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2021年9月29日 (水)

コンサートの記(745) 松本宗利音指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第551回定期演奏会

2021年9月24日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第551回定期演奏会を聴く。

本来は、アンガス・ウェブスターの指揮、ベンヤミン・シュミットをヴァイオリン独奏者に迎えて行われるはずだった演奏会だが、新型コロナウイルスによる外国人入国規制により来日不可となったため、代役として、1993年生まれの指揮者である松本宗利音(しゅうりひと)と1997年生まれのヴァイオリニストである辻彩奈の若い二人が登場する。

松本宗利音は、大阪府豊中市出身。両親が名指揮者のカール・シューリヒトのファンであったことから、シューリヒト夫人に名付け親となってもらい、宗利音と命名されている。京都市立堀川音楽高校を経て、東京藝術大学音楽学部指揮科で尾高忠明、高関健らに師事。卒業時には最優秀の証であるアカンサス賞を受賞している。在学中に、ダグラス・ボストックとパーヴォ・ヤルヴィのマスタークラスも受講した他、ヴァイオリンも藝大の学長として知られる澤和樹に師事している。
2019年4月から札幌交響楽団指揮者として活躍。同じ藝大出身で、札幌繋がりの太田弦(札幌市出身)と共に、二十代の日本人指揮者としては最も注目を浴びる存在である。

昨年の夏に、山科区の京都市東部文化会館ほかで行われた京都市交響楽団みんなのコンサート2020を指揮しているが、その時はまだステージ上で密になるのを避けるため、京響は室内オーケストラ編成であった。特に音響設計がなされている訳でもないホールで小編成の楽団の演奏ということで、その時はこちらも実力の把握は出来ていない。

辻彩奈は、若手ではトップクラスの知名度を誇るヴァイオリニストで、関西で聴く機会も多い。岐阜県生まれ。2016年のモントリオール国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門で1位を獲得して話題となる。特別特待奨学生として東京音楽大学に入学して卒業。現在は東京音楽大学のアーティストディプロマに引き続き特別特待奨学生として籍を置きながら、フランスでの活動も増えている。


曲目は、アーノルドの序曲「ピータールー」、ブリテンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:辻彩奈)、チャイコフスキーの交響曲第5番。
プログラム自体に変更はなしである。


ワクチンが普及したためか、新型コロナの感染者が劇的に減っているが、大阪では揺り戻しの微増傾向で外出が避けられている上に、松本宗利音の知名度がまだそれほど高くないということもあってか空席が目立つということで、残響はいつもよりかなり長めとなっている。

今日のコンサートマスターは崔文洙。ドイツ式の現代配置による演奏。松本宗利音は、全編ノンタクトでの指揮である。


アーノルドの序曲「ピータールー」。1819年8月16日にイギリスのマンチェスターで起こった「ピータールーの虐殺」から100年が経過したことを記念して書かれた作品である。

マルコム・アーノルドは、クラシックの作品以上に映画音楽の作曲家として知られ、「戦場にかける橋」などの音楽を手掛けている(最も有名な「クワイ河マーチ」はアーノルドのオリジナルではなく、アルフォード作曲の「ボギー大佐」の編曲)。

ピータールーというのは、ナポレオンが大敗を喫したワーテルロー(英語では「ウォータールー」)の戦いに、マンチェスターのセント・ピーターズ・フィールドで起こった英国軍による労働者階級の弾圧事件を掛けた名称である。死者は15名以上、重傷者は600名以上とされている。

いかにもイギリス音楽らしいノーブルな響きでスタートするが、途中でスネアドラムが鳴り響き、他の打楽器も加わって英国軍の介入が描かれる。やがて響きは凄絶なものへと変わる。
ティンパニが「春の祭典」によく似た音型を響かせたり、ショスタコーヴィチの作品を思わせる部分があったりと、アーノルドが生きた20世紀の様々な音楽的要素が取り入れられていることが分かる音楽である。ラストは凱歌になるのだが、皮相というべきか通俗的に過ぎるというべきか、とにかく前半に比べると落ちるというのが正直な感想である。

松本は大阪フィルから引き締まった音を引き出す。指揮者としてのセンスは相当に高いことが窺われる。


ブリテンのヴァイオリン協奏曲。第二次大戦中に書かれた作品である。
同性愛者であったベンジャミン・ブリテンは、パートナーであるテノール歌手のピーター・ピアーズと共に徴兵逃れの意味もあって渡米。1939年の夏に避暑のために訪れたと思われるカナダでこの曲が書かれている。初演は、1940年3月27日、ジョン・バルビローリの指揮、アントニオ・プローサのヴァイオリンによるニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団(現在のニューヨーク・フィルハーモニック)の定期演奏会で行われている。

ヴァイオリンが独奏し、オーケストラが伴奏する通常のヴァイオリン協奏曲とは異なる形で書かれており、独奏ヴァイオリンとオーケストラの掛け合いや、互いが互いのメロディーを奏でる部分が多い。

辻彩奈のヴァイオリンは磨き抜かれた音が美しく、疾走感と音の厚みもあって、ブリテン同様に「才気煥発」という言葉がよく似合う。

ヴァイオリンが輝かしくスタートするが、オーケストラは同じ音型を何度も繰り返し、不穏さや悲劇性が増していく。第2楽章では独奏ヴァイオリンのピッチカートをオーケストラが受け継ぐなど、かなり特異なスタイルである。
第3楽章の途中から、調性がメジャーへと移行するが、その後も不安定な曲調が続き、第二次大戦勃発間もない先行き不透明な時代が反映されているようでもある。

辻と松本は聴衆の拍手に応えて何度も登場するが、最後は辻が両手を掲げて、「バイバイ」のポーズを行った。


チャイコフスキーの交響曲第5番。
札幌に拠点を持っているからという訳でもないだろうが、松本は大フィルからチャイコフスキーに合ったヒンヤリとした音を引き出す。
スケールも大きく、雄渾だが、まだ音の輪郭作りは明瞭ではないようで、今日のフェスは響きすぎるということもあるのだが、音が強すぎて飽和してしまう場面も何度かあった。だが全般的には端正にしてエネルギー放出量も高い見事なチャイコフスキーとなる。

弦楽の冷たい響きは、チャイコフスキーの心境を反映して、聴いていてひたすら悲しくなる。

最終楽章。疑似ラストを終えてからの、以前なら「凱歌」とされた場面も歌を抑え、「悲しい夢」として表現する。「鉄のカーテン」によって情報が遮断されていたソ連時代にはチャイコフスキーに関する史料も西側では十分には手に入らなかった。そのため、長い間、単純な凱歌として演奏されてきたのだが、ソ連の崩壊と情報化社会の到来により、今日のような解釈による演奏が増えている。ラストの「ジャジャジャジャン」も借用だと分かるように音を切ってはっきりと演奏させていた。


二十代でプロオーケストラのポジションを得た実力が伊達ではないことを証明した演奏会。大フィルのメンバーも松本に敬意を払って立ち上がらず、松本一人が喝采を浴びていた。

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