々な質問をする。それに答えるハーフェズ。いつしか二人は互いを恋するようになるのだが、その恋が認められるはずもなく、ハーフェズは裁判により有罪となり、ハーフェズの称号を奪われ、鞭打ち50回の刑を受ける。ハーフェズではなくなったシャムセディンは煉瓦工場で肉体労働をすることに。
一方、ハーフェズとの恋路を絶たれたナバートは鬱状態に陥る。祈祷師がいくら祈ってもナバートの鬱は快癒しない。

元ハーフェズのシャムセディンとのやり取りを何とか許されることで鬱を脱したナバート。だが、ナバートは大師の部下で宗教学者である、元ハーフェズと同名のシャムセディン(メヒディ・ネガーバン)という男と無理矢理結婚させられてしまう。だが、宗教学者のシャムセディンも、元ハーフェズのシャムセディンに尊敬の念を抱いており、ナバートに手を触れようとはしなかった。

元ハーフェズのシャムセディンは、恋を忘れる儀式として鏡を持って各地の村を周り、各村で一人の処女に鏡を磨いて貰う。全部で七人の処女に鏡を磨いて貰えば恋が忘れられるというのだが、鏡を磨く儀式は本来は恋を成就させるための儀式である……。


麻生久美子は思ったより出番が少ないのだが、それでも重要な役割を務めている。

ジャリリ監督は、脚本、監督、撮影などを一人で手掛けている。登場人物がスクリーンを横切る形で走ったり歩いたりするシーンが多いのが印象的。人物の水平移動をこれほど徹底して撮る監督も珍しい。

ラストシーンがまた素晴らしい。押しつけがましさの全くないラストであり、説明的要素もほとんどないのだが、素直に“ああ、良かったね”と喜べる。

イラン映画なのに、どこか懐かしさを感じるのは、日本の民話や世界各国に古代から伝わる話に通底するものがあるからかも知れない。
邦題だけでなく、この映画自体が本当に「詩」だと思う。


上映終了後、麻生久美子とジャリリ監督が登場。主に記者を対象にしたティーチインが行われる。
麻生久美子は劇中でも着ていたイランの民族衣装を着て登場。だが、本人いわく、「映画で見慣れたのか(お客さんに)余り驚いて貰えなくてちょっと残念」とのこと。

ジャリリ監督は、「素敵な夜空を見ていたらこの風景を人に伝えたくなるんだ」といったようなことも話し、司会者の方から「ロマンティックな監督ですね」と言われていたが、「ハーフェズ ペルシャの詩」自体が大変ロマンティックであり、やはりこういう作品はロマンティックな人でないと撮れないだろう。


麻生久美子の海外映画デビューを祝えるのは嬉しい。それも欧米作品ではなくイラン映画で、更に監督に出演をせがまれてというのがいいじゃないか。

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2021年2月18日 (木)

ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団 モーツァルト 交響曲第40番第2楽章

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これまでに観た映画より(249) 長谷川一夫主演「四谷怪談」

2007年9月8日

DVDで長谷川一夫主演の「四谷怪談」を観る。1959年、大映作品。三隅研次監督作品。
「四谷怪談」というタイトルで、民谷伊右衛門とお岩を始め、登場人物も原作にほぼ忠実なのだが、民谷伊右衛門を悲劇のヒーローに仕立ててしまうという異色作。京極夏彦原作、蜷川幸雄監督の「嗤う伊右衛門」など同類の作品もあるが、「四谷怪談」と銘打っておきながら別の話にしてしまうというのは凄い。

浪人・民谷伊右衛門(長谷川一夫)は清廉な人柄。袖の下を通すのが嫌で職にありつけない。それでも妻のお岩(中田康子)とともに内職などをしながら清貧の生活を送っている。ある日、職を求めて代官・伊藤喜兵衛のところに出向いた伊右衛門。しかし、「今どき金も渡さず職にありつこうなんて」と伊藤に小馬鹿にされて帰る。ところが、伊藤の娘であるお梅(近藤美恵子)が伊右衛門に惚れてしまった。だが、お岩という妻があるため、伊右衛門はお梅を相手にしない。そこで伊藤や伊右衛門の家に出入りしている直助(高松英郎)はお岩に毒を盛り、顔を醜くして伊右衛門と離縁させようと謀る……。

ラストでは、伊右衛門が伊藤の家にお岩の恨みを晴らすべく討ち入るという妙な展開になる(長谷川の当たり役である大石内蔵助を意識したのだろうか)。こういう四谷怪談もありだとは思うが、その場合はタイトルを変えるなり、付け加えるなりした方がいいと思うのだが。人によっては、「こんなの四谷怪談じゃない」と怒るかも知れないし。

映像は美しく、構図も綺麗。時には繋ぎが不自然になってでも絵のようにバランスの良い構図を重視する。
耽美的な四谷怪談になっているが、それが物足りなくもある。


同時期に新東宝は天知茂主演の「東海道四谷怪談」を制作、公開している。長谷川一夫には敵わないと、低予算で、無名の天知茂を起用して作った「東海道四谷怪談」であるが、こちらは長谷川一夫版「四谷怪談」とは比較にならないほどの傑作となった。床に水を張った直助殺害シーンなどはアイデアも仕上がりも素晴らしいの一言である。

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2021年2月17日 (水)

美術回廊(62) 京都国立近代美術館 「分離派建築会100年展 建築は芸術か?」

2021年2月11日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡崎にある京都国立近代美術館で、「分離派建築会100年展 建築は芸術か?」を観る。

分離派というとグスタフ・クリムトやオットー・ワーグナーらが興したウィーン分離派(オーストリア造形芸術家協会。セセッション)による芸術革新運動が有名であるが、今回の展覧会は、ウィーン分離派に影響を受け、「分離派建築会」を創設した日本の若き建築家達が主役である。創設メンバーは全員、東京帝国大学工学部建築学科に所属していた、石本喜久治、瀧澤眞弓(男性)、堀口捨己、森田慶一、矢田茂、山田守の6人である。その後、山口文象(岡村蚊象)、蔵田周忠(濱岡周忠)、大内秀一郎が加わっている。

創設メンバーは、東京帝国大学で伊東忠太に師事。それまでの建築様式にとらわれない新建築を目指したが、ウィーン分離派同様、全体としての傾向を定めることはなく、一人一様式としている。

分離派建築会が関わった建築は、今では少なくなってしまっているが、往時は毎日のように眺めていた東京・御茶ノ水の聖橋や、京都では京都大学学友会館、京都大学農学部正門などが残っている。入ってすぐのところに現存する分離派建築会関連建築の写真展示があり、分離派建築会の第1回作品展で掲げられた宣言(「我々は起つ」)を読み上げる女性の声が、終始流れている。

分離派建築会の創設は、1920年(大正8)。スペイン風邪のパンデミックの最中であった。明治維新と共に、西洋風の建築が日本の各地に建てられたが、明治も終わり頃になると「西洋建築一辺倒でいいのか?」という疑問を持つ人も多くなり、独自の日本建築の開拓に乗り出す人が出てきた。分離派建築会の人々もまたそうである。
分離派建築会の東大の先輩にあたる野田俊彦は、「建築非芸術論」を上梓し、実用性最優先の立場に立っていた。

いくつかの映像展示があるが、一番最初にあるのは、当時の建築の最前線を走っていた後藤慶二に関する映像である。1983年の制作。テレビ番組として制作されたもののようで、後藤の代表作である豊多摩監獄(豊多摩刑務所。正門部分のみ現存)が紹介されている。豊多摩監獄は、1983年に取り壊されることが決まっており、このドキュメンタリー映像は、豊多摩監獄を記録する意図で制作されたようである。
豊多摩監獄は、日本最大級の監獄であり、江戸時代の小伝馬町の牢屋敷を市ヶ谷に移した市谷監獄の後継施設として建てられている。市谷監獄は小伝馬町の牢屋敷をそのまま移築したものだそうで、何と江戸時代に建てられた獄舎が明治43年まで長きに渡って使用されていた。手狭になり、老朽化も甚だしいとして現在の中野区に建てられたのが豊多摩監獄である。思想犯を多く収容し、大杉栄、亀井勝一郎、小林多喜二、三木清、中野重治、埴谷雄高、河上肇らが入獄している。
後藤が設計した豊多摩監獄は、十字式の独居房配置が特徴。中心の部分に見張りを置いていれば、4つの独居房の列が全て見渡せるという、画期的な仕組みが採用されていた。
その後藤慶二にあるが、スペイン風邪に罹患し、腸チフスも合併して35歳の若さで亡くなってしまう。
後藤慶二や、分離派建築会のメンバーの師である伊東忠太も師事した辰野金吾もスペイン風邪に罹り、64歳で他界。スペイン風邪は日本の建築界にも激震をもたらした。

その直後に発足した分離派建築会は、新たなる芸術としての建築美を追究することになる。アールデコなどの装飾も流行った時期であったが、分離派建築会のメンバーが設計した建築は、どちらかというと装飾の少ない、スッキリしたものが多い。
教育面でも活躍しており、瀧澤眞弓は神戸大学や大阪市立大学、甲南大学といった関西の大学で教鞭を執っている。堀口捨己は明治大学建築科の創設に尽力し、指導も行った。森田慶一は武田五一に招かれて京都帝国大学の教員となり、京大関連の建物も設計。先に書いた京都大学学友会館や農学部正門といった現存建築は森田が設計したものである。矢田茂は民間企業に就職したため分離派としての作品は少ないが、逓信省に入った山田守は、後に御茶ノ水の聖橋、日本武道館や京都タワーなどを手掛けた。

分離派建築会のメンバーは、新しい建築を生むにあたり、オーギュスト・ロダンらの彫刻を参考にしたり、田園地帯での生活における建築美を追究するなど、建築そのものとは関わりのないものにも影響を受け、自身の作品に取り入れていった。瀧澤眞弓の作品「山の家」模型は、ディズニー映画「アナと雪の女王」に出てくる雪の女王の城を連想させる斬新な設計である(理想を掲げたもので、実際に建設はされなかった)。

旧岩国藩主であった吉川家の東京邸や、公家であった坊城邸なども堀口捨己や蔵田周忠ら分離派建築会のメンバーが手掛けているようだ。写真のみの展示なのがちょっと寂しい。

京都国立近代美術館を出ると隣は武田五一設計の京都府立図書館(残念ながら外装工事中であり、布で覆われていた)、北側に目をやると伊東忠太設計の平安神宮応天門が眼に入る。今まさに建築の歴史の中に生きていることを実感し、彼らと繋がれたような喜びがこみ上げてくる。

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2021年2月16日 (火)

これまでに観た映画より(248) 章子怡主演作「ジャスミンの花開く」

2007年8月17日

DVDで中国映画「ジャスミンの花開く」を観る。章子怡(チャン・ツィイー、チャン・ツーイー、ZHANG Ziyi)主演。「ラストエンペラー」のジョアン・チェンや、張芸謀監督作品への出演も多い姜文も出演している。ホウ・ヨン監督作品。

ジャスミンを漢字で表記すると茉莉花であるが、そこから取った、茉(Mo)、莉(Li)、花(Hua)という名の親子三代に渡る女性の物語。名前の付け方がイージーな気もするし、茉、莉、花の三人とも章子怡が演じるというのも変だが、まあいいだろう。
少し前の暗い中国映画の雰囲気を引きずっているような映画。茉、莉、花ともに男運が悪く、苦労する。

上海が魔都と呼ばれていた時代。写真屋の娘である茉(章子怡)は、店頭に飾ってあった写真を見た映画プロデューサーの孟(姜文)に見初められ、映画女優としての道を歩き始める。しかし、上海事変など、戦時色が強くなる中で映画会社は解散、孟は有り金全てを持って香港へと逃げてしまう。茉は孟の子を身籠もっていたが、捨てられた格好となった。茉と孟の子は女の子で莉と名付けられる。

18年後、莉(章子怡)は、文革の時代の少し以前に、高傑という男性に恋をする。高は労働者階級で、共産党員である。母親の茉(ジョアン・チェン)は結婚に反対するが、それを押し切って莉は高と結婚する。だが、高の実家のいかにも労働者階級的な生活に絶えきれなかった莉は実家へと戻る。高が莉の実家へとやってきて、新たな生活が始まる。しかし、莉は子供が産めない体質であり、そのことを気に病んでいる。高は養子を貰うことで莉を納得させ、花という女の子を養子とする。
しかし、莉の精神状態は更に悪化していった。

13年後、花(章子怡)は、杜という男と恋に落ちる。杜は蘭州にある大学に入学することが決まっている。杜が蘭州に向かう前に、花は祖母の茉には内緒で杜と入籍する……。


監督のホウ・ヨンは、張芸謀の下で撮影監督をしていた人。それだけに色彩感覚は鋭く、茉の時代はグリーンを、莉の時代は赤などの暖色系を、花の時代はブルーを基調とした美しい映像を撮る。
章子怡の演技力も非常に高い。
莉と血のつながりのない花も章子怡が演じていたり、ストーリーに新しさが感じられなかったりと、問題点もあるが、映像に浸る感じで観れば楽しめる。ただ、悲惨な展開が多いため、一昔前の暗い中国映画が苦手な人は観ない方が良いかも知れない。

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2021年2月15日 (月)

2346月日(29) 「フェスティバルホール×大阪大学 フェスティバルホール音響体験スペシャルツアー」2021.2.8(後半のみ映像あり)

2021年2月8日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後6時30分から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、「フェスティバルホール×大阪大学 フェスティバルホール音響体験スペシャルツアー」に参加する。文学部や大学院文学研究科に芸術研究系の専攻を持つ大阪大学が、中之島一帯で行っている「クリエイティブアイランド中之島-創造的な実験島-」という9つの芸術&情報系イベントの一つである。ただ新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発出中であるため、プログラムのいくつかはオンラインのみに切り替わり、「フェスティバルホール音響体験スペシャルツアー」に関しては、トーク部分のみオンライン配信が行われることになった。

司会進行は、大阪大学の加藤浩介(専門は音響学)。大阪フィルハーモニー交響楽団のチェロ・トップ奏者である近藤浩志(こんどう・ひろし)がステージ上でチェロを弾き、ツアー参加者が席を移動しながら響きの違いを確かめるというもの。

まず1階席前列に参加者が着座して近藤のチェロを聴く。全席自由であるが、コロナ対策として両隣を1席か2席空けるのが好ましいとされる(夫婦や知り合い同士の場合は隣に座っても構わないようである)。
私は新しいフェスティバルホールの最前列で2回ほど大阪フィルのコンサートを聴いたことがあるのだが、フェスティバルホールステージの前方は弧を描いており、いずれも端の席であったため指揮者の姿が見えないという状態であった。今日は前から3列目の真ん中付近に座る。その後、1階席後方と3階席に移動して近藤のチェロを聴くのだが、1階席後方と3階席には何度も座っているため、特に良い席で聴く必要はなく、適当な席に座った。

曲目は、3回ともアイルランド民謡「ダニーボーイ」のチェロ独奏版。

1階席前方で聴くと、キャッチコピー通りの「天から音が降り注ぐ」という感覚がよく分かる。音の広がり方も自然である。

1階席後方。左手、中央、右手の3つの別れているが、後ろ寄りの左手の席に座る。音響は1階席前方とは異なり、重低音のずっしりとした響きが印象的。おそらくステージに跳ね返った音が届いてくるのだと思われる。

3階席も左手、前から3列目に座る(全員、エレベーターを使う必要があるので、エレベーターに近い右手の方が席が埋まりやすい)。3階は1階で聴いた広がりとはまた違ったストレートな音色となり、音の通りが良く感じられる。三者三様の良さがあるが、チェロということもあり、重低音が豊かに感じられる1階席後方の音響が最も気に入った。他のお客さんの好みもそれぞれで、加藤浩介が挙手によって行ったアンケートでは、三つ等しくという程ではないが、いずれの席も人気であることが分かった。

その後、1階席に戻り、中央通路より後ろ側の席に着座して、演奏者がステージ上で場所を変えて弾くチェロの音色に耳を傾ける。曲目は、サン=サーンスの「白鳥」。ラスト付近の演奏である。
まずは、ステージの真ん真ん中での演奏。上方へと飛んでいく音が多いように感じられる。続いて、ステージ一番前での演奏。通常、チェロがこんな場所で演奏することはない。上へ飛ぶ音が減り、低音が豊かに感じられる。今度は、ステージ最後列、壁を背にしての演奏である。後ろの壁にも音が当たって前に飛んでくるため、自然な広がりが感じられる。チェロと同時にホールの響きの豊かさも実感出来るため、私はこの位置での音が最も気に入った(ただし、チェロがステージ最後方で演奏することはまずない)。最後はステージ上手奥のコーナーでの演奏。音響は最も豊かであるが、響きすぎるため、私のいた右手(上手側)の席ではハウリングも多く聞こえる。
アンケートでは、好きな音響はやはり人それぞれであることがわかる。1階席後方といっても、フェスティバルホールは間口も広いため、席によって聞こえる音も大分異なるはずである。


その後、加藤浩介と近藤浩志によるミニトークが行われ、近藤浩志はフェスティバルホールの音響について、「全ての席が良い」と語っていた。昔、東急が「全ての席をS席に」というキャッチフレーズで、東急Bunkamuraオーチャードホールを使ったテレビCMを制作していたが、オーチャードホールは「S席がない」と言われるほど響きが悪いため、演奏家には余り人気がない。使い勝手も悪いようで、N響首席オーボエ奏者時代の茂木大輔がエッセイでけなしていた渋谷のホールというのはおそらくオーチャードホールであると思われる。フェスティバルホールは、「全ての席がS席」と言っても過言ではないと思われる。ただし、音響に関してはで、視覚面では3階席は遠く、傾斜も急である。そして真に音の良い「正真正銘のS席」がフェスティバルホールには存在する。

今日は近藤はフェスティバルホールの音響を意識せずに弾くことを心がけたそうだが、実際はステージ上で弾く際には、どこで弾くかによって演奏法を微妙に変えるという。チェロの場合、ドイツ式の現代配置の時は指揮者の正面付近上手側、アメリカ式の現代配置の時は客席に近い方、古典配置の際はドイツ式の現代配置の真逆で正面付近下手側で弾くことになり、全体の音響のバランスを考えると、「どのポジションでも同じ弾き方」にならないことは察せられる。またホールや曲によっても奏法は当然ながら変わってくる。

その後、加藤浩介と大阪大学の下倉亮太による「音響学の観点より解説」。下倉亮太も専門は音響学であり、加藤とは先輩後輩の間柄だそうだ。共に大阪大学ではなく神戸大学の出身だそうで、下倉亮太の方が1年先輩になるという。一緒に大学院で学んでいたのだが、師事していた先生が退官したため、音響学の研究所自体が閉鎖されてしまったそうで、その代わりとなる進路が二つ示されたそうだ。一つは熊本大学大学院で、加藤浩介はこちらに転籍した。もう一つはイタリアのボローニャ大学大学院の研究科で、下倉は「失恋したばかりでむしゃくしゃしていた」ということもあり、思い切ってイタリアに渡ったという。
ボローニャでは、クラシック音楽が日常の一部となっており、ボローニャに着いた時に、「歓迎」ということで地元のオーケストラコンサートに連れて行って貰ったという。下倉は時差ボケで眠かったのだが、なんとか最初の1曲を聴いた。隣の席に座った指導担当の教授(だったかな?)は始まってすぐに寝始めてしまったそうだが、1曲目が終わると同時に起き上がり、「あんなつまらない音楽を聴いてたのか、お前は?」と呆れていたそうである。クラシック音楽に日常的に触れているため、出来の良し悪しには敏感で、またよくいわれる通り、ヨーロッパの聴衆というのはシビアで、有名な演奏家でも「悪い」と思ったらすぐ帰ってしまうという話がある。1曲目の演奏も招待した側なので帰りはしなかったということなのかも知れない。

フェスティバルホールの内装は、数多くの凹凸があるのが特徴であるが、これは拡散体と呼ばれるもので、その名の通り音を拡散させる効果があるという。クラシック対応のコンサートホールの場合、音が響きすぎるといけないので、吸音材を使うのが一般的なのだが、フェスティバルホールの場合は、拡散体をつけることによって音響障害が発生するのを防ぐという特徴があるようだ。
ちなみにフェスティバルホールの残響は、空席時が2.2秒、満席時が1.8秒だが、コンサートのおける理想の残響は1.8秒だそうで、「フェスティバルホールさんは強気です。満席時がデフォルトです」と下倉は解説した。

コロナ禍により、空席の多いフェスティバルホールでのオーケストラ公演もあるが、残響過多になったり、使い慣れていない声楽の団体が演奏会やオペラで声を張り上げると壁がビリビリいってしまうのは残業が長めに設計されているためだと思われる。フェスティバルホールは残響からいってオーケストラコンサート向け、ロームシアター京都メインホールや兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールは、残響はそれほど長くはなく、オペラ向けの音響であると思われる(音響は全て永田音響設計が手掛けている)。

世界最古のホールは、紀元前のギリシャの劇場であるが、当時は科学が発達していなかったため、「反射音は悪魔の所業」と思われており、残響のない屋外劇場でギリシャ悲劇などが上演された。その際、海のそばに劇場を建て、海がステージの後ろに来るよう設計し、セリフが海風に乗って客席に届きやすくなるよう工夫が凝らされていたそうである。
紀元後のローマ帝国の時代になると、「残響が悪魔の声」などというのはまやかしだと気づくようになり、壁を立てることで音が響きやすくなる構造の劇場に変化していったという。

下倉は、日本にいた時はオペラには興味がなく、観たことすらなかったそうだが、イタリアはオペラの本場ということで、留学時代にオペラに嵌まり、オペラハウスに足繁く通ったそうである。オペラは歌手が主役で、声や歌詞やセリフをハッキリ聞き取れることが最優先、オーケストラは脇役か盛り上げ役であり、声を聴き取るには残響が長いと不利ということで、残響は1.2秒から1.6秒程度とコンサートホールに比べると短くなるよう設計されている。日本でも純粋なクラシック専用ホールと、オペラ対応多目的ホールを聞き比べるとこれは分かる。
残響については、ハーバード大学の教授であったウォーレル・セイビンが、ハーバード大のフォッグ講堂だけ声が聴き取りにくいという学生の声を受けて、音響を測ることにしたのがその始まりとされる。オルガンを使っての測定で、フォッグ講堂だけが他の講堂に比べて残響が長かったそうだ。残響というものが人類史上初めて意識されたのは、音楽ではなく講義だったのである。


最後は、近藤浩志のチェロ独奏によって締められる。演奏されるのは、J・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第3番よりサラバンド。更にアンコールとしてカタルーニャ民謡(カザルス編曲)の「鳥の歌」が演奏された。

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安全地帯 「Friend」




安全地帯のバラード「Friend」。歌詞をパッと見ると、恋人から友達に戻ることを決めた男の歌のように読み取れますが、「Friend」には「友達」の他に、「愛する人」や「特別な人」という意味があるため、個人的には死別の曲と捉えています。その方が曲調にも合うように感じます。

恋人から友達に戻るという解釈では女々しい男という風にも受け取れますが、死別した恋人へのメッセージと解釈すると壮大で深い愛の曲に生まれ変わります。私は後者の方がずっと好きです。

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2021年2月14日 (日)

2346月日(28) 神奈川近代文学館「井上靖展」ほか、横浜市イギリス館、ゲーテ座 2007.7.21

2007年7月21日

港の見える丘公園のある、通称フランス山に登り、神奈川近代文学館へ向かう。
神奈川近代文学館では、今年が生誕100年に当たり、大河ドラマ「風林火山」の原作者でもある井上靖展が開かれていた。常設展も充実していて、夏目漱石、芥川龍之介、吉川英治、大佛次郎(おさらぎ・じろう)、中島敦、島崎藤村、志賀直哉、武者小路実篤、有島武郎、北村透谷、谷崎潤一郎、三島由紀夫、岡本かの子、泉鏡花といった神奈川県に縁の深い作家の直筆原稿が展示されており、面白いことこの上ない。直筆原稿の字を読みながら、原稿用紙に字を書いていく文豪の姿を思い浮かべると頬がゆるむ。
作家によって使う筆記用具が違い、字の読みやすさも違う。明治時代前期に執筆活動を始めた人は毛筆書きが多く、時代が下がると万年筆で書く人が多くなる。中には鉛筆書きの作家もいる。字も非常に読みやすい人から何が書いてあるのかほとんどわからないほど悪筆の人まで様々である。推敲の頻度も当然ながら異なり、ほとんど推敲の跡が見られない人もいれば、数行ごとに文章を黒く塗りつぶして、横に新しい文を小さく書き記す人もいる。

井上靖展も井上の直筆原稿と、金沢四高(現・金沢大学教養課程)時代から始まる詩作のノート、京都帝国大学在学中(といってもすでに28歳であった)に“就職難を吹き飛ばして”大学生でありながらキネマ社の脚本部に入るという“快挙”を成し遂げた井上靖青年を取り上げた新聞記事(井上の顔写真入り)なども展示されている。


港の見える丘公園内にある横浜市イギリス館を見学。かつてのイギリス総領事館公邸である。1937年完成の木造建築。2004年から内部が一般公開されている。入館無料。1階のホールはサークル活動などの稽古場として、2階の集会所はミーティングルームとしても使用されており、私が訪れた時は両方とも使用中で、その2つの部屋だけは見ることが出来なかった。

ついで、岩崎ミュージアムを訪れる。地下は山手ゲーテ座というホール、2階が服飾関係のミュージアム、1階がミュージアムショップと喫茶店となっている。
山手ゲーテ座は、明治時代に建てられた「ゲーテ座」という西洋劇場の跡地であることを記念して作られたホール。ゲーテは、文豪のゲーテではなく、英語のGaiety(陽気な)に由来するとのことである。
かつてのゲーテ座では、居留西洋人のための居留西洋人による演劇上演や音楽会が催されており、西洋文化に直接触れることの出来る日本でほとんど唯一の場所であった。西洋文化を学ぶために、坪内逍遙、北村透谷、瀧廉太郎、芥川龍之介などが足繁く通っていたという。

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2021年2月13日 (土)

コンサートの記(695) 下野竜也指揮 京都市交響楽団 京都ミューズ フォーレ「レクイエム」+林光「木琴協奏曲・夏の雲走る」(日本初演)

2007年7月14日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールへ。台風が接近中であり、たまにどしゃ降りになる。

今日のコンサートは、下野竜也(しもの・たつや)指揮京都市交響楽団(京響)の演奏で、前半はメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」と林光の木琴協奏曲「夏の雲走る」(日本初演)の演奏。木琴独奏は通崎睦美(つうざき・むつみ)。
後半は、京都ミューズ・フォーレ・レクイエム合唱団を加えて、フォーレの「レクイエム」が演奏される。ソプラノ独唱:日紫喜恵美(ひしき・えみ)――今日のコンサートは読みにくい苗字の人が多いなあ、他人のことは言えないけれど――、バスバリトン独唱:片桐直樹。

下野竜也は1969年、鹿児島県生まれの若手指揮者。見るからに「薩摩隼人」という風貌の持ち主である。若手としてはオーケストラを鳴らす術に長けており、「フィンガルの洞窟」は迫力がありながら細部までの目配りも怠らない好演であった。

林光は現代の作曲家としては平易な作風を特徴とする。木琴協奏曲はリズミカルでユーモラスな木琴独奏が実に楽しい。通崎睦美も遺漏のない演奏。下野指揮の京響もリズムの良い伴奏を奏でた。
演奏終了後、客席にいた林光がステージに上がり、聴衆からの喝采を浴びる。


京都ミューズ・フォーレ・レクイエム合唱団は、今回の演奏会のために編成されたアマチュア合唱団。京都市民の参加、自主運営で、今年の1月から今日のために練習を積み重ねてきた。総勢は200名を超える、ってそんな大編成だったらプロの合唱団でも声がずれるぞ。
こちらも、技術面は期待していない。それに私は合唱は聞き込んでいないので詳しくもなく、良し悪しがはっきりわかるわけでもない。
やはり声のズレはあったけれど、大編成のアマチュア合唱団にしては良い部類に入るのではないだろうか。

フォーレの「レクイエム」は、私の大好きな曲。台風だろうか何だろうが聞き逃すわけにはいかない。
ちなみに、先月も大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会でフォーレの「レクイエム」は演奏されたのだが、指揮予定の大植英次が突然のめまいにより緊急降板するというハプニングがあった。

下野竜也の指揮はやや速めのテンポを基調とした若々しくも輪郭のクッキリした音楽を作り出す。京響は金管、特にホルンの音色が輝かしい。

ソプラノ独唱の“ピエ・イエス”は、満足するのが非常に難しい曲。オペラ歌手が歌うと(今日のソリストの日紫喜恵美もオペラで活躍している)ドラマティック過ぎて、曲の持つ楚々とした旋律美が壊されてしまう。もっともそう感じるのは、ミシェル・コルボという指揮者がボーイ・ソプラノや、ボーイ・ソプラノに近い声質を持ったソプラノ歌手にソリストを務めさせた名盤が複数存在するからなのだが。
日紫喜恵美も少しドラマティックに過ぎる箇所があったが、曲の雰囲気にはそこそこ合っていたのではないかと思う。

終演後、花束贈呈がある。指揮者の下野竜也が受け取った花束を手にステージ奥へと進み、ポディウム席に陣取っていた女声コーラス陣に花束を投げて渡す。粋なことをやる。

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2021年2月12日 (金)

コンサートの記(694) 加古隆コンサートツアー2007「熊野古道」@いずみホール

2007年7月1日 いずみホールにて

午後4時30分より、大阪・京橋にある、いずみホールで、加古隆コンサートツアー2007「熊野古道」を聴く。前半は加古がこれまでに作曲した有名曲の演奏、後半は加古の最新アルバムである「熊野古道」の音楽をメインとしたプログラム。
今回の加古隆のコンサートは、臨時編成の室内オーケストラ、そして、東京と大阪では人気サキソフォン奏者の須川展也(すがわ・のぶや)をゲストに迎えて行われる(名古屋、札幌など、その他の地域では室内オーケストラのメンバーでもある番場かおりがゲストである)。

加古隆は、1947年、大阪生まれ。東京藝術大学と同大学院で作曲を専攻した後、パリ国立音楽院に留学し、オリヴィエ・メシアンに作曲を師事。一方、パリではジャズピアニストとしてもデビューしている。現代音楽とイージーリスニング、ジャズの要素を取り入れた独自の作風を持ち、NHK「映像の世紀」、映画「大河の一滴」、「阿弥陀堂だより」、「博士の愛した数式」、テレビドラマ「白い巨塔」(2003-2004。唐沢寿明主演版)など話題作の音楽を数多く手がけていることでも知られる。

加古隆の特徴は、ミニマルミュージックの影響を受けた反復の心地よさと、やや感傷的だが美しいメロディーラインにある。ピアノは左手で同型のモチーフが繰り返され、その上に優美な旋律が右手で繰り出される。
時に曲がセンチメンタル過ぎる場合もあり、私も「大河の一滴」のテーマなどは余り好きになれない。一方で「パリは燃えているか」(NHK『映像の世紀』テーマ曲)などは大好きで、千葉にいる頃はピアノソロ版の楽譜を手に入れてよく弾いていた。
ちなみに私が加古隆の音楽を初めて聴いたのは、藤子・F・不二雄原作の映画「未来の想い出」(森田芳光監督作品。主演:清水美砂、工藤静香、和泉元彌。何だか凄いキャストである)において。映画の音楽を手がけていたのが加古隆であった。

アルバム「熊野古道」では、須川展也がサキソフォンで参加、金聖響(きむ・せいきょう)が指揮を担当しているが、今日のコンサートには金聖響は出演せず、加古本人が指揮も行う(指揮といっても拍子を刻むのが主で、本格的なものではない)。
三重県からの委嘱で作曲され、丁度1年前、2006年7月1日に津市で初演されたという、「熊野古道」は全4楽章からなり、第2、第3、第4楽章でサキソフォンが活躍する。弦楽とピアノ、サキソフォンという編成、ミニマルミュージック風作風ということで、少し弱腰のマイケル・ナイマンの音楽のようにも聞こえる場面もあったが、日本的な旋律は紛れもなく加古隆のものであり、特に第4楽章は感動的であった。

アンコールは須川展也をフィーチャーし、「パリは燃えているか」のピアノ&サキソフォン特別版、そして「黄昏のワルツ」(NHK『にんげんドキュメント』テーマ曲)が演奏される。聴衆は熱狂し、拍手は長いこと鳴りやまなかった。

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2021年2月11日 (木)

観劇感想精選(383) 深津篤史演出 桃園会 “a tide of classics”公演 岸田國士戯曲連続上演 「留守」「驟雨」「紙風船」

2007年6月13日 大阪・心斎橋のウイングフィールドにて観劇

大阪へ。ウイングフィールドで、桃園会の“a tide of classics”公演、岸田國士(きしだ・くにお)戯曲連続上演、『留守』、『驟雨』、『紙風船』を観る。演出はもちろん桃園会主宰の深津篤史(ふかつ・しげふみ)。

岸田國士戯曲賞にその名を残す岸田國士は、明治23年(1890)生まれ。劇作家、小説家、演出家、翻訳家として活躍し、戯曲の文学性と独自性がいかに重要であるかを説いて、後進に多大な影響を与えた。先頃(2006年12月17日)亡くなった岸田今日子の父親としても知られる。
また、明治大学文芸科科長となり、演劇専攻を設立した。明治大学文芸科はその後に再編され、明治大学文学部文学科となった。その際、文芸科は廃されることなく、明治大学文学部文学科文芸学専攻として第二部(夜間部)にのみ残された。日本を始めとした各国の文学と演劇が学べるというカリキュラムと、ずっと御茶ノ水にいられるということに惹かれた私が明治大学文学部文学科文芸学専攻(文芸学科という俗称もあった)に入ってしまったのが1994年のこと。というわけで、明治大学文学部出身の私としては岸田國士作品の上演を見逃すわけにはいかない。

午後8時開演の公演。午後7時より受付開始、整理券発行とのことだったので、その時間ぴったりにウイングフィールドに着く。やはり整理券番号1番を貰ってしまう。東京だと、受付開始時間前に人が列を作っていたりするのだが、関西ではそうした光景を見ることはほとんどない(有名人の出る公演は別である)。「いらち」と言われる大阪人だが、個人的な見解を述べると東京人の方がずっとせっかちである。というわけで東京では受付時間前に行って並ばないと気が済まない人が多いということになる。

戯曲の独自性を説いた岸田國士だが、今の時代から見ると小説との親和性が強い。そして登場人物がとにかく良く喋る。明治・大正期の小説を読むと、会話が長い人が多く出てくるし(泉鏡花の小説などを読むと一人で3ページ分ほど延々と喋り続ける人が出てくる)、往時の人は現代人より長く喋る傾向もあったと思われるので(他に娯楽もないし)余り違和感は覚えないのだが、その世界に入り込むのに多少時間が掛かる。桃園会は、普段は短いセリフを繋いでいくスタイルを持つ劇団なので尚更だ。

一人の人物が延々と話すというスタイルの演劇は現代ではやりにくい。今は一人で長々と喋る人はほとんどいないので、それをやろうとすると「いかにも演劇的スタイル」となり、そうした「いかにも演劇的な嘘」に観客も慣れていない。「いかにも演劇的な嘘」を見せるとしたら、義太夫のように、もしくはク・ナウカのように、演じ手と話し手をわけるといった思い切った嘘が必要なのかも知れない。岸田が活躍した時代というのは、ある意味、戯曲を創作するのに恵まれていたとも言える。

『留守』、『驟雨』、『紙風船』全てにおいて、男女の関係のバランスに重点が置かれている。特に『驟雨』と『紙風船』では我が儘な男と自分の立場を主張する女のやり取りが題材となっており、当時、男女の立場がいかに重要な議題であったかが窺われる。

深津の演出はオーソドックス。衣装なども往時のスタイルを守っている。
役者は、女優陣の方がレベルが高い。特に看板女優である江口恵美の存在感は特筆事項。江口がいるだけで舞台が引き締まる。

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2021年2月10日 (水)

コンサートの記(693) 長岡京室内アンサンブルコンサートツアー2021「空に飛びたくて」京都公演

2021年2月6日 長岡京市の京都府長岡京記念文化会館にて

午後3時から、京都府長岡京記念文化会館で、長岡京室内アンサンブルのコンサートツアー「空に飛びたくて」京都公演を聴く。京都府、名古屋市、東京都の3カ所ツアーとなる予定だったが、東京公演は中止となっている。

曲目は、J・B・シュヴァリエ・サン=ジョルジュのシンフォニー・コンチェルタント(ヴァイオリン独奏:ヤンネ舘野&松川暉)、ウェーバーのクラリネット五重奏変ロ長調(弦楽合奏版。クラリネット独奏:吉田誠)、チャイコフスキーの弦楽セレナード。

音楽監督の森悠子が、「一緒に弾きたいと思う人」を集めて公演を行う長岡京室内アンサンブル。コアメンバーもいるが、新しい奏者もどんどん加わっている。今回参加する伝宝菜摘(でんぽう・なつみ)は、立命館宇治高校在学中ということでまだ十代である。

今回の出演者は、ヤンネ舘野(ヴァイオリン)、松川暉(まつかわ・ひかる。ヴァイオリン)、谷本華子(ヴァイオリン)、石上真由子(ヴァイオリン)、田中祐子(ヴァイオリン)、伝宝菜摘(ヴァイオリン)、細川泉(女性。ヴィオラ)、野澤匠(ヴィオラ)、南條聖子(なんじょう・しょうこ。ヴィオラ)、金子鈴太郎(かねこ・りんたろう。チェロ)、諸岡拓見(チェロ)、石川徹(コントラバス)。

客席は、前後左右1席空けのソーシャルディスタンスシフトである。

ジョゼフ・ブローニュ・シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュ(1739-1799)は、初めて名前を聞く作曲家だが、フランス人の父親と黒人奴隷だった母親の間に生まれたハーフで、最初はフェンシングの選手として活躍したという異色の経歴を持つ人だという。1769年に「ガヴォット」で知られるゴセック(「五節句」と誤変換された)が率いるコンセール・デザマトゥールのヴァイオリニストとなり、その後、ゴセックから楽団長を受け継いで、フランス屈指のアンサンブルに育て上げたとされる。作曲もゴセックに師事したらしいのだがよくは分かっていないようだ。
シンフォニー・コンチェルタント(協奏交響曲)は、モーツァルトの作品が有名であるが、フランスで好まれた形式だそうで、モーツァルトもパリ旅行時に興味を示し、作曲するに至ったとされている。ただ、森悠子は、サン=ジョルジュがパリに旅行した時のモーツァルトの演奏活動に触れており、触発されてシンフォニー・コンチェルタントを書いたと語り、逆のようである。

今回のプログラムは、モーツァルトに影響を受けたサン=ジョルジュ、モーツァルトの楽器として知られるクラリネットが独奏を務めるウェーバーのクラリネット五重奏曲(ちなみにモーツァルトの妻であったコンスタンツェ・ウェーバーと作曲家のカール・マリア・フォン・ウェーバーはいとこの関係に当たる)、そしてモーツァルトへの敬愛の念から書かれたチャイコフスキーの弦楽セレナードと、「モーツァルトへの憧れ」という裏主題を持つかのような曲が並んでいる。

サン=ジョルジュのシンフォニー・コンチェルタント。ヴァイオリン独奏者二人の掛け合いが聴き所である。独奏のヤンネ舘野は、著名なピアニストである舘野泉の息子で、日本とフィンランドのハーフ。現在は山形交響楽団の第2ヴァイオリン首席奏者とヘルシンキのラ・テンペスタ室内管弦楽団のコンサートマスター兼音楽監督を兼務。ルーズベルト大学シカゴ芸術大学音楽院在学時代に森悠子に師事している。もう一人の独奏者である松川暉は、東京藝術大学を経て英国ギルドホール音楽院に留学、学部と大学院修士課程を修了。ミラノスカラ座アカデミーオーケストラのコンサートマスターをしていたこともある。室内楽ではトリオアミコラムのメンバーとして活躍している。

典雅な曲調を持つ曲だが、時折、影が差すところがモーツァルトに似ている。2楽章からなる曲であるが、第2楽章の冒頭はアンサンブルは休止で、ソロヴァイオリン二人が掛け合いを繰り返す(カデンツァに当たるのかも知れないが、譜面を見たことがないので断言は出来ず)という、特徴ある音楽となっている。

サン=ジョルジュ作品の演奏終了後、メンバーがいったん退場した後で、森悠子がマイクを持って登場。1年前の2020年2月1日に京都府長岡京記念文化会館で長岡京室内アンサンブルの演奏会を行った時は、満員の盛況で、ロビーも人が溢れていて、「それこそ密密密」だったが、コロナの影響で、その後、ほとんど演奏活動が出来なくなってしまったことを語る。まずコンサートの開催を許可してくれた長岡京市と京都府へのお礼を森は述べる。音楽家はその間、苦境続きで、昨年の11月頃からやっと小規模なサロンやオンラインでの演奏が出来るようになったが、森の活動のもう一つの柱である教育は十全に出来なくなってしまったという。

サン=ジョルジュについてだが、シンフォニー・コンチェルタントは、今日がほぼ世界初演に近いということを明かす。「凄く変わった曲」だが、森がパイヤール室内管弦楽団に所属していた時代に、音楽監督であるジャン=フランソワ・パイヤールがヴェルサイユ宮殿でこの曲の楽譜を見つけ、「この曲、日本で演奏してよ」と森に渡したそうだが、そのこと自体をずっと忘れてしまっており、この間、整理をしていたらシンフォニー・コンチェルタントの楽譜が出てきたそうで、演奏することにしたそうである。ヴェルサイユ宮殿にはオペレッタを中心とした多くの楽譜が眠っているそうで、演奏されたことがあるのかどうかも分からない曲がまだ沢山あるらしい。
サン=ジョルジュは、王室と深い関係にあり、ヴェルサイユやパリで行われた神童時代のモーツァルトの自作自演にも接することが出来たようだ。だが、王室と深い関係を有したが故にフランス革命後に没落し、貧困のうちに亡くなった。ちなみに「黒いモーツァルト」と呼ばれることもあるようだ。
なお、森は「事故っちゃって」足を痛めたそうで、続く2曲には出演しないが、アンコールには登場すると、予めアンコール演奏があることを告げていた。アンコール楽曲も変わった曲だと予告する。

 

ウェーバーのクラリネット五重奏曲変ロ長調。ウェーバーはクラリネットという当時出来たばかりの楽器を気に入っており、3曲のクラリネット協奏曲と、5曲のクラリネットのための室内楽曲を書いている。

クラリネット独奏の吉田誠は、昨年に引き続いての登場。15歳で本格的にクラリネットを始め、22歳からは指揮も小澤征爾らに師事している。東京藝術大学入学後に渡仏、パリ国立高等音楽院とスイスのジュネーヴ国立音楽院で学んでいる。
甘く軽やかかつリズミカルなクラリネットであり、ツアーのタイトルである「空に飛びたくて」に最もよく合う演奏となった。
ちなみに第4楽章の冒頭は、弦楽アンサンブルで聴くと、グリーグの「ホルベアの時代から」の第1曲に少し似ている。

曲の間に、再び森がマイクを手に登場。自身はフランスで演奏家としてキャリアを築いたが、渡仏したのは桐朋学園大学在学中に小澤征爾から「フランス行ってきてよ」と頼まれたことが発端だそうである。フランス音楽の弦楽器演奏はボウイングがドイツなどとは異なるそうで、それを学んで日本でも広めて欲しいということだったそうだ。

チャイコフスキーの弦楽セレナード。CMなどでも用いられて有名になった曲だが、室内アンサンブルでの演奏で聴くと、弦楽オーケストラによるそれとは違った印象を受ける。迫力が後退した分、優しさが増し、木々の葉擦れや、森に生息する小動物の姿、広々としたロシアの荒野などが目に浮かぶような描写力の高い典雅な音楽となる。伸びやかなメロディーの中で憂いが忍び込んでくるのがいかにもチャイコフスキーらしい。

チャイコフスキーがこの曲を書いたのは、交響曲第4番を書き上げた後のスランプ時代。精神が安定せず、ヨーロッパ各地を転々としていた頃のことだ。この頃、チャイコフスキーは最も敬愛する作曲家であるモーツァルトの精神に立ち返る形で弦楽セレナードや管弦楽のための組曲集を作曲、組曲第4番はモーツァルトの楽曲を元にしており、「モーツァルティアーナ」というタイトルが付けられている。

 

アンコール演奏は、ボッケリーニの「マドリッドの夜警隊」。非常にユニークな音楽で、チェロのピッチカートで始まるのだが、その後、チェロ奏者は脚を組んでチェロの胴体をその上に乗せ、ギターを弾くようにチェロをつま弾く場面もある。各楽器を代表して一人で行われるピッチカートの送り方も個性的であり、最後はチェロ奏者が立ち上がってチェロを弾き、そのまま足踏みを始め、下手へと歩き始める。他の楽団員もそれに続き、行列が下手袖へと退場するが、コントラバスの石川徹だけは楽器を持って退場することは物理的に不可能なのでステージ上で演奏を続け、曲が終わると同時に敬礼をして、客席からの拍手を受けていた。

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2021年2月 9日 (火)

これまでに観た映画より(247) フレデリック・ワイズマン初監督作品「チチカット・フォーリーズ」

2021年2月5日 京都シネマにて

京都シネマでスケジュールを確認。連続講義「現代アートハウス入門 ネオクラシックをめぐる七夜」というイベントが行われており、今日は最終日で、フレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリー映画「チチカット・フォーリーズ」が上映され、終映後に想田和弘監督を講師とするレクチャー(リモートによるもので、日本全国6都市7つの映画館を繋いで行われる)があるというので観ることにする。

アートハウスというのは、日本でいうミニシアターのことで、海外ではアートハウスという呼び方が一般的であるようだ。

上演前にちょっとした事件があったりしたが、5分遅れで上映スタート。想田監督が出演する配信は東京から行うので、上映時間が遅れるとまずいのだが、なんとか間に合った。

「チチカット・フォーリーズ」は、フレデリック・ワイズマン監督の第1作で、1967年の制作。マサチューセッツ州ブリッジウォーターにある精神異常犯罪者矯正施設(州立マサチューセッツ矯正院。刑務所のようなものだが微妙に違うようである)を題材にカメラを回したものだが、題材が題材ということもあり、完成後に色々と難癖がついて、お蔵入りになりかけた作品である。全米公開が許されたのは1991年になってから。日本初公開は1998年となっている。

オープニングとクロージングは、矯正施設の入所者(スタッフが混じっていると思われるが、判別は付きにくい。男性のみの収容所であることは分かるので、女性は全員スタッフであると思われるが、男性は区分が曖昧な人もいる)による学芸会のようなもののシーンである。合唱が中心である。歌のシーンは中盤にも登場する。

何人かの精神異常犯罪者が登場する。11歳の少女を強姦したことで施設送りになった中年男性。いわゆるロリータコンプレックスがあるようで、実の娘を強姦したこともあるという。少年院、感化院を点々としており、人生の多くの時間を塀の中で過ごしているが、実の娘がいることからも分かる通り、奥さんもいる。容姿はまずまずなので結婚出来たのだろうか。奥さんからもずっと「あなたはおかしい」と言われ続けてきたようであるが。医師は同性愛について聞いたりもする(1967年ということで、異常性愛者は他の性的嗜好も持っているはずだと決めつけられたようである。ただ、実際にそのけもあるようだ)。ちなみに、矯正施設を謳っているが、特に矯正プログラムらしきものは見受けられず、投薬と医師との面談が中心のようである。精神医学がまだ進んでおらず、医師も煙草を吸いながら面談を行って、「鬱がハイになったから、薬で戻そう」などと今の精神医学から考えると無茶苦茶なことを平気で言っている。食事を摂れない入所者には、鼻からチューブを入れて強引に栄養を押し込む。

自分が精神病(分裂病=今でいう統合失調症や、偏執病=パラノイアと診断されている人が多いようである。おそらく、当時はそれぐらいしか診断名がなかったのだろう)と診断されたことを強く否定する入所者もいる。「刑務所に戻りたい」と繰り返していることから、矯正施設は刑務所より環境が悪いことが察せられる。男性入所者が全裸であることを強制される場面もあり、彼らの奇行を施設関係者が見下しているように見える(いや見えるだけではないな)時もある。独房(でいいのかどうか)も狭く、殺風景である。
独房だけでなく、中庭があり、そこで入所者が思い思いのことをしている場面も映されている。トロンボーンで「私の青空」を演奏している黒人男性。とにかくお喋りで政治や歴史について語り続ける老人(内容は微妙に間違っている)。三点倒立のようなことをして歌い続ける人。ボーッとしている人も多い。明らかに投薬の後遺症が出ている人も何人かフィルムに収められている。

施設で過ごす人と並行して、施設内で亡くなった人への死に化粧と火葬の様子などが挟まれる。

入所者の来歴はほとんど不明だが、一人だけ、それまで何をしていたか分かる男性がいる。学校の数学と音楽の教師をしていたようだ。

ワイズマン監督は、矯正施設の環境の悪さを映画にして訴える気があったようだが、先に書いた通り公開は大幅に遅れた。ラストに「1968年以降、マサチューセッツ矯正院の待遇は大幅に改善された」という内容の文字が出る(ワイズマン監督ではなく、マサチューセッツ州や政府当局の見解)。

 

想田和弘監督によるレクチャー。まずはフレデリック・ワイズマンの紹介から入る。
フレデリック・ワイズマンは1930年生まれ、今も現役のドキュメンタリー映像作家である。弁護士を父にボストンで生まれ、自身も父の後を継ぐべく法曹を志し、名門イェール大学のロースクールを卒業して弁護士資格を取得。大学でも法律について教え始めるのだが、自身は「法律は退屈」と思っており、文学や映画の方が好きであった。大学でも法律の講義だけだと学生も退屈するだろうから、ということで学外に出向いての実地授業を行い、様々な施設を学生と共に訪れた。その中で見た精神異常犯罪者矯正施設に興味を持ち、撮影することに決めた、というのがワイズマン監督デビューに至るまでだそうである。ワイズマンはマサチューセッツ州の副知事と仲が良かったため、撮影許可も簡単に下りたらしい。医師達の異様に見える言動も「当時は正しいこと」とされていたようだ。

ワイズマンの撮影の特徴としては、主人公の不在がまず上げられ、具体的な個人が主人公として設定されることはなく、「組織」が主役となっている。
また、インタビューは行わず、ナレーションはなく、テロップも示されず、BGMも使わない、「四無い主義」といわれる手法も特徴で、想田監督もかなり影響を受けている。
想田監督は、NHK出身であるが、NHK時代に「四無い主義」を用いたドキュメンタリーを撮ろうとしたところ、「そんなもの出来るわけがない」と却下されたことがあるという。
ストーリーらしいストーリーもなく、場所が移動することで対象物の実態が示される。

「チチカット・フォーリーズ」は、1967年の制作であるが、1960年にシンクサウンドカメラが発明され、その後にこうした手法のドキュメンタリー制作が可能になったそうである。それまでも、スタジオでの大型カメラでの収録なら映像と音声をシンクロさせる技術はあったそうだが、持ち運びの出来るカメラは、1959年以前は画と音声を同時にフィルムに残す技法はなく、ドキュメンタリーを作るにしても音声は後からナレーションで入れるしかなかったそうである。1960年以降になってやっと、今のドキュメンタリーに繋がる映像作成が可能になったそうである。

ワイズマン監督は多作であるが、ドキュメンタリー撮影は短くて4週間、長くても8週間くらいで終えてしまうそうで、その代わり編集は10ヶ月ぐらい費やすそうだ。ドキュメンタリーの撮影を行っていると、「まだ撮れるんじゃないか、もっと良い場面があるんじゃないか」との思いから、撮影が長引いてしまうことがよくあるそうだが、ワイズマン監督は予め撮る期間を決めて、その中で勝負するという。ドキュメンタリー作家としては珍しいそうだ。ちなみに全てフィルムで撮影しているが、フィルムの場合、1時間の撮影で現像料も含めて日本円にして10万から15万くらい掛かるそうで、ドキュメンタリーに十分な時間の撮影を行った場合、途轍もない金額が必要となる。アメリカの公共放送であるPBSやフォード財団など世界中で7つ団体が出資協力してくれるため、撮影が可能だったとのことだ。

 

想田監督のアートハウス=ミニシアターへの思い。
想田監督は、「ミニシアターが主戦場」と語ったことがあるそうだが、一般的には低予算映画がミニシアターで、予算がつぎ込めるようになるとシネマコンプレックスなどの大型スクリーンに移行するものだと勘違いされているそうである。「次、シネコン行けますね」などと言われたりするという。ミニシアターの良さはなんといってもラインナップで、大型映画館では掛からない映画が上演されるのが最大の魅力だそうである。
ドキュメンタリー映画については、フレデリック・ワイズマンとマイケル・ムーアの貢献度が高いという。それまではドキュメンタリーは興行的にスクリーンで行うのは難しいとされ、ワイズマン監督は全てのドキュメンタリー作品を映画館で上映すべく、フィルムを使って撮影したのだが、テレビでしか放送されないものも少なくなかったそうである。
マイケル・ムーアの作風については、想田監督は余り好みではないそうだが、ムーアが監督したドキュメンタリー映画がヒットしたことにより、風向きが変わったそうで、「あれ? ドキュメンタリー、映画館で行けるんじゃないか」という潮流が生まれ、想田監督はその波に丁度上手く乗れたそうである。

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2021年2月 7日 (日)

これまでに観た映画より(246) 「ハサミ男」

2007年6月3日

DVDで日本映画「ハサミ男」を観る。池田敏春監督作品。原作:殊能将之。出演は、豊川悦司、麻生久美子、阿部寛ほか。音楽担当:本田俊之。

日活ロマンポルノの監督として一時代を築いた池田敏春によるサイコホラーサスペンス。なお、本多俊之は、「ハサミ男」のラッシュフィルムを観ながら即興でサックスを吹いており、ルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」と同じ手法が取られている。

2004年の作品だが、冒頭から古い感じの映像と、学生の自主製作映画のような脚本と演出に違和感を覚える。わざとやっているとしか思えず、「どうしてなのかな?」と思っていたが、途中でその理由がわかった。それらは観る者の意識をそちらへと引きつけるための罠だったのである。

豊川悦司の怪しい魅力が生きているが、実質的な主役は麻生久美子。この映画での麻生久美子の演技には女優魂を感じる。「時効警察」の麻生久美子しか知らない人は、三日月クンと同じ女優がやっているとは気付かないかも知れない。

和製ホラー映画というと「リ×グ」(×は伏せ字です)のように、ショッキングな映像が頼りのちょっと情けないものが多いが、この映画はじんわりと来る怖さを持つ。何でもないようなラストも実は怖かったりする。

殊能将之が書いた原作の評価は極めて高く、原作好きの人からは「がっかり」という意見が聞かれたというが、純粋に映画作品として観ると良い作品だ。

(後期)その後、池田敏晴監督は三重県志摩市で投身自殺を遂げ、原作者の殊能将之も不可解な突然死を迎えるという因縁の作品となった。殊能将之は覆面作家であったが、死後に正体が明かされ、本名は田波正といい、高校生の頃からSF・ミステリー小説界では「福井の神童」といわれるほどの逸材であったことが明らかとなった。

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2021年2月 6日 (土)

コンサートの記(692) 「京都・国際音楽学生フェスティバル2007」フィンランド&フランスDay

2007年5月28日 京都府立府民ホールアルティにて

午後6時30分から、京都府立府民ホールALTIで、「京都・国際音楽学生フェスティバル2007」フィンランド&フランスDayを聴く。全席自由、1000円均一の公演。チケットの安い公演は、「何か知らないけれど来てしまいました」という、マナーとは無縁の客が入ってきてしまうことが多いのだが、今日もそうした方がちらほら。

「京都・国際音楽学生フェスティバル」は、ALTIで毎年開かれており、ドイツ、フランス、オーストリア、イタリアという音楽大国の学生を始めとする有名音楽院の学生が参加している。

今日は、フィンランドのシベリウス音楽院(シベリウス・アカデミー。旧ヘルシンキ音楽院)と、「のだめカンタービレ」でもおなじみ(?)フランスのパリ国立高等音楽院(コンセールヴァトワール・パリ)の選抜学生による室内楽をメインとした演奏会である。

プログラムは、まずシベリウス音楽院の学生によるシベリウスの弦楽四重奏曲「親愛なる声」が演奏され、次いでパリ国立高等音楽院の学生によるフォーレのチェロ・ソナタ第1番と「エレジー」。そして、シベリウス音楽院、パリ国立高等音楽院、京都市立芸術大学の学生による弦楽合奏で、ドビュッシーの「小組曲」より“小舟にて”と“バレエ”、そして「夜想曲」(管弦楽のための「夜想曲」ではなく、ピアノ曲の編曲。いずれも篠田聡史による弦楽合奏版編曲による演奏である)、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ(祝祭アンダンテ)」、「弦楽のためのプレスト」、1981年生まれの若き作曲家ハルティカイネン(シベリウス音楽院に在籍)の新作「ルーメン(光)」(世界初演)が演奏される。

いずれもコンクールなどで優秀な成績を修めている学生達だが、あくまで学生であり、こちらも名演は期待していない。


シベリウス音楽院の学生による弦楽四重奏曲「親愛なる声」。ファーストヴァイオリン、セカンドヴァイオリン、ヴィオラは女の子で、どういうわけか全員眼鏡をかけている。チェロだけ男の子。トーマス・ヨアキム・ヌニエス=ガルセ君という長い名前の男の子だ。
祖国の大作曲家シベリウスの作品とはいえ、「親愛なる声」は深い音楽であり、学生では表現できないのではないかと思う。案の定、曲の把握が徹底されていない演奏であった。単に音が鳴っているだけの箇所が多い。それでも第3楽章などは哀切で透明な音楽を再現することに成功していたように思う。
アンコールとして、コッコネンの弦楽四重奏曲第3番より第2楽章が演奏される。シャープな演奏であった。

パリ国立高等音楽院在籍の女性チェリスト、オレリアン・ブラウネールさんは、高い技術力を持ち、豊かな音色による淀みない歌を奏でる。なかなかの実力者と見た。
フォーレの2曲は、いずれも若さに似合わない奥行きのある演奏であり、アンコールの「白鳥」(サン=サーンス作曲)でも優雅な音楽を奏でた。ピアノのエマニュエル・クリスチャン君も煌めくような音色の持ち主であり、好演だった。

弦楽合奏。京都市立芸術大学からの出演者は全員女の子。ということで、ステージ上の男性メンバーは先ほど名前を出したトーマス君ただ1人である。
コンサートミストレスはシベリウス音楽院のシニ・マーリア・ヴァルタネンさん。
ドビュッシーの「小組曲」よりと「夜想曲」も良かったが、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」と「弦楽のためのプレスト」はより優れた演奏。時に勢いに流されそうにはなるが、若々しさ溢れる演奏に好感を持った。

「ルーメン(光)」のハルティカイネン氏は会場に来ており、演奏前に簡単な楽曲解説を行った。
現代音楽であるため奏者だけでの演奏は難しく、この曲だけミラノ・ヴェルディ音楽院在籍のアンドゥレーア・ラッファニーニ氏が指揮を務める。
「ルーメン(光)」は、ヴァイオリンがグラスハープのような音を奏でるなど、繊細な音のグラデーションを特徴とする。しかし、この手の曲は全て武満徹作品のように聞こえてしまうのは気のせいなのか。

アンコールはシベリウスの「カンツォネッタ」。これも若さがプラスに作用した好演であった。

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2021年2月 5日 (金)

コンサートの記(691) 下野竜也指揮 第16回京都市ジュニアオーケストラコンサート

2021年1月31日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、第16回京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。これまで広上淳一が指揮台に立つことが多かったが、今回は下野竜也が初めてジュニアオーケストラを振ることになった。コロナの影響は避けられず、演目を変更しての開催である。

午後1時開場であるが、全席自由ということもあり、開場前に行列が出来るのを防ぐために時差入場を実施しており、私が買ったチケットには午後1時20分以降の入場と記されていた。午後1時15分頃に京都コンサートホールの入り口に着いたので、5分待つことにしたが、レセプショニストさんによると、行列が出来ていないので、もう入場可とのことだった。

最優先されるのは、やはりジュニアオーケストラメンバーの親御さんだと思われるのだが、見渡したところ、両親に当たる年齢の男女(私と同世代が多いはずである)のコンビは余り見当たらなかった。客層としては京都市交響楽団の定期演奏会のそれに近い。1階席は埋まっている席が多かったため、3階席へ向かう。京都コンサートホールの2階席はサイド席しかなく、音が今ひとつだが、3階席はステージからは遠めだが音はビビッドに届く。今日はヴァイオリニストの小林美樹がソリストとして3曲に登場するということで、Rサイド(RIGHT、右側席)の、ソロヴァイオリンの音像が結ばれやすい席に座る。開演10分ほど前に、「こっちの方が見やすいよね」といった内容の話をしている男性二人組が後ろを通り過ぎたが、そのうちの一人が、1階席の入りを確認するために、ひょいっと顔を覗かせる。背の低い、頭の輝く男性で、マスクと眼鏡を掛けていたが、すぐに広上淳一だと分かった。

京都市ジュニアオーケストラは、2005年の結成。京都市内在住もしくは通学の青少年からなるオーケストラで、入団するには選抜試験を通過する必要がある。必ずしも音楽家志望の子達が入団しているという訳ではないが、「医師免許を持つヴァイオリニスト」として有名になった石上真由子は、初期の京都市ジュニアオーケストラでコンサートミストレスを務めていた。広上淳一が、「音楽家を目指している子ばかりではなく、お医者さんを目指している子がいたり」と紹介していたことがある「お医者さんを目指している子」というのはおそらく石上真由子のことであったと思われる。

各楽器の指導には京都市交響楽団の楽団員が当たり、合奏指導は広上の弟子の一人である大谷麻由美が行った。

 

曲目は、コープランドの「市民のためのファンファーレ」、リヒャルト・シュトラウスの13管楽器のためのセレナード、マスネの「タイスの瞑想曲」(ヴァイオリン独奏:小林美樹)、サラサーテの「カルメン幻想曲」(ヴァイオリン独奏:小林美樹)、J・S・バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲(独奏第1ヴァイオリン:小林美樹、独奏第2ヴァイオリン:山﨑祥恩)、シューマンの交響曲第4番。

ステージ上で密になる時間をなるべく短くするため、第1曲に金管楽器と打楽器のみによる「市民のためのファンファーレ」を置き、2曲目に木管楽器主体の13管楽器のためのセレナードが続く。

いずれの曲でも充実した響きが奏でられ、京都市ジュニアオーケストラの技術と表現力の高さが感じられる。下野も拍をきっちり振るなど、いつも以上に明快な指揮を行っているように見えた。

 

マスネの「タイスの瞑想曲」とサラサーテの「カルメン幻想曲」でソロを受け持つ小林美樹は、若手人気ヴァイオリニストの一人。1990年生まれ。2011年に第14回ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクールで第2位を受賞し、注目を浴びる。桐朋女子高校音楽科、桐朋学園大学ソリストディプロマコース(学科授業はなく、プロのヴァイオリン奏者を本気で志す者のみが入学を許される育成コース)に特待生として入学し、その後、明治安田クオリティオブライフ及びロームミュージックファンデーションから全額奨学金を得てウィーン私立音楽大学に学んでいる。

以前、京都市交響楽団の大阪定期公演にソリストとして登場した時に聴いたことがあるが、女性としては高身長で、海老反りになって弾くことが多いのが印象的であった。
今日はターコイズブルーのドレスで登場。やはり時折、海老反りになって弾く。磨き抜かれた美音が最大の特徴であるが、メカニックも上質である。童顔系の可愛らしい顔をした女性なのだが、見かけとは異なり、「カルメン幻想曲」ではかなり情熱的な演奏を繰り広げる。

下野指揮の京都市ジュニアオーケストラも色彩豊かな演奏を繰り広げた。

 

後半、小林美樹と京都市ジュニアオーケストラのメンバーである山﨑祥恩(やまざき・しょうおん)の独奏によるJ・S・バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲。
山﨑祥恩は、現在、京都市立堀川音楽高校の1年生。小学5年生から京都市ジュニアオーケストラに参加し、コンクールでも金賞や奨励賞、優秀賞などの受賞歴がある。近年では、第29回日本クラシック音楽コンクール全国大会中学校の部で第2位(1位なしで最高位となる)、第74回全日本学生音楽コンクール大阪大会高校の部2位という成績を残しており、この子は確実にプロ志望だと思われる。

柔らかさも持った小林と、鋭さと正確さを武器とする山﨑の柔と剛の対比という趣があり、面白いバッハ演奏となった。京都市ジュニアオーケストラは、弦楽がほぼノンビブラートのピリオド奏法による伴奏を行った。若い人達なので、ピリオドにまだ十分に馴染んでいない感じだったが、総体的には優れた伴奏である。

 

ロベルト・シューマンの交響曲第4番。下野の的確な指揮棒に導かれ、仄暗さや幻想的な曲調も十全に表現した演奏となる。シューマンはオーケストレーションが独特であるため、演奏が難しいことで知られるが、第1ヴァイオリン13名、第2ヴァイオリン11名と大きめの編成での演奏ということもあって、鳴りも十分であり、聴く者を納得させるだけの出来を示した。

 

アンコール1曲目は、シューマンの「トロイメライ」(弦楽合奏版。編曲者不明)。ノスタルジックな叙情美に溢れた演奏であった。

「トロイメライ」演奏後、下野はマイクを手にして再登場。「京都『市立(しりつ)』芸術大学教員の下野竜也です」と「市立」を強調した自己紹介をして客席の笑いを誘う(京都造形芸術大学が一方的に京都芸術大学に校名変更を行ったため、訴訟に発展している)。「ちょっと前までは京都市交響楽団の指揮者もしていた訳ですが」と語った後で下野は京都市ジュニアオーケストラの定期演奏会(定期演奏会という名こそ付いていないが、毎年1月にメインのコンサートを行うので実質的な定期演奏会である)を指揮するのが初めてであること、コロナの影響によりトレーニングの期間が例年の半分ほどしか取れず、曲目も変更せざるを得なかったことを明かし、また京都市ジュニアオーケストラを音楽エリートに育てようという気は毛頭ないことを語る。京都市ジュニアオーケストラは何より「人間形成の場」と捉えているそうで、そのためリハーサルもスパルタで行っていることを明かす。「罵詈雑言こそ浴びせませんでしたが、出来ていない時は出来ていないとハッキリ言いました。出来てもいないのに、『出来てる上手い』と褒める風潮に疑問を感じていた」と語る。音程も含めた音を合わせることに最も傾注したが、「音程を合わせるというのは思いやり」であると述べる。「これは師である広上淳一先生からも何度も言われたことです。相手の音を聴いて、『あれ、自分、外れてないかな』と思いやること」と、周囲の音を聴くことの重要さに触れていた。

 

アンコールの2曲目は、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第15番であり、ステージ後方やポディウムにも管楽器奏者が登場して、大編成での演奏となるのだが、下野は指揮は自分ではなく、合奏指導を行った大谷麻由美が務めることを明かす。
「彼女(大谷)も京都市立芸術大学の出身です。愛媛県出身ですが、ミスみかんにも輝いたことのある美貌の持ち主です。(自分とは違って)スラッとしたの出てきますんで。僕はもう出てきません。さよなら!」と言って下野はステージを後にする。

 

大谷麻由美の指揮によるドヴォルザークのスラヴ舞曲第15番。
下野は大谷麻由美を「京都市立芸術大学出身」と紹介したが、実は大谷は近畿大学商経学部を卒業後に会社員として働き、三十代に入ってから指揮者を志して京都市立芸術大学に入学したという経歴の持ち主である。プロの指揮者として成功することは難度がかなり高いため、一度は諦めたが、再度挑戦という人は結構多い。日本を代表する指揮者であった朝比奈隆がそうした経歴を持つということも再挑戦組が多い理由だと思われる。下野竜也も実は高校卒業時に「中学の吹奏楽から音楽を始めたからプロの指揮者になるなんて無理だろう」ということで音大には進学せず、音楽教師を目指して地元の鹿児島大学教育学部音楽科に入るも卒業間近になっても夢を諦められず、「齋藤メソッド」の映像を何度も見て独学し、卒業後に桐朋学園大学付属指揮教室に通ったという再挑戦組である。

その大谷の音楽作りであるが、編成が大きくなったということも影響しているが、音の輪郭を上手く形作ることが出来ず、飽和状態になることが多い。やはり下野のようにはいかないようだ。強弱やニュアンスを細やかに変えることの出来る下野の実力が改めて明らかになる。下野は60年代後半生まれの日本人指揮者としてはおそらくナンバーワンであり、NHK交響楽団に可愛がられて、毎年のように大河ドラマのオープニングテーマの指揮者として指名されていたのも納得である。

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2021年2月 4日 (木)

これまでに観た映画より(245) 黒沢清監督作品「叫(さけび)」

2007年4月6日 京都シネマにて

京都シネマで、日本映画『叫(さけび)』を観る。「立教ヌーヴェルバーグの旗手」、「ネオ黒沢」の異名を持つ黒沢清の脚本・監督によるホラー・サスペンス。出演は、役所広司、伊原剛志、小西真奈美、オダギリジョー、奥貫薫、葉月里緒奈ほか。同じく「立教ヌーヴェルバーグの旗頭」と目される周防正行監督の『それでもボクはやってない』の加瀬亮もちょい役で出演しており、『それでもボクではやってない』同様、役所広司と絡んでいる。

黒沢監督自身の作品である『CURE』や『回路』などに通ずるところのある作品だ。特にラストは『回路』のそれを別側から描いているように見える。


刑事の吉岡登(役所広司)は東京ベイエリアの古いマンションに一人暮らし。独身であるが、ずっと年下の春江(小西真奈美)という恋人がいる。

東京湾岸で、潮水で被害者を窒息させて殺すという手口の犯行が相次いでいる。吉岡は犯行現場で自分のコートのボタンによく似たボタンが落ちているのを発見する。自宅に帰るとコートのボタンがやはり無くなっている。春江に電話で確かめてもコートのボタンのことはわからないという。気になった吉岡は犯行現場に向かい、ボタンを拾う。その時、赤い服の女(葉月里緒奈)が現れる。その女の正体は幽霊であった。吉岡は自分がその女を殺したのではないかとの想念にとらわれ始める。しかしそれこそが女の陰謀の始まりだった……

CGなどにやり過ぎの箇所があるなど、完成度は黒沢監督としてはそう高い方ではないだろう。ただ先に書いた『回路』に繋がる終末感を示し、『回路』では主人公を演じた麻生久美子に前向きな言葉をかけた役所広司を、「許され、残されるが故の地獄」に置くことで、『回路』が相対化されているようにも見える。

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2021年2月 3日 (水)

コンサートの記(690) びわ湖ホール オペラへの招待 モーツァルト作曲 歌劇「魔笛」 阪哲朗指揮大阪交響楽団ほか

2021年1月30日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール中ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール中ホールで、「びわ湖ホール オペラへの招待」 モーツァルト作曲 歌劇「魔笛」を観る。初心者にも配慮した良質のオペラを提供し続けている「びわ湖ホール オペラへの招待」。客席に子ども達の姿も多く、企画としても成功している。今回は、オペラの中でも一二を争う人気作「魔笛」の上演である。元々はオペラではなく市民向けのジングシュピール(音楽劇)として書かれたものだが、最晩年(といってもまだ三十代半ばだが)の円熟期を迎えたモーツァルトが庶民にも分かりやすい曲を書いたということもあって、名アリア揃いの傑作である。曲調もシリアスなものからコミカルなものまで幅広い。

指揮は阪哲朗。演奏は大阪交響楽団(コンサートマスター・林七奈)。日本語台本と演出は中村敬一が担う。日本語訳詞を手掛けたのは鈴木敬介。装置:増田寿子、衣装:村上まさあき。
ダブルキャストによる公演で、今日はA組が登場。実は、B組は夜の女王として人気ソプラノの森谷真理が出演したり、ザラストロをベテランの片桐直樹が務めていたりと、キャスト的には上なのだが、日程的にB組の回を観るのは無理であった。A組は全員、B組も森谷真理と片桐直樹以外は、びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーによるキャストとなっており、日本初の公共ホールの専属声楽家集団としてレベルは高い。日本語訳詞と日本語のセリフによる上演であり、日本人歌手の場合、演技のレッスンを余り受けていない場合も多いが、びわ湖ホール声楽アンサンブルは、その辺りもきちんとしており、上質とはいえないかも知れないが、一定のレベルに達した演技を見せてくれる。なお、今日明日と映像同時配信が有料で行われ、編集後のアーカイブのみでも購入出来る。

今日の出演は、松本治(ザラストロ)、清水徹太郎(タミーノ)、脇阪法子(夜の女王)、船越亜弥(パミーナ)、熊谷綾乃(くまがい・あやの。パパゲーナ)、迎肇聡(むかい・ただとし。パパゲーノ)、坂東達也(モノスタトス)、市川敏雅(弁者)、宮城朝陽(みやぎ・あさひ。僧Ⅰ。タミーノ役のアンダースタディとしても入っている)、美代開太(みしろ・かいた。僧Ⅱ、武士Ⅱ)、山田知加(やまだ・ちか。侍女Ⅰ)、上木愛李(侍女Ⅱ)、藤居知佳子(侍女Ⅲ)、谷口耕平(武士Ⅰ)。合唱はアルト兼メゾ・ソプラノの阿部奈緒以外は、びわ湖ホール声楽アンサンブルのソロ登録メンバーと客演の歌手が担う。3人の童子は、成人のソプラノ歌手が務めることも多いが、今回は大津児童合唱団所属の3人の女の子が出演する。

 

上演開始前に、演出の中村敬一によるお話がある。中村は、「魔笛」では、フリーメイソン同様、「3」という数がキーとなっているという話から始める。そして千円札に関するフリーメイソントリビアが語られる。千円札の肖像となっている野口英世の向かって右側の目、野口本人の視点からは左側の目が少し変だという話から入る。これは「真実の目」と呼ばれるもので、フリーメイソンの象徴にもなっているものだが、千円札に描かれた富士山にも実は仕掛けがあり、本栖湖に映っているのは実は逆さ富士ではなく、ノアの箱舟で有名なアララト山だという話もしていた。
「魔笛」の背景も語られ、先王の死により、分断が起こってしまったという話もする。
また魔笛がウィーンのリングの外にあるアン・デア・ウィーン劇場(ベートーヴェンの「運命」や「田園」が初演された劇場としても名高い)の前身となる劇場で上演され、観に来たのも貴族階級ではなく一般市民中心。貴族が観るオペラはイタリア語によるものだったが、「魔笛」は外国語を学んだことがない一般市民でもわかるようドイツ語で書かれている。今回の「魔笛」は日本語訳による上演だが、やはり一般向けに書かれたものだから、日本でやる時もわかりやすい日本語訳でやるのが正統という考え方のようである。
コロナ禍の最中であり、喋ったり歌ったりすると飛沫が5mぐらいは飛ぶというので、オーケストラピットから5m以上離れた通常より奥側での歌唱とし、歌手同士も手を握ったり抱き合ったりするシーンをなるべく減らしたソーシャルディスタンス版の演技と演出に変えたという話もしていた。

 

京都市生まれで京都市立芸術大学卒(指揮専修ではなく作曲専修の出身)である阪哲朗だが、これまでドイツでのオペラ指揮者の活動を優先させてきたため、関西で彼が指揮するオペラを聴く機会は余り多くない。
日本でも最もピリオド・アプローチによる演奏を積極的に行っている団体の一つである、山形交響楽団の常任指揮者でもある阪。そのためなのかどうかはわからないが、かなり徹底したピリオドによる演奏を展開。幕間にピットを覗いて確認したところ、管楽器はナチュラルタイプのものではなかったが、ティンパニはやはりバロックスタイルのものを採用しており、聴き慣れた「魔笛」とは大きく異なる清新な響きを生み出していた。オペラは指揮棒を使った方が歌手から見えやすいという定説があるが(ピエール・ブーレーズなどは、「そんなのは俗説だ」と一蹴している)、今日の阪はノンタクトでの指揮。びわ湖ホール中ホールはそれほど空間は大きくないので、指揮棒を使っても使わなくても余り変わりはないと思われる。指揮棒の話はともかくとして、長きに渡ってオペラ畑を歩んできただけに音運びは実に的確で、ツボの抑え方も巧みである。阪の音楽作りを聴くだけでも、びわ湖ホールに足を運ぶ価値がある。
関西のプロオーケストラのシェフは、コンサート指揮者が多いため、阪さんのようなオペラを得意とする人にももっと振って貰いたくなる。

アニメーションを多用した演出であり、序曲が始まると同時に、蜘蛛の巣のようなものや樹木などが背景に浮かぶ。やがて、「魔笛」の登場人物達の絵が浮かび上がるが、王様が死んでしまい、家臣達も消え去って、ザラストロと夜の女王の二人だけが残る。ザラストロの神殿は、ピラミッドやオベリスクが建っていてエジプト風。夜の女王の宮殿は、ヨーロッパ風にも見えるが、アラベスクがあるのでアラビア風のようでもあり、蓮の花などが出てくるため、更に東方の印象も受ける。やがて樹木の葉が落ちて冬枯れとなり。右側が赤、左側が青の背景となる。「魔笛」において重要な試練となる「火」と「水」のイメージである。やがて稲妻が走って大木が二つに割れ、ザラストロと夜の女王の決別が暗示される。王の死以外に何か原因があるのかどうかは分からないが、とにかくザラストロと夜の女王は仲違いをしたようである。

タミーノが大蛇に襲われるファーストシーンでも大蛇はアニメーションで登場する。夜の女王の侍女達により、大蛇は退治されるのだが、侍女達は大蛇のことを「オロチ」と日本古来の読み方をする。実はタミーノの衣装については「狩衣を着ている」という作者であるシカネイダーの記述があり、タミーノ日本人説があったりするのだが、今日は「オロチ」以外に特に和のテイストを入れることはなかった。
侍女達は椅子を三脚持ってくるのだが、それぞれに、「日輪」「星」「三日月」のマークが入っている。三日月はイスラム教の重要なモチーフで、その後の背景の映像にも登場するが、これはやはり終盤の「異なるものへの寛容さ」という演出に絡んでいる可能性がある。

ザラストロは、ツァラトゥストラに由来する名前であり、ツァラトゥストラとはゾロアスター教のことである。火を神聖視するゾロアスター教であるが、水も重要視され、火と水の試練が実際に説かれていたりする。実はこのモチーフはそのまま仏教にも取り入れられており、浄土への道を指す「二河白道(にがびゃくどう)」という言葉になっている。火と水との間に白い小さな道があり、阿弥陀如来が浄土へと招き、釈迦如来が此岸から白道を進むよう促すというものである。ということで、舞台を日本に置き換えることも可能であり、実際に千葉市の市民オペラで舞台を日本にした「魔笛」が上演されたこともある(千葉テレビで放送されたダイジェストを見ただけで、実演に接したわけではない)。

主筋に変更はないが、ザラストロが夜の女王達を倒して終わりではなく、最後の合唱には夜の女王や侍女達も登場し、音楽によってもたらされた和解が仄めかされている。対立を超えるのは、魔法の笛や鈴であり、引き離されたものが音楽によって再び結びつけられる。ベートーヴェンの第九でもそうだが、この時代における最新の思想では、フランス革命に繋がる「自由・平等・博愛」が重視されており、ベートーヴェンもモーツァルトも音楽こそが新たなる世界で大きな働きをすると信じていた、いや、それ以上に知り抜いていたはずである。

「魔笛」に関しては、「ザラストロが嫌い」や「夜の女王が善から悪になることに矛盾を感じる」という声が聞かれたりもするが、「どちらかが善でどちらかが悪」という単純な構図ではないように思われる。モーツァルトもベートーヴェンも、そして「魔笛」の台本を書いて初演でパパゲーノを演じたシカネイダーもフリーメイソンのメンバーであるが、フリーメイソンは思想的には当時の先端を行っており、「自由・平等・博愛」は最も重要視されていた。一方的な勧善懲悪は、当時の精神から見ても時代遅れだったかも知れない。

ザラストロが課した試練の一つに「沈黙」があるが、これはコロナ禍の今に響くものである。会話が最も危険とされるため、劇場や電車内などでのアナウンスにも「会話はお控え下さい」という文言が入っている。私などは沈黙が全く苦にならない質だが、世の中には人と話せないのが苦痛という人も多く、「沈黙」の試練が今現在起こっているということになる。

ただ一方で、スパルタ式では全くない道も示されており、試練から脱落したパパゲーノはパパゲーナを得ている(仏教における聖道門と浄土門のようなものかも知れない)。モーツァルトは、実は思想関連についてはかなり詳しい人であり、自由を重んじていた。精神論に凝り固まるというのも、一種の毒で忌避すべきことである。

「昼と夜」、「光と影」、「男と女」、「情と知」、「自由と試練」、「老いと若さ」など様々な対比があるのが「魔笛」だが、音楽はそうした対比や対立を止揚するのではなくそのまま結びつけ、「そうしたもの」として肯定していく。
分かりやすいが奥深い、それが「魔笛」であり、モーツァルトの音楽である。

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2021年2月 2日 (火)

2346月日(27) 立原道造記念館(2011年閉館)にて 2007年5月18日

2007年5月18日

東京大学工学部の弥生門の前にある立原道造記念館を訪れる。東京帝国大学工学部建築学科出身で、天才詩人と呼ばれながら、わずか24歳で他界した立原道造(1914-1939)のために1997年に建てられた小さな記念館だ。弥生時代の由来となった東京大学弥生キャンパスもすぐそばである。

立原道造の直筆原稿などを見ることが出来る。

立原道造の詩を私が好んで読んだのは、ちょうど24歳の頃。立原が亡くなったのと同じ年齢の頃だ。

立原は西洋趣味が強く、同じく西洋志向の持ち主であった堀辰雄と仲が良かった。堀辰雄の小説『菜穂子』に出てくる建築学科出身の青年・都築のモデルが立原道造だと言われている。

立原の本当に若い頃(20歳前後)の文字は丸みがあって可愛らしいが、最晩年(それでも20代前半だ)、死期が近いこと悟った頃に書いた文字からは凜とした寂しさのようなものが漂ってくる。

記念館には、立原の婚約者であった水戸部アサイさんの若い頃の写真も展示されている。アサイさんは今見てもかなりの美人である。
せっかくこれまで人生順調に来て、綺麗な人をお嫁さんに貰おうかという時にこの世を旅立たねばならないとは、立原もさぞや無念だったろう。

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2021年2月 1日 (月)

コンサートの記(689) エリアフ・インバル指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第544回定期演奏会

2021年1月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第544回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、エリアフ・インバル。外国人指揮者による演奏を聴くのは久しぶりである。

1936年生まれのエリアフ・インバル。この年は指揮者の当たり年で、シャルル・デュトワやズービン・メータが同い年である。小澤征爾が一つ年上、ネーメ・ヤルヴィが一つ年下という世代だ。インバルというのは芸名で、本姓はヨーゼフという平凡なものであるため芸名を用いたのだが、息子で指揮者のダニエルもインバルという芸名を継いでいる。

エリアフ・インバルは、マーラーとブルックナーの両方で名演を行うことの出来る、史上ほぼ唯一の指揮者として名高い。マーラー指揮者はブルックナーを不得手とする場合が多く、逆も同様なのだが、インバルだけは両方の交響曲全集を作成し、共に高い評価を得ている。
日本への客演も多いが、私はまず90年代にN響の指揮台に立った際の実演に接している。N響との相性は実際のところ今ひとつのように思えたが、その後、インバルは東京都交響楽団と親密な関係を築くようになり、特別客演指揮者やプリンシパル・コンダクター(一般的には「常任指揮者」と訳されるが、この時は横文字のままの肩書きとなった)として大評判を得ている。近年、大阪フィルにも度々客演するようになっているが、相性はかなり良い。

 

曲目は、プロコフィエフの交響曲第1番「古典交響曲」とショスタコーヴィチの交響曲第10番。

インバルはショスタコーヴィチも得意としており、ウィーン交響楽団を指揮してDENONに入れた録音の評価も高いが、ショスタコーヴィチを得意とする指揮者は基本的にプロコフィエフも得意である場合が多いため、期待が高まる。
なお、プロコフィエフとショスタコーヴィチが犬猿の仲であったことは有名で、共通の友人であったムスティスラフ・ロストロポーヴィチは、それぞれの家に招かれて遊ぶことも多かったが、プロコフィエフの前では「ショスタコーヴィチ」という名は禁句であり、ショスタコーヴィチの家でも「プロコフィエフ」の名を出すことすら出来なかったと回想している。プロコフィエフもショスタコーヴィチも初期の頃は一緒に音楽活動もしていたのだが、いつからか疎遠になっている。性格の不一致というよりも互いの実力を怖れたのではないかと思われる。音楽史上屈指の天才が同じ時代の同じ国、しかもすぐ間近にいるという例は余りないように思う。

今日はチェロが舞台上手客席寄りに来るアメリカ式の現代配置(ストコフスキー・シフト)での演奏である。コンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。トランペットに京都市交響楽団の西馬健史が客演しており、2曲とも出演した。

新型コロナの流行により、外国人入国制限が続いているが、エリアフ・インバルは東京都交響楽団と親密な関係にあるということで、2週間の隔離とPCR検査を受け入れて、まず都響と演奏会を行い、次いで事前の予定通り、大フィルの指揮台へとやって来た。久しぶりの外国人指揮者の登場だが、大阪ではコロナの感染拡大が進んでいるため、来場を避けた人も多いようで、入りは良いとは言えない。インバルクラスなら満員御礼で当たり前なので、危機感を持つ人もかなり多いようだ。

 

プロコフィエフの交響曲第1番「古典交響曲」。プロコフィエフが「ハイドンが今の時代に交響曲を書いたなら」という想定の下に書き上げた、諧謔精神に溢れる個性的な交響曲である。ハイドンが頭にあるため、編成も小さめで演奏時間も15分ほどという小型の交響曲である。最初の交響曲にこうした題材を選ぶのだから、プロコフィエフはやはりただ者ではない。単純に古典的な交響曲を書いたのではなく、プロコフィエフの生きた今とハイドンの時代をオーバーラップさせる効果も狙っている。

曲調的に、フランス系の指揮者に名演が多いのだが、イスラエル出身のインバルも洗練とキレを兼ね備えた洒脱な演奏を聴かせる。弦も管も音に浮遊感があるが、瞬発力にも優れ、若きプロコフィエフの才気と一種の悪童ぶりを見事に表してみせる。インバルらしい溜めがあるのも個性的だ。

実は、私が最初に読んだ作曲家の本格的な伝記は、プロコフィエフのものであった。高校1年生の時に、昼休みに図書室に通って読み終えている。プロコフィエフが斬新さに取り憑かれたような作曲家だったことがわかる本であった。そしてプロコフィエフが、1891年生まれであり、これはモーツァルトの没後100年目であるため、メモリアルイヤーはモーツァルトの陰に隠れてしまい、亡くなった日が1953年3月5日と、スターリンの死と完全に同じ日であるため、命日もまたスターリンの陰に隠れる宿命にあるという悲劇性も著されていた。

 

ショスタコーヴィチの交響曲第10番。ヘルベルト・フォン・カラヤンが唯一、レパートリーとしたショスタコーヴィチの交響曲として知られる。ライバルであったレナード・バーンスタインはモスクワでショスタコーヴィチの交響曲第5番を作曲者の前で演奏し、絶賛されているが、カラヤンは交響曲第10番をモスクワで演奏して壇上で作曲者と握手を交わしている。カラヤンはバーンスタインに対抗意識を抱いており、ポピュラーな第5番ではなく敢えて第10番に取り組み続けたと言われている。

非常にミステリアスな楽曲としても知られている。純音楽ではあるが、他のショスタコーヴィチの交響曲同様、背後に何か別の意図を宿している。
一昨年に、フェニーチェ堺で、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による名演に接しているが、大阪フィルも流石にコンセルトヘボウ管には音の輝きでもパワーでも敵わない。だが、大フィルのヴィオラの音色もなかなか雄弁であり、時折、人間の慟哭に近い音を出すなど、インバルの指揮に触発されて別次元の演奏を聴かせる瞬間もある。

インバルは第1楽章と第2楽章、第3楽章と第4楽章をアタッカで繋ぐ。

第1楽章のラスト、ピッコロ2本がユニゾンを奏でるという珍しい場面があるが、やがてピッコロ1本となり、孤独の内に楽章は閉ざされる。
「スターリンの肖像」ともいわれる第2楽章の凶暴な表情の描き方も優れているが、この演奏を聴くとどことなく、回想の中での凶暴さという印象も受ける。現在と過去のパースペクティブが行われているような感じと書くと分かりやすいだろうか。

第3楽章のホルンの、強弱による印象の変化も、恐怖の絶頂を振り返るかのような趣があるように聞こえる。
第4楽章は、諧謔、というよりもどことなく人を食ったような旋律が登場し、ここがプロコフィエフの「古典交響曲」と繋がるような気もする。ショスタコーヴィチは本音を明かさないまま自らの署名入りによる「歓喜への予感」を抱かせる終わり方を選んでいるが、大フィルの打楽器陣も冴えまくっており、インバルの開放感に満ちた音楽作りもラストに説得力を持たせていたように思う。
これで音に更なる洗練が加われば、世界レベルが見えてくるかも知れない。

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