コンサートの記(721) 井上道義指揮 京都市交響楽団第529回定期演奏会
2009年10月30日 京都コンサートホールにて
午後7時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第529回定期演奏会に接する。今日の指揮者は、以前に京響の音楽監督を務めていたこともある井上道義。
曲目は、モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」と、リンツ近郊生まれでリンツで学んだ大作曲家であるブルックナーの交響曲第9番。
プレトークで、井上は桐朋の同級生で、今月9日に亡くなった工藤千博(元・京響コンサートマスター)の思い出話を語った。
モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」。この曲は4日間で書かれたということもあってか、名作揃いのモーツァルトの後期6大交響曲の中にあってワンランク落ちる印象を受ける曲である。
井上の指揮はスプリングを効かせた歌い方といい、スマートなフォルムといい、実に爽快である。しかし、それだけに「リンツ」という曲の弱さがそのまま出てしまったようで、聴き終わった後に残るものが少なかったように思う。腕をグルグル回したりする井上のパフォーマンスは面白かったのだけれど。
ブルックナーの交響曲第9番。指揮者には、ブルックナー指揮者とマーラー指揮者という二つのタイプがあって、それぞれ芸風が違い、ブルックナーもマーラーも得意としている演奏家は少ない。
ショスタコーヴィチも得意とする井上は典型的なマーラー指揮者である。マーラー指揮者の特徴として、棒による統率力が高いということが挙げられるが、井上もそれの例に漏れない。だが、ブルックナーの演奏は、棒で全てを統御しないところに本当の旨味が出てくるものなのではないだろうか。
ブルックナー指揮者には老巨匠が多いが、彼らの多くが体力の限界を感じたが故に棒を余り振らずに音楽を創り上げる術を心得た指揮者である。
井上のようにまだ棒が振れて、全ての音を統御しようという指揮者には本当の意味での優れたブルックナー演奏は生み出せないのかも知れない。
良くも悪くも抑制が利いた、人間業のブルックナー演奏であった。
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