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2022年1月 9日 (日)

これまでに観た映画より(270) ドキュメンタリー映画「世界で一番美しい少年」

2022年1月4日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「世界で一番美しい少年」を観る。ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「ベニスに死す」で、主人公のアッシェンバッハ(ダーク・ボガード)をあたかも死へと導くような美少年・タジオを演じ、全世界に衝撃を与えたビョルン・アンドレセンの現在と過去に取材した作品である。クリスティーナ・リンドストロムとクリスティアン・ペトリの共同監督。

映画のタイトル通り、当時新聞で「世界で一番美しい少年(the Most Beautiful Boy in the World)」と呼ばれたビョルン・アンドレセン。スウェーデンのストックホルム出身で、現在もストックホルムに住んでいるが、その姿は白髪の長髪に同じ色の口ひげとあごひげ、目はくぼんでおり、「ベニスに死す」の美少年の面影はどこにもない。

ビョルン・アンドレセンは1955年生まれ。父親は今に至るまで不明。11ヶ月ほど下の妹がいるが父親が異なるという複雑な境遇。幸い兄妹仲は良く、幼い頃はいつも一緒にいたようだ。

デンマーク出身である母親のバルブロはボヘミアン気質で、芸術の才能に溢れており、ビョルンもそれを受け継いでいるようだが、幼い子ども二人を連れて世界中を旅し続けたあげく、二人を残して失踪。その後、森の中で遺体となって発見される。
その後、ビョルンはデンマークにある寄宿制の学校に入れられたようだが、馴染めずにスウェーデンに戻り、祖母に育てられた。この祖母が山っ気のある人で、ビョルンをスターとして売り出そうと画策する。

そんな時に、トーマス・マン原作の映画「ベニスに死す」の美少年役を探していたルキノ・ヴィスコンティがストックホルムを訪れる。イタリアの名門貴族の末裔にして、同性愛者であることを公言していたヴィスコンティは、理想の美少年を探してヨーロッパ中でオーディションを行うも、未だ理想にぴったりの少年に出会うことが出来ないでいた。
ビョルンも15歳とヴィスコンティの希望に比べれば年上であり、また身長が高すぎるもネックだと考えたようだが、見た目は理想通りであり、キャスティングされることが決まった。

映画「ベニスに死す」は大ヒット。グスタフ・フォン・アッシェンバッハは、作曲家のグスタフ・マーラーをモデルにしており、トーマス・マンは作曲家ではなく自己像も投影した小説家としていたが、ヴィスコンティはマーラーと同じ作曲家に職業を戻し、マーラーの交響曲第5番より第4楽章“アダージェット”をメインの音楽に採用している。「マーラーが妻となるアルマに宛てた音楽のラブレター」とも言われる耽美的なアダージェットを採用したことで、マーラーの再評価にも繋がっている。

ちなみにビョルンにオーディションを受けさせた祖母も「ベニスに死す」にちょい役で出ており、得意満面の笑顔を浮かべている様がカメラに捉えられている。

「ベニスに死す」で大成功を収めたビョルンだったが、ヴィスコンティは彼に冷たく、カンヌ映画祭ではビョルンについて、「将来美青年になるかも知れないが、今は1年前に比べると大分醜くなった」と突き放し、その後のキャリアに繋がりそうなことは一切しなかった。それどころか、自身のみならずスタッフも全員同性愛者で固めていたヴィスコンティは、ゲイのコミュニティにビョルンを連れて行き、自身を飾るアクセサリーのよう扱っている。美少年を蔑むことは、ヴィスコンティのサディスティックな趣味の表れなのかも知れない。
その後のビョルンにも、美少年を好む男が群がるようになる。この映画ではパリでの出来事に触れているが、直接的な描写は避けられている。ビョルン自身が明言していないからだろう。

ビョルンは音楽を愛する少年だった。老人となり、決して広いとは言えないアパートメントに住むビョルンが狭い部屋にキーボードを置き、コンピューターで作曲する様をカメラは捉えている。実際、「ベニスに死す」のオーディションを受けた当時は音楽学校に通っていたようだ。それが「ベニスに死す」が当たったことで方向転回し、演劇学校に通うようになる。だがヴィスコンティが道を敷かなかったということもあり、俳優活動は順調とは言えず、仕事の依頼は多かったようだが大半は脇役であった。主役が減ったことで死亡説まで出たりしている。
その後、詩人であったスーザンと出会い、一男一女を設けるが、更なる悲劇がビョルンを襲うことになる。


私が映画「ベニスに死す」を初めて観たのは、15歳か16歳の頃。丁度、タジオを演じた時のビョルンと同年代である。その時は気付かなかったのだが、「世界で一番美しい少年」の中に出てくる「ベニスに死す」やその制作ドキュメンタリーである「タジオを求めて」に映っているビョルンは、驚くほど陰の濃い眼差しをしている。あたかもその後の人生を見据えているかのような目であるが、当然ながらビョルン本人も未来のことは何一つ知ってはいない。だが、その宿命が視線に出てしまっているということなのか。

「ベニスに死す」により、ビョルン旋風が巻き起こる。その中でも特に熱心だったのが日本のファンで、ファンレターのうち最も多くを占めているのは日本からのものであるようだ。
ということで、ビョルンは祖母の意向もあり、来日することになる。若い女性からの熱狂的な出迎えを受けたビョルンは、東京の帝国ホテルに泊まり、周りに言われるがままにCMに出演し、日本語で歌ったレコードをリリースしてヒットさせている。レコードリリースの仕掛け人となったのが、昨年亡くなった酒井政利であり、酒井もこの映画に証言者として出演している。

過密スケジュールで、それを乗り切るための赤い錠剤という怪しげなものを飲まされたりもしたが、日本人として嬉しいことに、ビョルンは日本には好感を抱いているようで、約半世紀ぶりに訪れた帝国ホテルで「懐かしい」と嬉しそうな笑みを浮かべている。
また「ベルサイユのばら」のオスカルのモデルとしてビョルンを選んだ池田理代子との対面も果たしている。

東京でピアノの演奏を行うシーンもあり、ビョルンが本当は音楽への道を歩むことを望んでいたことが窺える。孫を子役スターにしようとした祖母の意向で、また周囲の意見に合わせて俳優にならざるを得なかった残酷さも感じられる。十代半ばの少年に、大人達に抗うだけの力があるはずもない。その後のビョルンは鬱病とアルコール中毒に悩むことになる。

2019年にホラー映画「ミッドサマー」で久々の主演を務めたビョルン・アンドレセン。私自身は「ミッドサマー」は観たことはないのだが、多くの人が「ベニスに死す」のタジオとの落差に驚いたであろうことは想像に難くない。

ラストシーンは、ベニス(ヴェネチア)の海岸に立つビョルンの姿である。彼に名声とその後の地獄を与えた場所である。半世紀前、ビョルンはこの海岸で誰よりも輝いていた。曇り空の海岸に佇むビョルンが何を思ったのかは分からないが、人生と人間の不確かさというもの感じ取ることは出来た。

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