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2021年8月10日 (火)

観劇感想精選(407) 下鴨車窓 「透明な山羊」

2021年8月7日 東九条のTHEATRE E9 KYOTOにて観劇

午後6時から、東九条のTHEATRE E9 KYOTOで、下鴨車窓の公演「透明な山羊」を観る。作・演出:田辺剛。
昨年は1度も行くことが出来なかったTHEATRE E9 KYOTO。考えてみれば、京都の団体の公演を観るのは今日が初めてである。
出演:佐々木峻一(努力クラブ)、西村貴治(ニットキャップシアター)、岡田菜見(下鴨車窓)、野村明里(ブルーエゴナグ)。

小説家、杉田(登場することはない)の仕事場であった山小屋が舞台である。杉田が亡くなり、杉田の息子である杉田ヨシノリ(佐々木峻一)と山小屋の管理人である阿部タカオ(西村貴治)が杉田の遺品の整理を行おうとしている。阿部は管理人であり、杉田の仕事についてはよく知らないので、杉田の担当編集者だった手塚イオリ(野村明里)が助っ人して呼ばれることになっていた。ちなみにヨシノリとイオリには面識はなく、今日が初対面となる。

杉田の主な遺品はカセットテープである。杉田の執筆は、パソコンのワープロソフトや原稿用紙に向かうのではなく、カセットテープに音声を吹き込むというスタイルが取られていた。杉田はデジタルメディアを信用しておらず、最後までカセットテープを愛用していた。実際に吹き込んで書くという小説家は存在していて、志茂田景樹が有名、ってこの情報が欲しい人はあんまりいないか。
カセットテープに吹き込むというものではないが、太宰治は口述を得意としており、語ったものを編集者に書き取らせることがよくあった。誰だったかは忘れたが、小説家志望だった編集者が太宰の口述に接したことがあり、余りの上手さに「天才」を感じて小説家になることは断念したと書いていたのを記憶している。

杉田の残した膨大なカセットの内の一つをヨシノリがまず再生。聞こえてきたのは都はるみが歌う「好きになった人」。グレン・ミラーの「ムーンライト・セレナーデ」や、合唱サークルに参加していたとうことで(おそらく)「大地讃頌」などの音楽が入ったテープもある。音楽の趣味が分裂しているようにも見える。その他のテープには日記のような語りや創作上の思いつき、思索などが吹き込まれていた。統一性は感じられないが、山小屋の近くではしょっちゅう災害が起こっているようで、自衛隊が何度か救助に来ていることが分かる。
カセットの山の中にコンドームの箱が一つ。杉田は比較的高齢のはずだが、どうも相手がいたようである。言うまでもなくこれは伏線となっている。

山小屋に一人の女性が訪ねてくる。ヨシノリも阿部も彼女が編集者の手塚イオリだと思ったのだがそうではなかった。亡くなった父親が杉田の友人だったという木村ユカ(岡田菜見)であった。父親の命日ということで花を捧げようと山小屋を訪ねてきたのだ。ユカは杉田が他界したことを知らなかった。父親が転落した崖を見たいというユカだったが、阿部はユカが厭世観の持ち主であることを見抜いていた。ちなみに山羊は崖を好む動物である。

手塚イオリがやってきて、テープの整頓が始まる。
崖を見に行ったユカは足を滑らせて転落。幸い、木に引っかかったため命を落とすことはなかったが、左脚を負傷する。だが阿部はユカが転落したのは足を滑らせたからではないと見ていた。

山小屋と「下の世界」では天気も違い、「下の世界」での天気は晴れの予報であったが、山小屋周辺では雷鳴が轟き、やがて嵐となる。
山から下りる道は土砂崩れによって通れなくなり、四人は山小屋に閉じ込められることになる。すぐそばで雷鳴が轟き、雷が木に落ちて火事となる(すぐに鎮火した)。そして得体の知れない音が響き……。


杉田という人物を巡るそれぞれの距離感(英語にするとディスタンスということになるのだろうか)を描いた作品である。

ヨシノリは幼い時から杉田にDVを受けていた。母親もやはりDVの被害者であり、先に母親が他界。直後にヨシノリも家を出ており、杉田とは疎遠であった。杉田に対する思いは恨み以外にはほとんどない。

女性編集者の手塚イオリと杉田とは想像通りの関係で、むしろ積極的だったのはイオリの方のである。イオリはそのことをヨシノリに告白するのだが、告白する前にすでに言動に表れている。

木村ユカにとって杉田は父親の友人である。杉田とヨシノリの関係とは異なり、父親との関係は良好だったが、父の死により一家は大黒柱を失う。ユカは現在、大学4年生。就職活動は上手くいっていない。彼女にとって父親の死はおそらく「埋め切れない何か」だ。

阿部はあくまで山小屋の管理人で杉田とはそう親しくはなかったようである。

ヨシノリは、父親の知られざる部分について積極的に知りたくはないようで、再生された杉田の音声についても快くは思っておらず、たびたびテープを止めようとする。再生に積極的なのはイオリで、編集者としてテープに吹き込まれているはずの新作を探すという目的もあるが、想像された通りの関係であるため、杉田の声に対するスタンスもディスタンスもヨシノリとは正反対である。個人に対する各々の印象の異なり、また死者について想像を巡らす面白さもここには存在する。そして4人は同じ場所に集って同じ体験をしているが、世界観も見える景色も全て異なる。「憎悪」「愛着」「懐旧」「無関心」。

ヨシノリの父に対するタナトスが、偶然という形ではあるが全てを崩壊へと導いていく。
ネタバレを書いていく。
仄めかしに留まり、はっきりとは描かれないが、まずは阿部の車が土砂崩れに巻き込まれて、車内で寝ていた阿部がこの世を去る。元々、死ぬために山小屋に来ていたユカは、自殺なのか土砂崩れに巻き込まれた分からない形で他界。最後は山小屋が土砂崩れに巻き込まれて倒壊し、全ての登場人物が死者となるが、全員が自分が幽霊になったことに気づかないまま劇は終わる。ユカは肉体を抜け出した魂になっているため、左脚ももう負傷してはいない。

幽霊というものが実在するのかどうかは分からないが、事故や自殺という「天寿を全うしない」形で生涯を終えた魂は、幽霊として彷徨うことになり、自分が幽霊になったことにも気づかないと霊能者などがよく語っているのを耳にする。私は霊能者ではないので本当なのかどうかは知らないが、一昨年にTHEATRE E9 KYOTOで観たshelfの「AN UND AUS/つく、きえる」(ドイツの劇作家であるローラント・シンメルプフェニヒが東日本大震災を描いた戯曲の上演)でも、津波によって命を奪われるも自分が幽霊となったことに気づかない人々が登場しており、「天寿を全うしない」魂は幽霊となり、自分が幽霊になったことに気づかないという考え方は国境を越えて広く普及していることが分かる。


今日はアフタートークがあり、演出家の山口浩章がゲストとして参加する。
山口さんが、木村ユカもまた杉田の愛人(杉田の奥さんはすでに他界しているため正確にいうと愛人ではなく恋人になるようだが)に見えたという話をして、客席にもそう見えた人が何人かいたようである。戯曲のスタイルから語ると、杉田に恋人が二人いた場合は、同じ場所に同じスタイルとディスタンスの人物が二人いるということになるため、場における混乱の種類が異なって、面白さは半減するように思われる。ただのゲス野郎の恋の話になってしまうのだ(確かに山羊の英語である“goat”には「悪漢」「愚か者」の他に「スケベ爺」という意味もあるが)。田辺さんによると説明的な部分をカットしたためわかりにくくなった可能性があるかも知れないとのことだった。一応、ユカは大学4年生で、杉田と知り合ったのはおそらく未成年の時。ということで二人が男女の関係だったとすると法的(正確にいうと法ではないのだが)にも倫理的にもまずいということになる。一応、それがユカは違うという根拠として示されていたように思うのだが、最近、変なことを言う政治家が出てきた(辞職したが)ため、そうした設定がストッパーに見えなくなったのかも知れない。

ともあれ、分断は4つと捉えた方が劇として面白いように思う。

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