観劇感想精選(406) NODA・MAP第24回公演「フェイクスピア」
2021年7月24日 大阪・上本町の新歌舞伎座にて観劇
午後6時から、大阪・上本町の新歌舞伎座で、NODA・MAP第24回公演「フェイクスピア」を観る。上演時間約2時間5分、途中休憩なしである。作・演出・出演:野田秀樹。出演:高橋一生、川平慈英、伊原剛志、前田敦子、村岡希美、白石加代子、橋爪功ほか。衣装:ひびのこづえ。音楽・効果:原摩利彦。
「フェイクスピア」は戯曲が「新潮」1398号(2021年7月号)に掲載されており、私も同号を藤野可織の「ねむらないひめたち」を読むために買っているのだが、これまで野田秀樹の戯曲を読んでから上演を観た場合、がっかりすることが多かったので(野田秀樹の戯曲は上演前に雑誌に発表されることも多い)、今回も読まずに本番に挑んだ。あらすじや何が描かれているのかも知れないままである。
私の場合、有料パンフレットを買うことは少ないのだが、野田秀樹作品の場合は買うことも多く、今日も手に入れたのだが、そこにもネタバレは全くと言っていいほど書かれていない。
ただ、今回は始まってすぐに何の話かは分かった。8月12日という日付と、高橋一生演じるmonoが唐突に繰り出す「頭下げろ!」というセリフによってである。年配の方、特に東京と大阪の方はこれだけでピンとくる方も多いと思われるが、描かれているのは、1985年8月12日に起きたJAL123便墜落事故(日本航空123便墜落事故、日航123便墜落事故)である。今回のNODA・MAP(野田地図)の公演は、コロナの影響もあってか、東京と大阪のみで行われるが、JAL123便が羽田空港発大阪空港(伊丹空港)行きだったということもあり、犠牲者のかなりの割合を、東京と阪神地域も含めた大阪の方が占めており、東京と大阪で上演する意義のある題材を選んだということになる。
「フェイクスピア」という、「フェイク」と「シェイクスピア」を掛けたタイトルであることから、フェイクが仕込まれていることが多いが(12日も「十二夜」に繋がるが関係はない)、JAL123便墜落事故もフェイクニュースがネットなどでたびたび流れる。
幕が上がると、アンサンブルキャストが手前から奥に向かって並んでいる。その前に一人、高橋一生演じるmonoだけが床に座って小箱(戯曲では「パンドラの匣」」などにちなみと思われる「匣」表記である)のようなものを開ける。舞台は青森県の恐山。匣からは次々を言葉が漏れ(アンサンブルキャストが一人一人、何かを言っていく)……。
というところで板付のメンバーはいったん退場し、白石加代子が一人で登場する。白石加代子は白石加代子としての登場である。「白石加代子です。女優をやっております。……そんなこと知ってるよ、ですよね。でも私が女優を始める前の職業はご存じないでしょう。実は私は、高校卒業後、青森県の恐山でイタコの修行をしておりました」と語るのだが、これは思いっ切りフェイクである。白石加代子の前職はその意外性もあってよく知られている。実は彼女は、高校卒業後、東京都の職員(港区役所勤務)をしていた、つまり公務員だったのである。ただ白石加代子は、役所広司とは違ってそれらしい芸名を付けてもいないし、ほぼ舞台にしか出ないということでお茶の間で彼女を見ることも少ない。ということで、あるいは本当にイタコの修行をしていたと思い込む人もいたかも知れない。ちなみにイタコは俳優のメタファーとしても分かりやすく示される。
イタコの才能には欠けていた白石は、恐山を去ることになる(という設定)のだが、「午後6時56分28秒(JAL123便が御巣鷹尾根に墜落した時刻)」に予約を入れた不思議な客がいたことを語る。そこから白石加代子は、白石本人ではなく、「アタイは50年間もイタコの見習いをやっている」皆来(みならい)アタイに変じる。
予約を入れたのは、monoと楽(たの。橋爪功)の二人、細かすぎる予約だったのに、ダブルブッキングとなってしまう。ここで突然、monoが「頭下げろ!」と言い出す。
JAL123便のボイスレコーダーに記録されていたコックピットの音声は、ナレーションによる再現音声として、事故発生の数日後から何度もテレビ等で流され、一定以上の年齢の方には、機長が何度も発する「頭下げろ!(「機首を下ろせ!」という意味)」という言葉は、記憶に強烈に焼き付いているはずである。
monoは実は、JAL123便の機長であり、亡くなってからも息子の楽(橋爪功演じる楽の方がmonoよりも年上だろうと思わせるのもフェイクである)を思って恐山に留まっていたのである。冒頭のシーンでmonoが手にしていたのもJAL123便のボイスレコーダーである。JAL123便のボイスレコーダーの音声はその後に一部が流出するが、録音が不鮮明ということもあって様々な憶測を呼び、多くのフェイクがまかり通ることになる。
「頭下げろ!」だけでJAL123便の話だと分かった人も少なくなかったはずだが、若い人は、JAL123便墜落事故が起きた1985年当時は幼かったか、まだ生まれていなかったという人が多数であるため、少しずつネタを明かしていくというミステリー仕立てになっている。ちなみに私は、1985年には小学校5年生であるが、8月に生まれて初めて飛行機に乗って北海道へ家族旅行に行っている。北海道は連日32度以上を記録する歴史的な猛暑で、8月11日に千歳空港から羽田空港に帰ってきたら、東京は25度だったということで、わざわざ暑い場所に行っていたことになる(北海道で連日32度を超える猛暑が「歴史的」だったり、東京の最高気温が25度というところに時代を感じる)。私達が乗ったのは全日空機(ANA)だったが、JAL123便墜落事故が起こったのは、私が羽田に帰ってきた翌日のことであった。
JAL123便墜落事故を題材にした演劇作品としては、劇団離風霊船(りぶれせん)の「赤い鳥逃げた…」が有名であり、私も2005年に大阪市立芸術創造館で劇団離風霊船による上演を観ているが、「もはや時代遅れ」というのが正直な印象で、離風霊船も2005年以降は「赤い鳥逃げた…」を上演していない(2005年もJAL123便墜落事故20年ということで特別に上演されたものである)。ちなみに「赤い鳥」というのはJALの赤い鶴丸のことであるが、今回の「フェイクスピア」では、赤い鳥ではなく白いカラス(日航機の機体をイメージしたものだと思われる)で、前田敦子が演じている。前田敦子は星の王子様なども演じているが、こちらもやはり飛行機絡みである。初登場は皆来アタイの母親の伝説イタコという設定であったが、飛行機や包丁(演劇好きは笑うところ)の話をして、アンサンブルキャストに抱えられ、飛行機で飛ぶような格好で退場していく。
monoや楽が、皆来アタイについた霊を見たり、逆にmonoや楽に霊がついたりして、シェイクスピアの四大悲劇(登場順に「リア王」「オセロ」「マクベス」「ハムレット」)の断片やパロディーが演じられる(高橋一生と橋爪功による二人芝居となる)が、「ハムレット」のセリフである「To be or not to be」の「To be」をローマ字読みで「飛べ」と読みたかったのと、亡き父の亡霊が息子に語るといったような構造的な理由からで、それ以上の深い意味はないようである。
monoは天界から火を盗んだプロメテウスの従兄だそうで、自分も「火」を盗むつもりだったが、江戸っ子だったため「ひ」が「し」になってしまい、「死」を盗むことになった。
ちなみに、神の使者であるアブラハム(川平慈英)や三日坊主(伊原剛志)が出会うのは、「永遠プラス36年ぶり(戯曲では舞台は2051年ということになっているため、「永遠プラス66年ぶり」となっている)」なのであるが、36年前は1985年である。実は彼らはJAL123便の副操縦士であり、実際には神の「使者」ではなく「死者」だったということになるようだ。
先に書いた通り、JAL123便はフェイクニュースの題材となることが多く、「最大の陰謀論」と呼ばれるまでになっている。普通に考えれば陰謀も何も存在しない飛行機事故なのであるが、話が膨らみ、機長に対するいわれなき暴言もネット上には存在するようで、野田秀樹はそうしたいい加減な気持ちで書かれたフェイクに対する違和感から、死に近づいた人間の「ノンフィクション」「神のマコトノ葉(「言の葉」との掛詞)」「ネットに書き込まれる言葉ではなく肉声=目に見えない大切なもの(肉声をそのまま届けられる演劇が念頭にあるのは間違いないだろう)」として、終盤ではボイスレコーダーに残された言葉がほぼそのまま再現される。本当は息子のために最後の言葉を残したかったのだが、乗客を救うために優先させた言葉という設定であり、これも当然ながらフェイクなのであるが、客席からはすすり泣きがここかしこから響くなどかなり感動的である。いわば有効なるフェイクだ。「頭を上げろ」は本来の意味からは外れるが、息子へのメッセージとなる。この辺りはフェイクニュース批判を超えた「演劇礼賛」と見ても良さそうである。
これまでの野田秀樹の作品と比べると、完成度はやや落ちるようにも感じられたのだが、満足は行く出来であり、最後は客席は総立ち、私も真っ先に近い時点で立って拍手を送った。
JAL123便墜落事故で多くの犠牲者が出た大阪での上演ということもあり、拍手は鳴り止まず、カーテンコールは4度に及んだ。
子役からキャリアをスタートさせた高橋一生。若い頃からそこそこの人気はあり、私も彼の舞台を観るのは3度目であるが、今回が初の主役である。それまでの2作品ではそれほど重要な役ではなく印象にも余り残っていなかったが、連続ドラマ「カルテット」でのブレイク以降、評価はうなぎ登り。アラフォーとしては最も重要な日本人俳優の一人にまで成長した。
これまでの30年近い観劇経験の中で、最高の舞台俳優は、主役を演じることの多い中堅男優に限れば内野聖陽と上川隆也がツートップで、その下に僅差で堺雅人、阿部寛、佐々木蔵之介らが追いかけるという構図を描いていたが、高橋一生は内野聖陽と上川隆也の二人を猛追する位置に一気に駆け上ったという印象を受ける。身のこなし、存在感、笑顔が印象的なのにどこか影を感じるところなど、舞台映えのする名優である。
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