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2021年4月22日 (木)

観劇感想精選(392) 広田ゆうみ+二口大学 別役実「いかけしごむ」@UrBANGUILD 2021.4.16

2021年4月16日 京都・木屋町のUrBANGULDにて観劇

午後7時から、木屋町UrBANGUILDで、広田ゆうみ+二口大学による別役実作の「いかけしごむ」を観る。出演は、広田ゆうみと二口大学という京都ではお馴染みの二人に、劇団トム論の岡田眞太郎が加わる。

「いかけしごむ」は、別役作品の中でも比較的理解が容易ということもあって、上演される機会も多い。広田ゆうみと二口大学も何度も上演しており、京都芸術センターで上演された時にも観ている。この時は、劇団飛び道具の藤原大介が出演していた。

別役作品の上演をライフワークとしている広田ゆうみとベテランの二口大学ということで、作品世界に馴染んだスタイルがすでに構築されているという印象を受ける。

昨年は、大鶴美仁音(みにょん)と大鶴佐助の姉弟が浅草九劇で「いかけしごむ」の無観客上演をオンライン配信しており、ラストに本来はないはずの屋台崩しを意識した幕落としがあって、二人の父親である唐十郎(本名:大靏義英)が登場するという演出が加わっていた。
登場人物は三人だが、男二人は重なる場面はなく、また一人は出番もセリフも少ないため男の一人二役による男女の二人芝居で上演されることも多い(大鶴美仁音と大鶴佐助版も一人二役を用いた二人芝居であった)。ただ三人で上演した方が内容の把握が容易になる、というよりも一人二役にすると誤解を招く怖れもあるため、三人にした方が良いと思われる。

どこよりも深い場所が舞台である。天井からは電話の受話器がぶら下がり、手相見の席と灯りが点っているが、占い師の姿はない。ベンチの上には「ここに坐ってはいけません」という札が立てかけてある。

「いかけしごむ」は、極めて深刻な内容であり、不条理劇とされているが、描かれているのはこの世界そのものである。

受話器は、「いのちの電話」に繋がっている。追い詰められた人でないと「いのちの電話」に相談しようという勇気は起こりにくい。また、女性は占いに行くのが趣味という人も多いが、他に手段がないので占いに頼るという人もまた多い。
これは追い詰められた場所での物語である。

この場所にやって来た女(現代小説でいうところの「信頼のおけない語り手」に相当する。演じるのは広田ゆうみ)は、ベンチに「ここに坐ってはいけません」とあるのは、誰かがここに座った人を注意することでコミュニケーションを図ろうとしているのだろうと思い、ベンチに腰掛ける。思った通り、ベンチに座っていることを見とがめる男(二口大学)が登場するが、ここからディスコミュニケーションがスタートする。女の語りは男の状況を決めつけることが多く、それは誤解を覚悟で書くが、自分のストーリーに相手を引き入れることで解決に導こうとする「いのちの電話」や占い師に似ている。彼女が感じている「リアリズム」を提示することで、相手に納得を促す。
彼女の決めつけの話はどこに由来するものなのかは、実はラストで明かされているのだが、彼女もそれを本音として話せなかったということになる。

一方、男の方は、「発明家」を名乗り、イカを使って作る消しゴム「いかけしごむ」を発明したため、ブルガリア暗殺団に命を狙われているという、一聴すると荒唐無稽な内容の話をし始める。男にとってはそれは本当のことなのであるが、荒唐無稽に聞こえるので警察にも相手にされない。おそらく「いのちの電話」や占い師といった最後の砦に当たる人からも「頭のおかしな人」としてすげなくされるであろう。女は事実とは異なることを、実は観客の目の前で行っていると思われるシーンが存在する。その後に現れる三人目の登場人物により、「実際のこと」は暗示される。
追い詰められてさまよい込んだ男を、女が結果的に殺してしまうことになるという悲劇である。自身のリアルからこぼれ落ちた別のリアルにいる人を救えなかったということなのだ。

「何がリアルかなんて本当は誰にも分からない」

人というのは、自分が経験してきたことしか理解出来ないし、想像も難しい。自身のリアルへの拘泥は他者のリアルを叩き潰す。目の前で繰り広げられているのは、二人芝居(もしくは二人芝居プラスワン)なのであるが、互いが目の前にいる人物のことを何一つとして理解出来ないまま終わるという、圧倒的な孤独感を伴う一人芝居の連鎖なのだ。そしてそれはこの世の本質でもある。

「おのずからあいあうときもわかれてもひとりはいつもひとりなりけり」(一遍)

Dsc_1444

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