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2021年2月19日 (金)

これまでに観た映画より(250) 麻生久美子主演「ハーフェズ ペルシャの詩(うた)」(第20回東京国際映画祭にて)

2007年10月25日 東京・渋谷の東急Bunkamuraシアターコクーンにて

午前10時32分京都発の新幹線で東京に向かう。第20回東京国際映画祭コンペティション作品「ハーフェズ ペルシャの詩(うた)」を観るためである。

午後3時30分、シアターコクーン開場。シアターコクーン内に入ろうとする我々の横を逆方向(つまり劇場内)からふらりとやって来た若者数人が通り抜ける。その中の一人をよく見ると俳優の安藤政信であった。安藤政信、ふらりと普通に出てこないでくれ、驚くじゃないか。
「ハーフェズ ペルシャの詩」は、麻生久美子初となる海外進出作品であり、麻生久美子が上映終了後舞台挨拶に登場する。安藤政信と麻生久美子は友人なので、おそらく安藤政信は麻生久美子の楽屋を訪れていたのだろう。

「ハーフェズ ペルシャの詩」はイラン映画。アボルファズル・ジャリリ監督作品である。ジャリリ監督は映画「カンゾー先生」を観て麻生久美子に惚れ込み、長年に渡りオファーを続けてきたそうだ。麻生久美子は業界や同業者にファンが多いことでも知られるが、イラン人映画監督までファンになってしまうとは。何か凄いな。
麻生久美子は日本人ではなく、ペルシャ人を演じる。セリフもペルシャ語とアラビア語だ。ただし見た目はどう考えてもペルシャ人ではないので、ペルシャ人とチベット人のハーフという設定にしてある(ただ、後日確認したところ、イランには日本人風の見た目の人も多いらしい。麻生久美子のイラン旅行記も読んだが、親日家が多く、日本語が出来る人も珍しくないそうである)。

内容は難解ではある。説明をなるべく省くというスタイルを取っているからだが、非常にロマンティックで愛らしい作品だ。

コーランを暗唱出来る聖人のことを指すハーフェズ。そのハーフェズを目指すシャムセディン(メヒディ・モラディ)は、一方で詩の創作に興味を持っており、詩の塾に通っている。しかし、ハーフェズは詩などを作ってはならないと諫められ、詩作は辞める。コーランの暗唱試験に合格し、見事ハーフェズとなったシャムセディン。シャムセディンことハーフェズは、街の宗教指導者(大師)から、チベットから帰ってきたばかりの娘ナバート(麻生久美子)のコーランの家庭教師としてつくよう求められる。
顔を合わせることなく侍女の監視付きでコーランの授業を進めるハーフェズとナバートだが、ナバートは詩に興味を持っており、ハーフェズに様々な質問をする。それに答えるハーフェズ。いつしか二人は互いを恋するようになるのだが、その恋が認められるはずもなく、ハーフェズは裁判により有罪となり、ハーフェズの称号を奪われ、鞭打ち50回の刑を受ける。ハーフェズではなくなったシャムセディンは煉瓦工場で肉体労働をすることに。
一方、ハーフェズとの恋路を絶たれたナバートは鬱状態に陥る。祈祷師がいくら祈ってもナバートの鬱は快癒しない。

元ハーフェズのシャムセディンとのやり取りを何とか許されることで鬱を脱したナバート。だが、ナバートは大師の部下で宗教学者である、元ハーフェズと同名のシャムセディン(メヒディ・ネガーバン)という男と無理矢理結婚させられてしまう。だが、宗教学者のシャムセディンも、元ハーフェズのシャムセディンに尊敬の念を抱いており、ナバートに手を触れようとはしなかった。

元ハーフェズのシャムセディンは、恋を忘れる儀式として鏡を持って各地の村を周り、各村で一人の処女に鏡を磨いて貰う。全部で七人の処女に鏡を磨いて貰えば恋が忘れられるというのだが、鏡を磨く儀式は本来は恋を成就させるための儀式である……。


麻生久美子は思ったより出番が少ないのだが、それでも重要な役割を務めている。

ジャリリ監督は、脚本、監督、撮影などを一人で手掛けている。登場人物がスクリーンを横切る形で走ったり歩いたりするシーンが多いのが印象的。人物の水平移動をこれほど徹底して撮る監督も珍しい。

ラストシーンがまた素晴らしい。押しつけがましさの全くないラストであり、説明的要素もほとんどないのだが、素直に“ああ、良かったね”と喜べる。

イラン映画なのに、どこか懐かしさを感じるのは、日本の民話や世界各国に古代から伝わる話に通底するものがあるからかも知れない。
邦題だけでなく、この映画自体が本当に「詩」だと思う。


上映終了後、麻生久美子とジャリリ監督が登場。主に記者を対象にしたティーチインが行われる。
麻生久美子は劇中でも着ていたイランの民族衣装を着て登場。だが、本人いわく、「映画で見慣れたのか(お客さんに)余り驚いて貰えなくてちょっと残念」とのこと。

ジャリリ監督は、「素敵な夜空を見ていたらこの風景を人に伝えたくなるんだ」といったようなことも話し、司会者の方から「ロマンティックな監督ですね」と言われていたが、「ハーフェズ ペルシャの詩」自体が大変ロマンティックであり、やはりこういう作品はロマンティックな人でないと撮れないだろう。


麻生久美子の海外映画デビューを祝えるのは嬉しい。それも欧米作品ではなくイラン映画で、更に監督に出演をせがまれてというのがいいじゃないか。

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