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2021年4月30日 (金)

2346月日(31) 「-人生旅的途上(じんせいたびのとじょう)- 没後20年 河島英五展」@京都文化博物館別館

2021年4月21日 三条高倉の京都文化博物館別館にて

京都文化博物館別館で、「-人生旅的途上(じんせいたびのとじょう)- 没後20年 河島英五展」を観る。

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「酒と泪と男と女」、「時代おくれ」、「野風増」などのヒット曲を生み、多くの人から愛されながら、2001年に48歳の若さで旅立った河島英五の回顧展。愛用の楽器、創作ノート、円空画などの絵画を中心とした展示で、写真撮影可である。

創作ノートには歌詞の他にコードが記されており、また旅先から夫人などに贈った絵葉書の裏にはびっしりと文字が書き付けられており、筆まめな性格がうかがえる。

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生前、交流のあった人からのメッセージボードもあり、関西出身者を中心とした多くの著名人の肉筆を見ることが出来る。

河島英五は、1952年4月23日、大阪府東大阪市生まれ。大阪府立花園高校在学中にバスケットボール仲間4人で、フォークグループ「ホモサピエンス」を結成。その2年後、まだ高校在学中に、大阪毎日ホールで初ステージを踏み、更に中之島のフェスティバルホールで行われた岡林信康の公演の前座として出演する機会を得る。音楽の聖地、フェスでの第一歩だったが、客席から「帰れ!」コールを浴びたため、演奏を中止して引っ込まざるを得なかったようだ。この頃に初期の代表曲となる「酒と泪と男と女」を作詞・作曲。フェスでの出来事と、この曲の内容はリンクしそうだが、実際の相関関係については不明のようである。ただ河島はこの時まだ十代で、しかも実際は体質的に酒がほとんど飲めなかった。ということで「酒と泪と男と女」で描かれた内容は実体験に基づいたわけではないフィクションである。

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その後、拠点を京都に移して歌手活動を開始。京都レコードからデビューした。

22歳の時の「何かいいことないかな」でワーナーパイオニアからメジャーデビュー。翌年にリリースした「酒と泪と男を女」がヒットし、以後、日本音楽界の重要な一角を占める存在として走り続けた。

活動の合間に世界各地を放浪。俳優活動も行うようになり、1987年にはNHKドラマ「まんが道」に寺田ヒロオ役という重要な役で出演。晩年にはNHKの朝の連続テレビ小説「ぴあの」や「ふたりっ子」などにも出演した。晩年には大阪の法善寺横町でライブハウスやイタリアンレストランなどの経営も手掛けている。

2001年に体調を崩し、4月16日にC型肺炎のために死去した。

江戸時代の修業僧、円空が彫った仏像を描くことを好み、北海道から東北地方を回ってもいる。

一番奥の展示(京都文化博物館本館への通用口のそば)ではステージが組まれ、河島英五が1994年に淡路島の南淡町(現・南あわじ市)で行ったライブの映像が流れている。
デビュー曲である「何かいいことないかな」を聴衆との掛け合いで続けた後で、「酒と泪と男と女」、「伝達」が歌われた。

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