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2022年1月31日 (月)

美術回廊(72) 京都国立近代美術館 「上野リチ:ウィーンからきたデザイン・ファンタジー」

2022年1月15日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡崎にある京都国立近代美術館で、「上野リチ:ウィーンからきたデザイン・ファンタジー」を観る。

今回は展示品の横に説明書きのようなものはなく、入り口に置かれている作品リストを手に、展示品の脇に置かれた番号(「Ⅰ-1-01」「Ⅱ-2-10」といったような)を参照して、リストで内容を確認するという鑑賞法になっている。

1893年にウィーンに生まれた上野リチ。生誕時の名前はリチ・リックスであり、32歳の時に日本人建築家の上野伊三郎と結婚して、上野リチ・リックスという名前になっている。
ウィーン工芸学校で学んだ後、ウィーン工房の一人としての活動を開始。上野とはウィーン工房の同僚であった。

ウィーン工房は、共にウィーン分離派(オーストリア造形芸術家協会)出身のヨーゼフ・ホフマンとコロマン・モーザーが始めた美術工房で、工業デザインを得意としていた。

上野リチの作品の前に、ウィーン工房が作成したデザイン画や日用品などが展示されているが、一目見てマーラーの音楽が脳内に響き渡るような趣を持ったものが多い。マーラーもこのような工芸デザインに囲まれながら作曲や指揮活動を行っていた訳で、相互作用は当然ながら働いていたと思われる。マーラーは生前には作曲家としてはいくつかの例外を除いて成功出来ておらず、「異様な曲を書くらしい」ということだけが知られていた(マーラーは失敗を怖れて交響曲の初演を本拠地のウィーンでは行わなかった)。だが、時を経て見てみると、時代による親和性は確かにある。

上野伊三郎と結婚後、上野リチは夫の故郷である京都とウィーンを往復する生活に入る。作品の中には、水墨画や版画を意識したものもいくつか見られる。夫と共作したものもある。オーストリアと日本の良き融合である。

その後に京都に定住するようになった上野リチ。当時の日本にはまだインダストリアルデザインは十分には普及しておらず、上野は京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学美術学部)で教鞭を執った他、夫と共にインターナショナルデザイン研究所(その後、何度も校名変更を行い、最終的には京都インターアクト美術学校となるが、京都精華大学に吸収合併される形で2009年に閉校)を設立して後進の育成に当たった。展覧会の終盤にはリチの教え子達の作品も展示されている。

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