コンサートの記(702) 高関健指揮 京都市交響楽団第513回定期演奏会
2008年6月6日 京都コンサートホールにて
午後7時より、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第513回定期演奏会を聴く。指揮は高関健。
曲目は、メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」(1833/1834年稿)、松山冴花(まつやま・さえか)をソリストに迎えたバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番、オネゲルの交響曲第3番「礼拝(典礼風)」
高関健は1955年生まれ、桐朋学園大学の出身。1977年のカラヤン国際指揮者コンクールジャパンで優勝し、数年間カラヤンのアシスタントを務めたこともある。
構築の確かさと、力強い音楽作りに定評のある指揮者である。今年(2008年)の春まで15年以上に渡って群馬交響楽団の音楽監督を務め、この春からは札幌交響楽団の正指揮者に転じている。
以前は額を隠したおかっぱ頭というダサダサの風貌だったのだが、今は髪を少し短くして、以前より幾分外見が洗練された。
午後6時より、高関健によるプレトークがある。オネゲルの交響曲第3番「礼拝」で使用するためのピアノが舞台の奥に据えられていたので、そのピアノで楽曲の旋律を奏でながらの解説となった。
今日は全曲、ヴァイオリンが両翼に来る古典的配置での演奏。
メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」は、1833年に初演され、好評を得たが、メンデルスゾーンは出来に不満があったようで、直後から改訂に取りかかっている。しかし、改訂した楽譜が周囲から不評だったということで、翌1834年には作業途中で改訂を諦めたとのことである。しかし2001年に、メンデルスゾーンが改訂を進めていた「イタリア」の版が、ジョン・マイケル・クーパーの校訂によって「1833/1834年稿」として出版された。今日の演奏会はその楽譜を使っての演奏となる。
高関の指揮する「イタリア」は第4楽章を除いては高揚を抑えた端正な演奏であった。音は美しいけれど、あっさりとして小さくまとまっている感じがある。個人的には第1楽章から一貫して情熱と喜びに溢れた「イタリア」の演奏が好きなので、高関の表現はやや物足りなかった。
京響は弦は美しいが、金管は第1楽章でトランペットが破裂したような音を出し、第2楽章ではフルートの音が弱かったり、木管全体としてのハーモニーが美感を欠いていたりと、管楽器群の調子は今一つであった。
1833/1834年稿は、第2楽章の旋律がなだらかになっているのが一番印象に残った。
高関は第1楽章と第4楽章は指揮棒を持ち、第2楽章と第3楽章の大半はノンタクトで振っていた。抒情的な部分はノンタクトで振るようにしているようである。
バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番。ソリストの松山冴花は、西宮の生まれ。9歳で渡米し、ジュリアード音楽院で修士課程まで学んでいる。エリザーベト王妃国際コンクール4位入賞が最も輝かしいコンクール成績ということで、コンクール歴はさほど華麗ではないが、今日のバルトークでは情熱的で力強い音楽を奏でた。技術も高く、良いヴァイオリニストである。
高関指揮の京響は編成を大きくしたこともあると思うが、音に厚みがあり、金管も輝かしくて、メンデルスゾーンよりも優れた演奏を繰り広げた。
アルチュール・オネゲルの交響曲第3番「礼拝」。
フランス生まれで、フランス六人組の一人でありながら、オネゲルは両親がスイス・ドイツ語圏の出身であり、オネゲル自身もスイス国籍を持ち続け(フランスとの二重国籍)、フランス語とドイツ語を操った。
そのことが影響していると思われるが、オネゲルの作品はフランス六人組の中では飛び抜けて構造的であり、メロディーよりも強靱な構築感と力強い響きを特徴としている。
ガッチリとした構造作りには定評のある高関の指揮だけに、この作品は文句なしの名演となった。弦も管もすこぶる好調。増強された金管の威力は抜群であり、第2楽章におけるラメのような、もっと気障にいうと星々の煌めきのような独特の音の輝きも印象的であった。
バルトークとオネゲルが20世紀の作曲家であるということもあってか、空席も目立つ演奏会であった。客層も白髪の方達と、二十代と思われる若者が目立ち、中間層が薄い。年配の方はいつも京響の演奏会に来ている人で、若者達は現代音楽に抵抗感が少ないので聴きに来たと思われる。
最後に、この6月一杯で京都市交響楽団を退団する、コンサートマスターのグレブ・ニキティンに花束が渡された。
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