コンサートの記(764) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第555回定期演奏会 ブルックナー 交響曲第5番
2022年2月10日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて
午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第555回定期演奏会を聴く。曲目はブルックナーの交響曲第5番(ノヴァーク版)で、徹底して5が並ぶ。指揮は大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督の尾高忠明。
日本でもまだ「ブルックナーってあれ音楽なの?」と言われていた時代から積極的にブルックナーの交響曲を取り上げてきた尾高忠明。尾高はシベリウスの演奏でも日本の第一人者だが、ブルックナーを得意とする指揮者は基本的にシベリウスも得意であることが多い。若き日にウィーンに留学したシベリウスが、交響曲作曲家としてはまだ評価されていなかったブルックナーに師事しようとして断られたということがあったようだが、シベリウスはブルックナーの楽曲の本質を見抜いていたようである。ブルックナーを尊敬していたもう一人の音楽家、グスタフ・マーラーとシベリウスは後に会談しているが、物別れに終わっている。
ブルックナーはオルガニストとして出発。特に即興演奏を得意としており、ドイツ語圏最大のオルガニストとして尊敬されていたのだが、そんな彼が40代も半ばを過ぎてから交響曲の作曲に取り組むようになる。最初の内はさっぱり。自己評価に厳しく(この辺りはシベリウスにも繋がる)、気弱な性格だったということもあって、オーケストラに演奏を断られてもすごすご退散。「もっと良くすれば演奏して貰える」との思いから改訂に取り組み、その結果、版がいくつも存在するという状況になってしまっている。
今日演奏される交響曲第5番は、ブルックナーの交響曲の中でも人気のある作品、おそらく後期3大交響曲の次に来る作品だと思われるが、実はブルックナーは生前にこの曲の演奏を聴いたことはないとされる。完成したはいいものの、例によって演奏される機会がないまま歳月が流れてしまっていたが、交響曲第7番が成功したことで名声が徐々に高まり、生前に第5が演奏される機会も何度か訪れた。だが、ブルックナーは演奏会場に足を運ぶことはなかったようだ。
世界初演は、世界的な指揮者であったフランツ・シャルクのタクトによって行われたが、シャルクは交響曲第5番を「長すぎる」と感じたようで、独自のカットした版で演奏している。作品が理解された訳ではなかったことが分かる。
今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。第1ヴァイオリン17、第2ヴァイオリン15という大編成、ドイツ式の現代配置での演奏である。
ブルックナーの交響曲第5番は、非常にミステリアスな雰囲気で始まる。漆黒の闇の中を手すりだけを頼りに進んでいくような序奏に続き、突然前方に広大な世界が現れたかのようなスケール豊かな音楽が鳴り渡る。その後、森羅万象の美しさを愛でるかのような曲調となるが、次第に憂いが忍び寄ってくる。
この陰鬱なムードは第1楽章から第3楽章まで一貫して続き、第4楽章の冒頭で第1楽章から第3楽章までの主題が過ぎた日の追憶のように再現される。
交響曲第5番は、作曲家にとって特別な数字である。世界で最も有名な交響曲がベートーヴェンの第5番、日本では「運命」と呼ばれる楽曲である。本当に運命を描いたのかどうかは定かではないが、最終楽章で圧倒的な凱歌が奏でられるのが特徴で、多くの作曲家がそれを模倣した。ショスタコーヴィチが一番有名であるが、シベリウス、チャイコフスキー、プロコフィエフ、マーラーなどがベートーヴェンの第5を意識した曲調を自身の交響曲第5番に盛り込んでいる。おそらくブルックナーの交響曲第5番もこの路線で、ラストで強烈な鬨を上げている。それまでの3つの楽章は、挫折が多く、精神を病んだりもした自画像のようにも感じられる。ブルックナーの交響曲はどちらかというと抒景詩的だが、第5番だけは別のように思う。
尾高と大フィルによるブルックナーの交響曲第5番の演奏であるが、まずフォルムがほぼ完璧であることに圧倒される。スケール、音の純度、輪郭、いずれもが理想的である上に、強弱をミリ単位で変えてくる。こうした音楽作りは、日本人指揮者としては小澤征爾が得意としているが、今日の尾高もそれに近いものを感じる。少なくともブルックナーの音楽は完全に自分のものにしている。
大フィルのアンサンブルも好調で、弦楽器の透明度のある輝き、金管の節度ある咆哮など、ブルックナーに必要なものは全て音に込められている。ここまでのブルックナーを聴く機会は、外来のオーケストラを含めても余り多くないだろう。
明るめの音による演奏であるが、ブルックナーの私小説的な憂いの表現にも遺漏はなく、今現在の日本で聴ける最高のブルックナー演奏の一つであることは間違いない。尾高と大フィルのブルックナーは、これまでにも何度か聴いているが、今日が最高の出来であったように思う。
盟友である井上道義が、2024年をもって指揮者からの引退を表明するなど、世代交代が進んでいる日本人指揮者界であるが、尾高さんにはこれからも名演を生んで貰いたい。そして出来るなら、大フィルとシベリウスの交響曲チクルスもやって欲しい。
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