観劇感想精選(426) 「春秋座 能と狂言」2022渡邊守章追善公演
2022年2月6日 京都芸術劇場春秋座にて
午後2時30分から、京都芸術劇場春秋座で、「春秋座 能と狂言」を観る。今回は、昨年の4月に逝去した渡邊守章追善公演として行われる。
演目は、狂言「武悪」と能「弱法師」であるが、体調不良者や濃厚接触者が出たため、出演が一部変更になっている。「武悪」で武悪を演じる予定であった野村萬斎(本名:武司)が、先月29日に体調不良のため、念のために当日と翌日の本番を降りたことをTwitterで報告していたが、結局体調は回復せずに降板。父親である野村万作が武悪役を務めることになった。野村万作は「武悪」で主を演じることになっていたが、代わりに石田幸雄が入り、後見も飯田豪から石田淡朗に変わった。
また「弱法師」では、後見が上野雄三から鵜澤光に代わる。
まずは舞台芸術研究センター所長である天野文雄による解説がある。これまでは解説は渡邊守章と天野の二人による対談形式で行われていたが、渡邊の他界により、天野一人で引き受けることになっている。
天野は、「武悪」については解説を行わなかったが、無料パンフレットにある語句解説が野村万作事務所によるものであることを明かし、「狂言というと分かりやすいというイメージがありますが、そんなことはない」と丁寧な語句解説を行った野村万作と萬斎の姿勢を評価した。
能「弱法師」についてだが、大阪の四天王寺の石の鳥居(鎌倉時代のもので重要文化財に指定)とそこから見る夕日の日想観(じっそうかん)について説明を行う。四天王寺の極楽門(西大門)から鳥居を経て見る日想観は、西方に極楽浄土を思い浮かべるという観相念仏(浄土を思い浮かべることで行われる念仏。「南無阿弥陀仏」を唱えるいわゆる念仏=称名念仏とは異なる)である。四天王寺は和宗といって特定の宗派でなく、天台、真言、浄土、真宗、禅宗など多くの宗派の兼学や習合を行っている寺院だが、日想観の儀式は、フェスティバルホールで行われた天王寺楽所の演奏会でも接している。
弱法師が四天王寺で日想観を行うのが、「弱法師」のハイライトであるが、まず天野は「弱法師」の成り立ちについて説明する。「弱法師」の作者は、観世元雅。世阿弥こと観世元清の長男である。「弱法師」の他に「隅田川」などの傑作を書いているが、40に満たぬ若さで他界。世阿弥を悲しませた。若死にしたため、残された作品は少ないが、亡者が現れて心残りを語る夢幻能とは異なり、シテは現世で生きている人物としているのが特徴である。「弱法師」でもシテは視覚障害者で一種のマレビトであるが、生きることを選択している俊徳丸である。
狂言「武悪」。狂言の中でも異色作とされている。上演時間も約50分と、一般的な狂言の演目の倍ほどあるが、最初に現れた主(石田幸雄)が自己紹介をせず、いきなり「誰そあるか?」と何度か聞き、次の間に控えていた太郎冠者(深田博治)が馳せ参じるという場面から始まる。
内容もかなり物騒で、主が「武悪は働きが悪いので討て」と太郎冠者に命じる。笑いを取る芸能である狂言でいきなり殺生の話が出るのは珍しい。
武悪という名についてだが、「悪」という字には「悪い」という意味の他に、「悪源太義平」「悪王子」「悪太郎」のように「強い」という意味があり、「武悪」も武芸の達人という意味だと思われる。ところがこの武芸の達人が武力でなく、他の技で主をギャフンと言わせるというところが「弁慶もの」など他の演目にも繋がっている。
武悪を討つよう命じられた太郎冠者であるが、実は二人は幼なじみ。武悪を釣りに誘い出し、水際で武悪を討とうとする太郎冠者であるが、情が勝って武悪を討つことが出来ない。武悪が観念して、首を刎ねるよう太郎冠者に命じるが、やはり太刀を振るうことは出来ず、二人で泣き出してしまうという、これまた狂言らしからぬ展開である。
太郎冠者は、「武悪を討ったと主に告げる」ことに決め、二人は別れる。
さて、命が助かった武悪は清水寺にお礼参りに行き、太郎冠者は武悪の死を不憫に思った主と共に鳥辺野に武悪を弔いに行く。京都の地理や歴史に詳しくない人は余りピンとこないだろうが、鳥辺野というのは京都周辺最大の風葬の地であり、清水寺の南側に広がっていた。当然ながら、清水寺参りの人と鳥辺野に行く人とは出会いやすい。今とは違い、当時は周辺になにもない。という訳で、武悪と主はばったり出会ってしまう。
ここで太郎冠者と武悪は一計を案じ、武悪は幽霊だということにして、主を騙す。
幽霊に化けた武悪は、あの世で出会った主の父親から命じられたとして、主の太刀、短刀、扇などを奪った上で更に脅しをかけ、主が逃げ出してしまうというラストを迎える。
前半は人情サスペンス、後半は主がしてやられる狂言の王道という二部構成のような演目であるが、武悪と太郎冠者の友情が主をやっつけるというメッセージ性豊かな作品ともなっている。血なまぐさい話でありながら本当の悪人が出てこないというのも特徴的である。
幽霊と出会うという夢幻能のスタイルをパロディ化しているという点でも興味深い作品となっており、作者はよく分からないようだが、かなり頭の良い人物であることが察せられる。
能「弱法師」。出演は、観世銕之丞(シテ。俊徳丸)、森常好(ワキ。高安通俊)、野村裕基(アイ。通俊ノ下人)。大鼓:亀井広忠、小鼓:大倉源次郎、笛:竹市学。
毎回書いているが、野村裕基は声だけなら父親である野村萬斎と聞き分けられない程にそっくりである。若さを生かしたキビキビとした動きも良い。
事前に金春流の「弱法師」のテキストを読んでいったが、今回は当然ながら観世流のテキストであり、謡を全て聞き取ることは難しい。ただ要所要所は理解可能である。
まず高安通俊が出てきて、「これは河内国、高安の里に、左衛門尉通俊と申す者に候」と自己紹介を行う。高安というのは、現在の大阪府八尾市付近にあった里である。八尾というと関西でもガラの悪い土地というイメージが定着しているが、往時もそうだったのかは不明である。ただ高安という地名からは、「高いところにある安らかな場所=極楽」が連想される。おそらく意図しているだろう。
この高安通俊は、ある人(明らかにされないが、奥さんのようである)の讒言により、息子を追い出さねばならなくなった。不憫に感じた通俊は、大坂・四天王寺に向かい、施行(せぎょう。施しによって善根を積むこと)を7日間行うことにする。下人が現れてそのことを人々に告げる。
そこへ、弱法師(よろぼし)と呼ばれる男がやって来る。よろよろ歩くので弱法師との名が付いたのだが、四天王寺に日想観を行いにやって来たのである。ただ、弱法師は目が見えず、生きているうちから闇の中を進まなければならないことと、親から追われたことを嘆きつつ、日本における仏法最初の寺である四天王寺へと辿り着く。
通俊と弱法師は親子なのだが、最初の内はそれに気付かず、やり取りを行う。木花開耶姫が瓊瓊杵尊と出会ったのが浪花であるという説があることや、梅の花が雪に例えられることを知っている弱法師の教養から、「これはただの乞食ではない」と察した通俊。やがて弱法師が我が子であると見抜くことになる。
さて、弱法師が中腰になったまま地唄を聴く場面がある。地唄は四天王寺の由来を謡うのだが、この場面が「退屈だ」というのでカットされた版があるということを、解説の時に天野が口にしていたが、四天王寺の由来を地唄にしたことはその後に利いてくる。日想観を行う場所こそが聖徳太子がこの世の極楽を願った四天王寺なのである。
目が見えないので日想観を行うことが出来ないはずの弱法師であったが、心の目で日想観を果たし、有頂天となるも、他人にぶつかったことで我に返り、そして最後は通俊と共に弱法師は高安の地へと帰って行くのだが、「高安」が「極楽」に掛かった言葉だとすると、元いた場所への帰還、もしくは二種回向にまで解釈は広がることになる。個人的には余り拡げない方がいいとも感じているが、仏教的な解釈が魅力的であることは否定しがたい。
今回は、狂言と能の上演の後に、渡邊守章追悼トーク「渡邊守章先生と『春秋座―能と狂言』」が行われる。司会は天野文雄。出演は、亀井広忠、大倉源次郎、観世銕之丞。当初出席するはずだった野村萬斎は欠席となったが、渡邊守章死去直後にYouTubeにアップされた5分ほどの映像が流れ、また今回のトークイベントのために書かれたメッセージが読み上げられる。
渡邊守章の本業は、フランス文学者、ポール・クローデル研究家、翻訳家、フランス思想研究家であるが、能や狂言も余技ではなく、本業として取り組んでいたことを天野が語る。
それぞれの渡邊との出会いが語られる。亀井広忠は、四半世紀ほど前、パリに日仏会館が出来たときの記念上演会で出会ったのが最初だそうで、渡邊に「君は誰だ?」と聞かれ、「亀井広忠といって鳴り物をやっています」と答えたところ、「あれ? ターちゃんの息子さん?」と聞かれたそうだ。「ターちゃん」というのは亀井広忠の父親である忠雄のあだ名で、渡邊と亀井忠雄はかなり親しかったようである。
大倉源次郎はまずテレビで渡邊守章を知ったそうである。ジャン=ルイ・バローや観世寿夫らが出ていたNHK番組で渡邊が司会のようなことをしていたそうだ。
観世銕之丞は、父親の観世銕之亟(観世静夫)が渡邊守章演出の舞台に出演したときに、夜遅くに帰ってきてから渡邊の悪口を言いまくっていたそうで、「あの演出家は何を言っているのか分からん!」という父親の口吻から、「渡邊守章というのは怖い人だ」という印象を持っていたという。
実は渡邊守章が舞台芸術センターや春秋座で仕事をするようになったのは、親友である観世榮夫(私の演技の師でもある)が舞台芸術センターや春秋座を運営する京都造形芸術大学の教授を務めていたのがきっかけであり、「能と狂言」公演をプロデュースするようになっている。
野村萬斎からのメッセージは、「能ジャンクション」の思い出や、役者が演出を超えた時の喜びについてで、渡邊も役者が演出以上の演技をした場合はご満悦で、「舞台はやっぱり役者のもの」と語っていたそうである。
春秋座のように、能舞台ではない劇場で能狂言を行うことについて、特に「花道を使わねばならない」と渡邊が決めたことについては、野村萬斎は「橋懸かりと花道は根本的に違い、橋懸かりが彼岸と此岸を結ぶのに対して、花道を使う場合は客席からやって来る。それでは能や狂言にならないと承知の上で使うことに決めた」渡邊の演出法に一定の理解を示している。野村萬斎は、自身が芸術監督を務めている世田谷パブリックシアターでは、舞台の後方に3つの橋懸かりがあるという設計を施し、大阪のフェスティバルホールでの「祝祭大狂言会」でも同様のセットを使ったことを書いていた。
観世銕之丞は、橋懸かりでなく花道を使った場合、シテ柱のそばにある常座(定座)の位置が意味をなさなくなるのでやりにくさを感じていたそうである。観世は語っていなかったが、能面を付けて花道を進むことは危険で、一度、観世が能面を付けて花道を歩いているときに、前のめりに転倒したのを目撃している。幸い大事には至らなかったようだが。
鼓などの鳴り物に関してだが、春秋座は歌舞伎用に設計された劇場であるため、音は鳴りやすく、ストレスは感じないようだ。大倉によると、一般的なホールだと、音が後方に吸い取られてしまうため、客席まで届いているか不安になるそうである。
亀井広忠は、父方は鳴り物の家だが、母親は歌舞伎の家の出身だそうで、両方の血が入っているため、春秋座でやるときは歌舞伎の血がうずくそうである。
最後に野村万作が背広姿で登場し、渡邊守章との思い出を語る。渡邊との出会いは、初めてパリ公演に行ったときで、渡邊が現地で通訳のようなことをしてくれたそうだ。
その後、渡邊が万作に、自分がやる作品に出るよう催促するようになったそうだが、「アガメムノン」をやるとなった時には、断ろうとすると、「だったらもう友達止めるよ」と言われて仕方なく出たそうで、強引なところがあったという話をした。ジャン=ルイ・バローや観世寿夫が出た番組を万作は今のような背広姿で客席で見ていたそうだが、渡邊がそれを見つけて、出演するよう言ったという話もしていた。
ちなみに、「萬斎が言い忘れたことがある」と言い、「萬斎主催の『狂言 ござる乃座』の命名者が渡邊守章」であると紹介していた。
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