クラシカ・ジャパン トリノ王立歌劇場2015「セビリアの理髪師」
2021年5月3日
録画してまだ観ていなかった、トリノ王立歌劇場2015「セビリアの理髪師」を観る。
ジャンパオロ・ビザンティ指揮トリノ王立歌劇場管弦楽団及び合唱団の演奏。演出:ヴィットーリオ・ボレッリ。出演は、キアラ・アマル(ロジーナ。メゾ・ソプラノ)、アントニーノ・シラグーザ(アルマヴィーヴァ伯爵。テノール)、ロベルト・デ・カンディア(フィガロ。バリトン)、マルコ・フィリッポ・ロマーノ(ドン・バルトロ。バリトン)、ニコラ・ウルヴィエリ(ドン・バジリオ。バス)、ラヴィニア・ビーニ(ベルタ。メゾ・ソプラノ)、ロレンツォ・バッタジョン(フィオレッロ。バリトン)、フランコ・リッツォ(将校。バリトン)。
ボーマルシェ三部作の第1作であり、「フィガロの結婚」前日譚に当たる「セビリアの理髪師」。町のなんでも屋であるフィガロが、アルマヴィーヴァ伯爵とロジーナの間を取り持つという話である。ロッシーニのオペラは、作曲家自身が若くして引退し、美食家に転向して高級レストランを経営するようになるという、音楽史上例を見ない生き方を選択したということもあって、急速に忘れ去られ、序曲のみが有名という状態が長く続いた。20世紀後半になるとロッシーニのオペラ作品の見直しが始まり、メディアの発達によって、ロッシーニのオペラを映像で観る機会も増えたが、「セビリアの理髪師」だけはロッシーニの生前から今にいたるまでずっと人気を博し続けてきた作品である。
「ロッシーニ・クレッシェンド」という言葉があり、音楽が急速にクレッシェンド(増強)していくことを指すが、ロッシーニはこの独自の音楽性などを武器に、祖国のイタリア、更にウィーンを始めとするドイツ語圏でも大人気を博した。その人気は「最盛期のビートルズをも上回る」というほどで、例えばウィーンの王立歌劇場なども1年の大半がロッシーニ作品で埋まったというのだから、大熱狂を呼び起こしていたことになる。
「フィガロの結婚」ではタイトルロールとなるフィガロであるが、この作品では純粋な主役というよりも恋の取り持ち役である。理髪師であるため、様々な家に潜り込むことが出来るが、身分的には最下級層で、自分の家を持っていない(今回はフィガロもホームレスという設定で、アルマヴィーヴァ伯爵に「家はどこか?」と聞かれたフィガロが、適当なことを言って誤魔化すということになっている)人も多い。今も理髪店には、静脈、動脈、包帯を表す「あめんぼう」(サインポール)が回っているが、中世ヨーロッパの理髪師は、外科医の仕事も兼ねていた。今でこそ外科医は、開業医なら高給取りで権威ある職業だが、昔は他人の体に直接触れる仕事は卑しい身分の人が行うことだった。フィガロも「便秘の弁護士のために浣腸をしに行かないといけない」と歌う場面があるが、今で言う3K的な職業だったわけである。
こうした理髪師であるフィガロが、アルマヴィーヴァ伯爵と美しい娘であるロジーナのキューピットを演じる。
といってもそう簡単にことが進むわけではない。伯爵は、プラドで医者(この場合は内科医で、内科医はこの時代も権威ある仕事である)であるドン・バルトロの娘であるロジーナに一目惚れしてセビリアまで追ってくる。伯爵が夜明け前のバルトロ邸の前で楽士達に伴奏させてロジーナのための恋歌をうたうも最初は空振りに終わるが、旧知の仲であったフィガロからロジーナはバルトロの義理の娘であり、バルトロは後見人となっていることを知らされる。
一方、ロジーナも伯爵の声に惹かれ、ベランダから恋文を落とす。伯爵は「貧乏学生、リンドーロ」と名乗り、ロジーナに向けた恋歌を再びうたう。
フィガロが軍隊が近くに駐屯していることを知っており、伯爵に軍人に化けてバルトロ邸に潜り込むことを提案する。
まんまとバルトル邸に忍び込むことに成功した伯爵であるが、バルトロやロジーナの音楽教師であるドン・バジリオ(スペインでは「ドン」がつく男性は貴族階級である)もリンドーロなる人物がおかしな振る舞いをしていることには気づいて……。
続編の「フィガロの結婚」では開始早々に決裂することになるフィガロと伯爵であるが、「セビリアの理髪師」では一致団結して、バルトロとバジリオの鼻を明かし、ロジーナをものにする。
そしてロジーナは伯爵の歌声に恋しており、また伯爵も――上流貴族ということで当然なのかも知れないが――バジリオの弟子の音楽教師に扮して再度バルトロ邸に忍び込んだ際には、ロジーナ(相手がリンドーロであるということには気づいているが、リンドーロの正体がアルマヴィーヴァ伯爵であるということにはまだ気づいていない)の歌のレッスンでクラヴサンを弾いて愛情を交わすなど、音楽が突破口になっているということが、この歌劇をより面白いものにしている。
幕間に、演出のヴィットーリオ・ボレッリ、指揮者のジャンパオロ・ビザンティ、フィガロ役のロベルト・デ・カンディア、ロジーナ役のキアラ・アマル(キアラというのは「明るい」という意味だそうで、キアラ・アマルはロジーナについて自分の名前と同じキアラ=明るい人だと嬉しそうに語る)、アルマヴィーヴァ伯爵役のアントニーノ・シラグーザへのインタビューが流れる。
演出のヴィットーリオ・ボレッリは、「ロッシーニの『セビリアの理髪師』は完成されたオペラであるので、大袈裟な演出を加えないようにした」と語り、一方で、カットされることの多いラスト付近の伯爵のアリア「逆らうのはやめなさい」を復活させたことについて述べる。「逆らうのはやめなさい」は高難度のアリアであるため、カットされることが多いのだが、伯爵役のアントニーノ・シラグーザの歌唱力が高いため、通用すると思ったそうだ。演出家の仕事は、オペラ作品を分析し、音楽や台本などあらゆる要素に最大限の尊重を払うことだと語る。多くの指揮者が楽曲に対して払う敬意と似通っていることが面白い。当然といえば当然であるのだが、残念ながら現代の日本の演劇では台本に対する演出家の暴力がまかり通っている。
そのアルマヴィーヴァ伯爵役のアントニーノ・シラグーザは伯爵役の魅力について、「ほとんどの恋敵には勝てる。バスやバリトンには負けない」と語る。「セビリアの理髪師」の男性登場人物の中で伯爵だけがテノールである。なお、続編の「フィガロの結婚」では伯爵の声域はバリトンになっており、これだけでも役割が異なることが分かる。
フィガロ役のロベルト・デ・カンディアは、ロッシーニが書いたアリアの多様さについて述べる。また、「セビリアの理髪師」の初演以来、200年以上に渡ってフィガロ役を務めてきた数々の名歌手達と比べられる覚悟や、師から「音符をなぞるだけでは全くだめで、フィガロが持つエネルギーを聴衆に伝えるよう指導された」ことを明かす。
指揮者のジャンパオロ・ビザンティは、ロッシーニのオペラ作曲家としての高い職人芸や、発想力、オーケストレーションやアリアの細部に至るまでの高度な技巧について語り、ロッシーニは19世紀の音楽劇の指標となったと断言した。
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