コンサートの記(712) 広上淳一指揮京都市交響楽団西宮公演2021
2021年4月25日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて
午後3時から、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、広上淳一指揮京都市交響楽団の西宮公演を聴く。
新型コロナの感染は留まるところを知らず、大阪府内では1日の最多記録を更新する1220名の新規感染者が出た。昨日は梅田とその北の茶屋町に行ったのだが、梅田駅構内と茶屋町はそれなりに人がいたが(それでも平時の半分程度)梅田芸術劇場の入る茶屋町アプローズの前は本当に人がいなかった。大阪市民が手をこまねいているというわけでも、感染拡大防止のための努力を怠っているというわけでもないと思われるのだが、変異によって感染力が強まったのだろうか。
今日の京都市交響楽団の西宮公演に関しても、「大阪から兵庫に行くわけにはいかない」という自粛コメントをTwitterなどでしている人が多い。兵庫県立芸術文化センターもホームページにおいて今日付で、「症状が無くても自粛したいという人に関してはチケット料金払い戻しに応じる」という旨の発表を行った。
今回の京都市交響楽団の西宮公演は、本来なら1年前に行われているはずだったのだが、コロナ禍により開催が見送られ、同一プログラムによる演奏会が組まれることになった。状況的に再度中止もしくは延期になってもおかしくなかったが、開催されることになった。
本来なら緊急事態宣言が出されてもおかしくないのだが、東京オリンピックが関係しているのかそうでないのか、「まん延防止等重点措置」に留められている。それにしても略称「まん防」ではユーモラスで深刻さが感じられないが、そんなレベルの人が作っているという証でもある。
行きの阪急電車でも淡路駅では、「不急不要の外出はお控え下さい」とのアナウンスがあった。
コンサートホールの入り口に置かれたチラシの束(コロナの感染を考慮してスタッフからの手渡しでなく、積み置かれたものを聴衆が自分で取るというシステムになっている)の中にも、井戸敏三兵庫県知事からの「座席配置の工夫又はアクリル板の設置、消毒液の設置等の感染対策を行っていない飲食店、カラオケ店など、リスクのある場所への出入りを自粛してください」という要請が記された紙が含まれている。
そんな中でのコンサート。曲目は、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:金川真弓)とマーラーの交響曲第5番。共に指揮者としても大活躍した作曲家、というよりもマーラーに関しては当代一の指揮者として評価されたが、作曲家としての名声が高まったのは死後であり、生前は指揮者としてのみ評価されていた。マーラーも自身の交響曲が聴衆から容易に受け入れられないということは心得ており、指揮者としての名声が下がるのを避けるため、自作の初演は本拠地であるウィーン以外で行っている。
偶然ではあるが、先週、広上と京響が行った「スプリング・コンサート」のメインが「死」を描いたチャイコフスキーの「悲愴」交響曲で、その次となる今回の演奏会のメインが「死からの復活」を描いたマーラーの交響曲第5番という並びになった。
今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。第2ヴァイオリンの客演首席には神戸室内管弦楽団の西尾恵子が入る。テューバも武貞茂夫の後任が決まらず客演奏者を招くことが続いているが、今日は仙台フィルハーモニー管弦楽団のピーター・リンクが初めて入った。
今日はクラリネット首席の小谷口直子が全編に出演する。フルート首席の上野博昭、ホルン首席の垣本昌芳、トランペット首席のハラルド・ナエスなどはマーラーのみの出演である。
今日もドイツ式の現代配置だが、ティンパニが指揮者の真正面に置かれ、金管奏者はその前に横一列(向かって左側がホルン、向かって右側にトランペット)に並ぶという布陣である。マーラーの交響曲第5番で活躍するハープの松村衣里はチェロの第1プルトの後ろという指揮者に近い場所で演奏した。
今日は3階席3列目のほぼ正面。チケット発売時は収容最大観客数の半分までという基準だったため、発売日の午後にはもう通常の手段ではチケットは手に入らず、いつもとは異なる手段でチケットを買った(勿論、正規のルートである)。その後、満員でもOKとなったため追加発売が行われたが、自重した人も多く、空席も比較的多めである。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調(通称:メンコン)。ソリストの金川真弓(かながわ・まゆみ)は、2019年のチャイコフスキー国際コンクール・ヴァイオリン部門で4位入賞、2018年のロン=ティボー国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門では第2位&最優秀協奏曲賞を受賞というコンサート歴を誇る若手。それほど知名度の高くないコンクールでは1位も獲得している。1994年、ドイツ生まれ。幼時に日本に戻り、4歳でヴァイオリンを開始。その後、ニューヨーク、ロサンゼルスでの生活を経てドイツに戻り、ベルリン・ハンス・アイスラー音楽大学でコリヤ・ブラッハーに師事。現在もベルリンを拠点に活動している。
金川のヴァイオリンを聴くのは初めてだが、美音でスケールも大きい。それだけのヴァイオリニストなら数多いが、音の強弱の付け方がきめ細やかで、名古屋で聴いた諏訪内晶子独奏のメンコンを想起させる。時折見せる弱音の抜き方は諏訪内同様、日本人的な感性による演奏と取ることも出来るだろう。
一方で、高貴な印象の諏訪内のヴァイオリンに対して金川はかなりエモーショナルであり、第1楽章のカデンツァなどでは情熱全開の演奏を聴かせる。
富豪の家に生まれたメンデルスゾーン。育ちの良さと同時に、指揮者としてJ・S・バッハの「マタイ受難曲」を復活初演させるなど、意欲的な音楽活動を行った。そうした彼の多面性が、様々な演奏を聴くことで明らかになっていくようだ。
広上指揮の京都市交響楽団も表現力豊かな伴奏を聴かせる。
金川のアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番よりラルゴ。美音とスケールの大きさはそのままに、確かな構築力も感じさせる優れた出来であった。今後がかなり期待出来そうなヴァイオリニストである。
マーラーの交響曲第5番。トランペットの独奏で始まる曲だが、広上は出だしだけ示して、後は首席トランペットのハラルド・ナエスに任せる。余談だが、兵庫県立芸術文化センターのポッケと呼ばれる展示スペースでは現在、兵庫芸術文化センター管弦楽団(通称:PACオーケストラ)の卒団生からのメッセージが展示されているのだが、その中にハラルド・ナエスのものもあった。ナエスにとっては凱旋公演ということでもある。
マーラーも得意レパートリーとする広上淳一。第1楽章前半などは、これまで聴いてきたマーラーの演奏に比べると今回はややタイトな印象を受けたが、第2楽章や第3楽章、第5楽章のいずれも終盤においてはスケールを拡大し、師であるレナード・バーンスタイン指揮のマーラーを念頭に置いたような巨大な音像を構築する。日本人指揮者と日本のオーケストラで、ここまでスケールを拡げても高密度であるため大風呂敷にならないというのは大したものという他ない。
広上の指揮姿は今日もユーモラスで、指揮台の上でステップを踏んだり、右から左へと両手を素早く振ったりする。肩で指揮をすることが多いのも広上の最近の特徴である。
有名な第4楽章のアダージェットも、ユダヤ系のマーラー指揮者によるものとは違って濃厚さはないが、ノスタルジアや儚さ、淡い憧れなどが浮かび上がる出来で、これも一つの解釈として納得のいくものである。アダージェットについては、マーラーと親交のあったウィレム・メンゲルベルクによる、「妻であるアルマに向けてマーラーが書いた音楽によるラブレター」という解釈がよく知られており、またレナード・バーンスタインがジョン・F・ケネディ大統領追悼演奏の一つに加えたことから「死」に繋がるというイメージも生まれたが、それらとはまた違った味わいである。ちなみにアダージェットは、ルキノ・ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」で使われて有名となったが、主人公のアッシェンバッハ(トーマス・マンの原作では作家、映画ではマーラーをモデルとした作曲家となっている)は疫病で死ぬということになっており、今と重なる。
第5楽章もスケール雄大で、響きも磨き抜かれており、全てのパートが雄弁。マーラーの交響曲の重層性も明らかになっていく。
金川がアンコールで演奏したバッハの時代の音楽がどちらかというと抒景詩寄りで「神からの恩寵」的であったのに比べ、メンデルスゾーンの時代には人間の内面が音楽の主題となり、マーラーに至ると無意識にまで視点が向けられるようになる。実際にマーラーはジークムント・フロイトから精神分析を受けたことがあり、グスタフ・クリムトに代表されるウィーン分離派など、世紀末芸術の深層心理重視の作風にも近いものが感じられる。
結果として演奏だけでなく、ドイツ語圏の音楽や文化の歴史の流れを確認するという点でも興味深い演奏会となった。
演奏終了後、広上はまず冒頭のトランペット独奏などを吹いたハラルド・ナエスを立たせ、次いで第3楽章で活躍したホルン首席の垣本昌芳を立たせる。その後、各パートの首席奏者を立たせた後で、パート全員に起立を指示するが、打楽器はティンパニの中山航介(打楽器首席)を除くメンバーを立ち上がらせたため、中山が左右の手で自分を指さして、「僕も! 僕も! 僕も立たせて! 今立たせて!」というようにアピール。事情を知っている人達からの笑い声が起こる。広上は「後でね」という風に手で制して、今日も中山をトリとして立たせ、指揮台の上から拍手を送った。最近、このショートコント(?)が定番となりつつある。
広上は、「このような状況の中、このように沢山の方にお越し下り、『感謝!』です。感染にお気を付けて、でも演奏会には来て下さい」と言って、アンコール楽曲、リヒャルト・シュトラウスの歌劇「カプリッチョ」から月光の音楽の演奏が始まる。美演であった。
ちなみに広上さんは、YouTubeで「週刊かんべぇ」という企画を始めるようである。
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