コンサートの記(742) デイヴィッド・レイランド指揮 京都市交響楽団第659回定期演奏会
2021年8月29日 京都コンサートホールにて
午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第659回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、ベルギー出身のデイヴィッド・レイランド。
オール・モーツァルト・プログラムで、交響曲第29番、ピアノ協奏曲第27番(ピアノ独奏:ジャン・チャクムル)、交響曲第41番「ジュピター」が演奏される。レイランドもチャクムルも2週間の自主隔離期間を経ての登場である。
創立時に精緻なアンサンブルを志して「モーツァルトの京響」というキャッチフレーズで売り出した京都市交響楽団だが、オール・モーツァルト・プログラムによる演奏会はそれほど多くはない。
昨日、今日の2回公演だが、定期会員に相当する京響友の会の募集がコロナによって凍結されている上に、京都府内のコロナの感染者数が日毎に増えて、出掛けるのを躊躇する人も多い状況もあって、入りは厳しい。木曜日に京都府立文化芸術会館で観た「君子無朋」では、主演俳優の佐々木蔵之介がPCR検査で陽性となり、無症状ではあったが、大千穐楽となるはずの公演が中止となっている。
午後2時から、指揮者のデイヴィッド・レイランドによるプレトーク(通訳:小松みゆき)。英語でのスピーチである。
「ヨーロッパの北西にある小さな国、ベルギーから来て、現在、2つのオーケストラの音楽監督をしています」と自己紹介する。
デイヴィッド・レイランドは、モーツァルトの解釈に定評のある指揮者だそうで、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の副指揮者を経て、現在、フランス国立メス管弦楽団(旧:フランス国立ロレーヌ管弦楽団)とスイス・フランス語圏のローザンヌ・シンフォニエッタの音楽監督を務めており、2019年からはミュンヘン交響楽団の首席客演指揮者、更に2020年からはデュッセルドルフ交響楽団の「シューマン・ゲスト」にも就任しているという。
ベルギーというと、古くはアンドレ・クリュイタンスが名指揮者として知られたが、このところは才能払底気味のようで、レイランドはベルギー人指揮者として20年ぶりにベルギー国立管弦楽団を指揮したとのことである。
今回の京響への客演が、レイランドの日本デビューとなるそうだ(それ以前にレイランドと共演する予定の日本のオーケストラはいくつか存在したようだが、いずれもコロナ禍によってキャンセルになっている)。
レイランドは、交響曲第29番がモーツァルトが17歳(18歳になる年)に書かれたということを話したり、ピアノ協奏曲第27番がモーツァルト最後のピアノ協奏曲であるということに触れた後で、「ジュピター」について、「京響のメンバーには、『オペラの中の1曲として捉えて貰いたい』と語った」そうで、ドラマ性や豊かなカンタービレがオペラに繋がるという解釈を示し、第4楽章については巨大な建造物を築くつもりで指揮したいと抱負を語っていた。またレイランドは、モーツァルトを演奏することは新しい言語を習得するようなものと、その独自性について述べていた。
今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。バロックティンパニは上手奥に置かれている。
第2ヴァイオリンの客演首席は森岡聡。今回のプログラムは管楽器の出番が少ないのだが、フルート首席の上野博昭は「ジュピター」のみの出演。また、ファゴット首席の中野陽一朗は今日は降り番のようである。
交響曲第29番。ピリオドアプローチによる演奏で、弦楽器のビブラートはかなり抑えられており、たまに掛けたとしてもおそらく音を大きくするためではない。今日は弦楽器がこぼれるほどの美音を湛えていて、モーツァルトを聴く醍醐味を味わわせてくれる。
テンポはモダン、ピリオド合わせて中庸で、ピリオドだからといって速いテンポを採用している訳ではない。ゲネラルパウゼを長く取るのも特徴だ。
典雅な楽曲を持つ曲だが、突然、地獄の蓋が開くような場面があり、十代だったモーツァルトが抱えていた闇が顔を覗かせる。
レイランドの指揮は、拍を刻むのと音型を描くのが半々ずつという端正なものだが、時折、体を揺すったり、大きく伸び上がったりする。
ピアノ協奏曲第27番。
ピアノ独奏のジャン・チャクムルは、1997年、トルコの首都・アンカラ生まれの若手ピアニスト。2018年の第10回浜松国際ピアノコンクールで優勝しており、今日は優勝した時に弾いたShigeru Kawaiフルコンサートピアノ《SK-EX》を使用しての演奏となる。
浜松国際ピアノコンクールでは同時に室内楽賞を受賞しており、前年のスコットランド国際ピアノコンクールでも優勝を飾っている。現在は、ヴァイマル音楽大学でグリゴリー・グルツマン教授に師事しているという。
チャクムルのピアノは、温かな音が特徴であるが、瞬間瞬間の和音の捌きが見事で、若者らしいデジタルな感性が秀逸である。夾雑物が取り除かれたピアノで、この世を超えた煌めきが、ここかしこに聴かれる。
京響もレイランドの指揮棒やチャクムルのピアノへの反応の素早い演奏を行っていた。
交響曲第41番「ジュピター」。この曲は前半のプログラムよりはテンポが速めであるように感じられたが、ピリオドによる演奏としてはやはりそれほど速い部類ではないように思われる。
冒頭の和音には迫力があるが、威圧感も押しつけがましさもなく、浮遊感すら湛えている。弦も管もノーブルで、時には天国的な響きを奏でる。
中山航介が叩くバロックティンパニだが、木製のバチで強打するものの、響きは比較的柔らかめで、これまで聴いてきたピリオドによるバロックティンパニの打撃とは一味違っている。そうしたこともあって、かなり徹底したピリオドアプローチによる演奏であったが、自然体で、演奏スタイルをさほど意識することなく聴くことが出来た。
流れも良く、京響の合奏も緻密で、今の季節から彼方へ向かう橋が見えるような、イメージをくすぐる佳演であった。
演奏終了後、コンサートマスターの泉原が、珍しく弓を振って楽団員に拍手を促し、再びステージ上に現れたレイランドが楽団員に立つように二度促すが、京響のメンバーは敬意を表して立たず、レイランド一人が喝采を浴びた。
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