コンサートの記(722) 原由莉子 ウィーン世紀末シリーズ Vol.3 「ピアノで聴くブルックナーの神髄」
2021年5月23日 左京区岡崎の京都NAM HALLにて
午後2時から、左京区岡﨑にある京都NAM HALLで、「原由莉子 ウィーン世紀末シリーズ Vol.3 ピアノで聴くブルックナーの神髄」というコンサートに接する。交響曲作曲家として知られるアントン・ブルックナーが残した数少ないピアノ曲と交響曲のピアノ独奏用編曲から成る演奏会である。
原由莉子は、「はらゆり」の愛称で知られているピアニストのようである。大阪府岸和田市生まれ。大阪市内にある大阪府立夕陽丘高校音楽科を経て、京都市立芸術大学ピアノ科卒業。京都市立芸術大学ではイリーナ・メジューエワにも師事しているようである。第16回KOBE国際音楽コンクールではピアノ部門で1位を獲得。京都市立芸大卒業後はオーストリアに渡り、ウィーン国立音楽大学大学院を修了。イタリアで行われた第2回ヴィッラフランカ・ディ・ヴェローナ国際音楽コンクールと第5回タディーニ国際音楽コンクールで優勝を果たしている。2019年に帰国。今年は7月に兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで行われる“生で聴く「のだめカンタービレ」の音楽会”にも出演するということで、関西テレビで深夜に放送されている「ピーコ&兵動のピーチケパーチケ」にもゲスト出演、スタジオでの演奏も行っている。生で聴く「のだめカンタービレ」の音楽会の企画や指揮を担当する茂木大輔(元NHK交響楽団首席オーボエ奏者。数々の音楽エッセイで知られ、マンガとドラマの「のだめカンタービレ」の監修も務めた)からも原は高く評価されているようである。
今日の演奏からは、明快で構築力に長けたピアノを弾く人という印象を受けた。
そもそもブルックナーという作曲家は、女性のファンがほとんどいないということでも知られている。スケール雄大だが、音の運びはやや鈍くチャーミングさに欠ける、ということで女性が好むタイプの音楽とは真逆であろうことは想像出来る。そのブルックナーの音楽のみによるリサイタルを女性ピアニストが行うというのだから、企画自体がかなり珍しい。
丸太町通沿いにあるNAM HALL。前を通ったことは何度もあるのだが、入るのは今日が初めてである。NAMは「南無」に由来しているようだ。上川隆也主演のドラマ「遺留捜査」の葛山信吾や小橋めぐみが出た回に、ライブ会場やリハーサルスペースとして登場していた。
ホールは地下にあり、1階にもグランドピアノがあって音楽サロンとして使われているようだが、今日は密を避けるため、休憩時間には1階の音楽サロンも開放された。
曲目は、Ⅰ部が、「幻想曲」、4つのランシエ カドリーユ、「思い出」、ピアノ・ソナタト短調。Ⅱ部がオルガンのための4つのプレリュードと交響曲第7番第1楽章(ヒュナイス編曲)。冊子としての楽譜が手に入りにくい曲もあるようで、そうした曲はタブレットに譜面をダウンロードして演奏していた。
今では残した9つ(実際にはプラス2曲に異稿多数)の交響曲、特に後期3大交響曲がオーケストラコンサートの王道となっているブルックナー。ただ存命中は交響曲を書いても書いても認められないという日々が続き、気が弱い人であったため、「誰がなんと言おうと、自分の考えが一番」とはならずに「書き直せば認めて貰えるに違いない」と思い込み、楽章を一から書き直すなどして、異なるバージョンがいくつも残ることになってしまった。
生前のブルックナーは交響曲作曲家としてよりも、即興演奏を得意とするオルガン演奏の大家やウィーン音楽院の教授として知られていた。ワーグナーに心酔し、わざわざバイロイト音楽祭を訪ねて自作をワーグナーに献呈したり(この時はまだ作曲途中の作品で、後に交響曲第3番として発表。「ワーグナー」の愛称でも知られることになる)、ワーグナーが死の床にあると知った時は、鎮魂の意を込めて交響曲第7番の第2楽章を作曲したりしている。
若くしてドイツ語圏一のオルガニストとして評価されていたブルックナーであるが、交響曲作曲家になることを思い立ったのは三十代に入ってからで、そのために本格的に対位法や管弦楽法などを学び始め、40歳になろうかという時に交響曲作曲に着手。初期の交響曲は習作として破棄されたため(だが近年録音される「ブルックナー交響曲全集」には収録されることも多い)、本人が認めた交響曲は全て四十代以降に書かれたという遅咲きの作曲家である。原由莉子によると、リンツでオットー・キッツラーに師事していた時代にベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」の第1楽章のオーケストラ編曲を行っており、演奏がYouTubeにアップされているそうである。
当時のウィーン楽壇ではブラームスが尊敬を集めていた。当時、音楽界に大きな影響を与えたいた音楽評論家のエドゥアルト・ハンスリックがブラームスを崇める記事を書き、一方でワーグナーをこき下ろしていた。ブルックナーはワーグナー支持派ということで、ハンスリックからも攻撃されることが多かった。そのことにより、ブラームスとブルックナーの関係も疎遠な状態が続く。ハンス・ロットなどはこの不幸な関係の犠牲となった。
ブルックナーの交響曲が初めて聴衆から全面的に支持されたのは交響曲第7番初演時である。交響曲第7番がブルックナーの交響曲の中で一際メロディアスであることが成功の理由として想像される。やはり旋律が明確な交響曲第4番「ロマンティック」が比較的好評を得ていたことを考えても、なんだかんだで人々は分かりやすいものが好きなのである。
原由莉子が、今回のオール・ブルックナー・プログラムのピアノリサイタルを企画するきっかけとなったのが、今年2月に行われた尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で演奏されたブルックナーの交響曲第9番だそうで(コロナでなかったら私も聴きに行っていたはずであるが、この時期にブルックナーの交響曲第9番を聴きたいという気分にはなれなかったため見送った)、演奏終了後に、興奮した原は、「近い将来【オールブルックナーピアノ作品リサイタル】を企画するから」とTwitterに書いたのだが、「ブルックナーのピアノだけでリサイタルをやろうという女性ピアニストがいる」ということで拡散されてしまい、「2、3年後にやれたらいいな」と思っていたはずが、3ヶ月後にはもう本番を迎えるということになってしまったようである。ブルックナーの交響曲は大フィルの指揮者であった朝比奈隆が頻繁に取り上げたということで、日本、特に関西では人気があり、反響を呼んでスピード開催となったようである。
ただ、ブルックナーはピアノ作品を積極的には作曲しなかったため、残されたのは小品のみということで、原もトークを長めに入れるというスタイルでの演奏会となった。
ちなみに、リハーサルを行った時に履いていた靴がピアノと合わず、ペダリングの際にキュッキュッと音が出てしまうため、裸足で演奏することにしたそうである。「靴を履き忘れてきたわけではありません」と冗談を言っていた。
幻想曲と「思い出」は、共に1828年頃の作曲である。彼の交響曲第1番が初演されたのと同時期に当たる。メロディーなどはブルックナーらしいかと聞かれると疑問だが、左手の和音進行などにはすでにブルックナーの個性が顕著に出ている。
4つのランシエ カドリーユは、25歳頃の作品。完全な舞曲であり、ブルックナーらしさ皆無のシンプルな楽曲である。ウィーンというとウィンナワルツなどの舞曲も有名だが、ワルツなどの他にも舞曲が数多く作曲されている。舞曲なので複雑さはない方がいい、ということでブルックナーもこうした捻りのない曲を生むことになったのだろうか。シューベルトも舞曲などでは、本来の毒や苦悩、悲哀などを抑えた楽曲を作曲しており、生前はそうした作品の方が人気があった。今のように録音で手軽に音楽が聴ける時代ではない。好き好んで苦悩に満ちた音楽に浸りたいという人も少なかっただろう。
ピアノ・ソナタ ト短調も習作で、ピアノ・ソナタではあるが、作曲したのは第1楽章のみである。シューマンを意識したようなロマンティックな作風だが、やはり自身の書きたかったものとは音楽性が異なったのか、続く楽章に筆を進めることはなかった。
オルガンのための4つのプレリュードは、ブルックナーが12歳頃に作曲したシンプルなオルガン曲であるが、ブルックナーの最大の強みである構築力が発揮されており、複雑さや奥行きはないが、ローティーンの作品としてはなかなかの完成度を誇る。ブルックナーというとローティーンの女の子しか好きになれず、当時は婚期が今より早めとはいえ、老年に達していたブルックナーの恋が実るはずもなかったという奇妙な話が知られるが、ある意味、ローティーンの頃に抱いた理想像を生涯に渡って抱き続けたという彼の純粋さがうかがい知れ、そうした人間性が若い頃の作品に表れているのかも知れない。
交響曲第7番より第1楽章(ヒュナイス編曲)。ブルックナー入門に最適とされるのが交響曲第7番である。甘いメロディーが数多く登場するのが特徴で、ブルックナー独特の奥行きに乏しい代わりに明快で、耳に馴染みやすい。以前は交響曲第4番「ロマンティック」が物語性があるということでブルックナー入門曲とされていたのだが、「ロマンティック」は異色作でもあるということで、交響曲第7番の方が入門の定番に変わったのもうなずける。
交響曲第7番の初演は大成功し、そのため異稿が多いブルックナーの交響曲の中では、ノヴァーク版とハース版の違いがあるだけで、大きく異なる部分も第2楽章の一部を除いてほとんど存在しない。ブルックナーも手を加える必要なしと感じたのであろう。初演の指揮を担ったのは、後にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第2代常任指揮者に就任したことでも知られるアルトゥール・ニキシュであった。「指揮棒の魔術師」といわれるほど魅惑的な演奏を行ったニキシュであるが、若い頃にはオーケストラのヴァイオリン奏者として活動しており、ブルックナーの交響曲第2番を演奏したこともあったそうで、ブルックナーの弟子であるヨーゼフ・シャルクから譜面を受け取ったニキシュは、交響曲第2番に好感を抱いていたということもあって初演の指揮を快諾。当時ヨーロッパでトップクラスの指揮者であったニキシュと名門ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって初演された交響曲第7番は拍手が鳴り止まないほどの大成功を収め、交響曲作曲家としてのブルックナーにようやくの春をもたらした。
ブルックナーはオルガニストからスタートしたということもあって、鍵盤で音楽を考え、パイプオルガンの響きを管弦楽に反映させたところがある。ゲネラルパウゼ(総休止)が多いのもそれを裏付けている。そうした音楽をオルガンではないが、鍵盤楽器であるピアノに再度トランスクリプションするという面白さがある。
ピアノで聴くブルックナーの交響曲第7番第1楽章は、敬虔なカトリック信者であったブルックナーの神への畏敬の念がよりダイレクトに出るという印象を受ける。管弦楽のような多彩な音色はピアノでは再現出来ないため、一番の真髄(神髄)の部分が伝わりやすくなるということもある。ブルックナーは、人間中心主義へと向かう同時代の作曲家と違い、音楽がまだ神の恩寵であった時代の精神性を心のどこかに宿していたように思われる。
アンコールとして、プレリュード ハ長調が演奏される。短い曲で、これもブルックナーらしさは余りないが、構築力などにはそれらしさが感じられた。
ちなみに、ウィーン世紀末シリーズの第4弾の開催日時が4日前に決まったそうで、来年の1月に兵庫県立芸術文化センター神戸女学院小ホールで、ツェムリンスキーを特集するそうである。
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