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2021年6月の11件の記事

2021年6月13日 (日)

NHKプレミアムシアター「プライド」 2011.2.6

2011年2月6日視聴

録画しておいた、NHKプレミアムシアター「プライド」を観る。一条ゆかりの少女マンガを、大石静の脚本で舞台化。演出は寺﨑秀臣。音楽:佐橋俊彦。
笹本玲奈、新妻聖子、佐々木喜英、鈴木一真による四人芝居である。2010年12月、東京のシアター・クリエでの収録。

笹本玲奈、新妻聖子という、若手を代表するミュージカル俳優を起用しているだけに歌は抜群。オリジナルの音楽やオペラの曲以外にも、THE BOOMの「島唄」、エディット・ピアフの「愛の賛歌」、童謡「故郷」、ドヴォルザークの歌曲「我が母の教え給いし歌」などが歌われていて、いずれも効果的である。


売れっ子ソプラノ歌手だった母を持つサラブレットで、三田音楽大学生の麻見史緒(笹本玲奈)と、実家が貧しく苦学しながら立川音楽大学に通う緑川萌(新妻聖子)はオペラ・コンクールの決勝で争うことに。本番直前、ドレスが切れていることに気付く萌。史緒はドレスを貸そうかと提案するが、萌は反発。ついでに史緒の母親が史緒をかばって交通事故で亡くなったことを告げる。そのことを初めて知った史緒は本番で声が出ず、優勝は萌に輝く。

オペラのコンサートの主催者であるクィーン・レコードの副社長である神野隆(鈴木一真)は優勝の特典であるミラノ留学を獲得した萌を祝福する一方で、史緒には将来自分と結婚することを前提にウィーン留学を持ちかける。

一方、史緒の伴奏ピアニストである池之端蘭丸(佐々木喜英)は、史緒と萌と三人でポピュラーソングを歌うことを思いついていた。

優勝した萌だが、お金はなく、大学の学費も払えていないという状態。そこで萌は神野にバー「プリマドンナ」で相談。神野は「プリマドンナ」の歌い手が先月辞めたので、ここのシンガーになればいいと提案。「プリマドンナ」で女装してピアニストをやっている蘭丸の伴奏で、「島唄」を歌う。神野は採用は間違いなしというが、実は史緒が「プリマドンナ」の歌い手として入っていて……


少女マンガが原作だけに、セリフなどはかなりクサイが、そこは大石静の脚本だけにしっかりとした構造の作品を提供してくれる。ドロドロとした女の情念と、歌っている時の心の通い合いの描写は見事だ。演じ手達も大袈裟にならない程度に力の籠もった演技を見せていて、上質のエンターテインメントに仕上がっている。

笹本玲奈のさらりとした甘い声と、新妻聖子の芯のある凜とした歌声の対比が見事な二重唱は特に聴き物である。

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観劇感想精選(401) 「イリアス」

2010年10月2日 兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後5時から西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「イリアス」を観る。

開場の1時間前に着いてしまったのだが、丁度、芸術文化センター設立5周年セレモニーをすぐ下の高松公園でやっており、佐渡裕(感極まって涙していた)指揮のスーパー・キッズ・オーケストラがヴィヴァルディの「四季」より「秋」、ルロイ・アンダーソンの「フィドル・ファドル」、更に題名はわからないがもう1曲を演奏していた。


「イリアス」は、ギリシャのホメロスの叙事詩を原作とし、木内宏昌の脚本、栗山民也の演出での上演。出演は、内野聖陽、池内博之、高橋和也、馬渕英俚可、新妻聖子、チョウ・ソンハ、木場勝己、平幹次郎ほか。舞台下手袖にバンドが控えていて生演奏が行われる。音楽担当は金子飛鳥。


トロイア戦争が舞台。踵の弱点以外は不死身の肉体を持つアキレウス(内野聖陽)はトロイア戦争に参戦しているが、大将であるアガメムノン(木場勝己)に反発して戦場には出ていない。そんな中、アキレウスの親友であるパトロクロ(チョウ・ソンハ)がトロイアの武将であるヘクトル(池内博之)に惨殺されてしまう。激怒したアキレウスは、トロイアの城門の前でヘクトルと対決する…...

5人の女優がコロスの代わりとなって、状況説明をする。


最大の見所は内野と池内による殺陣。特に内野は年齢を感じさせない体のキレがある。

原作の「イリアス」がヘクトルの死で終わってしまうので、この舞台もそれを踏襲しているが、そのために中途半端な終わり方をするのが唯一の難点である。

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2021年6月 9日 (水)

観劇感想精選(400) リー・カルチェイム作 「ビリーバー」

2010年9月17日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後7時からシアター・ドラマシティで「ビリーバー」を観る。作:リー・カルチェイム、演出・上演台本:鈴木勝秀、出演:勝村政信、風間俊介、草刈民代、川平慈英。

ロサンゼルスが舞台。科学者のハワード(勝村政信)は、サンタクロースの存在を信じている。一方、9歳のスティーヴン(風間俊介)はサンタクロースの存在に否定的であった。ある日、スティーヴンの通う学校でハワードはサンタクロース実在の可能性について講義をする。スティーヴンにはそんな父親の姿が変人としてしか映らず……

信じること、信仰とは何かを問いかける作品。9・11後、神の存在は信じるが、信頼できなくなったアメリカの風潮を題材としている。


神を信じるのは尊いことで、サンタクロースの存在を信じるのは子供っぽいことなのか。神なき社会で何を信じればいいのかを問いかける作品でもある。ビッグバンの後で宇宙が生まれるが、それ以前の状態はどうだったのかという答えのでない質問に、科学と信仰が絡んでくる。ビッグバンは神様が起こしたのかどうか。

黒い立方体を組み立てることで、様々なセットを作り出す演出が面白い。役者達も達者であった。

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2021年6月 8日 (火)

これまでに観た映画より(262) 「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」

2021年6月5日 マルタ・アルゲリッチの80歳の誕生日に

録画してまだ観ていなかったドキュメンタリー映画「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」を観る。フランス=スイス合作作品。実は今日、6月5日はマルタ・アルゲリッチの誕生日であり、彼女は満80歳、日本でいう傘寿を迎えた。
撮影・監督はステファニー・アルゲリッチ。彼女の三女である。邦題の「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」からはアルゲリッチのサクセスストーリーが描かれているような印象を受けるが、実際はアルゲリッチの影の部分に迫った作品と見た方が適当であるように思われる。

原題は「Bloody Daughter」。これは、「いまいましい娘」という意味で、ステファニー・アルゲリッチの父親であるスティーヴン・コヴァセヴィチがステファニーを称した言葉である。日本語でいう「いまいましい娘」とは別の意味があるようだ。

アルゲリッチには女ばかり三人の子どもがいるが、父親は全員違う。長女、リダの父親は中国系指揮者のロバート・チェン、次女のアニーの父親は日本でもお馴染みである指揮者のシャルル・デュトワ、そしてステファニーの父親はピアニストのスティーヴン・コヴァセヴィチである。現役最高の天才ピアニストの一人であり、女性ピアニストとしては史上最高といっていいほどの才能の持ち主であるマルタ・アルゲリッチだが、娘のステファニーが捉えたアルゲリッチの姿は、どう見ても幸せそうには感じられない。音楽を愛しているが、演奏する喜びよりも不安や虚しさの方が強く感じられ、精神的には不安定で、人生を謳歌しているとは言い難いように思われる。

映画は、ステファニーの出産にアルゲリッチが立ち会うところから始まり、ステファニーの息子、つまり孫にピアノや歌を教えるシーンで終わる。アルゲリッチの60歳から70歳までの姿が収められている。

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに生まれたアルゲリッチだが、12歳の時に一家でウィーンに移住。フリードリヒ・グルダに師事する。以降、ブエノスアイレスに戻ることはほとんどなかったようだが、この映画にはブエノスアイレスを訪れたアルゲリッチが、子どもの頃に父親とよく動物園を訪れて写真を撮ったという思い出を語る場面がある。

デュトワと結婚していた時代に、二人でインタビューに応じた映像が流され、二人の娘であり、現在はジャーナリストとして活躍するアニー・デュトワも映像と写真で出演。ヴィオラ奏者となった長姉のリダも登場する。

ステファニーの父親であるスティーヴン・コヴァセヴィチは、チェンやデュトワとは違い、今現在の姿が収められている。ステファニーによると、コヴァセヴィチは「母と違って、毎日ピアノを弾く」。アルゲリッチは天才ピアニストではあるが、ムラのあるタイプであり、またかなり変わった人物でもある。このドキュメンタリー映画の中で口にしている言葉も、意味不明というほどではないが、通常の人とは明らかに変わったものの捉え方と表現の仕方をしていることが分かる。天才ピアニストであるだけに、個性的且つ即興的、偉大な作曲家の作品を奏でているが、あたかもその場で頭に浮かんだばかりのような新鮮な音楽を生み出すことが出来るアルゲリッチ。だが、その姿に誰よりも自分自身が違和感を覚えているようですらある。若い頃はピアノが嫌いだったそうで、自分が描いていたものとは別の人生を歩んでいることの不可思議さと自身の才能に振り回されているようにも見える。日々演奏旅行を行う日常に不満を感じているようであり、もっとじっくりと自分と向かい合いたいのだがその時間が取れないもどかしさがあるようだ。
アルゲリッチは一頃はキャンセル魔として知られ、また長い間、ピアノ独奏の演奏会を一切行わない時期があった。理由は、「ステージ上に一人でいると寂しい」という、およそプロのピアニストとは思えないものであったようだが、そうした不安を抱える様子もこの作品の映像には収められている。

スティーヴン・コヴァセヴィチは、味のあるピアノを弾く人だが、天才ピアニストではない。だが、皮肉なことに表現上の迷いがない分、ピアニストとしてはコヴァセヴィチの方がずっと幸せそうに見える。アルゲリッチとコヴァセヴィチはステファニーが2歳の時に離婚しており、ステファニーがどちらの姓を名乗るかは、両親がコイントスで決めたそうで、結果、アルゲリッチ姓を名乗ることになった。そんないい加減な調子なので、コヴァセヴィチもステファニーを認知していない。ということで、出生当時のステファニーの苗字は「デュトワ」とされていたそうだ。コヴァセヴィチとステファニーの関係は良好なようだが、ステファニーがコヴァセヴィチに「父親と認める手続きをして欲しい」と申し出たシーンで、コヴァセヴィチは手続きの仕方がよく分かっておらず、必要な資料の在処も忘れていることが判明する。音楽家はその才能の代わりに何かが欠落しているようである。

ちなみに最初の正式な結婚相手であるシャルル・デュトワも実力派の指揮者で、フランス音楽演奏の第一人者であるが、やはり天才というよりも職人タイプであり、天才であるアルゲリッチは、自身とは異なった特性を持った音楽家を選んでいることになる。映画の中で語られるアルゲリッチの言葉を聞くと、意図的に選んでいるのではないかと予想される。
アルゲリッチが音楽を「愛のようなもの」と例える場面があるが、愛においては、アルゲリッチは勝者とは呼べないようである。

リダ、アニー、ステファニーは共に父親似であり、顔も、おそらく性格もアルゲリッチには似ていない。アニーとステファニーは姉妹のように育てられたようで、二人で写っている写真や映像が存在する。ある時期まではリダの存在は二人には秘せられていたようだ。
なお、幼いステファニーの世話は教育面でも生活面でもアニーが担っており、アルゲリッチは母親としては完全に無能であることが分かる。幼いアニーとデュトワと三人で写ったインタビュー映像でもアニーの面倒はデュトワが見ており、アルゲリッチは横にいるだけだ。その後は、ステファニーの面倒は、アルゲリッチの愛人となったピアニストのミシェル・ベロフが見るようになったが、やはりアルゲリッチは何もしていないようである。

ちなみに、アルゲリッチの家にビデオカメラを持ち込んだのはアルゲリッチ本人だそうで、日本で演奏会を行った時に購入し、土産として娘に与えたようだ。アルゲリッチは別府アルゲリッチ音楽祭の主催者であるため、来日してリダ(と撮影のステファニー)と共に新幹線に乗り、箸を使って駅弁を頬張るシーンがある。別府市のホールとその周辺、リダのヴィオラとのリハーサルシーンも収められている。

彼女の即興的な演奏スタイルは、ワルシャワで行われるコンサートのリハーサル、ショパンのピアノ協奏曲第1番を弾く際に最も分かりやすい形で伝わってくる。通常とは違うスタイルでの演奏をすることを思いついたアルゲリッチだが、それは閃きというよりも、向こうから来たもののようで、アルゲリッチ本人もその理由を説明することが出来ない。

その言葉では表現出来ない何かの存在を本編の最後でアルゲリッチはステファニーに伝えている。おそらくその何かは音楽であるのだと思われるのだが、音楽はアルゲリッチ本人にも統御出来るものではないようだ。こうしたピアニストの常として、アルゲリッチもホロヴィッツに憧れ、ニューヨークに渡り、ホロヴィッツの家のそばに部屋を借りて滞在していたことがあるのだが、面会は叶わなかったそうである。

アルゲリッチがコンサート終了後に延々とサイン会を行うのを、幼い頃のステファニーは不満に思っていたことが語られる。だが、この映画に収められたサイン会のシーンでアルゲリッチは実に生き生きとしている。普段のアルゲリッチは疲れたような厭世的な表情をしているが、サイン会の時は顔色が違う。ステファニーが言う「女神」のように。
アルゲリッチは幼い頃から国際的なピアノコンクールで優勝し、「美貌の天才ピアニスト」として引く手あまたで、数々の音楽家と共演した。彼らの中に正真正銘の天才は少なかったかも知れないが、いずれも特別な種類の人々であったのは確かだ。あるいはサイン会の時間は、彼女に許された数少ない普通の人々と触れ合う機会だったのかも知れない。

アルゲリッチと三人の娘がピクニックに出掛け、ペディキュアを塗り合うシーンがある。いずれも父親は違うが、三人の娘と過ごすアルゲリッチは、ある意味、平凡な女性にすら見える。だが、アルゲリッチの真の意味での娘は実は音楽以外にはいないのではないだろうか。そしてその真の娘は、腹を痛めて生んだ三人の父親似の娘よりもいまいましい娘(Bloody Daughter)であり、アルゲリッチ本人を揺すぶり続ける。
冒頭付近に、ステファニーがアルゲリッチについて「彼女の方が自分の子どもなのではないかと思われる」と語るナレーションがある。そこからは音楽の母である天才マルタ・アルゲリッチと、音楽の娘でもある幼いマルタ・アルゲリッチという二つの姿が浮かぶ。音楽は選ばれた者を人と同等には育まないようだ。

音楽の神に愛されたが故に音楽に利用され、やりたいことも出来ず、娘ともずっと向き合えなかった孤独な天才の肖像である。結婚していた時代にデュトワがインタビューで答えていたが、「演奏家は音楽を義務としてやるため、本当にしたいことは出来ない」という意味の言葉は本当のことのようである。

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2021年6月 7日 (月)

グラインドボーン音楽祭2012 ロビン・ティチアーティ指揮指揮エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団ほか モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」

2021年5月4日

Blu-rayで、モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」を観る。2012年のグラインドボーン音楽祭での収録。指揮は、「第二のラトル」といわれたこともある若手のロビン・ティチアーティ。古楽器オーケストラであるエイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団の演奏。演出は、マイケル・グランデージで、彼は舞台を1960年代から70年代のヒッピームーブメントの時代に置き換えており、バルバリーナなどはサイケデリックなファッションに身を包んでいる。

出演は、リディア・トイシャー(スザンナ)、ヴィート・ブリアンテ(フィガロ)、サリー・マシューズ(アルマヴィーヴァ伯爵夫人=ロジーナ)、アウドゥン・イヴェルセン(アルマヴィーヴァ伯爵)、イザベル・レナード(ケルビーノ)、アン・マレー(マルチェッリーナ)、アンドリュー・ショ(バルトロ)ほか。
合唱は、グラインドボーン合唱団。
オーパス・アルテからの発売で、日本語字幕付き(他に英語、フランス語、ドイツ語、韓国語の字幕が付いている)。ナクソス・ジャパンによる輸入販売。

「セビリアの理髪師」では、フィガロと組んでロジーナとの結婚を成功させた才人のアルマヴィーヴァ伯爵であるが、続編である「フィガロの結婚」では、初夜権を復活させて、フィガロの婚約者であるスザンナの貞操を奪おうとする悪漢に変身している。「セビリアの理髪師」と「フィガロの結婚」の間に何があったのかは分からないが、伯爵夫人となったロジーナとの間に、何らかのすれ違いがあった可能性もある。

理髪師というホームレスが多い職業であったフィガロであるが、ロジーナとの結婚を取り持った功により、アルマヴィーヴァ伯爵の召使いに昇進。伯爵邸の一部に部屋を頂き、そこで許嫁のスザンナと共に過ごせるということでウキウキである。だが、スザンナは伯爵の企みに気づいており、スザンナから話を聞いたフィガロもそれを信じざるを得なくなる。そして、アルマヴィーヴァ伯爵の浮気の現場をつかもうという計画を練り、スザンナの身代わりとして小姓のケルビーノを使おうという話になる。
一方、「セビリアの理髪師」では、ロジーナをアルマヴィーヴァ伯爵とフィガロに奪われたバルバロは、年増のマルチェッリーナをフィガロと結婚させ、フィガロとスザンナの仲を裂くことで復讐を図る。マルチェッリーナはフィガロに恋しており、スザンナとどちらがフィガロの結婚相手に相応しいか、鞘当てを始める。
ケルビーノが去ったため、伯爵夫人はスザンナと計略を図り、互いの衣装を入れ替えて、伯爵夫人本人がスザンナに化けて夫の不貞を暴こうとする。しかし、二人の計略をフィガロもケルビーノも知らないため、想定外の狂騒(ラ・フォル・ジュルネ)が起こってしまう。
さて、フィガロとマルチェッリーナとの結婚を認めるか否かの裁判であるが、結婚は有効との判決が出る。だが、予想外の事実が判明して……。

イギリスのシックな建築が基本となった舞台。序曲演奏中も幕は下りておらず、伯爵の使用人達が表の掃除をしたり、ものを運んだりしている。フィガロも使用人頭として甲斐甲斐しく働いている。1960年代から70年代ということで伯爵と伯爵夫人がオープンカーに乗って現れ、フィガロが伯爵夫人をエスコートする。

ロビン・ティチアーティ指揮のエイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団であるが、はち切れんばかりの生命力が印象的である。推進力とアンサンブルの精度も優れている。
20世紀半ばから80年代に掛けて主流だったロマンスタイルの演奏は情緒面の拡大には寄与したが、モーツァルトの音楽が持っている本来の意味での快活さや爆発力が犠牲になっていたのかも知れない。古楽器のオーケストラとその扱いに長けた若い指揮者の演奏によって初演時30歳そこそこだったモーツァルトの若々しさが復活したような印象を受ける。

フィガロを演じるヴィート・ブリアンテは男前で、おそらく女性にモテモテのはずである。なんだかんだで男前は得で、見た目だけで才気ありそうなフィガロに見える。

ボーマルシェの原作は、露骨に貴族階級批判の意図が込められたものだが、ロレンツォ・ダ・ポンテの台本によるモーツァルトの歌劇版は貴族に対する矛先はそれほど鋭いものではなく(それでも貴族批判を感じ取った貴族中心の聴衆には不評で初演は数日のみで打ち切られた。現代の演出は鋭い場面をカットした穏健なものが主流であり、この上演でも端折られている)恋にまつわるドタバタが中心で、それ故に長年に渡ってオペラ史上屈指の人気を博してきたのだと思われる。

若手中心のキャストで、若者のムーブメントが盛んであった1960年代から70年代に舞台を移すことで、若々しさのエネルギーを前面に押し出した上演となっている。

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2021年6月 6日 (日)

史の流れに(8) 京都市京セラ美術館 国立ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」

2021年6月3日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館にて

左京区岡崎にある京都市京セラ美術館で、国立ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」を観る。日独交流160周年記念企画である。緊急事態宣言による臨時休館を行っていた京都市京セラ美術館だが、一昨日、6月1日から展示を再開している。

京都市美術館が京都市京セラ美術館になってから入るのは初めて。内部が大幅に変わっている。以前は京セラの本社内にあった展示スペースが京セラ美術館という名前だったが、紛らわしいということで、そちらは京セラギャラリーと名前を変えている。

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「古代エジプト展 天地創造の神話」の展示品の多くが石造りや金属製ということもあって、ほぼ全てが写真撮影可となっているが、「個人的に楽しむためのものとしてご使用下さい」となっているので、おそらくWeb上にアップするのはNGだと思われる。

雄のライオンの顔を持つセクメト女神が疫病退散の力を持っているようで、その像がエジプト版「アマビエ」として積極的に撮影するよう促されていたが、お守りとして待ち受け画面に使うことが推奨されているようである。

まず始めに冥界への導き手を務める神であるアビヌスの像が展示されており、続いてアニメーション上映のコーナーがあって、アビヌス(声の担当:荒牧慶彦)が語り手を務めるエジプト版天地創造の神話が語られる。アビヌスが登場するアニメーションは他の場所でも上映されているが、それらに関しては撮影も録画も禁止である。

日本の神話でも天照大神と素戔嗚尊が姉弟でうけいをする場面があるが、エジプトの神々も兄妹で愛し合い、子どもが生まれている。エジプトは歴史が古いので、プトレマイオス朝など紀元前の王朝でも近親婚が普通だったことが知られている。例えば、美女の代名詞の一人であるクレオパトラ7世の最初の夫は、彼女の実弟である。

エジプトの原初の神は、ナイル川をモデルにしたと思われるヌンである。「原初の水」という意味だそうで、ヘロドトスの「エジプトはナイルの賜物」という言葉が浮かぶ。
そこから太陽神であるアトゥムが生まれたが、アトゥムは両性具有の創造神だそうで、自慰によって、大気の神であるシューと湿気の女神であるテフヌトが生まれたという。シューとテフヌトの兄妹が交わることで、大地の神のゲブと天空の女神であるヌトが生まれたのだが、やはり兄妹で結婚したゲブとヌトの仲が余りに良いことに父親のシューが嫉妬し、ヌトの体をつかんで引き離そうとした。ヌトはゲブから完全に体を離そうとはせず、体が弧状に伸び、これが天穹となった。


今回の展示は、クレオパトラなどの実在の人物よりも、エジプト神話の世界の展示が中心となっているが、伝ハトシェプスト女王や、伝ネフェルティティ王妃の像(有名な胸像ではなく頭部の像)なども展示されている。ハトシェプスト女王は即位中は男装していたとされるため、その像も男性化されたスフィンクスとしての装飾を施されているが、顔は柔和で女性的である。エジプトの美女というとやはりクレオパトラ7世が世界的に名高いが、彼女の場合は聡明さなども含めての評価で、純粋な容姿でナンバーワンといわれるのがネフェルティティである。今回展示されている頭部の像なども、今の基準でいっても世界的な美女と評価されるのは確実だと思われる。一方で、ネフェルティティは正体がよくわからない謎の女性としても知られている。古代エジプトの話は、TBS系の「世界ふしぎ発見!」がよく取り上げており、ハトシェプストもネフェルティティも何度も登場している。京都に来てから「世界ふしぎ発見!」も見なくなってしまったが。

ネフェルティティは、古代エジプトの宗教改革者であるアメンホテプ4世王(アクエンアテン、イクナートン)の王妃である。ただ分かっているのは、そのこととアメンホテプ4世王との間に数人の子を設けたということだけである。それ以外の記録はほとんどない。そのため、早いうちに亡くなったという説が生まれたが、正確なところははっきりしていない。アメンホテプ4世王は、突如としてそれまでの多神教的だったエジプトの宗教性を覆し、アテン神(南中した太陽を表す神)1神のみを崇拝する一神教へと舵を切った人物であり、テーベからアケトアテンに遷都するなど、徹底した改革を行ったが、その死後には揺り戻しとしてアメンホテプ4世自身が否定される存在となり、その子とされるツタンカーメン(トゥトアンクアメン)らによって実際に多くの記録などが処分された。そのためその妃であったネフェルティティに関する情報もほぼ全て失われてしまっている。

あの世に再生するための指南書である「死者の書」については、アニメーションなども使って分かりやすく説明されている。死後、魂は試練を経てあの世に向かうのだが、あの世はその時代のエジプトと完全に同じ姿をしていると考えられたようである。死後の世界に行けなかった場合は、怪物アメミットに心臓を食べられて、その人物は消滅する。輪廻転生から逃れるための修行を重視する仏教においては無になることの方がむしろハッピーエンドに近いため、死に対する観念が大きく異なっているのが分かる。


ちなみに、エジプトには世界の終焉伝説があり、蛇に身を変えたアトゥム神とオシリス神が世界の終わりを見届けるという。ただ、世界は再生するそうだ。アトゥムは創造神であり、日没時の太陽を表す神であるが、同時に破壊も司るという、シバ神に似た性格を持っているようである。
アテフ冠を被ったオシリス神の小像の冠の部分には、アトゥム神だと思われる蛇の飾りが施されている。

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2021年6月 5日 (土)

コンサートの記(725) 高関健指揮 京都市交響楽団第536回定期演奏会

2010年6月19日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第536回定期演奏会に接する。今日の指揮者は高関健。

曲目は、ウェーベルンの「管弦楽のための5つの小品」と「大管弦楽のための6つの小品」、マーラの交響曲第7番「夜の歌」という意欲的なものである。

ウェーベルンの「管弦楽のための5つの小品」はチェレスタ2台が指揮台の横で向かい合うという特殊で小規模な編成、「大管弦楽のための6つの小品」はその名の通り、大編成による演奏。「大管弦楽のための6つの小品」は古典的配置による演奏であった。いずれの曲においても京響は精緻な演奏を繰り広げ、充実した響きを生んでいた。


マーラーの交響曲第7番「夜の歌」も古典配置による演奏である。マーラーの交響曲第7番「夜の歌」は比較的演奏会プログラムに載ることが少ない曲である。様々な要素が無秩序に並べられたようなところがあり、失敗作と断じる人も決して少なくはない。

京響は弦も管も充実した響きを奏でる。高関の構築力は確かであり、優れた演奏になった。欲を言えば、エリアル・インバルやレナード・バーンスタインらの名盤に比べると歌がやや硬めなのが気になるが、そうした名盤の名演と比べるのも野暮だろう。

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2021年6月 3日 (木)

観劇感想精選(399) 井上芳雄主演 ミュージカル「ハムレット」

2012年2月27日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後1時から、梅田芸術劇場シアタードラマシティで、ミュージカル「ハムレット」を観る。原作:ウィリアム・シェイクスピア、脚本・作曲・作詞:ヤネック・レデツキー、演出:栗山民也。出演は、井上芳雄、昆夏美、伊礼彼方、成河(ソン・ハ)、阿部裕、山路和弘、涼風真世、村井国男ほか。

ストレートプレーだと上演時間3時間を超える大作である「ハムレット」を2時間に短縮してミュージカル化したもの。

開演前、舞台上にはデンマークの国旗が下4分の1ほどが何かに被さる形で垂れている。

上演開始、先王ハムレットの葬儀のシーンから始まり、デンマークの国旗が被さっていたものが、先王の棺であることがわかる。ハムレット(井上芳雄)は棺が運ばれていく様を憂鬱な表情で見つめている。

舞台は一転して、オフィーリア(昆夏美)が明るい表情で登場。ハムレットからの恋文を読み上げて浮き浮きしている。

そしてクローディアス(村井国男)とガートルード(涼風真世)の婚儀のシーンとなり、皆は愛の美しさを歌い上げるが、ハムレットは「愛は全てを駄目にする」と語る。

その後、ハムレットがガートルードに向かって言う「弱き者、汝の名は女」、そしてポローニアスがハムレットのことを「He is crasy」だと歌い上げるナンバー(このナンバーは同じ旋律でハムレットによる「Who is crasy」としてポローニアス殺害後に歌われる)を挟んで、ハムレットがオフィーリアに向かって放つ「尼寺へ行け!」のセリフが出てくる。

なお、有名な「To be,or not to be」は日本語に訳されることなく、英語のまま、後半の冒頭の歌詞に登場する。

役者では井上芳雄が抜群の出来。動きにキレがあるし、歌声も、特に高音の伸びが素晴らしい。オフィーリアを演じた昆夏美も小柄な体型からは想像出来ないほどパワフルな歌声を発し、後半の狂気の場面での演技力も高い。

ただ、ミュージカルとしてはまずまずの出来であったが、「ハムレット」としてはやや不満が残る。カットした部分が多いため、心理描写が今一つで、あらすじを追っているだけに思える場面もあった。また追加された場面もさして効果的とは思えなかった。音楽や俳優は充実していただけにそれが残念である。

栗山民也の演出は、ラストでデンマークの国旗が十字架に見えるという仕掛けがなかなか良かったように思う。


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2021年6月 2日 (水)

コンサートの記(724) 下野竜也指揮 京都市交響楽団第545回定期演奏会

2011年4月22日 京都コンサートホールにて

京都市交響楽団の第545回定期演奏会に接する。今日の指揮は日本人の若手としてはトップランクと目される下野竜也。

曲目は、ハイドンの交響曲第100番「軍隊」とマーラーの交響曲第5番。

パンフレットによると、ハイドンの交響曲第100番「軍隊」の第2楽章に、マーラーの交響曲第5番冒頭のトランペットソロによく似た音型のトランペット独奏が出てくるのでこの2曲を選曲したとのこと。


開演20分前から下野竜也によるプレトーク。赤い襟のピンクのシャツに黒のジャケットという姿で現れた下野は、マーラーの交響曲第5番の思い出を語る。マーラーの交響曲第5番を下野が初めて聴いたのは、鹿児島にいた高校生の頃のテレビ放送でだった。エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団(現在の正式名称はhr交響楽団。英語名の訳は相変わらずフランクフルト放送交響楽団)の演奏だったという。マーラーの交響曲第5番というと「ベニスに死す」で用いられた第4楽章アダージェットが有名だが、下野は、アダージェットの美しさは当時はそれほどわからず、第2楽章の最後に出てくるコラールの格好良さに感動したとのこと。ここで、話はマーラーの妻であるアルマの話になり、マーラーがアルマに求婚したのは丁度、交響曲第5番を書いていた時であったこと(アダージェットはアルマに捧げた音楽のラブレターであるとの解釈が有力である。近く、このことを取り上げた映画が封切りになるという)、そして、完成したばかりの交響曲第5番をマーラーはピアノでアルマに聴いて聴かせるが、アルマが唯一不満を漏らしたのがコラールの部分であったという。マーラーは「だってブルックナーは」と尊敬するブルックナーを引き合いに出すが、アルマは「ブルックナーはいいのよ。あなたは駄目よ」と言ったというエピソードを紹介する。ちなみにブルックナーは当時は不人気な作曲家であり、ブルックナーの才能を見抜いていたマーラーとアルマは先見の明があったことになる。


下野は渋い音色を持ち味とするが、今日は2曲とも曲の性格から、輝かしい音で演奏する。両曲とも古典的配置での演奏。コントラバスはハイドンでは下手奥に置いたが、マーラーでは最後列に並べるスタイルを取った。

ハイドンの交響曲第100番「軍隊」の演奏は典雅で、弦のきめ細かさが特に印象的。タイトルの由来となったトライアングル、シンバルなどによるトルコ風軍楽も楽しい。トランペットのソロも良かった。


マーラーの交響曲第5番。トランペットによる序奏が終わり、一斉合奏によってスケールが壮大に広がる。このスケールの大きさは流石、下野である。

一方で、構築感は先輩指揮者に一歩譲る(特に第3楽章)ようで、どことなく焦点の定まらない印象を受けたのも事実だ。

アダージェットは旋律に溺れることなく、程よく共感した演奏であったが、ラストでテンポをグッと落としたのが印象的。アダージェットの余韻に浸ろうとしていたところ、下野は、間を開けることなく最終楽章に突入した。マーラーの交響曲第5番は5楽章からなる交響曲であるが、第1楽章と第2楽章を第一部、第3楽章を第二部、第4楽章と第5楽章を第三部とする指示がマーラーによって示されており、下野はそれに従ったのだろう。

第5楽章も、曲調の変転の巧みさなど、下野の優れた資質が感じられるが、ラストは力業で、「アンサンブルがこんなに粗くていいのか?」という印象を受けた。興奮を誘う解釈で、終演後は普段以上に盛り上がったが、私自身は客席と距離感を感じた。フルトヴェングラーによる「バイロイトの第九」のように、最後の音が潰れていても名演とされるものは存在する(実際は演奏ではなくEMIの録音に問題があったらしいのだが)ので、アンサンブルの乱れもそれほど気にすることではないのかも知れないが、今日の私は普段より気分が落ちていたため粗さが気になってしまったのかも知れない。

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スタジアムにて(37) J2 京都サンガF.C.対ヴァンフォーレ甲府@サンガスタジアム by KYOCERA 2021.5.30

2021年5月30日 JR亀岡駅前のサンガスタジアム by KYOCERAにて

午後2時3分キックオフのJ2 京都サンガF.C.対ヴァンフォーレ甲府の試合を観戦。JR亀岡駅前のサンガスタジアム by KYOCERAにて。

京阪が人身事故で止まったため、地下鉄の駅まで歩く必要があったが、余裕を持って出掛けていたため、午後1時過ぎにはサンガスタジアムに着く。バックスタンド3階の席がピッチ全体を見渡しやすくて値段も安めということで選んだのだが、今シーズンはバックスタンド3階は全て自由席で、しかも緊急事態宣言中ということもあって、前後左右を1席空ける必要がある。座れない席には背もたれのところに「使用できません」というシールが貼ってある。前から2列目の端の席が空いていたので選んだのだが、見やすかったものの、後半になると直射日光を正面から浴びる席であり、熱中症にならないよう、持ってきたサンガのタオル(昨年の京セラスペシャルデーに無料で貰ったもの)を頬被りのようにして巻く必要があった。ということで、この季節はずっと日陰になるメインスタンドの方が料金は高めだが快適に見られるようである。

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今季は第5節にJ3から昇格したばかりのブラウブリッツ秋田に敵地で敗れるなど、序盤戦は波に乗れなかったサンガ。だがその後は6連勝。更に1分けを挟んで3連勝と好調で、現在は首位に立っている。対するヴァンフォーレ甲府も、直近5試合で4勝1分けと好調である。


ヴァンフォーレ甲府は、ディフェンダー登録とされた選手は4人であったが、キックオフ直後から実質5バック。フォワードは3人となっていたが、実質的にはツートップかワントップとなることが多く、ミッドフィルダーが実質3人から4人とかなり守備的な布陣である。
一方のサンガは、ディフェンダー4人だが、そのうちヨルディ・バイスと麻間将吾の2人だけが下がり気味で、他は敵陣地にいることの方が多く、積極的に点を取りに行く。

最初から守備固めをして先取点阻止の姿勢を見せる甲府のディフェンスを突破するのはなかなか難しい。サンガの絶対的なエースであるピーター・ウタカがドリブルのキープ力を発揮したり、ゴールバーのわずかに上を通過するシュートを放ったりと見せ場を作るのだが、得点には結びつかない。
前半の甲府は、サンガに攻めさせておいてのカウンター攻撃を基本とするが、前半の飲水タイム(ボトルを複数人で共有出来ないために設けられたコロナ下特別ルールに基づく)終了後は、専守防衛から攻撃的な路線へと変更する。

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後半も序盤はサンガが押し気味だったが、決定的なチャンスは作れない。シュートは放つのだが、相手選手に角度を潰されているため、打ってもキーパーの正面かゴールマウスの外にしか飛ばない。甲府の好調が頷ける。
後半41分。相手陣地のペナルティエリア前で得たフリーキックを三沢直人がゴール左隅へと放つが、キーパーの好セーブにあってゴールならず。その後は、甲府が優勢となり、サンガが自軍のゴール前でなんとかボールをクリアする場面が目立つ。


結局そのままスコアレスドロー。終盤の戦いを見ると、なんとか敗戦を防いだという感じであるが、やはり序盤に得点を奪えなかったのが最後まで響いた。


2位につけていたアルビレックス新潟がFC琉球に勝利し、勝ち点でサンガに並んだが、得失点差により新潟が首位に立ち、サンガは2位に後退となった。

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2021年6月 1日 (火)

コンサートの記(723) 広上淳一指揮 第5回京都市ジュニアオーケストラコンサート

2010年1月31日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、第5回京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。指揮は広上淳一。

曲目は、スッペの「軽騎兵」序曲、チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」、シベリウスの交響曲第2番。


京都市ジュニアオーケストラは京都市在住・通学の10歳から22歳までの青少年を対象としたオーケストラで、オーディションを通過した約110名からなる。


スッペの「軽騎兵」序曲では、冒頭のトランペットが野放図に強かったり、弦がもたついたりということがあったが、全般的には整った演奏。

チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」。京都市ジュニアオーケストラは良く言うと音に余計なものが付いていない、悪くいうと音の背後に何も感じさせないところがあって、そこが不満だが、華のある演奏にはなっていたと思う。


メインのシベリウスの交響曲第2番。この曲をやるには京都市ジュニアオーケストラは基礎体力が不足していることは否めない。だが、聴いているうちにそれは余り気にならなくなる。

広上淳一とシベリウスの相性は気になるところだが、曲が交響曲第2番ということもあってか、ドラマティックで見通しの良い演奏であった。シベリウスの他の交響曲も広上の指揮で聴いてみたくなる。


アンコールは、ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」。楽しい演奏であった。

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