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2021年4月10日 (土)

これまでに観た映画より(255) 役所広司主演「すばらしき世界」

2021年4月7日 京都シネマにて

京都シネマで、日本映画「すばらしき世界」を観る。原作:佐木隆三(『身分帳』)、脚本・監督:西川美和。出演:役所広司、仲野太賀、六角精児、北村有起哉、白龍、キムラ緑子、長澤まさみ、安田成美、梶芽衣子、橋爪功ほか。
これまで自身のオリジナル脚本による長編映画を撮り続けてきた西川美和が、初めて原作ありで撮った作品である(ショートフィルムでは太宰治の「駆込み訴え」を翻案したものを撮っているようだが未見)。佐木隆三のノンフィクション小説『身分帳』が原作であるが、西川監督がこのノンフィクション小説に惚れ込み、自らの企画で撮ることになったようである。ただこの映画でもメッセージをストレートには打ち出さないのが西川美和監督らしい。
封切り当初はシネマコンプレックスなどの大型スクリーンで上映されたが、その時期を過ぎて、今はミニシアターで上映されるようになっている。

これまでの人生のうち28年を獄中で過ごしてきた三上正夫(役所広司)が主人公である。13年前の殺人による服役を終え、旭川刑務所から出ることになった三上は、東京に向かい、身元引受人の弁護士である庄司勉(橋爪功)とその妻の敦子(梶芽衣子)の世話になる。
とにかく稼ぎがないので、庄司のすすめで生活保護を受けることになるのだが、三上は保護を受けることに不満である。また、役所の窓口でケースワーカーの井口(北村有起哉)に見下されたと感じた三上は憤るのだが、高血圧の持病が出て倒れてしまう。怒りが発作を引き起こすようだ。
三上は刑務所内でミシン縫いの技術を得ていたが、それを生かせる仕事はない。
凶悪犯が更生してシャバに戻っても、彼らを受け入れる余地がこの世界にはほとんどないというのが現状である。

三上は私生児として福岡県に生まれ、父親の顔は知らず、母親とは4歳の時に別れて、その後は保護施設で暮らしてきた。十代後半になると関西の暴力団の舎弟となって裏社会を歩き始めるのだが、弱い者いじめが嫌いな一本気な性格であり、13年服役することになった殺人事件もそうした性格が災いしたものだった。
旭川刑務所から離れるバスの中で三上は、「今度ばっかりは堅気ぞ」と誓うのだが、昔からの性質はそう簡単には直らない。強きをくじき弱きを助ける性格はプラスに働くこともあるのだが、悪と見なしたものを完膚なきまでに叩く性質はトラブルの元となる。

三上はテレビ局に母親を探して欲しいと依頼する。プロデューサーの吉澤遥(長澤まさみ)は、小説家を志してテレビ制作会社を辞めたばかりの津乃田龍太郎(仲野太賀)に、「小説のネタになるから」と三上の取材を命じる。三上は、特別な事情により、「身分帳」と呼ばれる自身について書かれた記録を読んで書き記すことを許されており、津乃田もそれを手に入れた。

普段は温厚に見える三上を吉澤は面白がるのだが、津乃田はそんな吉澤の方針に疑問を感じ始める。ある夜、三上が津乃田と吉澤と焼肉を食べて帰る途中に三上はチンピラ2人に絡まれているサラリーマン風の中年男性を見かけ、男性を助けるのみならず、チンピラと1対2での勝負を挑む。若い頃は「喧嘩のまーちゃん」として恐れられた三上は、勝つためなら手段を選ばず、チンピラを徹底的に伸す。それを面白がってカメラを回すように命じる吉澤に、津乃田は決定的な不審を抱き、テレビ取材から降り、三上からも距離を置くようになる。
その後、暴力団の舎弟時代に車でホステスの送迎をしていたということで、運転の仕事を見つけようとした三上だが、運転免許が失効しており、再び運転免許を取るべく奮闘することに。だがブランクは大きく、すぐには上手くいかない。堅気になると誓ったものの、ヤクザ時代の癖が抜けない三上は、昔馴染みで今は下稲葉組の組長をしている下稲葉明雅(白龍)に会うために福岡県に向かう。しかし、暴力団も今ははやらず、下稲葉の妻のマス子(キムラ緑子)に「この世界に戻ってきてはいけない」と釘を刺されるのだった。

そんな日々の中で、万引きの疑いを掛けられた三上は、そのスーパーの店長である松本(六角精児)と福岡県の隣町の出身ということで次第に仲良くなったり、母親の行方がたどれるかも知れないと再び連絡してきた津乃田とも交流を深め、三上を応援する輪が出来始める。

過去にやったことのある仕事ではなく、新たに仕事を始めてはどうかという井口のアドバイスに従い、三上は介護施設の時短パート職員となることに成功する。就職祝いには庄司夫妻や松本、津乃田が集い、温かな雰囲気に包まれる。だが、介護施設でのある出来事とそれに耐えたことが三上に決定的な不幸をもたらす。

この世は、三上のような男が生きるには、余りにも歪んでいる。力のあるものが暴力で、あるいは権力で力のないものや障害を抱えたものを見下し、ねじ伏せる。三上は義憤に駆られて「やられたらやり返す」のみならず「倍返しだ」というあのドラマの主人公のようなことをしてしまう癖があるのだが、それでは生きていけない。「半沢直樹」はあくまで現代版時代劇、勧善懲悪の物語として受け入れられているのであるが、現実に半沢直樹的生き方を貫くことは難しく、三上も妥協を余儀なくされ、だがそれによって起こった怒りを貯めてしまったがために、せっかく得られた友たちに別れを告げなくてはならなくなる。
確かに三上的な生き方もある意味では魅力的ではあるのだが、社会はそうした生き方を認めるほどヤワでもなければ、理想的でもないということなのだろう。

三上という男の不器用な生き方を真似しようとは思わないが、彼のような人間を受け入れる場所がもっとあったなら、世界はより多くの人にとって「すばらしき」ものになるような気もする。

役所広司が殺人犯を演じた映画としては、まず「うなぎ」、他に「CURE」や「叫」などもそうだが、そうした精神的な疾患を抱えた殺人犯と、今回の三上のような義を通すことに忠実な男とを見比べて見るのも一興のように思う。
今でも世界はある種のすばらしさに満ちているが、三上が描いた未来の先に、更なる「すばらしき世界」が開けているようにも思うのだ。

Dsc_1357

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