コンサートの記(714) ジョン・アクセルロッド指揮京都市交響楽団第655回定期演奏会
2021年4月23日 京都コンサートホールにて
午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第655回定期演奏会を聴く。指揮は京都市交響楽団首席客演指揮者のジョン・アクセルロッド。京響の指揮台に久しぶりに外国人指揮者が立つ。
ジョン・アクセルロッド。アメリカ生まれの指揮者である。アクセルロッドが初めて京響に登場するシーズンの最初に広上淳一が行った指揮者の紹介の中で、「彼は外国人の指揮者なのですが」と語られ、「そりゃそうだろう」と思ったことが記憶に残っている。結局、その年の初客演は流れてしまったのだが、持ち越しとなった初客演ではラヴェルの「ボレロ」などで熱狂的な演奏を展開し、好評を得ている。
ハーヴァード大学を卒業(学部は不明)、レナード・バーンスタイン(彼はハーヴァード大学の音楽学部の出身である)に指揮を師事ということで、広上とは兄弟弟子となる。バーンスタインの弟子は基本的に流れで音楽を作ることが多いが(ヘルベルト・ブロムシュテットや近年の小澤征爾にように異なるタイプの人もいる)、アクセルロッドも音楽を流れで捉えるタイプで、豊かな生命力が持ち味である。京響以外にN響への客演でも成功を収めており、日本でもお馴染みの存在になりつつある。
昨年の4月に京響の首席客演指揮者に就任したのだが、コロナ禍によって外国人の入国が制限されており、就任1年目は京響の指揮台に立つことが叶わなかった。コロナも変種株の流行により深刻さを増しているが、任務を全うしないわけにはいかないということで、来日後、2週間の自主隔離を経て、京響への客演を実現させた。今回は「首席客演指揮者就任披露演奏会」と銘打たれている。
アクセルロッドはTwitterをやっているため、来日前の覚悟の発言なども読むことが出来る。
オール・ブラームス・プログラムで、大学祝典序曲、交響曲第2番と第4番が演奏される。4月ということで、本来なら大学に入ったばかりの新入生にも来て大学祝典序曲を聴いて欲しいところだったのが、緊急事態宣言発令直前ということで、若い人は流石に来られず、入場者数を制限したため、チケット完売ではあるが1階席などは空席が目立つという結果になった。
今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。今日は客演首席チェロ奏者として、NHK交響楽団首席チェロ奏者の「藤森大統領」こと藤森亮一が入る。NHK交響楽団は、先月、西宮でブラームスの交響曲第4番を演奏しているが、その時は藤森は降り番であった。
第2ヴァイオリンの客演首席は森岡聡。
フルート首席の上野博昭、クラリネット首席の小谷口直子、ファゴット首席の中野陽一朗らはブラームスの交響曲第4番のみの出演である。
ドイツ式の現代配置での演奏であるが、ティンパニは指揮者の真正面ではなくやや下手寄りに位置する。
無料パンフレットにはプレトークの予定等は記入されていなかったのだが、アナウンスがあり、アクセルロッドによるプレトークが行われる。首席客演指揮者就任披露ということで、アクセルロッドが希望したのかも知れない。京響の定期演奏会でプレトークが行われるのも、昨年の7月定期以来である。
アクセルロッドは、まず日本語で「こんばんは」と挨拶し、なぜブラームスを取り上げるのかについて語る。アクセルロッドによるとベートーヴェンは英雄像を描き、マーラーは天国と地獄を描写したが、ブラームスは人間の姿を音楽にした作曲家で、誰もが持つ気持ち、喜びや悲しみや苦しみや怒りなど、あらゆる感情を音楽に込め、また聴く人がそれぞれに受け取れる作曲家であると述べる。
「『ブラームスはお好き』という有名な映画がありますが」とアクセルロッドは語る。『ブラームスはお好き』はフランソワーズ・サガンの小説で、映画化されているが、実は映画の邦題は「さよならをもう一度」となっている。なので「ブラームスはお好き」では文学好き以外には通じないのだが、アメリカ人には邦題がなんであったのか知る由もない。ただ、アクセルロッドは「皆さんが帰る頃には、『ブラームス大好き』となっているでしょう」と予言する。
「皆さんは勇敢な人です。マスクはしていますが、耳は塞がれていませんし、心も開け放たれています」として、演奏会を楽しんで欲しい旨を告げる。
開演3分ほど前に、1階席に小柄な男性が関係者と思われるもう一人の男性と共に入ってくるのが見える。どう見ても広上淳一である。広上は関係者席になることが多い席に座ってコンサートに臨んでいた。
大学祝典序曲。それほどスケールを拡げず、推進力重視の演奏。やや荒っぽさも感じるが、基本的にアクセルロッドは縦の線に関して神経質ではなく、快活さを優先させているようである。なお、アクセルロッドは譜面台を置かず、全曲暗譜での指揮である。
交響曲第2番。個人的に話になるが、初めて生で聴いたブラームスの交響曲第2番の演奏は、ハインツ・ワルベルク指揮NHK交響楽団によるものであった。1996年のことで、その直前に武満徹が逝去し、追悼演奏として本来はプログラムになかった「弦楽のためのレクイエム」が第1曲に加わったという演奏会である。ワルベルクは、N響に客演が予定されていた指揮者がキャンセルになると代役を務めることが多く、「N響影の常任指揮者」などと呼ばれていたが、評価自体は「便利屋」扱いで高くなかった。ただ本国のドイツでは実力者として知られており、その時のブラームスの交響曲第2番もドイツ本流の名演で、かなり話題になった。その時も藤森さんはいたのかも知れないが覚えていない。
アクセルロッドはアメリカ人ということもあり、ドイツ流とは異なるブラームス演奏を展開。低弦は強調せず、テンポはやや速めでとにかく情熱的である。音も渋すぎず派手すぎずで、美音ながら勢いと力強さも重視した演奏となった。
京響も第1楽章冒頭で、トロンボーンがやや雑になったり、弦楽合奏が崩れ気味になったりと、傷もあったが、アクセルロッドは技術の完璧さを重視するタイプではないようである。牧歌的で爽やか(第4楽章以外はフルートで終わるという楽想になっている)且つ生きる喜びを前面に出した、ブラームスとしては異色の楽曲を朗らかに歌い上げる。指揮も明確で分かりやすい。
交響曲第4番。センチメンタルな出だしが有名であるが、アクセルロッドは敢えて歌わず、憂いを出さず、深入りはしない。むしろ情熱の発露こそがこの曲の主題と捉えているようである。テンポは速めで、第4楽章は快速となる。
重視しているのは縦の線を合わせることよりも、音の強弱や組み立てで、音を大きさを一段ずつ上げたり、チェロとヴァイオリンの歌い交わしの強調など盛り上げ方が上手い。「ブラームスの交響曲は暗くて苦手」という人も多いといわれるが(女性ファンが少ないことでも有名である)ブラームスの本質が陰鬱さではなく情熱であることを示した演奏で、とにかく聴かせ上手であった。
入場規制があるため、やや寂しめであった客席であるが、演奏終了後は大いに盛り上がる。
最後はアクセルロッド自身が指揮台の上から客席に向かって360度拍手を送り、コンサートはお開きとなった。
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