« 観劇感想精選(419) 草彅剛主演「アルトゥロ・ウイの興隆」2021@ロームシアター京都 | トップページ | コンサートの記(756) 2021年度公益事業文化公演京都府教職員互助組合創立70周年記念「新妻聖子&サラ・オレイン Special Concert」@ロームシアター京都 »

2022年1月 2日 (日)

観劇感想精選(420) NODA・MAP番外公演 「THE BEE」2021大阪

2021年12月22日 グランフロント大阪北館4階ナレッジシアターにて観劇

午後6時30分から、グランフロント大阪北館4階のナレッジシアターで、NODA・MAP番外公演「THE BEE」を観る。原作:筒井康隆(「毟りあい」)、上演台本・演出:野田秀樹。阿部サダヲ、長澤まさみ、河内大和(こうち・やまと)、川平慈英による4人芝居である。井戸を演じる阿部サダヲ以外は、一人で複数の役を演じる。野田秀樹は出演しないが、NODA・MAPにおいて野田本人が出演しないのは初めてとなるようである。

Dsc_2978


「THE BEE」は、9.11事件後の聖戦という名の報復をテーマに2006年にロンドンで英語版を初演。野田のオリジナル台本ではなく、筒井康隆の短編小説を原作とした脚本が書かれた。2007年に日本初演が行われている。
その後、2012年に日本語版が再演され、今回が再々演(三演)となる。前回、フェイクニュースを題材にした「フェイクスピア」を上演した野田秀樹が今の時期に「THE BEE」を取り上げるというのも興味深い。

阿部サダヲが客席後方から通路を通って舞台に上がる。このことにも実は意味があるように感じられる。

紙製の幕を用いた演出が特徴で、この幕に影絵が投影されるなど、シンプルな装置を上手く使っている。また、残虐シーンに鉛筆が多用される。


物語は、脱獄犯である小古呂(おごろ。演じるのは川平慈英)に我が家を占拠され、妻と息子が人質となっているサラリーマンの井戸(阿部サダヲ)が会社から戻ってきたところから始まる。井戸は自宅の前で警察官に止められるまで、我が家で何が起こっているのか誰にも知らされていなかった。家の前の通路は封鎖されており、帰ることが出来ない。更に警官やらマスコミ(川平慈英、長澤まさみ、河内大和が早替えで演じる)に取り囲まれ、被害者らしく振る舞うよう強要される。

事件をより見栄えあるものに変えるべく脚色が加えられる様は、つかこうへいの「熱海殺人事件」を想起させられるが、実はこの「THE BEE」は、「熱海殺人事件」へのオマージュ、更にはポスト「熱海殺人事件」の時代が描かれているような気がする。主人公が黒電話でがなり立てる場面があるほか、「熱海殺人事件といえば」の「白鳥の湖」が「THE BEE」ではオルゴールで流れ(長澤まさみが「白鳥の湖」であることをわざわざ告げるセリフがある)、更には「熱海殺人事件」におけるもう一つの重要楽曲である「マイウェイ」もちゃんと流れる。ハチャトゥリアンの「剣の舞」の日本語歌詞付きバージョン(尾藤イサオの歌唱、なかにし礼の作詞)や、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」よりハミングコーラスなど、「熱海殺人事件」とは直接の関係がない楽曲も重要な場面で流れるが、野田秀樹の頭の中に「熱海殺人事件」が全くなかったとは考えにくい。

「熱海殺人事件」は、高度情報化社会が訪れ、イメージが事実に優先する時代を戯画風に描いた作品だが、今はポスト・トゥルースが当たり前のように幅を利かせる時代となっており、「フェイクスピア」で描かれたJAL123便墜落事故なども、「真相」という形を取って根拠不明の情報が溢れるようになってしまっている。そういう意味では現代は「熱海殺人事件」を数歩超えた時点に辿り着いてしまったという実感がある。それが今、「THE BEE」を再び世に問うた意義なのかも知れないが、ここではまず、「THE BEE」で描かれていることを追っていく。

妻と子を人質に取られた井戸は、「被害者を演じる力量が自分にはない」と悟り、案内役の刑事(川平慈英)の頭をバットで殴って拳銃を奪い、逆に脱獄犯・小古呂の妻(長澤まさみ)と小古呂の一人息子(川平慈英)を人質に取って、マンションの一室に立てこもる。

小古呂と連絡を取る内に、井戸に中に次第に狂気が芽生え始める。相手の家に押し入って妻子を人質に取るという行為からして異常だが、井戸のタナトスは次々に爆発していく。ついには小古呂を脅迫するために、小古呂の一人息子の指を切断し、封筒に入れて小古呂に送りつける。そうして井戸は小古呂の妻と情事に及び、翌朝は小古呂の妻が作った朝食を皆で共にする。そこへ、ドアポストから封筒に入れられたものが差し入れられる。井戸の一人息子の指であった。怒りに震える井戸であったが、また小古呂の息子の指を切断し、封筒に入れて送りつける。そして小古田の妻と情事に及び、翌朝には3人で食卓を囲み、そこへドアポストから井戸の息子の指を入れた封筒が投げ入れられる。それが繰り返される。
復讐の連鎖だが、何度も続いているうちに、それが日常風景のように思えてくる恐怖が観る者に忍び込んでくる。世界状況に照らし合わせれば、報復戦争が行われることが当たり前になり、感覚が麻痺していくのである。この連鎖が続いている間は、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」のハミングコーラスが流れ続け、あと何回続くかは、長澤まさみが包丁でまな板を叩く回数でキューを出していることが分かる。

結局、21世紀に入ってからも人々は戦いを好み、己が信じるもののみを信じ続け、それが異常だという感覚すらなくなっていく。本当であること、「事実」、「真実」、それらに重みが置かれない。真偽に関わりなく自分の信じるものだけ信じるという姿勢。そうしたことが続けば人と人の間は切り裂かれ、共通の言葉も失い、寄って立つ場所もなくなる。
「熱海殺人事件」のイメージ優先がまだ可愛らしく思えるほど、我々は多数の「独善」が支配する怖ろしい場所へと、いつの間にか辿り着いてしまったのかも知れない。

Dsc_2976

| |

« 観劇感想精選(419) 草彅剛主演「アルトゥロ・ウイの興隆」2021@ロームシアター京都 | トップページ | コンサートの記(756) 2021年度公益事業文化公演京都府教職員互助組合創立70周年記念「新妻聖子&サラ・オレイン Special Concert」@ロームシアター京都 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 観劇感想精選(419) 草彅剛主演「アルトゥロ・ウイの興隆」2021@ロームシアター京都 | トップページ | コンサートの記(756) 2021年度公益事業文化公演京都府教職員互助組合創立70周年記念「新妻聖子&サラ・オレイン Special Concert」@ロームシアター京都 »