「全国龍馬ファンの集い関東大会 in 横浜」2014 尾﨑正直高知県知事(当時)講演より『竜馬がゆく』と高知県
2014年10月18日 横浜大さん橋ホールにて
「全国龍馬ファンの集い関東大会 in 横浜」。前半のメインは、高知県知事である尾﨑正直氏による講演である。
尾﨑はまず土佐藩はどちらかというと徳川に親しみを抱いていた藩(山内容堂公も公武合体派であり、徳川征討に最後まで反対したのも他ならぬ容堂公である)であり、長州や薩摩のように藩が一体になって立ち上がったというケースとは異なるということを述べる。土佐の場合は龍馬もそうだが、脱藩した志士達が個々に新しい時代を模索していた。
尾﨑氏は高知市出身であり、中学校2年生ぐらいの頃に司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んで感銘を受けたというが、坂本龍馬が勉強を余りしなかったということから勉強が嫌いにもなったという。『竜馬がゆく』の中にある武市半平太に対する「あたら勉強が出来たために創造性を発揮出来なかった」というような記述も影響したそうだ。
しかし、1985年に、司馬遼太郎が高知市で、坂本龍馬生誕150周年のイベント(坂本龍馬は新暦に直すと1836年1月3日生まれであるが。旧暦の生年月日である天保6年11月15日の、「天保6年」は大部分が1835年になるのである)で行った講演を聞いた尾﨑は衝撃を受けたという。
司馬遼太郎は、船で高知入りしたようであるが、高知市民が龍馬の格好をしたり「龍馬」と書かれた旗を持っているのを見て、「奇妙なことですね。高知県民は四国の中でも独自のプライドを持つ県民だったはずなのに。まるでみんな自分を龍馬に仮託しているかのようです。聞くところによると、高知県の高校生の成績は四国の中で最低だそうですね。みんな龍馬が勉強をしなかったからといって自分もしなくていいと思っているんでしょうか」と述べたという。確かに当時の高知県の高校の偏差値は四国の中で最も低かったとのこと。司馬は「坂本龍馬というのは、あくまで特定の時代の人物であり精神である。真似をしても仕方がない」と言い切ったそうである。
この司馬遼太郎の講演は全国龍馬社中の会長である橋本邦健氏も聞いていたそうだが、橋本もやはり衝撃を受けたそうである。
尾﨑は、『竜馬がゆく』の中にも「竜馬が議論に負けないよう一生懸命本を読んだという下りがある(龍馬が漢文で書かれた本を読んでいる。他の者が書き下しで読み上げてみるよう龍馬に要求すると、龍馬が滅茶苦茶な読みをしたのでみんな笑ったが、内容を問うてみると寸分違わず理解しているため全員が驚いた、という場面が有名である。司馬遼太郎は「特異な才能」と評している)」として、龍馬が決して勉強を疎かにしていたわけではないことも強調していた。
尾﨑正直は、今、高知県の高校生の学力増強に取り組んでいるそうだが、単なる詰め込みでなく創造性を発揮出来るような教育方針も採っているという。
そういえば、高知県出身の漫画家は沢山いて、漫画甲子園は毎年高知市で行われるほどだが、小説家となるとなぜか「宮尾登美子、以上」となってしまう。これは謎である。
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