これまでに観た映画より(272) ドキュメンタリー映画「我が心の香港 映画監督アン・ホイ」
2022年1月6日 京都シネマにて
京都シネマで、ドキュメンタリー映画「我が心の香港 映画監督アン・ホイ」を観る。「女人、四十。」などで知られる、香港を代表する女性映画監督、アン・ホイ(許鞍華)を追ったドキュメンタリーである。監督:マン・リムチョン(文念中)。音楽:大友良英。
話される言葉は広東語がメインだが、北京語の比重も軽くはなく、また英語も時折混じる。
映画監督のツイ・ハーク、候孝賢、俳優のアンディ・ラウなど、日本でもお馴染みの中華圏の映画人が多数、アン・ホイの関する証言を行っているのも見所の一つである。
香港映画というと、世代によってイメージが大きく異なることで知られる。比較的年配の方に多く、全世代を通じて人気があるのがカンフーアクションで、私が小学生だった1980年代にはジャッキー・チェン(成龍)が大人気であった。それより少し下ると、「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」やキョンシーシリーズなどの怪奇路線が人気を博し、「男達の挽歌」などの任侠ものの時代を経てチャウ・シンチー(周馳星)らによるコメディーアクションが人気となる。
香港映画のイメージをガラリと変えたのが、王家衛(ウォン・カーウァイ)で、「恋する惑星」や「天使の涙」で、お洒落でポップにしてエスニックという作風は全世界を席巻した。
アン・ホイ自身は、「香港ニューウェーブ」と呼ばれた世代に属しており、ジャンルとしては上記のいずれにも属さないヒューマンドラマを得意としている。
アン・ホイ(許鞍華)は1947年生まれ。父親は中国人で、当時の父親の職場があった中国遼寧省鞍山で生まれている。漢字名に「鞍」の字が入るのはそのためである。その後、父親の転勤に伴い、マカオ、そして香港へと移り住んでいる。
生まれた1947年は、第二次大戦終結後まもなくで、中華人民共和国建国以前である。子どもの頃は当時の反日教育を受けて(日本は香港を占領したことがある)、「いつか(戦時中の)復讐をしてやる」と思っていたほど日本と日本人が大嫌いだったそうだが、16歳の時に実母が日本人であることを知る。母親は当時日本が傀儡政権を置き、移民を進めていた満州で過ごしており、ソビエト参戦の混乱中にアン・ホイの父親と出会うことになった。アン・ホイは今も母親と一緒に暮らしている。
アン・ホイは、子どもの頃から感受性豊かにして学業優秀だったようで、香港大学に進み、文学と英語を学ぶ。勉強熱心な学生だったそうだが、当時の香港大学ではいわゆる「ガリ勉」タイプは嫌われており、アン・ホイも下級生の頃は上級生からいじめを受けて毎晩泣いていたそうだ。父親には文芸の才があったようで、アン・ホイも自然に文学好きとなり、漢詩などを暗唱する習慣もあったようだ。
香港大学卒業後はイギリスに渡り、ロンドンの映画学校に学ぶ。帰国後は映画監督キン・フーに師事。キン・フーの勧めもあってテレビ局のTVBで仕事をするようになる。アン・ホイは当初はテレビ局での仕事を嫌がっていたようだが、中国各地の伝統文化を丹念に取材する番組を作った経験などから、伝統を大切にする姿勢を学んだようである。
文学解釈などを得意とするアン・ホイであるが、映画監督としては珍しく、脚本を一切書かないという姿勢を貫いている。共作も含めて一度も手掛けたことはないそうだ。その理由についてアン・ホイは、「書けなかった時のショックが怖いから」としている。脚本は信頼出来る書き手に全て任せ、自身は演出に徹する。
で、あるにも関わらず、彼女の作品の多くに自己像が反映されていることが強く感じられる。自分で執筆しないだけで、アイデア自体は脚本家に色々と伝えているのかも知れない。
またアン・ホイは、ヘビースモーカーとしても有名で、この映画でも煙草を吸いながら話すシーンが多い。
東アジアの中では、日本は比較的女性喫煙者が多いが、中華圏や韓国では煙草を吸う女性は極端に少なく、吸うのは売春婦や悪女と相場が決まっているようである。アン・ホイは激しやすく落ち込みやすいという性格であることが見ていて分かるため、煙草を吸うことでストレスを発散し、感情を意図的に鈍磨させているのかも知れない。詳しい理由は知りようがないが。
照れ屋であるアン・ホイは、「何故映画を作り続いているんですか?」という問いに、「金のため」と言い続けてきたようだが、香港での映画制作は決して金になる仕事ではないようで、名声は得ても生活が楽になったということはさほどないようである。
映画を作り続けている本当の理由は、「香港に貢献したいから」のようで、これまでは照れくさくて本当のことは言えなかったようである。
世代的にも人間的にも香港という街の特性を体現しているかのようなアン・ホイ監督。年齢的に映画を撮り続けるのは難しいと感じているようだが、今まさに史上最大レベルの激動の最中にある香港を彼女がどう受け止めており、作品に反映させるのか気になるところである。
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