これまでに観た映画より(253) 「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」
2021年3月29日 京都シネマにて
京都シネマで日本映画「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」を観る。監督・脚本・編集・絵:池田暁。出演:前原滉、今野浩喜、中島広稀、清水尚弥、橋本マナミ、矢部太郎、片桐はいり、嶋田久作、きたろう、竹中直人、石橋蓮司ほか。
群馬県でロケが行われており、富岡製糸場の建物なども登場する。
津平町という架空の町が舞台である。津平町は、川を挟んで隣り合う俵万智、じゃなかった太原町と戦争状態にある。だが何のための戦争なのかは誰も知らない。津平町の人間は、「太原町の人々はとにかく怖ろしい」、「太原町はとても怖い」と口にするのだが、誰も太原町に行ったことはなく、どう怖ろしいのかも知らない。映画のタイトル通り、ぼんやりとしか分からない相手との戦争を続けることになる。
戦争は、午前9時から午後5時までと時間を決めて行われる。津平町の人々は、町を練り歩く楽隊の音楽によって目を覚まし、兵隊の庁舎に集う。露木(前原滉)と友人の藤間(今野浩喜)は、並んで出勤し、準備体操などを経て、河原に腹ばいになり、午前9時になると太原町側に向かって銃撃を行う。太原町の兵隊の姿は見えないので、適当なところに向かって指定された数以上の銃撃を行い、午後5時に戦争は終わる。太原町側からも銃撃はあり、藤間は被弾して右腕を失うことになる。
ある日、露木は楽隊への異動を命じられる。楽隊のトランペット奏者であった大木(竹中直人)が他界し、学生時代に吹奏楽でトランペットを吹いていた経験のある露木に白羽の矢が立ったのだ。楽隊は毎朝町を練り歩いているので、存在していることは確かなのだが、その存在を認知していない者もおり、本部がどこにあるのかも知られていない。露木が探し当てた楽隊の本部は怖ろしく狭い部屋であり、楽隊を率いる伊達(きたろう)はパワハラ上司だった。
楽隊に入る前から、露木は川向こうの太原町からトランペットで奏でられる「美しく青きドナウ」の旋律の一部を耳にしていた。楽隊に入った露木は河原で「美しく青きドナウ」のメロディーを吹く。すると対岸からもそれに答えるメロディーがあり、ユニゾンで「美しく青きドナウ」が演奏される。ある日、太原町のトランペット奏者が姿を現した。若い女性だった(クローズアップのカットはないので容姿などははっきりとはわからない)。
池田暁監督の演出方針で、演技はかなり抑制されており、台詞なども淡々と語られる。そのため非現実的に見えるが、これは現代社会そのものの戯画であり、今現在、日本や世界で問題になっていることがトレースされた形で表現される。
津平町の町長である夏目(石橋蓮司)は、かなりいい加減な性格であり、部下の顔や名前を覚えず、毎朝、兵隊たちの前で太原町の脅威を語るが、その実態は把握していない。そして警官の上本を常にそばに侍らせている(当然ながら上本の名前をしょっちゅう忘れる)。夏目の息子の平一(清水尚弥)は窃盗の常習犯なのだが、夏目の職権乱用により警官に抜擢される。津平町では、女は子どもを産むために存在しており、子どもが産めないと見なされた女性は離婚されても仕方ないと思われている。また、伊達に「生意気だ」と目をつけられ、パワハラを受けていた女性奏者(打楽器担当)の小坂が楽隊の同僚である坂本(トロンボーン担当)と結婚するとわかると、伊達もいきなり手のひらを返し、それまで優遇されていた未婚の女性がいじめの対象に変わる。子どもを産むことが正義だからだ。
兵隊は毎朝、兵舎に出向いて、出席の確認を行うのだが、受付の女性がいかにもお役所的な対応を行うため、技術者の仁科(矢部太郎)や隻腕となった後の藤間とは話がかみ合わず、堂々巡りが始まってしまう。いずれも大袈裟に描かれてはいるが、実際に今も起こっている現象である。右腕を失った藤間は兵隊としての任務に就けなくなるのだが、保障は一切ない。これまでずっと兵隊としての任務に就いていたため、他に生活出来る手段もないのだが、「そんなの知らん」という態度で済まされる。これも障害者が雇用から排除されている現状を映している。露木がいた川の下流では戦闘もそれほど激しくないのだが、上流では大激戦となっているそうで、露木が毎日昼になると通う㐂多山食堂の女主人・城子(片桐はいり)は、息子が優秀なので川上に送られ、奮闘していることを自慢に思っている。実際の戦争でもそうだと思うが、優秀な人材というのは官庁でも一般の企業でも様々な業務を押しつけられることになるため、激務になりやすい。今は「ブラック企業」という呼称と共に周知されるようになったが、以前は、若い人には余り知らされてこなかった日本型労働の影である。いずれも非現実性を持って描かれているが、日本の縮図でもある。
仮想敵を作って相手を攻撃することは、20世紀においては共産主義の国家の常套手段であったわけだが、それ以外の国でもそうしたことは昔から行われていたわけで、21世紀に入ってからは、むしろかつての西側の国でそうした政策が採られるようになっている。日本も例外ではない。
味気ない津平町の世界にあって、露木が唯一、誰かと心を通い合わせることの出来る瞬間が、川向こうの女性とトランペットで「美しく青きドナウ」を奏でる時であった。この映画では意図的に主要キャストに美男美女ではない俳優を配することで、そうしたちょっとした幸福が引き立つ効果を生んでいる。映画の主役といえば美男美女という常識に挑戦しているようでもある。
どことなくユーモラスな展開であるのだが、内容自体はシビアであり、ラストでは分断がもたらす破滅や自滅が描かれている。
一般受けする内容ではなく(なにしろ大手映画会社の作品とは違い、美男美女が余り出てこない)、入りも悪かったのだが、かなり優れた映画であり、お薦めである。観る前は余り期待していなかったのだが、予想が良い方に裏切られた。
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