コンサートの記(744) オーケストラ・キャラバン 飯森範親指揮東京ニューシティ管弦楽団豊中公演
2021年9月16日 豊中市立文化芸術センター大ホールにて
午後7時から、豊中市立文化芸術センター大ホールで、オーケストラ・キャラバン 東京ニューシティ管弦楽団豊中公演を聴く。指揮は、東京ニューシティ管弦楽団ミュージック・アドヴァイザーの飯森範親。
1990年創設と、日本オーケストラ連盟正会員となっている東京のプロオーケストラの中では最も若い東京ニューシティ管弦楽団だが、来年の4月からパシフィックフィルハーモニア東京への改名と、今日の指揮者である飯森範親の音楽監督就任が決まっている。
東京ニューシティ管弦楽団は、私が東京にいた頃には聴く機会のなかったオーケストラで、実演に接するのは今日が初めてになる。
おそらく飯森範親が首席指揮者を務める日本センチュリー交響楽団の事務所があるのが豊中市ということで公演場所が決まったのだと思われるが、11月には豊中でのオーケストラ・キャラバン第2弾として三ツ橋敬子指揮東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会が決まっている。
ドイツ式の現代配置での演奏。コンサートマスターは執行恒宏(しぎょう・つねひろ)。
曲目は、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調(ヴァイオリン独奏:神尾真由子)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」(1967年版)。
なお、楽器提供として国立音楽大学の名がクレジットされている。
パンフレットは無料であるが、書かれている日本語が奇妙で、校正もきちんとされていないと思われる。「ここ(引用者注:ベルリン・ジングアカデミー)でメンデルスゾーンはバッハの《マタイ受難曲》をした」と書かれているが、「何を?」と突っ込みたくなる。勿論、メンデルスゾーンが「マタイ受難曲」の復活上演(復活初演)を行ったことはこちらも知っているため補えるのであるが、にしても変である。
新型コロナウイルスに感染し、いくつかのコンサートをキャンセルした飯森範親。無事復帰し、今日は黒いマスクをしたまま全曲暗譜で指揮する。
マスクをしたままなのは旋律を歌いながら指揮するためであるが、飯森さんが歌いながら指揮しているのを聴いた経験はない。飯森範親は、日本センチュリー交響楽団と、いずみシンフォニエッタ大阪という大阪府内に本拠地を置くオーケストラのシェフであり、それ以前にも関西フィルハーモニー管弦楽団や京都市交響楽団への客演、更には山形交響楽団さくらんぼコンサートの大阪公演などを指揮しており、関西で聴く機会はかなり多い指揮者なのであるが、歌いながら指揮していた記憶がないため、東京ニューシティ管弦楽団を指揮する時だけ、もしくは今回だけ歌って指揮することにしたのだとしか思えない。
リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」。豊中市立文化芸術センター大ホールは、残響は短めで、どちらかというとポピュラー音楽向けの音響であり、バランス的に金管が強く響く傾向があって、それはこの曲の演奏でも感じられた。
音に輝かしさはあるが、パワーやアンサンブルの細やかさでは東京の有名オーケストラとは少し差があるように思われる。記憶が余り定かでないが、1990年代に生で聴いていた東京の有名オーケストラの演奏はこんな感じだったように思う。単純に比較は出来ないが、アンサンブルの精度や音の密度などでは飯森が指揮した場合のセンチュリー響の方が上のような気はする。
とはいえ、描写力はなかなかで、東京のオーケストラらしい洗練度の高さも備えていて、面白い演奏を聴かせてくれた。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストの神尾真由子は、豊中市の出身である。このコンサートを聴きに行くきっかけになったのも、フォローしている神尾真由子の公式Facebookで、「生まれ故郷の豊中市にまいります!メンコン(引用者注:メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトの略)弾きます」という告知があったからである。神尾真由子のメンコンなら聴きに行かねばなるまい。
ただ、大阪で東京ニューシティ管弦楽団の演奏会ではブランドが弱いのか、今日は空席も目立った。
大阪音楽大学が本部を置き、音楽教育が盛んな豊中市だが、大阪市のベッドタウン(人口約40万人)でありながら、神尾真由子に児玉姉妹、幸田姉妹まで生んでいるのだから大したものである。
ファンからは「神尾様」と呼ばれている神尾真由子。今日は上品な薄紫色のドレスで登場し、それに負けない気高い音楽を奏でる。神尾は強弱をどちらかというとメリハリとして付ける。
他の多くのヴァイオリニスト同様、輝かしい音を特徴とする神尾だが、彼女の場合は燦々と降り注ぐ太陽光のような輝きではなく、どこかしっとりとして陰があり、例えるなら漆器のような輝きを放っている。こうした音を出すヴァイオリニストは他にはほとんどいない。
メンデルスゾーンの旋律が宿す光と陰を同居させた演奏で、ロマン派の神髄をついている。
アンコールは、パガニーニの「24のカプリース(奇想曲)」より第5番。神尾真由子はデビュー第2作(第1作はヴァイオリン名曲集であったため、本格的な楽曲演奏盤としてはデビュー盤に相当する)として「24のカプリース」を選んでおり、得意としている。
とにかく超絶技巧が必要とされる楽曲であるが、神尾は弾き終えてから、「はい、難しい曲でした」という表情を浮かべ、客席の笑いを誘っていた。
後半、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」(1967年版)。
かなり表現主義的な演奏で、アゴーギクと思われる部分がいくつもあり、ゲネラルパウゼも長く取るなど個性的である。打楽器の用い方、金管の用い方など、聞き慣れた「春の祭典」とはかなり違う印象を受ける。ただ、ストラヴィンスキーの版の経緯はかなり複雑であり、まだ買っていないがパーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団の新譜である「春の祭典」には1967年新版との表記があるため、版が違うのかも知れない。
東京ニューシティ管弦楽団は、個々の演奏ではメカニックの弱さを感じさせる部分はあったものの、トータルとしては熱演であり、豊中市立文化芸術センター大ホールはそれほど大きくない空間ということもあって、「ホールを揺るがす」と書いても大袈裟でないほどの力強い演奏を行っていた。
| 固定リンク | 0
コメント